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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

相国寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月28日 (日)

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相国寺(しょうこくじ)は、京都府京都市上京区にある臨済宗本山寺院。本尊は釈迦如来。京都五山の第2位。臨済宗相国寺派大本山。足利義満が将軍家の菩提寺として春屋妙葩を招いて創建。夢窓疎石を勧請開山とする。巨大な七重大塔があった。塔頭の大通院専門道場が設置されている(相国僧堂)。室町時代、鹿苑院臨済宗僧録を務めた。境外塔頭として金閣寺銀閣寺がある。山号は万年山。承天相国寺。相国承天禅寺。(参考:同名寺院相国寺_(同名)

目次

歴史

創建

1382年(永徳2年)9月頃、足利義満が室町邸の近くに小さな禅寺を建てようと春屋妙葩や義堂周信に相談すると「大叢林を建てられよ」と将軍に上申。義満もそれに押されて決心した。 10月3日は新寺創建の勅許を仰ぐ。まもなく起工。10月29日、法堂の上棟と仏殿の立柱が行われた。1383年(永徳3年)12月13日、春屋妙葩が住職として入寺。25日には足利義満は寄進状を与えた。 1384年(至徳1年)、仏殿落慶。山号を「万年山」と定め、「相国承天禅寺」と命名した。

1385年(至徳2年)11月20日、仏殿の開眼の大法会を執り行った。 1386年(至徳3年)7月10日、寺格を「五山第二」と定められた。 諸堂伽藍が揃い、1392年(明徳3年)8月28日、奉勅慶讃の大法会が行われた。 既に春屋妙葩は亡くなり、3世空谷明応の代となっていた。

度重なる火災と兵火

落慶のわずかに2年後、1394年(応永1年)9月24日夜に直歳寮から出火。伽藍は焼失した。燃える伽藍を前にして、既に隠退していた絶海中津は足利義満に再建を訴えた。翌年2月24日には仏殿と崇寿院の立柱を実現。1405年(応永12年)8月、方丈と蔵殿が落慶。1407年(応永14年)頃までには旧観に復したという。1425年(応永32年)8月14日、再び火災にみまわれ、輪蔵のみが残った。輪蔵を仮法堂に当てたという。足利義教は1435年(永享7年)秋起工。翌年3月に仏殿落慶。1441年(嘉吉1年)山門落慶。1466年(文正1年)に復興は完了した。

しかし、その翌1467年(応仁1年)に応仁の乱が勃発。東軍の根拠地となったため、10月3日に西軍の襲撃にあい、伽藍は焼失した。戦乱が収まるまで寺僧は近江の永源寺に避難した。3度目の就任となった72世維馨梵桂はまず法堂、三門、鹿苑院を復興。1508年(永正5年)、おおむね復興が完了した。ところが1549年(天文18年)、三好長慶と細川晴元が開戦。1551年(天文20年)7月13日、細川軍が陣取った相国寺に三好軍が攻撃。伽藍が焼亡した。「相国寺の戦い」「天文の乱」「石橋の戦い」ともいう。1553年(天文22年)3月18日、方丈再建の地鎮祭を行うが復興は遅々として進まなかった。

近世の中興

92世西笑承兌が諸堂復興の端緒を開き、相国寺中興と呼ばれる。1605年(慶長10年)10月8日、豊臣秀頼の寄進で法堂落慶。1609年(慶長14年)4月3日、徳川家康の寄進で山門を再建。また鹿苑院を再興。

1620年(元和6年)2月30日、京都大火で伽藍類焼。方丈、開山塔、鹿苑院、蔭涼軒、常在光寺、円光寺、大光明寺、瑞春軒、久昌軒、雲泉軒、徳渓軒、桂芳軒、卜隠軒、養源軒が焼失した。後水尾上皇の御願で、方丈、宝塔、開山塔を再建。

1788年(天明8年)1月29日、下京からの大火で伽藍焼失。「天明の大火」と呼ばれる。法堂、浴室、法住院、光源院、林光院、大智院、慧林院、慈照院、富春軒、巣松軒、雲泉軒のみが焼け残った。

近代

伽藍

相国寺(国土地理院空中写真より)
  • 仏殿:廃絶。創建時の本尊は釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩。永享再建時の本尊は釈迦・阿弥陀弥勒。初代の仏殿は1384年(至徳1年)建立。1385年(至徳2年)11月20日開眼。1394年(応永1年)焼失。1395年(応永2年)6月再建。1425年(応永32年)焼失。1436年(永享8年)3月8日再建。三尊像は建仁寺仏殿の本尊を参考にして造立し阿弥陀と弥勒の像内に足利尊氏の髪を収めたという。応仁の乱後で焼失後は廃絶した。「覚雄宝殿」「三世如来殿」と号す。
  • 法堂:現在は仏殿を兼ねる。本尊は釈迦如来、迦葉尊者阿難尊者。初代法堂は1391年(明徳2年)4月14日、落慶。1394年(応永1年)焼失。1396年(応永3年)再建。1425年(応永32年)焼失。1438年(永享10年)4月2日再建。応仁の乱後に再建。1551年(天文20年)焼失。1605年(慶長10年)10月8日、豊臣秀頼の発願で再建。現在の建物。1788年(天明8年)の大火を免れた。「雷音堂」「無畏堂」と称す。
  • 開山堂:相国寺資寿院を参照。
  • 方丈:1394年(応永1年)焼失。1405年(応永12年)再建。1551年(天文20年)の兵火で焼失。1553年(天文22年)再建。1620年(元和6年)類焼。1641年(寛永18年)3月、後水尾上皇の旧殿が寄進されて再建。1788年(天明8年)焼失。1807年(文化4年)再建。
  • 庫裏:応仁の乱で最初に放火されたと言われる。1645年(正保2年)再建。翌年1月5日、韋駄天を祀る。1788年(天明8年)の大火の後、1807年(文化4年)に再建した。「香積院」と号す。
  • 浴室:現在のものは慶長初年に再建。1788年(天明8年)の大火を免れた。
  • 三門:楼閣上には本尊の観音菩薩月蓋長者善財童子の三尊像と十六羅漢を奉安する。廃絶。1385年(至徳2年)建立。1395年(応永2年)焼失。1407年(応永14年)再建。1425年(応永32年)焼失。1441年(嘉吉1年)12月5日落慶。1467年(応仁1年)、応仁の乱で焼失。1609年(慶長14年)、徳川家康が再建。この時に家康が直筆で記した識語「源家之武運与山門長久矣」が焼け残って現存。1788年(天明8年)の大火で焼失。再建されず。「円通閣」と号す。
  • 宝塔:1395年(応永2年)6月15日、足利義満が父の足利義詮33回忌と戦死者供養のために建立。1470年(文明2年)10月3日、雷火で焼失。高さ360尺の七層塔だったという。1653年(承応2年)、後水尾上皇の御願で、法堂の西南に三層塔を建立。本尊は大日如来。上皇落飾の髪歯を上層の柱心に、皇女2人の落飾の髪を中層の柱心に収められた。さらに仏舎利と宸筆『宝筐印陀羅尼』も収めた。1656年(明暦2年)6月16日、慶讃勅会が行われた。塔は1788年(天明8年)の大火で焼失したが本尊や歯髪は難を逃れた。1860年(万延1年)8月19日、再建。経蔵を兼ねた。1900年(明治33年)、宮内省は塔を南に移して、基壇の場所と陵墓とした。
  • 僧堂:1327年(嘉暦2年)建立。1436年(永享8年)再建。応仁の乱で焼失。以後不詳。1810年(文化7年)相国寺大通院内に再建が計画され、1818年(文政1年)9月落慶。1820年(文政3年)4月、鎌倉・円覚寺の誠拙周樗を招いて開単式。臨済宗専門道場の一つとして機能している。「選仏場」と号す。


  • 総門:
  • 勅使門:
  • 鐘楼:洪音楼。
  • 経蔵:祝釐堂。跡地不明。1405年(応永12年)再建。応仁の乱で焼失。
  • 後水尾天皇髪歯塚:皇室治定。
  • 伏見宮墓地:皇室治定。
  • 桂宮墓地:皇室治定。
  • 鹿児島藩相国寺墓地:上御霊神社が管理?
  • 山口藩相国寺墓地
  • 相国寺八幡宮:護国廟。現在の中京区御所八幡町のあたりにあった。足利義満が石清水八幡宮から分霊。1425年(応永32年)の火災で焼失。1431年(永享3年)12月24日、足利義教が再び石清水から分霊。1551年(天文20年)の戦乱の後、蓮池の西に遷座。明治の神仏分離で社殿を廃して御神体を法堂に遷座した。その後、法堂の西に再建。
  • 宗旦稲荷
  • 弁財天
  • 法然水:かつて相国寺周辺にあった浄土宗知恩寺の旧跡。
  • 足利義政墓:延寿堂墓地。
  • 足利義尚墓:大光明寺墓地。

他にも皇族・門跡・歴代の墓地あり

塔頭

十三塔頭

  • 鹿苑院:鹿苑院僧録所。本尊は釈迦如来。相国寺より早い1380年(康暦2年)創建。初名は安聖院。1383年(永徳3年)7月、鹿苑院と改称。7月20日、絶海中津が初代住職となる。1389年(康応1年)10月、仏殿を建立。1398年(応永5年)6月、三層宝塔を建立。足利義満死後、その影堂(開基堂)が建てられた。1873年(明治6年)1月に廃絶した。(『相国寺小史』)
  • 崇寿院:勧請開山夢窓疎石の塔所。1383年(永徳3年)12月、春屋妙葩の入寺と共に、勧請開山の夢窓疎石の塔所として創建。当初は資寿院と称した。1395年(応永2年)の再建で崇寿院と改称。1551年(天文20年)の兵火で焼失。92世西笑承兌が1607年(慶長12年)再建資金として白銀100枚を寄進。1645年(正保2年)で昭堂を再建。1666年(寛文6年)、後水尾上皇が再建。皇子の桂宮穏仁親王(1643-1665)の像を祀る。のち桂宮6代文仁親王(霊元天皇皇子)、桂宮7代家仁親王、8代公仁親王の像や9代盛仁親王(光格天皇皇子)、10代節仁親王(仁孝天皇皇子)、公仁親王妃(和歌山藩主徳川宗直の娘)の御霊牌、恭礼門院(桃園天皇皇后、一条兼香娘)、徳川重好室(伏見宮貞建親王王女)の御霊牌を祀る。1788年(天明8年)の大火の後、1802年(享和2年)恭礼門院旧殿の寄進を受け、1807年(文化4年)に庫裏と同時に再建した。塔は「円明塔」と号す。
  • 大智院:開山春屋妙葩の塔所。本尊は文殊菩薩。春屋妙葩の死後、爪髪を三分して収めた塔所の一つ。足利義視の死後、その菩提所となった。寺名は義視の戒名の大智院殿による。1780年(安永9年)、光源院維明が再建を発願。1787年(天明7年)、近衛家の閑院宮旧殿を賜り、再建を果たした。1818年(文政1年)、拙菴が相国僧堂を再建した時、大智院塔所も再建した。明治初年に廃絶した。(『相国寺小史』)
  • 常徳院:3世空谷明応の住房・塔所。本尊は普賢菩薩。足利義尚の菩提所となり寺名はその戒名の常徳院殿に基づく。1664年(寛文4年)5月1日、失火で焼失し、再建されず。残っていた寺号も明治初年に廃絶となった。空谷明応の塔所は大光明寺に移された。
  • 雲頂院:一山派。4世大清宗渭の塔所。廃絶。相国寺住職に招かれた大清宗渭の住房として創建。天文の兵火で焼失。その後、寮舎の瑞春軒に合併し、その一分を雲頂院と呼んでいた。
  • 玉龍院:一山派。5世雲渓支山の塔所。本尊は釈迦如来。相国寺住職に招かれた雲渓支山の住房として創建。玉龍庵。のち東嶺門下の天真が天明の大火の時、消火作業で功績を挙げた。
  • 勝定院:6世絶海中津の住房・塔所。足利義持の菩提所となり、その戒名の勝定院殿から名付けたと思われる。天文の兵火で焼失して雲興軒に合併。天明の大火の後、長得院に合併。
  • 法住院:8世万宗中淵の塔所。初名は広慧院。足利義澄の菩提所となり、その戒名の法住院殿から改名。歴代に五山文学で活躍した彦龍周興がいる。1874年(明治7年)廃絶。
  • 普広院:9世観中中諦の住房・塔所。本尊は地蔵菩薩。初名は乾徳院。足利義教の菩提所となり、その戒名の普広院殿から改称した。応仁の乱の後、1510年(永正7年)、普広院3世の文林慶集が再建にあたり大規模に拡張。冷泉家から旧邸を寄進され、藤原定家墓も移された。天明の大火の後、1814年(文化11年)に再建起工。1848年(嘉永1年)になってようやく完成した。1920年(大正9年)、旧鹿苑院跡地の一部に移転。
  • 慧林院:10世大岳周崇の塔所。足利義稙の菩提所となり、その戒名の慧林院殿から名付けた。その後、衰退か。1774年(安永3年)寮舎の冷香軒を再建して慧林院と称した。この慧林院も1881年(明治14年)豊光寺に合併した。
  • 慶雲院:12世無求周伸の塔所。初名は、足利義満の命名により寿徳院と称した。青蓮院門跡近くに足利義勝(慶雲院殿)の菩提所の慶雲院があったが、足利義政の命で、東山山荘建設地にあった恵運院を粟田の慶雲院に移転。粟田慶雲院を相国寺寿徳院に移転させて相国寺慶雲院とした。1466年(文正1年)、足利義政は慶雲院と恵運院に寺領を加増した。天明の大火の後、1791年(寛政3年)再建。1872年(明治5年)慈雲庵に合併した。
  • 慈照院:13世在中中淹の住房・塔所。本尊は観世音菩薩。初めは大徳院と称したが、1490年(延徳2年)足利義政の菩提所となり改称した。のち桂宮家の菩提寺となる。客殿は名古屋藩主徳川義直が、一時養子となった広幡忠幸(桂宮智仁親王王子。広幡家始祖)の追福のため親王妃の命で1671年(寛文11年)建設。それ以来、客殿は桂宮御霊牌殿となり、広幡家の位牌も合わせて祀った。1763年(宝暦13年)、桂宮旧邸と広幡家旧邸を寄進され拡張した。慈照院庫裏は梅岑軒の庫裏を1763年(宝暦13年)、拡張したもので相国寺最古の建物。読書堂「棲碧軒」、宸殿「聖光殿」、茶室「頤神室」などがある。
  • 長得院:19世鄂隠慧〓の住房・塔所。本尊は釈迦如来。初めは大幢院と称した。足利義量(長得院殿)の菩提所となり、改称した。天明の大火の後、1820年(文政3年)庫裏を再建。1834年(天保5年)、客殿を再建。

その他塔頭

  • 光源院:本尊は釈迦如来。28世元容周頌の住房・塔所。最初は広徳軒。1565年(永禄8年)、足利義輝の菩提所となり、改称した。元は現在地の東にあったが、1885年(明治18年)建物を壊し、1896年(明治29年)善応院に合併し、光源院と称した。
  • 善応院:1604年(慶長9年)7月、池田輝政が母の善応院殿の墓所・菩提所として創建。1896年(明治29年)、光源院が移転してきて合併し、光源院となった。
  • 大光明寺:伏見宮家・後伏見天皇の菩提寺。本尊は普賢菩薩。山号は梵王山。文和年間、広儀門院(後伏見天皇皇后)が夢窓疎石を招いて離宮伏見殿周辺に創建。「大光明」の名は檀林皇后を追慕する広儀門院は自ら「大光明院」と名乗っていたことに基づく。1363年(貞治2年)、光厳天皇の勅で春屋妙葩が住職となる。伏見宮栄仁親王が亡くなると、塔頭大通院を開いて菩提所とした。1594年(文禄3年)8月21日、豊臣秀吉が方丈を再建し、92世西笑承兌に与えた。慶長年間、火災で焼失。元和初年、相国寺内に移転。伏見の跡地は大光明寺陵となっている。塔頭大通院も相国寺塔頭として移転した。1620年(元和6年)の火災や天明の大火で被災。仮堂が建てられていたが、明治初年に廃絶。心華院が大光明寺の名を受け継いだ。
  • 大通院:本尊は釈迦如来。伏見宮栄仁親王の菩提所。元は大光明寺の塔頭。大光明寺と共に相国寺内に移転。元は伏見宮墓地の隣接地にあった。1851年(嘉永4年)大拙の僧堂設置の発願で現在地に移転再興。臨済宗専門道場
  • 心華院:慶長年間、92世西笑承兌が創建。1620年(元和6年)の火災で大光明寺が被災した後、代わりに伏見宮家の菩提所となった。1820年(文政3年)、相国寺が僧堂を開く際に師家の住房として再建。恭礼門院の旧邸を伏見宮家から寄進された。円覚寺の誠拙周樗を中興として迎えた。常徳院を合併した。1860年(万延1年)、客殿を新築して伏見宮家の御霊牌殿とし、旧客殿を書院とした。1892年(明治25年)書院を改築。1906年(明治39年)2月、明治に廃絶した大光明寺の名を継承して改称した。明治以降、廃絶となった常徳院から空谷明応の塔所を受け継いだ。
  • 豊光寺:豊臣秀吉の菩提寺。本尊は釈迦如来。92世西笑承兌が創建。1881年(明治14年)、慧林院を合併し、客殿を移築。庫裏・玄関を新築した。
  • 林光院:本尊は地蔵菩薩。応永年間、足利義満が夢窓疎石を勧請開山として創建。足利義嗣の菩提所。初め西の京にあり、応仁の乱の後、等持寺の側に移転。のち雲叔周悦が明国信使を務めた功績により豊臣秀吉から林光院を与えられ、相国寺内に移転。雲叔周悦が中興となった。104世乾崖梵竺が林光院5世の時、鹿児島藩と関係が生じた。安政年間には林光院住職の大川梵圭が鹿児島藩京都邸の設置に奔走した。明治維新後は専門道場の所属となった。1919年(大正8年)独山玄義が中興。
  • 慈雲院:慈雲庵。本尊は観世音菩薩。長禄年間の創建。42世瑞渓周鳳の住房・塔所。1666年(寛文6年)、東福門院が再興。本尊は東福門院の念持仏。天明の大火で焼失するが、梅荘顕常が再建。1896年(明治29年)、建物を壊し、寺名を富春軒に移した。
  • 瑞春院:一山派。本尊は阿弥陀如来。亀泉集証が創建。天明の大火の後、1845年(弘化2年)から1849年(嘉永2年)にかけて再建。1898年(明治31年)6月再興。瑞春軒。瑞春庵。元は雲頂院の寮舎。天文の兵火で焼失した雲頂院を合併。
  • 養源院:本尊は薬師如来。曇仲道芳の住房。養源軒。最初は百万遍にあったが、2世となった相国寺79世横川景三が相国寺に移転させた。1845年(弘化2年)12月、鹿苑院跡地の一部に移転した。


  • 常在光寺:廃絶。
  • 円光寺:左京区に移転。
  • 晴雲院:廃絶。
  • 妙歓院:廃絶。
  • 養春院:廃絶。
  • 蔭涼軒:鹿苑院付属の寮舎。天文の兵火で焼失。天明の大火後、富春軒の客殿(織田有楽斎の旧邸)を移して再建した。廃絶。(『相国寺小史』)
  • 慶玉軒:開山は16世円鑑梵相。廃絶。
  • 雲興軒:開山は38世宝山乾珍。廃絶。
  • 南豊軒:開山は46世子鞏全固。廃絶。
  • 万松軒:開山は63世仙岩澄安。廃絶。
  • 梅岑軒:慈照院の寮舎。80世桃源瑞仙が創建。元は近江の山の上にあった。桃源瑞仙の親族の93世有節瑞保に受け継がれ、その願で桂宮家が慈照院に移転した。1671年(寛文11年)客殿建て替え。庫裏は慈照院庫裏として残る。廃絶。
  • 雲泉軒:一山派。開山は91世仁如集堯。廃絶。
  • 久昌軒:一山派。開山は松巌宗勤。廃絶。
  • 冷香軒:開山は東明梵杲。廃絶。
  • 徳渓軒:開山は原古志稽。廃絶。
  • 桂芳軒:開山は堯夫承勲。廃絶。
  • 巣松軒:開山は梅仙等真。廃絶。
  • 劫外軒:開山は中華承舜。廃絶。
  • 松鴎庵:開山は大梁梵梓。廃絶。
  • 富春軒:廃絶。
  • 寿星軒:廃絶。
  • 聯輝軒:廃絶。
  • 蔵集軒:廃絶。
  • 卜隠軒:廃絶。
  • 亨川軒:廃絶。
  • 梅熟軒:廃絶。
  • 瑞林軒:廃絶。
  • 〓壊竹軒:廃絶。
  • 柏龍軒:廃絶。
  • 環中庵:廃絶。
  • 禅集庵:廃絶。
  • 泰胤庵:廃絶。
  • 宜竹斎:廃絶。

境外塔頭

組織

  • 相国寺ウェブサイト「相国寺寺住持位次」[1]をベースに『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』を参照した。

住職(中世1)

世数 生没年 就任年 略歴
1 夢窓疎石 1275-1351 相国寺の勧請開山。創建年には既に死んでいる。
2 春屋妙葩 1311-1388 1383 相国寺の開山。夢窓疎石の法嗣。智覚普明国師。
3 空谷明応 1328-1407 1386 夢窓派。1386年(元中3年/至徳3年)10月、相国寺3世。1390年(元中7年/明徳1年)8月、1394年(応永1年)10月に相国寺に再任。天龍寺40世。仏日常光国師。
4 大清宗渭 1321-1391 1388 一山派。雪村友梅の法嗣。
5 雲渓支山 1330-1391 1388 一山派。雪村友梅の法嗣。1388年(元中5年/嘉慶2年)相国寺住職。
6 絶海中津 1336-1405 1392 夢窓疎石の法嗣。1392年(元中9年/明徳3年)10月、1397年(応永4年)、1401年(応永8年)に相国寺住職となる。仏智広照国師。浄印翊聖国師。
7 物先周格 ?-1397 1394 夢窓疎石の法嗣。
8 万宗中淵 ?-1410 1398
9 観中中諦 1342-1406 1400 夢窓疎石の法嗣。1400年(応永7年)相国寺住職。性真円智禅師。
10 大岳周崇 1345-1423 1402 黙翁妙誡の法嗣。1402年(応永9年)3月8日、相国寺住職。塔所は相国寺慧林院嵯峨宝積寺。「大嶽周崇」。
11 中山中嵩 ?-1410 1403
12 無求周伸 ?-1413 1404 夢窓疎石の法嗣。伝記として『前相国無求伸禅師行実』がある。
13 在中中淹 1342-1428 1405 龍湫周沢の法嗣。相国寺13世、天龍寺38世、南禅寺70世を歴任。
14 少林周〓 生没年不詳 1407 〓は「般」の下に「糸」。
15 東啓梵晃 ?-1408 1407
16 円鑑梵相 1346-1410 1408 春屋妙葩の法嗣。岩国永興寺23世。宝幢寺。相国寺16世、天龍寺41世。1410年(応永17年)2月20日死去。65歳。
17 大周周奝 1348-1419 1408 大照円臨の法嗣。相国寺、南禅寺の住職。
18 益叟福嫌 ?-1409 1409
19 鄂隠慧〓 1357-1425 1410 絶海中津の法嗣。等持寺住職。1410年(応永17年)相国寺19世。相国寺長得院周防瑞雲寺を創建。相国寺鹿苑院住職。天龍寺61世。塔所は吸江寺、相国寺長得院。〓は「大」の下に「歳」。「愕隠慧〓」とも。仏慧正続国師。
20 簡翁志敬 ?-1420 1411 清凉寺紹宏院に住す。
21 象先梵超 ?-1413 1411 一説に画僧。
22 厳中周〓 1359-1428 1413 春屋妙葩の法嗣。九条経教の子。相国寺22世、天龍寺65世、南禅寺102世を歴任。岩国永興寺24世。1428年(正長1年)6月26日死去(1427年(応永34年)とも)。70歳。智海大珠禅師。〓は「王」の周囲に「口」が四つ。
23 西胤俊承 1358-1422 1414 絶海中津の法嗣。
24 柏堂梵意 ?-1434 1415
25 慶中周賀 1363-1425 1416 春屋妙葩の法嗣。相国寺25世、天龍寺71世を歴任。岩国永興寺25世。「慶仲周賀」とも。
26 無説景演 ?-1419 1418
27 古幢周勝 1370-1433 1419 不遷法序の法嗣。1419年(応永26年)相国寺住職。
28 元容周頌 ?-1425 1421 相国寺光源院。春屋妙葩の法嗣。1421年(応永28年)相国寺住職。
29 元璞慧〓 1373-1429 1423 絶海中津の法嗣。1423年(応永30年)相国寺住職。〓は「王共」。
30 海門承朝親王 1374-1443 1423 長慶天皇皇子。空谷明応の法嗣。相国寺30世。南禅寺133世。天龍寺慶寿院に住す。長慶天皇陵内に治定墓がある。
31 誠中中〓 ?-1430 1424 春屋妙葩の法嗣。〓は「ヒ」と「矢」と「欠」の組み合わせ。
32 雲菴周悦 ?-1444 1427 岩国永興寺26世。「雲庵周悦」。
33 用剛乾治 1374-1446 1428 相国寺鹿苑院13世。
34 星岩俊列 ?-1452 1428 「星巌俊列」。
35 月渓中珊 1377-1434 1429 不遷法序の法嗣。1429年(永享1年)相国寺住職。
36 春林周藤 ?-1463 1430 慶玉軒。画僧雪舟の師匠。
37 恕中中誓 ?-1444 1431 物先周格の弟子。
38 宝山乾珍 1394-1441 1432 足利氏。絶海中津の法嗣。1432年(永享4年)相国寺38世。1435年(永享7年)天龍寺94世。1436年(永享8年)相国寺再任。相国寺鹿苑院。
39 徳中等懋 ?-1446 1433
40 竺雲等連 1383-1471 1435 大岳周崇の法嗣。相国寺、南禅寺の住職。金剛宝寺を創建。
41 柏心周操 ?-1450 1437 鹿王院4世。
42 瑞渓周鳳 1391-1473 1440 無求周伸の法嗣。1440年(永享12年)8月、相国寺住職。
43 東岡周沢 ?-1450 1441 「沢」は「「山」「四」「幸」」とも。
44 〓陽周沆 ?-1453 1442 〓は草冠に「止」。「周〓」とも(〓はサンズイに「元」)。
45 東岳澄昕 1388-1463 1443 鹿苑院17世。「東岳澄泰」とも。
46 子鞏全固 ?-1457 1444
47 性天景繕 ?-1454 1444 若狭長福寺開山。
48 温中承〓 ?-1452 1445 〓は「禺頁」。
49 雪心等柏 ?-1459 1446
50 東沼周〓 1391-1462 1447 近江国出身。遊叟周芸の法嗣。建仁寺住職を経て1447年(文安4年)相国寺住職。1462年(寛正3年)1月2日死去。72歳。(日本人名大辞典)〓は「日厳」。
51 仲黙慈弁 ?-1455 1447
52 東旭等輝 ?-1457 1448 岩国永興寺37世。
53 古邦慧淳 ?-1453 1449 鄂隠慧〓の法嗣。「古邦恵淳」。
54 静甫周喆 ?-1461 1449
55 春渓洪曹 ?-1465 1449
56 徳翁中佐 ?-1460 1450
57 察堂洪省 生没年不詳 1450
58 以鈍等鋭 生没年不詳 1451 鹿苑寺住職。
59 用堂中材 ?-1458 1452 「周堂中材」は誤りか。
60 竹香全悟 ?-1464 1453
61 文渓永舒 生没年不詳 1454
62 順渓等助 ?-1459 1455
63 仙岩澄安 ?-1473 1457 鹿苑院20世。「仙巌澄安」。
64 徐岡梵詳 生没年不詳 1457
65 柏岩周寿 ?-1462 1458 「柏巌周寿」。
66 以仁俊誉 生没年不詳 1459
67 修山光謹 生没年不詳 1459 足利家出身。足利義嗣の子。「修山清謹」とも。
68 天英周賢 ?-1463 1460 「天英周賀」は誤りか。
69 伯芳周〓 生没年不詳 1460 〓は草冠に「臣」。
70 以遠澄期 生没年不詳 1460
71 雪菴澄郢 ?-1470 1460 「雪庵徴郢」とも。
72 維馨梵桂 1404-1490 1462 元容周頌の法嗣。1462年(寛正3年)から3度、相国寺住職。鹿苑院住職。鹿苑寺住職。
73 同文景忞 生没年不詳 1463
74 棠陰等〓 生没年不詳 1464 鄂隠慧〓の法嗣。〓は「大」の左右に「百」。
75 璧渓等〓 生没年不詳 1465 〓は「王黄」。
76 松堂守蔭 生没年不詳 1465
77 仲言本纉 生没年不詳 1466

住職(中世2)

15世紀中頃から中興西笑承兌までの約100年間、歴代住職は不明瞭な点が多い。戦乱により記録が散逸したためだと思われる。特に85世は名前不詳としながら歴代の一人として数えている。以下の順序は、異本も併記する『日本仏家人名辞書』を基準とした。

世数 生没年 就任年 略歴
78 玉崖梵琇 ?-1473 1467 鹿苑院53世。
(笑雲永喜) 生没年不詳 (『望月』では相国寺79世(『仏家』では異本として記載))
(月関) 生没年不詳 (『望月』では相国寺80世(『仏家』では異本として記載))
(月翁周鏡) 1418-1500 厳中周〓の法嗣。臨川寺、相国寺、南禅寺の住職。相国寺栖芳軒を創建。(『望月』では相国寺81世(『仏家』では異本として記載))
(魁翁) 生没年不詳 (『望月』では相国寺82世(『仏家』では異本として記載))
(蘭坡景〓) 1419-1501 1479 大模梵軌の法嗣。1479年(文明11年)相国寺住職。1485年(文明17年)南禅寺住職。相国寺再住。〓は草冠に臣。(『望月』では相国寺83世(『仏家』では異本として記載))
79 横川景三 1429-1493 1485 1480年(文明12年)、1485年(文明17年)、1488年(長享2年)相国寺住職。(『望月』では相国寺84世)
(伯叔) 生没年不詳 (『望月』では相国寺85世(『仏家』では異本として記載))
(秀睦) 生没年不詳 (『望月』では相国寺86世(『仏家』では異本として記載))
(以参) 生没年不詳 画僧の以参周省か。(『望月』では相国寺87世(『仏家』では異本として記載))
80 桃源瑞仙 1430-1489 1486 1486年(文明18年)相国寺住職。1489年(延徳1年)再任。(『望月』では相国寺88世)
81 金渓梵鐸 生没年不詳 1486 鹿苑院27・29世。(『望月』では相国寺89世)
(春陽) 生没年不詳 (『望月』では相国寺90世(『仏家』では異本として記載))
82 霖父乾道 生没年不詳 1492 (『望月』では相国寺91世)
83 景徐周麟 1440-1518 1495 将軍側近の大館持房の子。用堂中材の法嗣。応仁の乱の時には永源寺に逃れる。景徳寺住職。等持寺住職。1495年(明応4年)相国寺住職。南禅寺住職。鹿苑院住職。相国寺慈照院に葬られた。(『望月』では相国寺92世)
(文摠持正) 生没年不詳 文総持正。持正光堤?(『望月』では相国寺93世(『仏家』では異本として記載))
84 瀑岩等紳 ?-1522 1500 慈照寺4世。広徳軒。瀑巌等紳。(『望月』では相国寺94世)
85 (名前不詳) 生没年不詳 (『仏家』でも85世は名称不詳としている)
86 宗山等貴 1464-1526 伏見宮貞常親王の王子。等持寺、相国寺の住職。仏眼天祐禅師。
(景甫) 景甫寿陵?(『望月』では相国寺95世(『仏家』では異本として記載))
(旭岑瑞杲) (『望月』では相国寺96世(『仏家』では異本として記載))
(天祐) 宗山等貴のことか?(『望月』では相国寺97世(『仏家』では異本として記載))
87 少蕙梵〓 生没年不詳 1518 〓=多+吉。(『望月』では相国寺98世)
88 雲屋全祥 生没年不詳 1512 (『望月』では相国寺99世)
89 梅叔法霖 生没年不詳 「梅斎法霖」とも。(『望月』では相国寺100世)
(廉叔) (『望月』では相国寺101世(『仏家』では異本として記載))
(東雲) 東雲景岱か。(『望月』では相国寺102世(『仏家』では異本として記載))
90 惟高妙安 1480-1567 1540 近江国出身。瀑岩等紳の法嗣。伯耆の保国寺・海蔵寺に住す。1540年(天文9年)相国寺住職。南禅寺住職。1543年(天文12年)鹿苑院住職。1567年(永禄10年)12月3日死去。88歳。維高妙安とも。(『望月』では相国寺103世)
(春湖) 春湖寿信か。(『望月』では相国寺104世(『仏家』では異本として記載))
91 仁如集堯 1483-1574 1544 一山派。亀泉集証の法嗣。1544年(天文13年)12月、相国寺住職。1544年(天文13年)南禅寺の坐公文。1560年(永禄3年)鹿苑院院主。 「仁安集堯」は誤りか。(『望月』では相国寺105世)
(春叔) 春叔洪臻か。「春寂」とも。(『望月』では相国寺106世(『仏家』では異本として記載))
(江春瑞超) (『望月』では相国寺107世(『仏家』では異本として記載))
(雲岫) 雲岫永俊か。(『望月』では相国寺108世(『仏家』では異本として記載))

住職(近世)

世数 生没年 就任年 略歴
92 西笑承兌 1548-1607 1585 相国寺中興。鹿苑寺中興1世。中華承舜の法嗣。1585年(天正13年)2月19日、相国寺住職に就任(1584年(天正12年)とも)。1607年(慶長12年)12月27日死去。(『仏家』では92世、『望月』では109世)
93 有節瑞保 1548-1633 1587 祐谷瑞延の法嗣。1587年(天正15年)5月16日、相国寺住職に就任。1607年(慶長12年)相国寺鹿苑院。1633年(寛永10年)11月7日死去。(『仏家』では93世、『望月』では110世)
94 昕叔顕啅 ?-1658 1611 慈照院7世。日野輝資の子。1611年(慶長16年)4月23日、相国寺住職に就任。1651年(慶安4年)5月6日、後鳥羽上皇の落飾の戒師を務めた。1658年(万治1年)1月20日死去。仏性本源国師。「昕斎顕啅」は誤りか。『望月』には111世本源とある。(『仏家』では94世、『望月』では111世)
95 鳳林承章 1593-1668 1625 鹿苑寺2世。西笑承兌の法嗣。勧修寺晴豊の子。1625年(寛永2年)5月28日、相国寺住職に就任。1668年(寛文8年)8月24日死去。(『仏家』では95世、『望月』では112世)
(雪岑梵崟) 生没年不詳 永源寺中興の一絲文守(1608-1646)の師匠。(『望月』では113世)
96 覚雲顕吉 ?-1667 1654 慈照院。1654年(承応3年)12月5日、相国寺住職に就任。1667年(寛文7年)5月29日死去。(『仏家』では96世、『望月』では114世)
97 雪巌梵寅 ?-1660 1658 1658年(万治1年)8月20日、相国寺住職に就任。1660年(万治3年)10月12日死去。「雪岩梵寅」。(『仏家』では97世、『望月』では115世)
98 春葩宗全 1620-1696 1664 冨春軒。1664年(寛文4年)11月27日、相国寺住職に就任。1696年(元禄9年)5月8日死去。(『仏家』では98世、『望月』では116世)
(玉英慶瑞) 生没年不詳 慶雲院。(『望月』では117世)
99 愚渓等厚 ?-1675 1671 玉龍院。1671年(寛文11年)8月19日、相国寺住職に就任。1675年(延宝3年)12月22日死去。「愚渓等貴」「愚渓等原」は誤りか。(『仏家』では99世、『望月』では118世)
(景臨周順) 生没年不詳 巣松軒。(『仏家』では100世、『望月』では119世)
100 汝船妙恕 1636-1681 1679 雪巌梵寅の法嗣。光源院。1679年(延宝7年)9月16日、相国寺住職に就任。1681年(天和1年)11月26日死去。「汝舟妙恕」とも。(『仏家』では101世、『望月』では120世)
101 太虚顕霊 ?-1705 1680 慈雲庵。1680年(延宝8年)2月8日、相国寺住職に就任。1705年(宝永2年)5月20日死去。(『仏家』では102世、『望月』では121世)
(天啓集仗) 生没年不詳 等持寺住職。瑞奉庵。(『仏家』では103世、『望月』では122世)
(瑶華紹〓) 生没年不詳 〓は「王民」。(『仏家』では104世、『望月』では123世)
102 玉翁等珍 ?-1696 1696 慈照寺10世。1696年(元禄9年)6月19日、相国寺住職に就任。1696年(元禄9年)11月3日死去。「玉翁等玲」は誤りか。(『仏家』では105世、『望月』では124世)
(芳渚祖桂) 生没年不詳 (『仏家』では106世、『望月』では125世)
103 別宗祖縁 1658-1714 1699 覚雲顕吉の法嗣。真如寺住職。慈照院9世。1699年(元禄12年)5月23日、相国寺住職に就任。1714年(正徳4年)5月1日死去。(『仏家』では107世、『望月』では126世)
104 乾崖梵竺 ?-1710 1704 林光院5世。1704年(宝永1年)11月6日、相国寺住職に就任。1710年(宝永7年)12月19日死去。(『仏家』では108世、『望月』では127世)
(観渓承頤) 生没年不詳 (『仏家』では109世、『望月』では128世)
105 正源梵的 ?-1721 1719 1719年(享保4年)3月18日、相国寺住職に就任。1721年(享保6年)2月30日死去。(『仏家』では110世、『望月』では129世)
106 蘭谷等芳 ?-1728 1722 1722年(享保7年)6月29日、相国寺住職に就任。1728年(享保13年)2月18日死去。(『仏家』では111世、『望月』では130世)
107 独峰慈秀 ?-1756 1732 相国寺慈雲庵。1732年(享保17年)11月20日、相国寺住職に就任。1756年(宝暦6年)9月13日死去。(『仏家』では112世、『望月』では131世)
108 蘭坡中珣 ?-1748 1737 1737年(元文2年)11月27日、相国寺住職に就任。1748年(寛延1年)7月21日死去。「藍坡中珣」は誤りか。(『仏家』では113世、『望月』では132世)
109 維天承瞻 1694-1770 1746 巣松軒7世。1746年(延享3年)2月7日、相国寺住職に就任。1770年(明和7年)3月12日死去。(『仏家』では114世、『望月』では133世)
110 無聞承聡 ?-1772 1747 鹿苑寺6世。1747年(延享4年)8月24日、相国寺住職に就任。1772年(安永1年)11月12日死去。(『仏家』では115世、『望月』では134世)
111 天叔顕台 ?-1786 1770 等持寺住職。相国寺養源院。巣松軒10世。1770年(明和7年)9月10日、相国寺住職に就任。1786年(天明6年)11月10日死去。(『仏家』では116世、『望月』では135世)
112 岱宗承嶽 ?-1784 1777 1777年(安永6年)9月18日、相国寺住職に就任。1784年(天明4年)8月3日死去。(『仏家』では117世、『望月』では136世)
113 梅荘顕常 1719-1801 1779 独峰慈秀の法嗣。1779年(安永8年)8月5日、相国寺住職に就任(相国寺ウェブサイト。国史大辞典では1777年(安永6年))。1801年(享和1年)2月8日死去。(『仏家』では118世、『望月』では137世)
114 松源中奨 1740-1801 1793 綾小路俊宗の子(「公卿類別譜」[2])。1793年(寛政5年)9月13日、相国寺住職に就任。1801年(享和1年)2月20日死去。(『仏家』では119世、『望月』では138世)
115 維明周奎 1731-1808 1803 伊藤若冲に画を学ぶ。1803年(享和3年)3月8日、相国寺住職に就任。1808年(文化5年)8月12日死去。(『仏家』では120世、『望月』では139世)
116 古道元式 ?-1819 1808 慧林院。1808年(文化5年)11月24日、相国寺住職に就任。1819年(文政2年)1月3日死去。(『仏家』では121世、『望月』では140世)
117 大中周愚 ?-1813 1812 1812年(文化9年)7月6日、相国寺住職に就任。1813年(文化10年)11月12日死去。(『仏家』では122世、『望月』では141世)
118 大有承洪 ?-1819 1816 1816年(文化13年)閏11月13日、相国寺住職に就任。1819年(文政2年)9月7日死去。(『仏家』では123世、『望月』では142世)
119 以中玄保 ?-1835 1823 鹿苑寺9世。1823年(文政6年)11月10日、相国寺住職に就任。1835年(天保6年)閏7月11日死去。(『仏家』では124世、『望月』では143世)
120 盈冲周整 1795-1861 1829 1829年(文政12年)5月1日、相国寺住職に就任。1861年(文久1年)4月10日死去。(『仏家』では125世、『望月』では144世)
121 北潤承学 ?-1849 1843 鹿苑寺10世。1843年(天保14年)4月9日、相国寺住職に就任。1849年(嘉永2年)10月29日死去。(『仏家』では126世、『望月』では145世)
122 橘州周偆 ?-1864 1851 慈照寺15世。1851年(嘉永4年)9月26日、相国寺住職に就任。1864年(元治1年)7月19日死去。高浜町に生誕地碑があるらしい[3]。「橘洲周偆」とも。(『仏家』では127世、『望月』では146世)
123 古桂慧〓 ?-1865 1858 1858年(安政5年)4月26日、相国寺住職に就任。1865年(慶応1年)1月28日死去。〓は「禺頁」。(『仏家』では128世、『望月』では147世)
124 養冲中〓 ?-1868 1866 1866年(慶応2年)2月6日、相国寺住職に就任。1868年(明治1年)10月16日死去。〓は「王延」。(『仏家』では129世、『望月』では148世)
125 憲道周顥 ?-1878 1868 鹿苑寺11世。1868年(明治1年)11月15日、相国寺住職に就任。1878年(明治11年)7月16日死去。(『仏家』では130世、『望月』では149世)

住職(近現代)

明治になり、輪番住職を廃して専任住職を設置した。一般的には輪住(輪番住職)に対して「独住」と呼ぶことが多いが、相国寺では「特住」と呼んでいる。また初期には相国寺派管長との任期は必ずしも一致しなかったようだ。

世数 生没年 就任年 略歴
126 独園承珠 1819-1895 1870 荻野独園。相国寺特住1世。大光明寺住職。備前国児島郡山坂村出身。掌善寺で得度。帆足万里に儒学を学ぶ。相国寺で大拙承演に師事。1870年(明治3年)、相国寺住職に就任。1872年(明治5年)大教院院長に就任。臨済・曹洞・黄檗三宗総管長。1895年(明治28年)8月10日死去。77歳。室号は退耕庵。著書に『近世禅林僧宝伝』『退耕語録』など。 (日本人名大辞典ほか)
127 東嶽承晙 1841-1909 1895 中原東嶽。相国寺特住2世。丹波国出身。1841年(天保12年)5月10日生。独園承珠の法嗣。1895年(明治28年) 、相国寺住職に就任。1909年(明治42年)10月19日死去(日本人名大辞典では17日)。69歳。室号は便打室。東岳承晙。(日本人名大辞典ほか)
128 独山玄義 1869-1938 1911 橋本独山。相国寺特住3世。鹿王院住職。南苑寺開山。越後国出身。1869年(明治2年)6月11日生。1890年(明治23年)、天龍寺の峨山昌禎の法嗣。1900年(明治33年)鹿王院住職。1911年(明治44年) 、相国寺住職に就任。鳥取県の南苑寺を創建。書画を得意とした。1938年(昭和13年)8月15日死去。70歳。室号は対雲窟・南苑窟。遺録『対雲録』。(『日本人名大辞典』『20世紀日本人名事典』ほか)
129 大耕義孝 1875-1966 1927 山崎大耕。相国寺特住4世。相国寺大通院住職。臨済護国禅寺住職。島根県出身。旧姓は奥田。1875年(明治8年)9月5日生。天龍寺僧堂で峨山昌禎に師事。独山玄義の法嗣。1902年(明治35年)島根瑞光寺住職。1914年(大正3年)妙心寺派宗議会議員。1919年(大正8年)台湾の臨済護国禅寺住職。1920年(大正9年)臨済宗の台湾布教監督。1921年(大正10年)、相国寺大通院住職。同年、相国僧堂師家。1925年(大正14年)相国寺副住職。1927年(昭和2年) 、相国寺住職に就任。1933年(昭和8年)(1943年(昭和18年)とも)、臨済宗相国寺派管長。1966年(昭和41年)2月7日死去。90歳。室号は無為室。(『日本人名大辞典』『20世紀日本人名事典』ほか)
130 櫪堂承用 1897-1976 大津櫪堂。相国寺特住5世。大光明寺住職。福岡県出身。1897年(明治30年)生。大耕義孝の法嗣。相国僧堂師家。1976年(昭和51年)5月18日死去。78歳。室号は大象窟。『大象語録・遺墨集』。
131 太拙宗忍 1914-1995 1976-1995 梶谷宗忍。相国寺特住6世。大分県佐伯市蒲江出身。1914年(大正3年)7月8日生。1931年(昭和6年)、願成寺で得度。1935年(昭和10年)建仁僧堂に掛塔。1940年(昭和15年)、長岡禅塾の設立に伴い、初代塾長梅谷香州に師事。1950年(昭和25年)宝光寺住職。1951年(昭和26年)改めて相国僧堂に入り、櫪堂承用に師事し、後に嗣法。1963年(昭和38年)相国僧堂師家。1976年(昭和51年)6月、相国寺住職に就任。1984年(昭和59年)5月、慈照寺住職を兼務。1985年(昭和60年)9月、鹿苑寺住職を兼務。1995年(平成7年)1月16日死去。82歳。室号は止々庵。(正定寺ウェブサイト[4]
132 頼底承黙 1933- 1995- 有馬頼底。相国寺特住7世。大光明寺住職。東京都出身。有馬正頼男爵の次男。1933年(昭和8年)生。大分県日田市の岳林寺で得度。1955年(昭和30年)、相国僧堂に掛搭。櫪堂承用に師事。1968年(昭和43年)大光明寺住職。1995年(平成7年)相国寺住職に就任。室号は大龍窟。


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古典籍

  • 『相国寺供養記』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9B%B8%E5%9B%BD%E5%AF%BA」より作成

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