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南朝人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月11日 (月)
(後南朝から転送)
社号 | 祭神 |
---|---|
吉野神宮 | 後醍醐天皇 |
鎌倉宮 | 護良親王 |
井伊谷宮 | 宗良親王 |
八代宮 | 懐良親王 (配)良成親王 |
金崎宮 | 尊良親王 恒良親王 |
小御門神社 | 花山院師賢 |
菊池神社 | 菊池武時 菊池武重 菊池武光 (配)菊池武政他 |
湊川神社 | 楠木正成 (配)楠木正行他 |
名和神社 | 名和長年 (配)名和長重他 |
阿部野神社 | 北畠親房 北畠顕家 |
藤島神社 | 新田義貞 (配)新田義宗他 |
結城神社 | 結城宗広 (配)結城親光他 |
霊山神社 | 北畠親房 北畠顕家 北畠顕信 北畠守親 |
四條畷神社 | 楠木正行 (配)楠木正時他 |
北畠神社 | 北畠顕能 (配)北畠親房 (配)北畠顕家 |
日本の南朝
目次 |
一覧
天皇
- 96後醍醐天皇(1288-1339)<1318-1339>
- 97後村上天皇(1328-1368)<1339-1368>
- 98長慶天皇(1343-1394)<1368-1383>
- 99後亀山天皇(?-1424)<1383-1392>
後醍醐帝の皇子女
- 恒性王(1305-1333):真言僧。大覚寺門跡27世。元弘の変で越中に配流され、幽閉。天皇の隠岐脱出で警戒されて幕命で名越時有に殺害された。大覚寺宮、越中宮。
- 護良親王(1308-1335):天台僧。梶井門跡31世。天台座主、征夷大将軍を歴任。父帝との不和のため、謀反を疑われ、鎌倉に幽閉。中先代の乱の混乱で足利尊氏の弟直義に殺害された。逃れて落ち延びた潜行譚など様々な伝説がある。僧名は尊雲法親王。通称は大塔宮。
- 世良親王(?-1330):若くして没した皇族。
- 尊良親王(1311-1337):元弘の変で土佐配流。足利尊氏に敗れ、金崎城で新田義貞とともに高師泰と戦うが敗北。一品中務卿親王。
- 宗良親王(1311-1385?):天台僧。天台座主。妙法院門跡24世。元弘の変で讃岐配流。井伊城に入る。信濃小笠原氏に擁立される。歌人で『新葉和歌集』を編纂。尊澄法親王。信濃宮、信州中書王。
- 懽子内親王(1315-1362):斎宮となるが、父帝の隠岐配流を受けて退任。光厳上皇の後宮となる。のち深草保安寺(法安寺)に入る。宣政門院。墓所不明。
- 瓊子内親王(1316-1339):時宗尼。父帝を追って隠岐に渡ろうとするが、伯耆国車尾(くずお)に軟禁される。ここで、清浄光寺5世安国(6世一鎮とも)に帰依。伯耆・安養寺を創建。法名は安養。
- 無文元選(1323-1390):臨済僧。可翁宗然や雪村友梅に師事。元で古梅正友から法を嗣ぐ。奥山朝藤に招かれ、遠江・方広寺開山となる。他に京都帰休庵、三河広沢寺、美濃了義寺などを創建。聖鑑国師、円明大師。
- 恒良親王(1324?-1338):元弘の変で但馬配流となるが、静尊法親王とともに太田守延に奉じられて京都を攻める。建武政権で皇太子。金崎城で新田義貞とともに高師泰と戦うが敗北。拘束され京都で毒殺されたという。墓所不明。
- 金崎宮
- 法仁法親王(1325-1352):真言僧。仁和寺門跡16世。六勝寺検校。躬良親王。
- 成良親王(1326-1344):南朝出身だが、北朝方に着いた皇子。足利直義が倒幕のため鎌倉に下る時に擁した。中先代の乱で京都に戻る。征夷大将軍となるが、尊氏が政権を確立すると北朝の光明天皇の皇太子となる。しかし、後醍醐天皇が吉野に移ると皇太子を廃された。
- 懐良親王(1329-1383):尊氏が離反すると征西将軍宮に任命され、五条頼元とともに四国を経て九州へ。大宰府を占領し、菊池家や阿蘇家の支持を得て九州における南朝の要となる。筑後国矢部に隠退。鎮西宮、九州宮。
- 玄円法親王(?-1348):南都僧。興福寺一乗院門跡。
- 龍泉令淬(?-1364):臨済僧。虎関師錬に師事。承天寺、万寿寺などに住す。
- 用堂(?-1396):臨済尼。護良親王の供養のために鎌倉・東慶寺住職5世となる。
- 満良親王(生没年不詳):土佐で活躍した花園宮、周防で令旨を多数発した常陸親王と同一人物と考えられている。
- 祥子内親王(生没年不詳):最後の斎宮。臨済尼。伊勢には下向せず、後、尼となり深草保安寺に入ったという。また伊勢の伝説では熊野に住んだ後、伊勢慶光院を創建したともいう。法名は周徳。
- 聖助法親王(生没年不詳):天台僧。聖護院門跡23世。
- 静尊法親王(生没年不詳):天台僧。聖護院門跡24世。元弘の変で但馬配流となるが、恒良親王とともに太田守延に奉じられて京都を攻める。その後の行方は不詳。恵尊法親王。
- 尊真(生没年不詳):真言僧。醍醐寺に入る。通称醍醐宮。
- 源光(生没年不詳):伝説的な浄土真宗僧。後醍醐天皇が吉野光遍寺を行宮とした時に産まれたとされる皇子。同寺5世となる。俗名は賢光とされる。
- 尊真親王(?-1338):伊予国で死去。陵墓は大井陵墓参考地。大井八幡大神社に合祀。
後村上帝の皇子女
- 惟成親王(生没年不詳):臨済僧。護聖院宮初代か。法名は梅隠祐常。
- 師成親王(生没年不詳):臨済僧。伊勢南陽寺(不詳)に入り、大内氏に招かれて周防の山口法泉寺(現在は宇部に移転)に移った。法名は竺源恵梵。爛雲子。
- 良成親王(生没年不詳):懐良親王から征西将軍職を譲られる。矢部で死去したという。通称後征西将軍宮。
- 説成親王(生没年不詳):通称上野宮。
長慶帝の皇子女
後亀山帝の皇子女
その他の皇族
- 守良親王(生没年不詳):亀山天皇皇子。覚浄(覚静)。子に宗覚。
- 恒明親王(1303-1351):亀山天皇皇子。常磐井宮初代。後醍醐天皇を補佐するが、吉野に行かなかった?
- 尊観法親王(1349-1400):時宗僧。恒明親王の王子という。遊行上人12世。下関・専念寺に治定尊観親王墓がある。深勝法親王。師阿。他阿。
- 雛鶴姫(生没年不詳):護良親王の妃
- 日叡(1352-1400):護良親王の王子。
- 小大塔ノ宮:和歌山県東牟婁郡北山村に伝わる、護良親王の王子。
- 陸良親王(生没年不詳):護良親王の王子と言われる。南朝から反旗を翻す。赤松宮。興良親王と同一人物という説もある。
- 親王塚:姫路市
- 興良親王(生没年不詳):護良親王の王子。
- 尹良親王(1364-1424):宗良親王の第2王子。
- 国良親王():宗良親王の王子。
- 国良親王墓:群馬県太田市。円福寺内。円福寺茶臼山古墳。
- 明光宮():宗良親王の王子。
- 良王親王():尹良親王の王子。津島神社社家の氷室家の始祖。
- 円悟法親王():説成親王の王子。円満院門跡。
- 円胤法親王():説成親王の王子。円満院門跡。
- 聖淳(?-1434):説成親王の王子。謀反の疑いで足利義教に処刑された。相応院新宮。
- 直仁親王(1335-1398) :北朝花園天皇の皇子。皇太弟を廃されたため、南朝方に付く。萩原宮。
後南朝
- 聖承親王(?-1443):恒敦皇子の王子。小倉宮2代。俗名は泰仁親王、良泰親王ともいうが不詳。小倉宮。樋口宮。
- 教尊親王(生没年不詳):聖承親王の王子。小倉宮3代。勧修寺門跡となるが、禁闕の変で関与を疑われて隠岐に配流。
- 教尊親王墓:島根県隠岐郡知夫村。知夫里島。松養寺内。
- 尊義王(生没年不詳):実在不明。空因親王とも。後亀山天皇の皇孫という。
- 尊秀王(生没年不詳):禁闕の変を起こす。北山宮と同一人物説もある。
- 北山宮(?-1457):尊義王の王子ともいう。尊秀王と同一人物説もある。赤松家遺臣に殺害される。自天王。
- 河野宮():尊義王と同一人物とも。
- 忠義王(?-1457):北山宮の弟。尊義王の王子ともいう。河野宮を称す。赤松家遺臣に殺害される。
- 忠義王墓:奈良県吉野郡北山村。金剛寺内。
- 南帝王陵:
- 通蔵主(?-1443):臨済宗相国寺の僧侶。禁闕の変で四国流罪となるが途中で死去。
- 金蔵主(?-1443):臨済宗万寿寺の僧侶。通蔵主の弟。後亀山天皇皇子とも世明王の王子ともいう。禁闕の変で戦死。
- 梵勝(生没年不詳):臨済宗相国寺の僧侶。玉川宮の子孫という。
- 梵仲(生没年不詳):臨済宗相国寺の僧侶。梵勝の弟。玉川宮の子孫という。
楠木一族
- 楠木正成(1294-1336):河内出身の武将。湊川の戦いで戦死。
- 楠木正季(?-1336):正成の弟。湊川の戦いで戦死。
- 楠木正家(?-1349):正成の弟か。四條畷の戦いで戦死。
- 楠木正行(1326-1348):正成の長男。四條畷の戦いで戦死。
- 楠木正時(?-1348):正成の次男。四條畷の戦いで戦死。
- 楠木正儀(生没年不詳):正成の三男。正行の死後、楠木家の当主となる。北朝に下る。
- 和田賢秀(?-1348):正季の子という。
- 和田正朝(?-1348):正季の子?賢秀の弟。四条畷で戦死。
- 楠木正勝(生没年不詳):正儀の子。
- 楠木正元(?-1393):正儀の子。正勝の弟。
- 傑堂能勝(1355-1427):正儀の子。曹洞宗僧。通幻寂霊、梅山聞本に師事。
- 楠木光正
- 楠木正成妻(生没年不詳):正成の妻。久子とも言われるが不明。
- 御妣神社(四条畷神社内)
- 甘南備神社(湊川神社合祀)
- 楠母神社
- 楠妣庵
- 和田正隆(?-1336)
- 和田正遠(?-1336):湊川で戦死。
- 和田正武()
- 和田正忠(生没年不詳):
- 橋本正高(?-1380):
- 橋本正茂(生没年不詳):
- 橋本神社(三春大神宮)
- 神宮寺正師(?-1336):湊川で戦死
- 大塚惟正(?-1348):四條畷で戦死
- 恩地左近(生没年不詳):神職。楠木正行に従う
北畠一族
- 北畠親房(1293-1354)
- 北畠顕家(1318-1338):親房の長男。
- 北畠顕信(生没年不詳):親房の次男。
- 霊山神社
- 北畠顕能(生没年不詳):親房の三男。
- 北畠神社
- 北畠守親(生没年不詳):顕信の子。
- 霊山神社
- 北畠具行:
- 留魂社(北畠神社内)
- 北畠満雅:
- 留魂社(北畠神社内)
- 北畠具教:
- 留魂社(北畠神社内)
新田一族
- 新田義貞(1301-1338)
- 勾当内侍(生没年不詳):義貞の妻。
- 野神神社
- 野神神社:藤島神社境内。
- 脇屋義助(1306-1342)
- 新田義顕(?-1337)
- 藤島神社(相殿)
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 脇屋義治(1323-?)
- 新田義興(1331-1358)
- 新田義宗(?-1368)
- その他
- 専立寺:脇屋義助の末裔が代々住職を務める。
菊池一族
- 菊池武時(1292?-1333)
- 菊池武重(生没年不詳):武時の子。
- 菊池神社
- 菊池武光(?-1373):武時の子。武重の弟。
- 菊池神社
- 菊池武政
- 菊池神社
- 菊池武吉
- 湊川神社
- 菊池武朝
- 菊池武房
- 城山神社(菊池神社内)
- 菊池重朝
- 城山神社(菊池神社内)
- 菊池経隆
名和一族
その他
貴族
- 日野資朝(1290‐1332):
- 日野俊基(?-1332):
- 日野朝保:
- 森山八幡宮:高知県高知市春野町。
- 近衛宗康(?-1333):恒性王の随臣。
- 勧修寺家重(?-1333):恒性王の随臣。
- 日野直通(?-1333):恒性王の随臣。
- 万里小路宣房(1258-1348):後醍醐天皇の側近。
- 吉田定房(1274-1338):
- 吉田定房墓:奈良県吉野郡吉野町。
- 万里小路藤房(1295-?):宣房の子。後醍醐天皇の側近だったが、親政で対立。行方不明。出家して授翁宗弼(1296-1380)となったという説もある。
- 花山院師賢(1301-1332)
- 千種忠顕(?-1336):
- 千種忠顕戦没地:京都府京都市左京区修学院音羽谷。比叡山。
- 四条隆資(1292-1352):
- 四条隆資墓:京都府八幡市。正平塚古墳。
- 坊門清忠(?-1338):後醍醐天皇に仕えた。吉野で死去。
- 二条為冬(?-1335):
- 佐野原神社:静岡県裾野市平松。県社。
- 四条隆俊(?-1373):
僧侶
神職
- 桜山茲俊(?-1332):墓は不詳
- 気比斎晴(?-1337):
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 気比氏治(?-1337):
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 度会家行(1256-1351):
その他
- 井伊道政(1309-1404)
- 井伊社(井伊谷宮内)
- 井伊高顕(?-1386?):
- 井伊社(井伊谷宮内)
- 竹原八郎(1276-1347):
- 伊達行朝(1291-1348):
- 足助重範(1292-1332):
- 里見時成(1309-1337)
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 里見義氏(?-1337):
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 宇都宮隆房(1329-1359)
- 宇都宮神社
- 宇都宮公綱(1302-1356)
- 村上義光(?-1333)
- 村上義光墓:吉野にある。
- 村上社(鎌倉宮内)
- 村上義隆(1316-1333):村上義光の子。
- 太田守延(?-1333)
- 名和長年(?-1336)
- 結城宗広(?-1338)
- 結城親光(?-1336):宗広の次男。
- 土居通増(?-1336):伊予国河野氏。近江国で戦死。
- 瀧桜神社(吉野神宮内)
- 正応寺
- 大川神社
- 土居城跡供養塔
- 星岡表忠之碑
- 得能道綱(?-1337)
- 瀧桜神社(吉野神宮内)
- 三隅兼連
- 藤原行房(?-1337)
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 瓜生保(?-1337):
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 瓜生義鑑():
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 由良具滋(?-1337):
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 南部師行(?-1338)
- 勲之宮(阿部野神社内)
- 遠野・南部神社
- 村山信義 (生没年不詳):
- 五条頼治(生没年不詳):矢部山城を拠点に懐良親王、良成親王に仕えた武将。
- 宍草吉重(生没年不詳):
- 吉重命霊社
- 長浜顕寛
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 武田与一
- 絹掛神社(金崎宮内)
- 南の方():護良親王の世話をした。日叡の母という。
- 南方社(鎌倉宮内)
- 谷山隆信()
- 谷山隆信墓
- 千々輪神社(谷山神社内)
- 栗生頼方()
- 奥山朝藤:方広寺開基
- 弁内侍(生没年不詳):日野俊基の娘。楠木正行に従い、菩提を弔う。
- 荻野朝忠(生没年不詳):千種忠顕に従う。のち北朝方。
- 堀田正泰():
- 西条倫房():市川倫房。市河倫房。米沢藩家臣西条家の祖。米沢市の西条天満神社に祀る。西条天満神社は市内の皇大神社に合祀。
- 山口・敷山神社:山口県防府市牟礼。矢筈岳にある敷山城跡地にある。挙兵した足利尊氏と戦った戦没者を祀るという。