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知恩寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年9月4日 (水)

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知恩寺(ちおんじ)は、京都府京都市左京区田中門前町(山城国愛宕郡)にある浄土宗の代表的な本山寺院浄土宗知恩院派大本山。法然が滞在した旧跡で、知恩院と浄土宗の本山の地位を争った。元は円仁が創建した賀茂神社の神宮寺であったと言われる。百万遍知恩寺長徳山百万遍功徳院知恩寺今出川の釈迦堂賀茂の河原屋賀茂神社関連旧跡法然上人二十五霊場。(参考:同名寺院知恩寺_(同名)

目次

歴史

相国寺の北に現存する法然水。知恩寺の旧跡だという
知恩寺(国土地理院空中写真より)
  • 平安時代:円仁の創建で皇円の里坊だったと伝える。上賀茂神社神宮寺だったという。今出川高倉あたりにあった。法然水という井戸跡がその旧跡とされる。
  • 鎌倉時代:法然賀茂明神の求めに応じて滞在。源智が知恩寺とした。
  • 1238年(暦仁1年)12月12日:源智が知恩寺で死去。
  • 1331年(元弘1年/元徳3年):8世の善阿空円が後醍醐天皇の勅で百万遍念仏を修し、後醍醐天皇から「百万遍」の号と利剣名号を賜わったという。
  • 1382年(弘和2年/永徳2年):相国寺造営敷地となったため、足利義満の命で一条油小路の北に移転。
  • 1467年(応仁1年)5月26日:応仁の乱で焼失(大乗院寺社雑事記)。
  • 1479年(文明11年)6月7日:本堂再建(十輪院内府記)。
  • 1508年(永正5年):兵火で焼失(養源院文書)。
  • 1519年(永正16年)3月6日:室町幕府が堂宇を再建(知恩寺文書)。
  • 1520年(永正17年)5月11日:三好之長が知恩寺で自刃(二水記・元長卿記)。
  • 1536年(天文5年)7月:天文法華の乱で焼失(続史愚抄)。
  • 1566年(永禄9年)8月29日:大火で焼失(言継卿記)。
  • 1523年(大永3年):香衣綸旨の執奏権を巡って知恩院と争論。
  • 1627年(寛永4年):小本寺とされる
  • 1585年(天正13年)11月11日:豊臣秀吉、朱印地30石を寄進(知恩寺文書)。
  • 1591年(天正19年):豊臣秀吉の都市改造で京極土御門(寺町革堂の北)に移転。
  • 1661年(寛文1年)1月15日:大火で焼失(京都日々記)。
  • 1662年(寛文2年):現在地に移転(知恩寺歴志略)。
  • 1679年(延宝7年):再建。
  • 1756年(宝暦6年)9月17日:御影堂改修入仏。

伽藍

名称 本尊など 概要
釈迦堂
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釈迦如来 本堂。本尊は円仁作の丈六釈迦如来。1664年(寛文4年)再建。「賀茂の釈迦堂」。
御影堂
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法然 本尊は法然。法然像は1523年(大永3年)の造立で、法然遺骨を収める。1756年(宝暦6年)再建。須弥壇は延暦寺東大寺唐招提寺の土を集めて築いたという。左脇壇にある阿弥陀如来立像は快慶作の可能性がある。
阿弥陀堂
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阿弥陀如来 本尊は阿弥陀如来。1832年(天保3年)再建。
御廟
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法然 法然の墓所。1731年(享保16年)、廟堂を建立。念字門がある。
勢至堂
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勢至菩薩 本尊は勢至菩薩。1731年(享保16年)再建。1810年(文化7年)移築。
納骨堂
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1810年(文化7年)移築。
賀茂神社
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1662年(寛文2年)再建。虚空蔵菩薩如意輪観音荼枳尼天を祀るという。
百万遍弁財天
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弁財天
総門
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西門
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手水舎
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鐘楼
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方丈
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1810年(文化7年)移築。唐門がある。
庫裏
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衆会堂
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阿弥陀如来三尊
焔魔堂
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閻魔大王廃絶。
地蔵堂
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地蔵菩薩 廃絶。
阿弥陀経石
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仏足石
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釈迦如来 仏足石
猫間塚
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藤原清隆 藤原清隆の墓。藤原清隆(1091-1162)は平安時代後期の公卿で、猫間中納言と呼ばれた。
小祠
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吉祥天
地蔵石像
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地蔵菩薩
地蔵碑
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地蔵菩薩 6体の線刻の地蔵菩薩を彫る。
利剣名号碑
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阿弥陀如来
法然700年忌記念塔
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法然
皇族墓地
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後西天皇皇女の香久宮、満宮、涼月院の3人の治定墓と、その生母妃の梅小路定子の墓(治定外)がある。
百万遍保育園
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洛和デイセンター百万遍
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法然水
法然水-04.jpeg
境外。旧地の相国寺の裏側にある。

子院

名称 本尊など 概要
善導院
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西側。現存。
琢窓院
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西側。現存。
瑞林院
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東側。現存。
寿仙院
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西側。現存。
龍見院
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東側。現存。
養源院
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東側。現存。
如意庵
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東側。現存。如意寺。
修道院
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東側。近年廃絶か。
了蓮寺
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東側。現存。
養春院 西側。
心行院 西側。1679年(延宝7年)創建。
栖松院 西側。
正善院 西側。
慶雲院 西側。
常行院 西側。
安楽院 東側。1679年(延宝7年)創建。
安養院 東側。
休安院 東側。
源興院 東側。
浄土院 東側。
天養院 東側。
勢至堂 東側。
林松院 道心者。
清浄院 道心者。

墓地

名称 被葬者 概要
御廟
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法然
歴代住職墓地
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歴代住職
梅小路定子墓
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梅小路定子 梅小路定子は後西天皇妃で、香久宮、満宮、涼月院の生母。皇族墓地内にあるが治定外。
姉小路聡子墓
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姉小路聡子 光格天皇の典侍。
香久宮墓
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香久宮 後西天皇第八皇女。皇室治定墓
満宮墓
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満宮 後西天皇第十二皇女。皇室治定墓。
涼月院墓
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涼月院 後西天皇第十六皇女。皇室治定墓。
土佐光起墓
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土佐光起
朝山日乗墓
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朝山日乗
鳥居元忠墓
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鳥居元忠
中御門俊臣墓
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中御門俊臣
羽柴秀勝墓
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羽柴秀勝 織田信長の四男。豊臣秀吉養子。
相応院殿墓
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相応院殿 織田信長の次女。蒲生氏郷の正室。
三好之長墓
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三好之長
五劫思惟阿弥陀仏石像
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阿弥陀如来

組織

歴代住職

世数 名前 生没 在職 略歴
1 法然 1133-1212 不詳 浄土宗の開祖。知恩院初代。
2 源智 1183-1238 不詳 知恩院2世。勢観房。
3 信恵 1205-1281 不詳 九条兼実の子という(新纂浄土宗大辞典)。源智の弟子。鎮西派に合流を決めたと伝わる。信慧。蓮寂房。
4 道意 ?-1304 不詳 信恵の弟子。従来、賀茂河原屋や功徳院などと呼ばれていたが知恩寺と命名したという。1304年(嘉元2年)2月2日(1300年(正安2年)7月1日とも)死去。
5 智心 ?-1313 不詳 道意の弟子。亀山天皇の帰依を得て戒を授けたという。恵光房。慈空大僧正。
6 如空 1262-1321 不詳 知恩院8世。道意の弟子。伏見天皇後伏見天皇後醍醐天皇の帰依を受ける。智恵光院を創建。仏元真応智慧如一国師。如一とも。(略歴は知恩院#組織を参照)
7 蓮乗 ?-1327 不詳 1327年(嘉暦2年)4月7日死去。浄暁房。
8 善阿空円 1268-1347 ~1331~ 賀茂神社神職の大槻兼実の子。慈心良空、のち良忠に師事。1331年(元弘1年/元徳3年)7月、疫病が流行した際に後醍醐天皇の命令で宮中で7日間の百万遍の念仏を行った。疫病が止んだので後醍醐天皇から「百万遍」の号と、空海筆「利剣名号」を授かったという。1347年(正平2年/貞和3年)10月13日死去。諡号は普寂国師。
9 善誉盛信 ?-1350 不詳 1350年(正平5年/観応1年)6月12日死去。興善房。興蓮社善誉盛信。瑞光とも。
10 信誉善久 ?-1365 不詳 1365年(正平20年/貞治4年)7月26日死去。玄理とも。
11 徳誉琳慶 ?-1383 不詳 1383年(弘和3年/永徳3年)、足利義満が相国寺を造営するために寺地を没収され寺を元百万遍町に移転。1387年(元中4年/嘉慶1年)4月16日死去。徳誉乗徳琳慶。
12 覚弘栄光 ?-1387 不詳 寺が元百万遍町に移転したのはこの時代とも。1387年(元中4年/嘉慶1年)4月26日死去。大空僧正。
13 了誉信乗 ?-1403 不詳 1403年(応永10年)6月3日死去。善蓮社了誉信乗。善了、普明とも。
14 琳誉弁広 ?-1414 不詳 1414年(応永21年)10月3日死去。達蓮社琳誉明界幸琳弁広。弁弘。
15 香誉慈善 ?-1428 不詳 1428年(正長1年)11月6日死去。勝香慈善とも。勝蓮社香誉慈善。妙玄僧正。
16 祐誉恵林 ?-1436 不詳 1436年(永享8年)6月8日死去。知蓮社祐誉恵林。周円。
17 岳誉清蓮 ?-1445 ~1438~ 1438年(永享10年)知恩寺長老として参内(看聞日記)。1445年(文安2年)1月5日、仁和寺の池上の安養院(不詳)で死去。高蓮社岳誉清蓮。真源とも。周雄禅師。
18 玉誉光澄 ?-1453 不詳 1453年(享徳2年)3月7日死去。心蓮社玉誉岸阿光澄。良順禅師。
19 大誉慶竺 1403-1459 1442-1451 関東の白旗派を京都に伝えた第一人者。知恩院21世。武蔵国日比谷の出身。1403年(応永10年)生。蓮誉のもとで出家し、聖聡に師事。1442年(嘉吉2年)8月、東国から知恩寺に晋山。1443年(嘉吉3年)後花園天皇の帰依を得て、「浄土宗第一」とされ、香衣を賜う。勅願所とする。勅許を得た「御忌」法要の始まりだが、法要はのち知恩院に移る。1451年(宝徳3年)知恩院に晋山。1459年(長禄3年)1月24日死去。57歳。行蓮社大誉慶竺。
20 善誉良敏 1412-1465 ~1461~ 1412年(応永19年)生。蓮誉の弟子。1461年(寛正2年)、京都で疫病が流行した時、勅を奉じて祈願会を行ったという。1463年(寛正4年)、天変地異が続いたため、将軍足利義政の命で祈願を行った。1465年(寛正6年)4月23日死去。清蓮社善誉良敏。直医。
21 法誉聖然 1436-1509 ~1469~ 浄土宗初の紫衣を賜る。日野家出身。烏丸豊光(日野豊光)の子か。1436年(永享8年)生。善誉良敏に師事。在職中、応仁の乱で伽藍が焼失。1469年(文明1年)4月19日、勅命で天下泰平を祈願。1470年(文明2年)12月26日、後花園上皇の臨終の善知識を勤めた。1472年(文明4年)9月16日、宮中で百万遍念仏を修す。1473年(文明5年)2月11日、紫衣を賜う。浄土宗では初。1509年(永正6年)10月24日死去。善蓮社法誉聖然。
22 然誉 ?-1534 不詳 1534年(天文3年)6月27日死去。光蓮社然誉。
23 真誉 ?-1541 不詳 1541年(天文10年)8月9日死去。西蓮社真誉。
24 聖誉 ?-1529 不詳 1529年(享禄2年)12月19日死去。千蓮社聖誉。
25 伝誉慶秀 1476-1559 1521-? 1476年(文明8年)生。12歳で真誉のもとで出家。比叡山東寺にも修学し、天台密教も学んだ。1503年(文亀3年)八幡正法寺11世。1521年(大永1年)後柏原天皇の勅請で知恩寺に晋山。宮中で大原談義を講義。宸筆額など賜る。1523年(大永3年)香衣執奏権を認められ、知恩院との対立が激しくなる。また幕府は百万遍を浄土宗の本寺とするが、青蓮院門跡の反対で沙汰やみ。比叡山日吉大社造営のため、寺宝を知恩寺で拝観させる。出開帳のようなものか。謝礼として法然御影を送る。後奈良上皇の帰依を受ける。天文年間、八幡正法寺に隠棲。1559年(永禄2年)9月10日死去。84歳。千蓮社伝誉慶秀。
26 賀誉 ?-1554 不詳 1554年(天文23年)1月25日死去。明蓮社賀誉。
27 信誉岌翁 ?-1558 1543-? 藤田流の僧。北陸で教化し、糸魚川・善導寺に晋山。1543年(天文12年)後奈良上皇の勅請で知恩寺に就任。以後、5代続けて藤田流から出る。1544年(天文13年)紫衣。1550年(天文19年)将軍足利義晴の中陰法要を相国寺で行う時、知恩院と席次を争うが、幕府は知恩寺をもって浄土宗の嫡流とし、知恩院との抗争に一旦の決着が付いた。1558年(永禄1年)死去。心蓮社信誉岌翁。
28 岌長 1492-1563 1553-? 藤田流の僧。美濃国出身。織田氏。1492年(明応1年)生。高巌寺岌天の法系に連なる。善導寺を拠点に北陸で活動した。1553年(天文22年)3月、後奈良天皇の前で選択本願念仏集を進講。同年6月、勅請で知恩寺に晋山し、紫衣の永宣旨を得た。退任後、1560年(永禄3年)上杉謙信の招請で近衛前久・聖護院道澄・円誉岌州と共に越後に下向した。1563年(永禄6年)8月2日死去。天蓮社岌長。
29 岌善 ?-1579 不詳 藤田流の僧。高声寺岌伝の法系に連なる。円誉岌州と共に諸国を巡教し、日蓮宗と争論。1575年(天正3年)正親町天皇の綸旨で帰洛を命じられた。高島・願船寺を開く。1579年(天正7年)死去。等蓮社岌善。
30 円誉岌州 ?-1592 ?-1572 藤田流の僧。陸奥国河沼郡の出身。俗姓は生江。高巌寺岌天に師事。越後・新善光寺を経て京都知恩寺に晋山。1560年(永禄3年)上杉謙信の招請で近衛前久・聖護院道澄・岌長と共に越後に下向した。1562年(永禄5年)帰洛。1565年(永禄8年)御影堂再建のために四国を勧進。1572年(元亀3年)知恩寺を退任して堺旭蓮社に移り復興させた。1579年(天正7年)宮中で阿弥陀経を講じた。石見・極楽寺を開いたという。1592年(文禄1年)死去。団蓮社円誉太翁岌州。
31 善心岌興 生没年不詳 1585-? 藤田流の僧。越前・西方寺で布教。1585年(天正13年)正親町上皇の勅請で就任。豊臣秀吉が帰依し、寺領30石を与えられる。山内天養院の開山。法蓮社善心岌興。宝蓮社とも。
32 奉誉聖伝 ?-1610 ~1590~ 山城国鳥羽の出身。藤原氏。範誉に師事し、鎌倉光明寺で学ぶ。八幡正法寺を経て知恩寺に晋山。豊臣秀吉が帰依。1590年(天正18年)寺町に寺を移転。釈迦堂、勢至堂、祖師堂、大方丈、五重大塔、輪蔵、小方丈、集会堂、黒書院、対面所、門、庫裡、山門、四天王門、裏門などがあった。境内東西80間南北100間。山内慶雲院、姫路正法寺を開山。1610年(慶長15年)1月18日死去。見蓮社奉誉聖伝(昇蓮社とも。聖誉とも)。
33 智誉幡随意 1542-1615 1601-1615 相模国藤沢出身。後陽成天皇が帰依。1593年(文禄2年)館林善導寺を中興。1601年(慶長6年)知恩寺に晋山。 元は藤田流だったと言われるが、白旗流に帰したらしい。1615年(元和1年)1月5日死去。74歳。 演蓮社智誉向阿。白道。
34 徳誉魯公 ?-1631 1615-? 幡随意のもとで出家。1615年(元和1年)駿河選要寺から晋山。この代以降、就任は天皇に代わって将軍の命令に基づくこととなる。伏見慶伝寺に引退。1631年(寛永8年)5月11日死去。天蓮社徳誉魯公。
35 尊誉源公 ?-1638 1621-? 1621年(元和7年)蓮馨寺より晋山。山内源興院、長教寺、伊勢山田清雲院を創建復興。幡随院館林善導寺を除く、全寺院の香衣執奏は知恩院の管轄となる。また知恩寺執奏万里小路家が務めていたが、これ以後、武家伝奏が務めるようになる。1638年(寛永15年)7月27日死去。教蓮社尊誉源公。
36 本誉是応 1573-1632 1628-? 1573年(天正1年)生。慈昌の弟子。1590年(天正18年)浅草龍宝寺を創建。1628年(寛永5年)知恩寺に晋山。1632年(寛永9年)1月29日死去(1630年(寛永7年)死去とも)。然蓮社本誉是応。
37 円誉文覚 1568-1650 1633-? 1568年(永禄11年)生。大巌寺安誉虎角に師事。諸国を巡教したが駿河西福寺にいた時に徳川家康と知り合う。浅草龍宝寺を経て1633年(寛永10年)知恩寺に晋山。1650年(慶安3年)11月17日死去。大蓮社円誉文覚。
38 誓誉究巌 1577-1648 1645-1648 高崎・大信寺の不残に師事。1617年(元和3年)大信寺住職。三河源空寺を経て1645年(正保2年)知恩寺に晋山。1648年(慶安1年)4月24日死去。本蓮社誓誉究巌。誓誉とも。究嵓。
39 光誉満霊 1592-1680 1649-1680 知恩寺中興。近江国大津の出身。1592年(文禄1年)生。大巌寺霊巌に師事。乗念寺で学ぶ。飯沼弘経寺学頭、浄国寺5世を経て、1649年(慶安2年)1月10日、知恩寺に晋山。1661年(寛文1年)1月、京都御所の火災で類焼。知恩寺を現在地に移転させる。1662年(寛文2年)、鎮守堂をまず再建し、1664年(寛文4年)釈迦堂(円仁作の本尊。脇士は地蔵、不動、毘沙門。利剣名号を祀る。本堂、祈祷堂)、勢至堂、念仏堂、書院、方丈、浴室、心行院、安楽院を建立。そして1679年(延宝7年)に御影堂を復興。東福門院後西天皇の帰依を得る。後水尾上皇に召されるが病で実現せず。山内の長春院、安楽院、安養院、心行院、また和泉国南曽根の大蓮寺などを創建。1680年(延宝8年)1月23日死去。照蓮社光誉自心満霊。伝記『満霊上人徳業伝』がある。
40 乗誉龍頓 1615-1688 1680-1688 大巌寺10世。越前国府中の出身。1615年(元和1年)生。浄光院で出家。大巌寺、増上寺で学び、増上寺学頭。1668年(寛文8年)大巌寺住職。1680年(延宝8年)5月3日、知恩寺に晋山。紫衣綸旨を賜る。後西天皇が貞松院の供養のため宸筆阿弥陀経を奉納。その皇子放光院宮、宝樹院宮、凉月院宮の葬儀を行う(三皇子は山内に陵墓がある)。1688年(元禄1年)9月16日死去。真蓮社乗誉龍頓。流頓とも。
41 玄誉円冏 1634-1706 1688-1706 京都出身。1634年(寛永11年)生。13歳で発心して江戸霊巌寺珂山に師事。1667年(寛文7年)阿弥陀仏の真身を見るという体験をした。東漸寺を経て1688年(元禄1年)12月1日、知恩寺に晋山。1689年(元禄2年)経蔵を建立。庫裡、鐘楼を建てる。1706年(宝永3年)9月15日死去。発心から死去まで生涯にわたり横に臥すことはなく一日6万回の念仏を日課とし、百万遍念仏を20回以上行ったという。信蓮社玄誉無為円冏。
42 懐誉沢秀 1649-1707 1706-1707 下総国出身。大巌寺で乗誉流頓に師事。増上寺智哲から宗戒両脈を相承。勝願寺14世を経て1706年(宝永3年)11月17日、知恩寺に晋山。1707年(宝永4年)6月1日死去。弁蓮社懐誉沢秀。念蓮社とも。
43 然誉吟達 ?-1723 1707-1723 紀伊国出身。増上寺巌宿から法を嗣ぐ。深川霊巌寺住職。1707年(宝永4年)6月26日、知恩寺に晋山。伽藍修復のために私財を奉納。1714年(正徳4年)、中国襄陽龍興寺の「石刻阿弥陀経」の複製碑を建立。1723年(享保8年)3月2日死去。常蓮社然誉命阿吟達。
44 声誉酉音 ?-1733 1723-1727 武蔵・大善寺を経て1723年(享保8年)5月、知恩寺に晋山。1727年(享保12年)引退。1733年(享保18年)5月4日死去。聞蓮社声誉霊阿酉音。融音とも。
45 性誉専霊 ?-1742 1727-1742 1724年(享保9年)11月、蓮馨寺19世。1727年(享保12年)12月、知恩寺に晋山。知恩院宮得度式に初めて拝賀。末寺の統制を整備。『法然上人絵詞伝』を知恩寺に奉納。『百万遍念仏縁起』を広く頒布した。1742年(寛保2年)12月20日死去。法蓮社性誉専霊。
46 遣誉真徹 ?-1750 1743-1750 東漸寺を経て1743年(寛保3年)1月、知恩寺に晋山。1745年(延享2年)4月25日、御影堂再建を発願。1747年(延享4年)4月15日、御影堂起工。1750年(寛延3年)1月29日死去。招蓮社遣誉真徹。
47 清誉連海 ?-1752 1750-1752 大念寺を経て1750年(寛延3年)5月、知恩寺に晋山。御影堂再建のため諸国を勧進。1752年(宝暦2年)11月15日死去。浄蓮社清誉連海。
48 震誉知巌 ?-1758 1753-1758 結城弘経寺32世。1753年(宝暦3年)、知恩寺に晋山。1756年(宝暦6年)3月10日竣工。9月落慶。華頂宮尊峰法親王が臨席。1758年(宝暦8年)4月29日死去。香蓮社震誉雲阿知巌。知岩とも。
49 洞誉観了 1701-1765 1758-1765 幡随院を経て1758年(宝暦8年)7月7日、知恩寺に晋山。1765年(明和2年)9月5日死去。65歳。神蓮社洞誉観了。
50 彦誉察冏 ?-1782 1765-1710 武蔵国川辺伊坂の出身。増上寺43世の走誉連察に師事。館林善導寺を経て1765年(明和2年)11月17日、知恩寺に晋山。1770年(明和7年)9月、大坂の下寺町極楽寺に引退。1782年(天明2年)3月13日死去。光蓮社彦誉察冏。
51 暢誉周円 ?-1782 1770-1781 幡随院を経て1770年(明和7年)10月27日、知恩寺に晋山。1781年(天明1年)10月引退。1782年(天明2年)1月10日死去。宣蓮社暢誉周円。周瑞とも。
52 俊誉騰冏 ?-1784 1781-1784 東漸寺33世。増上寺で学び寮主となる。1781年(天明1年)12月、知恩寺に晋山。1784年(天明4年)2月2日死去。乗蓮社俊誉騰冏。
53 法誉弁冏 ?-1794 1784-1793 東漸寺34世。増上寺で学び学頭となる。1781年(天明1年)10月、東漸寺34世。1784年(天明4年)3月、知恩寺に晋山。1788年(天明8年)2月、大火を受けて除災のため百万遍念仏を行う。1793年(寛政5年)瑞林院に引退。1794年(寛政6年)2月8日死去。転蓮社法誉弁冏。
54 順誉祐水 ?-1815 1793-1813 霊巌寺より晋山。信濃国高梨の出身。俗姓は中島。祐天寺祐海について出家。増上寺で学び学頭。1784年(天明4年)7月27日霊巌寺住職。1793年(寛政5年)7月5日、知恩寺に晋山。1795年(寛政7年)2月、幡随院末寺の非礼を檀林の会議で訴えた。1811年(文化8年)法然600年御忌を営んだ。諸堂を修復。1813年(文化10年)5月、瑞林院に引退。1815年(文化12年)11月17日死去。円蓮社順誉祐水。
55 廓誉円純 ?-1818 1813-1818 大巌寺より晋山。1812年(文化9年)1月、大巌寺住職。1813年(文化10年)6月21日、知恩寺に晋山。1818年(文政1年)11月4日死去。寥蓮社廓誉円純。
56 勇誉寂念 1767-1837 1819-? 勝願寺より晋山。1819年(文政2年)3月28日、知恩寺に晋山。1828年(文政11年)3月11日、火災で阿弥陀堂が焼失。1832年(天保3年)阿弥陀堂を再建。1837年(天保8年)1月20日死去。精蓮社勇誉寂念。最蓮社とも。寂然とも。
57 瑞誉巨東 ?-1842 1832-1842 増上寺63世。増上寺学頭、結城弘経寺48世を経て、1832年(天保3年)8月、知恩寺に晋山。1840年(天保11年)増上寺に進んだ。1842年(天保13年)8月9日死去。到蓮社瑞誉明阿放光巨東。
58 光誉慈専 ?-1860 1842-1856? 浄国寺より晋山。越後国高田の出身。俗姓は松下。越後善光寺の慈光のもとで得度。増上寺で学ぶ。浄国寺を経て1842年(天保13年)10月3日、知恩寺に晋山。1856年(安政3年)4月隠居。1860年(万延1年)12月29日死去。大蓮社光誉慈専。
59 導誉舜達 ?-1866 1855?-1866 大巌寺より晋山。1855年(安政2年)4月、知恩寺に晋山。1866年(慶応2年)9月14日死去。鑑蓮社導誉舜達。
60 運誉賢龍 1819-1885 1867-1885 高田賢龍。江戸時代最後の法主。伊勢国一志郡出身。松坂清光寺卓明に師事。館林善導寺を経て1867年(慶応3年)4月、知恩寺に晋山。1885年(明治18年)4月、洛東井窪寺に引退。1885年(明治18年)8月1日死去。天蓮社運誉賢龍。
61 法誉定賢 1838-1893 1886-1887 林定賢。江戸出身。1852年(嘉永5年)伝通院で五重相伝を受ける。1854年(安政1年)両脈相承。増上寺で学ぶ。1867年(慶応3年)三河行福寺住職。1886年(明治19年)公選で知恩寺法主。1887年(明治20年)4月8日、各本山法主と共に辞任。1890年(明治23年)浄厳院住職。1893年(明治26年)6月10日死去。暢蓮社妙阿法誉定賢。
62 孝誉現有 1832-1934 1887-1890 山下現有。内務大臣の特命で1887年(明治20年)知恩寺に晋山。1890年(明治23年)北野転輪寺に隠退。のち増上寺76世、知恩院79世に住し、管長となる。謙蓮社孝誉現有。
63 住阿貫務 1828-1921 1890-1902 堀尾貫務。増上寺77世。清浄華院法主。1881年(明治14年)清浄華院に晋山。1887年(明治20年)4月8日、各本山法主と共に辞任。1890年(明治23年)7月11日、一宗公選で知恩寺に晋山。1902年(明治35年)6月20日、増上寺77世に進む。綜蓮社安誉住阿貫務。
64 禀誉大承 1847-1918 1902-1904 小林大承。福岡県京都郡行橋村の出身。1847年(弘化4年)生。1857年(安政4年)長府浄厳寺で得度。1886年(明治19年)大雲院住職。1902年(明治35年)知恩寺法主。1904年(明治37年)台湾開教使長。1905年(明治38年)朝鮮開教区総監。1913年(大正2年)大僧正。1918年(大正7年)11月4日死去。仏蓮社禀誉教阿大承伝持。
65 康誉弁旭 1843-1918 1905-1918 北条弁旭。近江国安土の出身。1843年(天保14年)生。1863年(文久3年)増上寺で両脈相承。幡随院住職、長崎大音寺、知恩院執事などを経て1905年(明治38年)知恩寺に晋山。1908年(明治41年)管長代理として中国・朝鮮半島の戦跡を訪れた。1918年(大正7年)3月22日死去。君蓮社康誉有阿弁旭。
66 紅誉観琇 1848-1923 1918-1923 中島観琇。飯沼弘経寺74世。宗教大学(現大正大学)学長。常陸国宗道村の出身。常総市西福寺で得度。飯沼弘経寺で両脈相承。浄土宗学本校教授を経て校長。1902年(明治35年)浄土宗伝道会を設立。宗教大学教授。西福寺、飯沼弘経寺を経て宗教大学学長。1918年(大正7年)知恩寺に晋山。1923年(大正12年)3月2日死去。現蓮社紅誉西阿。中嶌観琇。
67 実誉説音 1861-1928 1923-1928 宮沢説音。諏訪出身。1861年(文久1年)生。東部大学林で学び、温誉大宣から両脈相承。1884年(明治17年)京都大学林講授。1888年(明治21年)上諏訪正願寺住職。1908年(明治41年)長崎大音寺住職。諏訪・阿弥陀寺の21世住職。1923年(大正12年)知恩寺に晋山。1928年(昭和3年)3月8日死去。信蓮社実誉説音。
68 静誉善澂 1864-1930 1928-1930 土川善澂。宗務所執綱(現在の宗務総長に相当)。宗教大学(現大正大学)学長。福井県南条郡出身。13歳で法然院で得度。1880年(明治13年)知恩院で両脈相承。泉涌寺佐伯旭雅から唯識を、浄土宗学本校で華厳を学ぶ。1890年(明治23年)東山西光寺住職。1894年(明治27年)浄土宗学本校教授。1909年(明治42年)浄土宗執綱。1915年(大正4年)、浄土宗高等学院長。1916年(大正5年)仏教専門学校(仏教大学)初代校長。宗教大学学長。1919年(大正8年)知恩院執事長。1922年(大正11年)専修道場上首。1928年(昭和3年)5月、知恩寺法主。1930年(昭和5年)3月3日死去。湛蓮社静誉見阿珠光善澂。
69 香誉彦明 1868-1945 1930-1934 林彦明。滋賀県栗太郡六地蔵村の出身。1868年(明治1年)生。西部大学林で学ぶ。1893年(明治26年)浄土宗学本校専門科唯識部を卒業。1899年(明治32年)宗学部長。1903年(明治36年)沼津乗運寺住職。1930年(昭和5年)知恩寺法主。1934年(昭和9年)引退。1935年(昭和10年)日華仏教研究会を設立。1945年(昭和20年)9月9日死去。白蓮社香誉念阿彦明。著書『転識論の研究』、『大乗起信論の新研究』など多数。
70 博誉寛随 1867-1939 1934-1939 桑田寛随。備後国出身。知恩院大学林、泉涌寺、智積院、東京浄土宗学本校で宗学や唯識など学ぶ。浄土宗専門学院幹事、仏教専門学校教授などを経て、1923年(大正12年)仏教専門学校校長。1934年(昭和9年)知恩寺法主。1939年(昭和14年)5月20日死去。済蓮社博誉了阿栗堂寛随。
71 達誉琳応 1874-1969 1939-1969 神居琳応。浄土宗管長。平等院住職。山形県米沢市出身。1874年(明治7年)生。福島県東円寺で得度。1895年(明治28年)浄土宗学仙台東北支校を卒業。1896年(明治29年)増上寺で両脈相承。浄土宗学本校の高等正科、専門部唯識科を経て、京都第五教校教授。1914年(大正3年)11月14日、平等院住職。同年、浄土院37世。1920年(大正9年)総本山布教師会会長。1926年(昭和1年)管長代理としてハワイに伝道。1939年(昭和14年)9月、知恩寺法主。1952年(昭和27年)5月30日、浄土宗管長。1969年(昭和44年)9月19日死去。通蓮社達誉善阿趣門琳応。
72 徳誉霊法 1906-2000 1969-1994 林霊法。東海学園の実質的な創始者。名古屋出身。1906年(明治39年)生。1930年(昭和5年)東京帝国大学文学部哲学科卒。1932年(昭和7年)11月、新興仏教青年同盟に参加。1937年(昭和12年)5月、新興仏教青年同盟中央執行委員長。同年10月20日、治安維持法違反で検挙。翌年2月に保釈。戦後、仏教社会主義同盟に参加。1950年(昭和25年)東海高校校長。1964年(昭和39年)東海学園女子短期大学を設立。1968年(昭和43年)東海学園女子短期大学学長。1969年(昭和44年)12月から1994年(平成6年)4月26日まで知恩寺法主。椎尾弁匡に師事し、共生会運動を推進。2000年(平成12年)3月7日死去。高蓮社徳誉道阿正学霊法。
73 行誉忍敬 1916-2008 1995-2005 大野忍敬。長野県下伊那郡阿智村の出身。1916年(大正5年)生。阿智村宗円寺で得度。1938年(昭和13年)知恩院で両脈相承。1941年(昭和16年)大正大学卒業。1949年(昭和24年)浅草天岳院住職。1985年(昭和60年)宗円寺を兼務。東京教区教区長、淑徳学園理事長など歴任。1995年(平成7年)3月から2005年(平成17年)5月まで知恩寺法主。2008年(平成20年)3月8日死去。謙蓮社行誉宣阿慈徳忍敬。
74 宣誉法丸 1927-2016 2005-2015 服部法丸。自坊は大阪法界寺。京都市上京区出身。1927年(昭和2年)生。仏教大学卒業。大阪府の中学校教諭を務めた。1986年(昭和61年)百万遍布教師会会長。1988年(昭和63年)知恩院布教師会会長。2005年(平成17年)9月2日から2015年(平成27年)まで知恩寺法主。2016年(平成28年)7月22日死去。88歳。
75 浄誉隆善 1941- 2015-現職 福原隆善。仏教大学学長。1941年(昭和16年)生。1964年(昭和39年)龍谷大学文学部仏教学科卒業。1970年(昭和45年)、龍谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。1988年(昭和63年)仏教大学教授。2005年(平成17年)仏教大学学長。2013年(平成25年)浄土宗勧学。2015年(平成27年)知恩寺法主。

執事長

  • 渡辺教祐
  • 河合孝雅
  • 長谷雄良裕(1944-2022)<1995-2022>:2022年2月23日死去。


画像

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%A5%E6%81%A9%E5%AF%BA」より作成

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