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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

吉野神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月11日 (日)

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吉野神宮
よしの じんぐう
Yoshino jingu kozu02.jpg創建当時の社殿
概要 後醍醐天皇の霊廟。
奉斎 後醍醐天皇
(『吉野神宮誌』)
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣大社別表神社
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目次

概要

吉野神宮(よしの・じんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町にある、後醍醐天皇を祀る霊社吉野を拠点とした南朝を記念する。境内に、藤原資朝・藤原俊基を祀る御影神社、児島範長・児島高徳・桜山茲俊を祀る船岡神社、土居通増・得能通綱を祀る瀧桜神社がある。旧称は吉野宮吉水神社が元宮に当たる。後醍醐天皇陵は吉野山中の如意輪寺にある。東南50kmの上北山村には、後南朝の皇子北山宮を祀った境外摂社の旧県社北山神社がある。

奉斎

本社祭神

摂社祭神

  • 北山神社
  • 御影神社
    • 贈従二位 藤原資朝:
    • 贈従三位 藤原俊基:
  • 船岡神社
    • 贈正四位 児島範長:
    • 贈従三位 児島高徳
    • 贈正四位 桜山茲俊:

1903年(明治36年)11月13日に児島範長が従四位から正四位に、児島高徳が正四位から従三位に、桜山茲俊が正五位から正四位になる。

  • 瀧桜神社
    • 贈正四位 土居通増:
    • 贈正四位 得能通綱:

表記は創立の達に基づくが、その後贈位があった人物は贈位後に合わせた。

歴史

前史:吉水院の祭祀

吉野神宮の起源は、吉水院で行われてきた後醍醐天皇祭祀に遡る。後村上天皇が父の後醍醐天皇の尊像を刻し、吉水院に奉安した。神宮の祭祀の半分はこの時から現在まで継続していると言える。明治維新で吉水院は廃絶となり、神社となり、明治8年3月5日、吉水神社と命名され、村社となった。

明治1:吉野宮の鎮座

創建当時の境内
大正時代の神前。拝殿の屋根が見える。

明治憲法が発布された明治22年の6月26日、内務大臣松方正義から奈良県へ官幣中社吉野宮創立が達せられた。この時点で既に7人の忠臣を祀った摂社3社の創建も決められていた(社名は未定)。

鎮座地については、吉水神社の地や実城寺跡などの意見もあったが、狭隘のため新たに選定することになった。まず「吉水神社を以て仮殿」とされ、7月3日に奉告祭執行。9月になって摂社の社名が宣下された。例祭は9月27日と定められた。大神神社宮司池田昇の所管となり、同年9月27日、吉水神社で初めての例祭が行われた。明治25年2月までこの仮殿で祭祀が行われた。

明治22年11月、現在地の丈六平3569坪に社地が決定し、翌年6月11日に起工。25年6月25日、社殿が竣工し、社地は増加して4303坪余となった。国庫から保存金1万5000円、本社造営費1万円、摂社造営費3000円が拠出され、さらに吉野郡民から浄財が集められた。

明治25年9月27日、明治天皇は子爵石山基正を勅使として派遣し、新たな御霊代を奉納。宮司が奉安し、勅使が霊遷の御祭文を奏上して鎮座となり、奉幣、奉告の御祭文奏上があった。その後、宮司らが吉水神社から尊像を遷し、再び奉幣・御祭文奏上があった。奉告の御祭文では「明治の代の繁栄は500年前に始まりがあった」と後醍醐天皇の功績を讃えた。

翌年1月24日、後醍醐天皇の子孫で後南朝を担った北山宮を祀る橡木神社を境外摂社と定め、10月26日に北山神社と改称。のち大正11年(1922)3月7日、県社となっている。

創建実現には結城神社宮司などを務めた川口常文が尽力したという。

明治2:官幣大社昇格

明治34年8月8日、官幣大社に昇格。後醍醐天皇の皇子を祀る神社が同じ官幣中社となっているための措置であった。9月15日、勅使蔵田秋輔が参向して奉告祭を行った。 明治36年(1903)11月13日、摂社の祭神3柱に贈位が行われた。児島範長が従四位から正四位に、児島高徳が正四位から従三位に、桜山茲俊が正五位から正四位となった。

大正・昭和:神宮号下賜と「昭和の造営」

昭和造営で建てられた現在の拝殿
昭和造営で建てられた現在の御影神社

大正7年(1918)9月28日、大正天皇は神宮号を下賜し、吉野神宮に改称した。 官幣中社の格式で社殿が造営されたため、官幣大社の格式にふさわしい社殿にしようと、大正10年、第44帝国議会の議決を経て、翌年4月に大正天皇が造営を命じた。国費50万円をもって改造に着手し、侯爵徳川頼倫、伯爵徳川達孝、伯爵大木遠吉(会長)、歴史学者の黒板勝美らが中心となって奉賛会を結成。大正14年4月、仮殿を造営して翌月8日に仮殿遷座祭を執行。造営を行い、昭和3年9月25日に本殿遷座祭が完了した。付帯工事も昭和7年3月31日に終了した。社地は2万7500坪余に拡張された。

従来、境内摂社は、御影神社が本殿の左、船岡神社と瀧桜神社が本殿の右に鎮座しており、しかも入母屋造の社殿であったが、造営後は神門と拝殿の中間に東面して春日造の社殿が3社並んで建てられた。

境内

現在とは異なる昭和造営前の社殿配置

組織

宮司

  • 1池田昇()<1890/3/15->:大神神社宮司から
  • 2波多野春万侶()<1891/12/7-1893/8/23>:
  • 3今岡〓()<1893/8/23-1895/2/24>:
  • 4斎藤普春(1854/1/26-1913/3/26)<1895/2/24-8/5>:60歳。(略歴は、丹生川上神社#組織を参照)
  • 5堀重信()<1895/8/5-1912/12/11>:賀名生村長
  • 6大橋清尚()<1912/12/11->:
  • 河崎雅之()<>:
  • 河崎正直()<>:
  • 川﨑宏()<-2018>:2018年3月9日退任。
  • 東輝明(1966-)<2018->:

画像

参考文献

  • 吉野神宮奉賛会、昭和14『吉野神宮誌』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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