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吉野神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月24日 (火)

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吉野神宮
よしの じんぐう
Yoshino jingu kozu02.jpg創建当時の社殿
概要 後醍醐天皇の霊廟。
奉斎 後醍醐天皇
(『吉野神宮誌』)
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣大社別表神社
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目次

概要

吉野神宮(よしの・じんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町にある、後醍醐天皇を祀る霊社吉野を拠点とした南朝を記念する。境内に、藤原資朝・藤原俊基を祀る御影神社、児島範長・児島高徳・桜山茲俊を祀る船岡神社、土居通増・得能通綱を祀る瀧桜神社がある。旧称は吉野宮吉水神社が元宮に当たる。後醍醐天皇陵は吉野山中の如意輪寺にある。東南50kmの上北山村には、後南朝の皇子北山宮を祀った境外摂社の旧県社北山神社がある。

奉斎

吉野神宮・国史を貫く神社物語.JPG

本社祭神

摂社祭神

  • 北山神社
  • 御影神社
    • 贈従二位 藤原資朝:
    • 贈従三位 藤原俊基:
  • 船岡神社
    • 贈正四位 児島範長:
    • 贈従三位 児島高徳
    • 贈正四位 桜山茲俊:

1903年(明治36年)11月13日に児島範長が従四位から正四位に、児島高徳が正四位から従三位に、桜山茲俊が正五位から正四位になる。

  • 瀧桜神社
    • 贈正四位 土居通増:
    • 贈正四位 得能通綱:

表記は創立の達に基づくが、その後贈位があった人物は贈位後に合わせた。

歴史

前史:吉水院の祭祀

吉野神宮の起源は、吉水院で行われてきた後醍醐天皇祭祀に遡る。後村上天皇が父の後醍醐天皇の尊像を刻し、吉水院に奉安した。神宮の祭祀の半分はこの時から現在まで継続していると言える。明治維新で吉水院は廃絶となり、神社となり、1875年(明治8年)3月5日、吉水神社と命名され、村社となった。

明治1:吉野宮の鎮座

創建当時の境内
大正時代の神前。拝殿の屋根が見える。

明治憲法が発布された1889年(明治22年)の6月26日、内務大臣松方正義から奈良県へ官幣中社吉野宮創立が達せられた。この時点で既に7人の忠臣を祀った摂社3社の創建も決められていた(社名は未定)。

鎮座地については、吉水神社の地や実城寺跡などの意見もあったが、狭隘のため新たに選定することになった。まず「吉水神社を以て仮殿」とされ、7月3日に奉告祭執行。9月になって摂社の社名が宣下された。例祭は9月27日と定められた。大神神社宮司池田昇の所管となり、同年9月27日、吉水神社で初めての例祭が行われた。1892年(明治25年)2月までこの仮殿で祭祀が行われた。

1889年(明治22年)11月、現在地の丈六平3569坪に社地が決定し、翌年6月11日に起工。1892年(明治25年)6月25日、社殿が竣工し、社地は増加して4303坪余となった。国庫から保存金1万5000円、本社造営費1万円、摂社造営費3000円が拠出され、さらに吉野郡民から浄財が集められた。

1892年(明治25年)9月27日、明治天皇は子爵石山基正を勅使として派遣し、新たな御霊代を奉納。宮司が奉安し、勅使が霊遷の御祭文を奏上して鎮座となり、奉幣、奉告の御祭文奏上があった。その後、宮司らが吉水神社から尊像を遷し、再び奉幣・御祭文奏上があった。奉告の御祭文では「明治の代の繁栄は500年前に始まりがあった」と後醍醐天皇の功績を讃えた。

翌年1月24日、後醍醐天皇の子孫で後南朝を担った北山宮を祀る橡木神社を境外摂社と定め、10月26日に北山神社と改称。のち1922年(大正11年)3月7日、県社となっている。

創建実現には結城神社宮司などを務めた川口常文が尽力したという。

明治2:官幣大社昇格

1901年(明治34年)8月8日、官幣大社に昇格。後醍醐天皇の皇子を祀る神社が同じ官幣中社となっているための措置であった。9月15日、勅使蔵田秋輔が参向して奉告祭を行った。 1903年(明治36年)11月13日、摂社の祭神3柱に贈位が行われた。児島範長が従四位から正四位に、児島高徳が正四位から従三位に、桜山茲俊が正五位から正四位となった。

大正・昭和:神宮号下賜と「昭和の造営」

昭和造営で建てられた現在の拝殿
昭和造営で建てられた現在の御影神社

1918年(大正7年)9月28日、大正天皇は神宮号を下賜し、吉野神宮に改称した。 官幣中社の格式で社殿が造営されたため、官幣大社の格式にふさわしい社殿にしようと、1921年(大正10年)、第44帝国議会の議決を経て、翌年4月に大正天皇が造営を命じた。国費50万円をもって改造に着手し、侯爵徳川頼倫、伯爵徳川達孝、伯爵大木遠吉(会長)、歴史学者の黒板勝美らが中心となって奉賛会を結成。1925年(大正14年)4月、仮殿を造営して翌月8日に仮殿遷座祭を執行。造営を行い、1928年(昭和3年)9月25日に本殿遷座祭が完了した。付帯工事も1932年(昭和7年)3月31日に終了した。社地は2万7500坪余に拡張された。

従来、境内摂社は、御影神社が本殿の左、船岡神社と瀧桜神社が本殿の右に鎮座しており、しかも入母屋造の社殿であったが、造営後は神門と拝殿の中間に東面して春日造の社殿が3社並んで建てられた。

境内

現在とは異なる昭和造営前の社殿配置

組織

宮司

  • 1池田昇(1825-)<1890->:大神神社宮司が本務。1890年(明治23年)3月15日、吉野宮宮司兼務。
  • 2波多野春万侶(1883-1889)<1891-1893>:出羽神社宮司。1891年(明治24年)12月7日、吉野宮宮司。1893年(明治26年)8月23日退任。
  • 3今岡〓()<1893-1895>:1893年(明治26年)8月23日、吉野宮宮司。1895年(明治28年)2月24日、退任。
  • 4斎藤普春(1854-1913)<1895-1895>:1895年(明治28年)2月24日、吉野宮宮司。8月5日退任。(略歴は、丹生川上神社#組織を参照)
  • 5堀重信()<1895-1912>:賀名生村長。「賀名生皇居」の堀家。1895年(明治28年)8月5日、吉野宮宮司。1912年(大正1年)12月11日退任。
  • 6大橋清尚(?-1944)<1912->:1912年(大正1年)12月11日、吉野宮宮司。1944年(昭和19年)死去。著書『官幣大社吉野宮御伝記』。
  • 河崎雅之()<>:
  • 河崎正直(1898-1985)<1945-1984>:石川県出身。1898年(明治31年)生。1925年(大正14年)国学院大学文学部道義科卒。同年伏見稲荷大社主典。1933年(昭和8年)水無神社宮司。1940年(昭和15年)照国神社宮司、1945年(昭和20年)吉野神宮宮司。1984年(昭和59年)吉野神宮名誉宮司。1985年(昭和60年)1月22日死去。
  • 河崎宏(1944-)<-2018>:1944年(昭和19年)生。皇学館大学卒。2018年(平成30年)3月9日退任。奈良県神社庁長。
  • 東輝明(1966-)<2018->:1966年(昭和41年)生。2018年(平成30年)吉野神宮宮司。

画像

建武中興十五社
社号 祭神
吉野神宮 後醍醐天皇
鎌倉宮 護良親王
井伊谷宮 宗良親王
八代宮 懐良親王
(配)良成親王
金崎宮 尊良親王
恒良親王
小御門神社 花山院師賢
菊池神社 菊池武時
菊池武重
菊池武光
(配)菊池武政他
湊川神社 楠木正成
(配)楠木正行他
名和神社 名和長年
(配)名和長重他
阿部野神社 北畠親房
北畠顕家
藤島神社 新田義貞
(配)新田義宗他
結城神社 結城宗広
(配)結城親光他
霊山神社 北畠親房
北畠顕家
北畠顕信
北畠守親
四條畷神社 楠木正行
(配)楠木正時他
北畠神社 北畠顕能
(配)北畠親房
(配)北畠顕家

参考文献

  • 吉野神宮奉賛会、昭和14『吉野神宮誌』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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