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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

諏訪・阿弥陀寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年4月12日 (火)

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阿弥陀寺(あみだじ)は、長野県諏訪市にある弾誓旧跡浄土宗寺院。念仏行者たちがよく訪れた。浄土宗知恩院派唐沢阿弥陀寺法国山。(参考:同名寺院阿弥陀寺

概要

1595年(文禄4年)、上諏訪の河西浄西という念仏行者が開き、その3年後の1598年(慶長3年)、廻国修行の途中に諏訪を訪れた弾誓(1552-1613)が5年間滞在し開山となった。その後、著名な念仏行者が訪れ、11代徳本(1758-1818)、12代徳住、21代宮沢説音(1861-1928、知恩寺67世)などが住職を務めた。近代では山崎弁栄(1959-1920)が1919年(大正8年)8月に別時念仏を行って以来、光明主義の聖地となり、現在まで真生同盟や光明会の別時念仏が行われている。知恩院85世の藤井実応(1898-1992)、同86世の中村康隆(1096-2008)もこの別時念仏に通っていたという。1993年(平成5年)4月21日、火災で主要伽藍を焼失したが、その後再建され、1997年(平成9年)10月4日に復興落慶法要が行われた。市内の正願寺が兼務する。

伽藍

現在の本堂は、善光寺大本願の本堂(本誓殿)を移築したもの。1902年(明治35年)(1895年(明治28年)ともいう)に建造された入母屋造の堂宇で、1996年(平成8年)6月に阿弥陀寺に移築された。庫裡は1997年(平成9年)に再建。庫裡の裏手の崖上には懸造の岩屋堂があり、洞窟の中に十一面観音の石仏を祀る。鎮守として五社宮がある。本堂脇には「光明主義御垂示」の磨崖碑、参道途中には、弾誓の爪彫名号碑、徳本や徳住の磨崖名号碑、幡随意(白道)の名号碑がある。また山崎弁栄墓、河西浄西墓、真生会五輪塔がある。

参考文献

  • 由緒書「法国山阿弥陀寺 信州諏訪唐澤山」
  • 土屋光道、1997(平成9)「信州唐沢山阿弥陀寺再建の奇蹟」『浄土』63-11
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E3%83%BB%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%AF%BA」より作成

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