ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

増上寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月28日 (金)

移動: 案内, 検索

増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区(武蔵国荏原郡)にある浄土宗本山寺院徳川家の菩提寺。浄土宗知恩院派大本山。江戸時代には、浄土宗江戸触頭(僧録所)として事実上の総本山の役割を果たした。関東十八檀林増上寺関連旧跡も参照。紫衣

目次

伽藍

子院

  • 光学院:東京都港区芝公園。
  • 貞松院:東京都港区芝公園。
  • 源興院:東京都港区芝公園。
  • 松蓮社:東京都港区芝公園。
  • 鑑蓮社善長寺:東京都港区芝公園。
  • 安蓮社:東京都港区芝公園。聖聡などの墓がある。
  • 岳蓮社:東京都港区芝公園。
  • 源流院:東京都港区芝公園。
  • 雲晴院:東京都港区芝公園。
  • 威徳院:東京都港区芝公園。
  • 天光院:東京都港区芝公園。
  • 広度院:東京都港区芝公園。
  • 常照院:東京都港区芝公園。
  • 花岳院:東京都港区芝公園。
  • 浄運院:東京都港区芝公園。
  • 安養院:東京都港区芝公園。芝区役所があった。
  • 観智院:東京都港区芝公園。
  • 常行院:東京都港区芝公園。
  • 宝松院:東京都港区芝公園。
  • 最勝院:東京都港区芝公園。
  • 清光院:東京都港区芝公園。
  • 真乗院:東京都港区芝公園。
  • 通元院:東京都港区芝公園。
  • 宝珠院:東京都港区芝公園。


  • 戒法寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。
  • 本願寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。
  • 最上寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。
  • 光取寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。
  • 清岸寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。
  • 正福寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。常光寺に合併。
  • 善長寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。隆崇院に合併。
  • 了福寺:東京都品川区上大崎。明暦の大火後、上大崎に移転。廃絶。
  • 月窓院:東京都品川区上大崎。
  • (宝蔵寺):東京都品川区上大崎。

組織

住職

現在は法主と称す。

名前 生没年 在職年 蓮社号など 誉号など 阿号など 称号 略歴
1 聖聡 1366-1440 大蓮社 酉誉 聖冏の弟子。鎮西派第八祖とされる。下総国千葉の出身。母は新田義貞の娘。1366年(貞治5年)7月10日生。1440年(永享12年)7月18日死去。75歳。(三縁山志)
2 酉仰 1418-1459 1439-1459 明蓮社 聡誉 下総国千葉の出身。千葉満胤の次男。1418年(応永25年)7月生。1439年(永享11年)8月22歳で増上寺2世に就任。1459年(長禄3年)9月15日死去。42歳。(三縁山志)
3 聖観 1414-1479 1449-1479 定蓮社 音誉 近江国甲賀郡の出身。父は望月幸俊。1414年(応永21年)2月18日生。1449年(宝徳1年)3月、増上寺3世に就任。1479年(文明11年)7月2日、火車を出現させてこれに乗って去ったという。慶雲寺を創建。(三縁山志)
4 光冏 ?-1492 1479-1492 文蓮社 隆誉 珠阿 近江国蒲生郡の出身。蒲生秀重の次男。1479年(文明11年)11月26日増上寺4世に就任。1492年(明応1年)5月14日死去。駿河に仙年寺を創建。(三縁山志)
5 了聞 ?-1505 1492-1502 光蓮社 天誉 信濃国伊奈郡高遠の出身。父は飯田氏。はじめ禅宗を学び諸国を巡る。のち浄土宗に帰依。1492年(明応1年)8月、増上寺5世に就任。1502年(文亀2年)2月12日退任。1505年(永正2年)7月8日死去。(三縁山志)
6 智雲 ?-1516 1502-1516 上蓮社 僧誉 相模国出身。1502年(文亀2年)2月12日、増上寺6世に就任。長松寺を創建。1516年(永正13年)8月14日死去。「知雲」。(三縁山志)
7 周仰 ?-1551 1516-1551 天蓮社 親誉 武蔵国世田ケ谷出身。1516年(永正13年)5月増上寺7世に就任。1551年(天文20年)3月19日死去。弟子が天智庵(江戸・天徳寺)を開き、師を勧請開山とする。(三縁山志)
8 天啓 ?-1562 1551-1555 昌蓮社 杲誉 陸奥国出身。1551年(天文20年)5月25日、増上寺8世に就任。1555年(弘治1年)退任。1562年(永禄5年)8月18日死去。(三縁山志)
9 貞把 1515-1574 1555-1563 〓蓮社 道誉 和泉国日根郡鳥取庄波宇手村の出身。大谷氏。1515年(永正12年)9月28日生。1555年(弘治1年)7月、増上寺9世に就任。1563年(永禄6年)、退任して生実大巌寺に隠棲。長源寺を創建。1574年(天正2年)12月7日死去(『高僧伝』では9月)。60歳。龍沢山に埋葬。(三縁山志)
10 存貞 1522-1574 1563-1566 鎮蓮社 感誉 願故 相模国小田原の出身。大道寺政繁の甥。1522年(大永2年)3月生。1563年(永禄6年)4月、43歳で大超寺(大長寺)より増上寺10世に就任。1566年(永禄9年)(文禄9年とあるのは誤り)退任。1574年(天正2年)5月18日(文禄2年とあるのは誤り)死去。53歳。(三縁山志)
11 円也 ?-1584 1566-1584 秀蓮社 雲誉 筑後国柳川の出身。1566年(永禄9年)10月4日、相模国大長寺より増上寺11世に就任。1584年(天正12年)8月、増上寺山内に天光院を創建。1584年(天正12年)9月5日死去。(三縁山志)
12 慈昌存応 1544-1620 1584-1620 貞蓮社 源誉 普光観智国師 増上寺中興。武蔵国崎玉郡由木の出身。由木氏。1544年(天文13年)1月10日生。長伝寺を創建。1584年(天正12年)5月2日、増上寺12世。徳川家康の帰依を得て増上寺の格式を確立した。1620年(元和6年)11月2日死去。75歳。死後、1622年(元和8年)10月まで増上寺は無住となる。(三縁山志)
13 廓山 1572-1625 1622-1625 定蓮社 正誉 一実 伝通院中興1世。甲斐国八代郡市部村の出身。高坂昌信の次男。1559年(永禄2年)5月3日生(享年から計算すると1572年(元亀3年)生でこちらが有力視されているらしい)。武城問答で日蓮宗の日経を破る。1622年(元和8年)10月、台命を受けて伝通院より増上寺13世に就任。1625年(寛永2年)8月26日死去。54歳。増上寺に埋葬。(三縁山志)
14 了的 1567-1630 1625-1630 伝蓮社 桑誉 導故 甲斐国の出身。近藤氏。金戒光明寺27世。1625年(寛永2年)11月26日台命で増上寺14世に就任。1630年(寛永7年)9月15日死去。64歳。(三縁山志)
15 潮龍 1561-1630 1630-1630 桑蓮社 円誉 助給 上総国市原郡菊間の出身。1616年(元和2年)7月生実大巌寺に就任。1630年(寛永7年)5月新田大光院に転住。1630年(寛永7年)10月台命で増上寺15世に就任。1630年(寛永7年)12月9日死去。70歳。(三縁山志)
16 伝察 1561-1632 1630-1632 心蓮社 深誉 誠阿 武蔵国品川の出身。浄国寺3世に就任。鎌倉光明寺32世に転住。1630年(寛永7年)10月台命で増上寺16世に就任。1632年(寛永9年)1月1日死去。72歳。(三縁山志)
17 了学 1549-1634 1632-1634 団蓮社 照誉 遊岳 下総国小金城主高木修理亮の三男。飯沼弘経寺。1632年(寛永9年)1月17日増上寺17世に就任。1634年(寛永11年)2月13日死去。86歳。(三縁山志)
18 随波 1563-1635 1634-1635 了蓮社 定誉 向西 筑前国糟屋の出身。伝通院2世。1634年(寛永11年)3月台命で増上寺18世に就任。1635年(寛永12年)9月10日死去。73歳。(三縁山志)
19 智童 1574-1639 1635-1639 天蓮社 登誉 志白 武蔵国浅草の出身。1574年(天正2年)3月生。伝通院3世。1635年(寛永12年)9月台命を受け増上寺19世に就任。1639年(寛永16年)1月9日死去。66歳(54歳とも)。「知童」。(三縁山志)
20 雪念 1574-1640 1639-1640 良蓮社 南誉 慈眼 姓氏不詳。元は曹洞宗の僧とも。1639年(寛永16年)2月、他の檀林を経ずに直に増上寺20世に就任。1640年(寛永17年)9月18日死去。67歳。飯沼弘経寺?(三縁山志)
21 還無 1579-1650 1640-1650 弁蓮社 業誉 空脱 江戸の出身。結城弘経寺、光明寺34世を歴任。1640年(寛永17年)12月増上寺21世に就任。1650年(慶安3年)6月20日死去。72歳。(三縁山志)
22 位産 1587-1652 1650-1652 天蓮社 暁誉 還阿 出自不詳。伝通院5世。1650年(慶安3年)増上寺22世に就任。1652年(承応1年)8月20日死去。66歳。(三縁山志)
23 貴屋 ?-1660 1652-1659 森蓮社 遵誉 直爾 出自不詳。幡随院、大光院、伝通院7世を歴任。1652年(承応1年)9月増上寺23世に就任。1659年(万治2年)11月退任して青山梅窓院に隠居。両国・回向院を創建。1660年(万治3年)1月21日死去。(三縁山志)
24 露白 1588-1664 1659-1662 誓蓮社 本誉 重阿 相模国小田原の出身。蔭山氏。1588年(天正16年)10月生。大光院、光明寺39世を歴任。1659年(万治2年)(万治1年とも)11月26日、72歳で増上寺24世に就任。1662年(寛文2年)9月17日退任。1664年(寛文4年)9月28日死去。77歳。「路白」。(三縁山志)
25 智哲 1602-1669 1662-1669 乗蓮社 頓誉 心阿正心 美濃国の出身。戸田氏。1602年(慶長7年)生。大巌寺に住した後、慣例を越えて伝通院8世に転任。1662年(寛文2年)9月25日増上寺25世に就任。1669年(寛文9年)7月23日麻布に隠居。1669年(寛文9年)8月10日死去。68歳。(三縁山志)
26 歴天 1607-1673 1669-1673 頓蓮社 森誉 善阿 出自不詳。大巌寺、大光院を歴任。1669年(寛文9年)7月台命を受け増上寺26世に就任。1673年(延宝1年)12月3日麻布に隠居し、翌4日死去。67歳。(三縁山志)
27 珂天 1607-1676 1673-1675 台蓮社 乗誉 涼風 相模国筑井県の出身。結城弘経寺、飯沼弘経寺、光明寺42世を歴任。1673年(延宝1年)12月増上寺27世に就任。1675年(延宝3年)4月24日退任して麻布に隠居。1676年(延宝4年)6月13日死去。70歳。(三縁山志)
28 詮雄 1607-1687 1675-1687 深蓮社 広誉 直心蓮阿良海 江戸の出身。父は行田城番の石野広継。鎌倉光明寺45世。1675年(延宝3年)閏4月28日、台命で増上寺28世に就任。1687年(貞享4年)7月8日死去。81歳。「詮翁」とも。(三縁山志)
29 巌宿 1610-1687 1680-1682 広蓮社 信誉 直至称阿 伊丹氏。大念寺の後、旧例を超越して伝通院10世に転任。1680年(延宝8年)8月8日増上寺29世に就任。1682年(天和2年)7月26日退任し、麻布に隠居。1687年(貞享4年)12月8日死去。78歳。(三縁山志)
30 霊玄 1619-1698 1682-1686 信蓮社 生誉 一到 出羽国荘内小泉の出身。田沢城主の田沢氏。1619年(元和5年)3月生。1674年(延宝2年)4月13日大善寺に住す。1680年(延宝8年)1月飯沼弘経寺に転任。1682年(天和2年)8月2日、上位の僧を越えて増上寺30世に就任。1686年(貞享3年)2月19日、幕府の命令に背いたため、隠居を命じられる。1687年(貞享4年)1月15日伊勢国山田清雲院に隠棲。江戸・霊山寺を再興。1698年(元禄11年)5月9日死去。80歳。「往蓮社」とも。(三縁山志)
31 古巌 1621-1692 1686-1692 入蓮社 流誉 願故 出自不詳。東漸寺、飯沼弘経寺を歴任。1686年(貞享3年)2月24日弘経寺より直に増上寺31世に就任。3月16日入院式。1691年(元禄4年)2月8日病で隠退を願い出るが許可されず。1692年(元禄5年)2月21日退任し一本松に隠居。1692年(元禄5年)9月16日死去。72歳。「故岩」。(三縁山志)
32 了也 1629-1708 1692-1699 念蓮社 貞誉 自然 下総国の出身。大八木氏。大巌寺、弘経寺、伝通院13世を歴任。1692年(元禄5年)2月24日増上寺32世に就任。1699年(元禄12年)9月28日退任。1708年(宝永5年)4月3日死去。80歳。(三縁山志)
33 白玄 1628-1700 1699-1700 信蓮社 詮誉 良阿清風 江戸の出身。姓氏不詳。1627年(寛永4年)生。蓮馨寺、弘経寺、光明寺51世を歴任。1699年(元禄12年)閏9月29日増上寺33世に就任。1700年(元禄13年)7月2日死去。73歳。(三縁山志)
34 雲臥 1642-1710 1700-1704 真蓮社 証誉 独清 江戸番町の出身。長田氏。栖岸院に入る。1688年(元禄1年)、47歳、臘35年で東漸寺に就任。1699年(元禄12年)、飯沼弘経寺に転任。1700年(元禄13年)7月10日、伝通院慈雲、光明寺意覚、大光院門秀、常福寺円理を超越し59歳で増上寺34世に就任。1704年(宝永1年)11月27日退任許可。28日麻布に隠居。1710年(宝永7年)閏8月18日死去。69歳。(三縁山志)
35 門周 1638-1720 1704-1711 然蓮社 湛誉 十即生 江戸麻布出身。1648年(慶安1年)3月生。朝倉氏。大念寺、大光院、伝通院16世を歴任。1704年(宝永1年)11月29日、増上寺35世に就任。1711年(正徳1年)11月26日、在任中6度目となる前月の火災の責任で隠退を願い出るように命じられ、12月9日に許可。一本松、ついで青山梅窓院に隠居。1720年(享保5年)9月13日死去。83歳。「門秀」。(三縁山志)
36 祐天 1637-1718 1711-1714 明蓮社 顕誉 愚心 1637年(寛永14年)4月8日生。増上寺の学僧として檀林住職になるべき立場になっても名誉を求めず、1686年(貞享3年)、50歳で隠退。桂昌院がその名を知り帰依。1699年(元禄12年)、台命により特例で生実大巌寺住職に就任。翌年、台命により弘経寺に住す。紫衣。1704年(宝永1年)、伝通院17世。1711年(正徳1年)11月27日、台命により増上寺36世に就任。12月6日、江戸城に登城し即席で大僧正に任せらる(即席任官の始)。8日入院式。1714年(正徳4年)夏6月19日退任許可。23日、真乗院に移り、29日、麻布に隠居。1717年(享保2年)2月14日西応寺に移る。6月18日龍土に隠居。1718年(享保3年)7月15日死去。82歳。弟子により祐天寺が建てられた。(三縁山志)
37 詮察 1638-1717 1714-1717 雄蓮社 松誉 忠阿触光 伊勢国出身。霊岸寺、大光院、光明寺54世を歴任。1714年(正徳4年)6月28日増上寺37世に就任。1717年(享保2年)2月15日退任許可。17日一本松に隠栖し3月18日死去。80歳。(三縁山志)
38 白随 1656-1730 1717-1726 幡蓮社 演誉 智願海阿 伊勢国出身。姓氏不詳。霊山寺、大光院、光明寺56世を歴任。1717年(享保2年)2月21日増上寺38世に就任。1726年(享保11年)2月14日退任許可。16日麻布に退隠。1730年(享保15年)6月21日(8月20日とも)死去。75歳。法臘62年。(三縁山志)
39 冏鑑 1653-1732 1726-1732 演蓮社 学誉 一呼酉阿 江戸の出身。霊巌寺、弘経寺、光明寺57世を歴任。1726年(享保11年)3月3日増上寺39世に就任。1732年(享保17年)8月22日退任許可。25日麻布に隠居。12月5日死去。80歳。(三縁山志)
40 利天 1661-1735 1732-1735 航蓮社 衍誉 慈空順故 常陸国下館の出身。1720年(享保5年)5月22日台命で東漸寺に住す。常福寺に転じ光明寺59世。1732年(享保17年)8月28日増上寺40世に就任し大僧正に任す。9月2日入院式。1735年(享保20年)2月8日退任許可を得て隆崇院に移り翌日死去したとされるが、実は2日に死去。75歳。(三縁山志)
41 頓秀 1666-1739 1735-1738 伝蓮社 通誉 寂西阿 上総国望陀郡出身。国村氏。1721年(享保6年)3月大念寺、1726年(享保11年)秋、大光院、1732年(享保17年)春、伝通院25世と歴任。1735年(享保20年)1月22日増上寺41世に就任し大僧正に任。25日入寺式。1738年(元文3年)11月21日退任許可。25日麻布に隠居。1739年(元文4年)10月10日死去。74歳。(三縁山志)
42 了般 ?-1747 1738-1745 高蓮社 尊誉 天然 備後国出身。姓氏不詳。大念寺、大光院、光明寺61世を歴任。1738年(元文3年)12月1日増上寺42世に就任。1745年(延享2年)7月退任し麻布に隠居。1747年(延享4年)10月8日死去。(三縁山志)
43 連察 1672-1755 1745-1750 入蓮社 走誉 不如一阿 江戸出身。父は井伊家臣の上坂増右衛門。1672年(寛文12年)7月、霞ケ関の本邸に生まれる。1726年(享保11年)台命を受けて館林・善導寺に住す。1735年(享保20年)春弘経寺に転ず。1738年(元文3年)秋、伝通院27世。1745年(延享2年)8月11日増上寺43世に就任して大僧正に任ず。13日入院式。1750年(寛延3年)2月13日退任許可。14日一本松に隠居。1755年(宝暦5年)4月25日死去。84歳。(三縁山志)
44 覚塋 ?-1754 1626-1753 教蓮社 門誉 弘願皆乗 江戸番町の出身。姓氏不詳。享保年間、大巌寺に就任。大光院、光明寺63世を歴任。1626年(寛永3年)3月1日増上寺44世に就任して大僧正。1753年(宝暦3年)12月6日退任を願い、許可。1754年(宝暦4年)11月6日死去。(三縁山志)
45 大玄 ?-1756 1753-1756 速蓮社 成誉 単直水月聖引 下野国氏家郷の出身。1740年(元文5年)、台命を受け弘経寺に住す。1745年(延享2年)大光院に転す。1626年(寛永3年)12月、伝通院29世に転任。1753年(宝暦3年)11月28日、74歳、﨟58年で増上寺45世に就任し大僧正に任す。1756年(宝暦6年)8月4日死去。遺弟が長泉律院を目黒村に建つ。(三縁山志)
46 定月 1688-1771 1756-? 観蓮社 妙誉 道阿 伊勢国二見郷の出身。1742年(寛保2年)、台命を受け東漸寺に住す。常福寺に転じ1753年(宝暦3年)伝通院30世に転任。1756年(宝暦6年)秋、増上寺46世に就任し大僧正に任ず。1762年(宝暦12年)秋、退任を願うが許可されず。何度も退任を願い出て許可を得て一本松に隠居。1771年(明和8年)11月、自ら臨終行儀の念仏を開白し、12月3日死去。84歳。(三縁山志)
47 弁秀 ?-1772 1766-? 心蓮社 歓誉 喜受天阿 遠江国浜松の出身。結城弘経寺、飯沼弘経寺、伝通院33世を歴任。1766年(明和3年)春、増上寺47世に就任し大僧正に任す。退任年など不詳。1772年(安永1年)7月29日死去。(三縁山志)
48 智瑛 ?-1773 1770-1773 到蓮社 典誉 凉如海 伊勢国出身。姓氏不詳。大念寺、弘経寺、伝通院34世を歴任。1770年(明和7年)11月15日増上寺48世に就任し大僧正に任ず。18日入寺の儀。1773年(安永2年)2月25日死去。事蹟なしという。「智英」。(三縁山志)
49 霊応 ?-1777 1773-1777 安蓮社 豊誉 民阿蒙光触 近江国愛智郡君ケ畑村の出身。姓氏不詳。浄国寺、常福寺、伝通院35世を歴任。1773年(安永2年)3月増上寺49世に就任し大僧正に任す。1777年(安永6年)、病気で退任。一本松に隠居。同年12月11日死去。(三縁山志)
50 隆善 1707-1791 1778-1783 方蓮社 便誉 一実乗阿 信濃国水内郡柳沢の庄桜村の出身。1761年(宝暦11年)9月1日、生実大巌寺に就任。1769年(明和6年)11月19日大光院に転住。1772年(安永1年)10月5日鎌倉光明寺72世に就任。1778年(安永7年)1月15日登城し増上寺50世に就任し大僧正の任官。同日入寺、17日入院式。1783年(天明3年)9月8日退任。13日麻布一本松に隠居。1791年(寛政3年)3月24日増上寺の山下谷作業室にて死去。85歳。(三縁山志)
51 満空 1718-1796 1783-1790 中蓮社 現誉 身阿在心 播磨国印南郡志方町の出身。父は蔭山昌隆。1719年(享保4年)7月11日生。鎌倉光明寺73世。1783年(天明3年)9月25日増上寺51世に就任し大僧正に任命。1790年(寛政2年)4月3日退任許可。1796年(寛政8年)7月9日死去。79歳。法臘65年。(三縁山志)
52 円宣 1718-1792 1790-1792 広蓮社 統誉 道阿 肥前国伊万里出身。片山氏。1717年(享保2年)生。1772年(安永1年)10月5日大善寺に住す。1780年(安永9年)8月24日大光院に転任。1784年(天明4年)9月2日伝通院41世。1790年(寛政2年)4月19日増上寺52世に就任。1792年(寛政4年)4月より発病し退任。麻布一本松に隠居し5月2日死去。75歳。(三縁山志)
53 智堂 1726-1800 1790-1799 耀蓮社 嶺誉 在阿 伊勢国多気郡丹生村出身。1726年(享保11年)3月生。1775年(安永4年)12月16日台命で霊巌寺に住す。退任して7年間、寺院に住せず。1790年(寛政2年)11月20日、突然、台命があり直に伝通院43世に就任。賜紫。1792年(寛政4年)2月28日、増上寺53世に就任し大僧正に任ず。1799年(寛政11年)3月24日退任。一本松に隠居。1800年(寛政12年)5月16日死去。75歳。(三縁山志)
54 念海 ?-1812 1634-1808 超蓮社 倫誉 恵学在阿 信濃国出身。1783年(天明3年)11月19日、大善寺に住す。1624年(寛永1年)4月19日台命で常福寺に転ず。1629年(寛永6年)3月14日光明寺77世に転任。1634年(寛永11年)4月15日、台命で増上寺54世に就任。1808年(文化5年)3月10日、新谷の東に室を作り隠居(?)。1812年(文化9年)9月15日死去。(三縁山志)
55 在禅 1735-? 1808-1813 宝蓮社 熏誉 香阿 紀伊国出身。1786年(天明6年)3月10日、大念寺に住す。1798年(寛政10年)11月12日弘経寺に転任。1804年(文化1年)8月29日光明寺79世。1808年(文化5年)4月1日増上寺55世に就任し大僧正。1813年(文化10年)8月退任。山下谷妙定院に隠居。(三縁山志)
56 典海 ?-1818 1813-1818 演蓮社 教誉 光阿義円 紀伊国名草郡出島の出身。1792年(寛政4年)6月17日台命を受け蓮馨寺に住す。1802年(享和2年)3月21日大光院に転じ、1808年(文化5年)4月24日光明寺80世。1813年(文化10年)10月1日増上寺56世に就任し大僧正に任。1818年(文政1年)11月発病(文化1年とあるのは誤り)。12月9日退任許可を得て翌日死去したとされるが実は12月1日死去。(三縁山志)
57 実海 ?-1820 神蓮社 騰誉 生実大巌寺、伝通院48世、大光院、増上寺57世を歴任。1820年(文政3年)死去。(三縁山志)
58 舜従 本蓮社 空誉 鴻巣勝願寺、大光院、鎌倉光明寺82世、増上寺58世。(三縁山志)
59 顕了 ?-1831 性蓮社 宝誉 1816年(文化13年)江戸崎大念寺、1820年(文政3年)10月、伝通院50世。増上寺59世、60世。増上寺在任中、香衣騒動。1831年(天保2年)死去。(三縁山志)
60 顕了 ?-1831 性蓮社 宝誉 再任。
61 念成 ?-1838 信蓮社 功誉 飯沼弘経寺、川越蓮馨寺。伝通院52世。増上寺61世。円蓮社とも。1838年(天保9年)死去。(三縁山志)
62 徳翁 ?-1841 光蓮社 明誉 飯沼弘経寺、生実大巌寺、伝通院53世。増上寺62世。1841年(天保12年)死去。(三縁山志)
63 巨東 1782-1842 1840- 到蓮社 瑞誉 近江国野洲郡出身。品川氏。1825年(文政8年)8月結城弘経寺。1832年(天保3年)8月、知恩寺57世。1840年(天保11年)増上寺63世。1842年(天保13年)7月20日(日本人名大辞典では8月9日)死去。61歳。(三縁山志)
64 密賢 ?-1844 海蓮社 梵誉 瓜連常福寺、滝山大善寺、伝通院55世。増上寺64世。1844年(弘化1年)死去。(三縁山志)
65 智典 ?-1863 憲蓮社 章誉 飯沼弘経寺、川越蓮馨寺、鎌倉光明寺89世。増上寺65世。1863年(文久3年)死去。「知典」。(三縁山志)
66 慧厳 1794-1861 1851-1860 甲蓮社 冠誉 瓜連常福寺、滝山大善寺、鎌倉光明寺91世。1851年(嘉永4年)3月26日、増上寺66世。1860年(万延1年)12月10日、退任。1861年(文久1年)1月18日死去。68歳。(大谷旭雄「『蓮門六時勤行式』の編者観随」ほか)
67 教音 開蓮社 闡誉 大光院、鎌倉光明寺93世。増上寺67世。(三縁山志)
68 明賢 正蓮社 等誉 大光院、川越蓮馨寺、鎌倉光明寺95世。増上寺68世。(三縁山志)
69 石井大宣 1802-1884 1872-1879 恭蓮社 温誉 良阿 信濃国上水内郡の出身。松代藩士の小山祐治の次男。1802年(享和2年)生(1804年(文化1年)7月17日とも)。1845年(弘化2年)10月3日、霊巌寺29世。紫衣。1858年(安政5年)10月、伝通院に住す。1863年(文久3年)7月12日、故あって退任するが、1871年(明治4年)6月、再び伝通院61世に住す。1872年(明治5年)6月22日教導職大講義となる。同年8月24日、増上寺69世。1873年(明治6年)、大教院の設置で増上寺本堂が召し上げとなる。1月28日権少教正。2月20日、権中教正。10月17日権大教正。1877年(明治10年)12月5日、大教正。1878年(明治11年)3月、浄土宗が東西両部制を採用するにあたり東部管長。1879年(明治12年)5月8日、増上寺を退任。1884年(明治17年)1月29日死去。83歳(81歳とも)。(大橋俊雄「高僧伝 石井大宣」、日本人名大辞典)
70 福田行誡 1809-1888 1879-1886 建蓮社 立誉 晋阿 武蔵国出身。1809年(文化6年)4月9日生。1866年(慶応2年)両国回向院住職。大教院教頭。伝通院。1879年(明治12年)増上寺70世。教導職大教正。1886年(明治19年)3月隠退して本誓寺に住す。1887年(明治20年)4月知恩院76世(増上寺から知恩院に出世する初例)。1888年(明治21年)4月25日死去。80歳。(日本人名大辞典、『行誡上人全集』略伝)
71 日野霊瑞 1818-1896 1886-1887 麟蓮社 鳳誉 亀阿 信濃国出身。丸山氏。公卿日野資愛の養子。1818年(文政1年)8月10日生。大光院。1886年(明治19年)増上寺71世。1887年(明治20年)、五本山の住職で一斉に辞任。のち再任して増上寺73世。1888年(明治21年)知恩院77世。1896年(明治29年)5月3日死去。79歳。(日本人名大辞典)
72 吉水玄信 1829-1887 1887-1887 香蓮社 馨誉 柔阿 信濃国出身。丸田氏。1829年(文政12年)9月17日生。1875年(明治8年)鎌倉光明寺。1887年(明治20年)浄土宗管長事務取扱。同年5月、増上寺72世。同年7月17日死去。59歳。(日本人名大辞典)
73 日野霊瑞 1818-1896 麟蓮社 鳳誉 亀阿 再任。
74 秦義応 1834-1890 感蓮社 交誉 道阿 1834年(天保5年)生。天徳寺住職。臨時宗務取扱。浄土宗執綱。増上寺74世。1890年(明治23年)死去。
75 野上運海 1829-1904 1891-1896 到蓮社 竟誉 任阿 播磨国赤穂の出身。1829年(文政12年)3月11日生。寛永寺浄明律院の慧澄にも学ぶ。1859年(安政6年)西久保大養寺住職。1867年(慶応3年)、兄の野上鹿之助が暗殺される。1872年(明治5年)周防国柳井の瑞相寺住職。1890年(明治23年)浄土宗学本校専門科教授。1891年(明治24年)7月、増上寺75世。浄土宗学本校校長。1896年(明治29年)8月、知恩院78世。1902年(明治35年)4月、隠退して京都上善寺に住す。1904年(明治37年)12月21日死去。76歳。(大橋俊雄「近代高僧伝 野上運海」、日本人名大辞典)
76 山下現有 1832-1934 1897-1902 謙蓮社 孝誉 真善妙阿 尾張国赤見村出身。1832年(天保3年)8月29日生(28日とも)。1870年(明治3年)3月、山口善性寺に山口講学場を開設。1874年(明治7年)幡随院、1879年(明治12年)6月、津島円成寺。1887年(明治20年)、五本山住職の一斉辞任騒動を受け、再三固辞するが内務大臣の特命で知恩寺62世に就任。しかし、知恩寺を抜け出し北野転法輪寺に住す。1897年(明治30年)6月、増上寺76世。立候補もなしに選挙で選ばれ、辞退しようとするが、当局に見つかり、強引に晋山式を決行されてしまったという。1902年(明治35年)5月、知恩院79世。一時、増上寺78世を兼務。知恩院阿弥陀堂を再建。華頂婦人会設立。1931年(昭和6年)7月1日、100歳の記念に別時念仏浄業会を7日間行う。1934年(昭和9年)4月11日死去。103歳。関通を信奉した。大日比西円寺にも住す。(大橋俊雄「近代高僧伝 山下現有伝」、20世紀日本人名事典)
77 堀尾貫務 1828-1921 1902-1921 綜蓮社 安誉 住阿 尾張国出身。名古屋藩士の堀尾三右衛門の長男。1867年(慶応3年)12月、尾張高岳院に住す。1828年(文政11年)1月7日生。1881年(明治14年)(1883年(明治16年)5月とも)清浄華院64世。1884年(明治17年)8月の東西両部制廃止を巡る混乱に際し退任。二条正念寺に住す。1890年(明治23年)7月、知恩寺63世。浄土宗専門学院院長。1891年(明治24年)1月、浄土宗布教会会長。1899年(明治32年)9月、大韓帝国皇帝に謁見して布教許可を得る。1902年(明治35年)6月、増上寺77世。本堂再建に尽力。上棟式を挙げた直後の1921年(大正10年)4月25日に死去。94歳。浄真寺に埋葬され、以後、増上寺別院として歴代墓地となった。(大橋俊雄「近代高僧伝 堀尾貫務」、20世紀日本人名事典、日本人名大辞典)
78 山下現有 1832-1934 謙蓮社 孝誉 真善妙阿 再任。
79 道重信教 1856-1934 1923-1934 浄蓮社 澄誉 忍阿 長門国厚狭郡宇部出身。1856年(安政3年)3月4日生。山口講習所、浄土宗大教院で学ぶ。1892年(明治25年)浄土宗学本校教授。1913年(大正2年)浄土宗朝鮮開教総長。1923年(大正12年)6月、増上寺79世。関東大震災に直面。震災三回忌で自ら飛行機に乗り、空中から15万枚の散華を撒いたという(初めて飛行機に乗った日本の僧侶?)。1930年(昭和5年)満州巡教。1934年(昭和9年)1月29日死去。79歳。(大橋俊雄「高僧伝 道重信教」、20世紀日本人名事典、日本人名大辞典)
80 岩井智海 1863-1942 1934-1934 旭蓮社 願誉 無涯底阿 筑前国出身。安河内氏。1863年(文久3年)5月27日生。知恩院大学林,上野音楽学校で学ぶ。1898年(明治31年)大阿弥陀経寺住職。1926年(昭和1年)知恩院執事長。1932年(昭和7年)清浄華院72世。1934年(昭和9年)4月増上寺80世。同年10月、知恩院80世。1937年(昭和12年)退任。バイオリン奏者。作詞作曲も行った。1942年(昭和17年)5月24日死去。80歳。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典)
81 大島徹水 1871-1945 1934-1945 広蓮社 清誉 真阿 愛知県知多郡横根村の出身。1871年(明治4年)3月15日生。浄土律の貞照院で出家。浄土宗専門学校卒。1904年(明治37年)浄土宗第五教校教授兼幹事。1911年(明治44年)京都成等院に住し復興。1930年(昭和5年)家政女学校(現京都文教学園)校長。近江・阿弥陀寺浄厳院を歴任し、1934年(昭和9年)12月、増上寺81世に就任。増上寺の借財問題を解決し、都の所有となっていた境内地の返還も実現した。持律の生活を保った。1945年(昭和20年)1月24日死去。75歳。(大橋俊雄「近代高僧伝 大島徹水」、20世紀日本人名事典、日本人名大辞典)
82 椎尾弁匡 1876-1971 1945- 順蓮社 性誉 随阿 愛知県春日井の真宗高田派円福寺の出身。1876年(明治9年)7月6日生。1898年(明治31年)浄土宗高等学院卒。東京帝国大学哲学科で姉崎正治に師事。阿含経典を研究し、近代仏教学の成立に関わる。1905年(明治38年)卒業して翌年浄土宗大学教授。1913年(大正2年)東海中学を設立し校長となる。1926年(昭和1年)大正大学設立と共に同大教授。1928年(昭和3年)衆議院議員。「共生」(ともいき)主義を掲げ、1935年(昭和10年)共生会を設立。1936年(昭和11年)大正大学学長。清浄華院75世。1945年(昭和20年)増上寺82世。1971年(昭和46年)4月7日死去。94歳。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典、日本大百科全書)
83 大野法道 1883-1985 増上寺83世。
84 藤井実応 1898-1992 明誉 増上寺84世。知恩院86世。
85 中村康隆 1906-2008 増上寺85世。知恩院87世。
86 藤堂恭俊 1918-2000 1993-2000 和歌山県田辺市出身。1918年(大正7年)生。1944年(昭和19年)大正大学大学院研究科修了。1993年(平成5年)増上寺86世。2000年(平成12年)死去。
87 成田有恒 1921-2008 2001-2008 天蓮社 超誉 英阿 東京の大吉寺出身。1921年(大正10年)10月6日生。大正大学卒。1991年(平成3年)浄土宗宗務総長。2001年(平成13年)増上寺87世。小説家の「寺内大吉」として知られる。2008年(平成20年)9月6日死去。86歳。(日本人名大辞典)
88 八木季生 1929- 2008- 増上寺88世。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール