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伝通院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年9月7日 (土)

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伝通院(でんづういん)は、東京都文京区小石川にある、徳川家ゆかりの浄土宗寺院。浄土宗知恩院派関東十八檀林の一つ。徳川家康の生母伝通院殿が眠る。小石川伝通院。山号は無量山。

目次

歴史

  • 1415年、増上寺開山の酉誉聖聡(1366-1440)が師の了誉聖冏(1341-1420)を招いて開創し、寿経寺と称した。簸川神社の傍らにあったというが同神社も移転しているため正確な旧地は不明。一説に宗慶寺が跡地ともいう。
  • 1602年、徳川家康の母のお大の方(伝通院)が死去するとその菩提寺として定められ、京都から遺骸が運ばれ埋葬された。1608年、徳川家によって伽藍が整備された。300石寄進。のち830石。
  • 正誉廓山(1572-1625)が3000人の所化(修行僧)を連れて入山した。檀林寺院に定められた。
  • 1615年に常紫衣の綸旨を得た。
  • 1869年、明治天皇勅願所となった。
  • 1945年、戦災で伽藍焼失。戦後復興。
関東十八檀林
増上寺 小石川伝通院 深川霊巌寺 本所霊山寺 下谷幡随院 瀧山大善寺 川越蓮馨寺 鴻巣勝願寺 岩槻浄国寺
鎌倉光明寺 結城弘経寺 飯沼弘経寺 瓜連常福寺 江戸崎大念寺 小金東漸寺 生実大巌寺 新田大光院 館林善導寺
  • 順序は仮

子院

  • 福聚院:現存。
  • 慈眼院:現存。伝通院鎮守の沢蔵司稲荷がある。
  • 善光寺:現存。縁受院
  • 真珠院:現存。
  • 処静院:跡地に石碑。
  • 見樹院:現存。
  • 法蔵院:現存。
  • 光雲寺:現存。
  • 昌林院:
  • 瑞真院:
  • 浄台院:
  • 景久院:
  • 歓喜院:名古屋に移転して大森寺となる。
  • 智香寺:?
  • 光岳寺:
  • 小石川談所:伝通院の前身。
  • 宗慶寺:子院ではないが伝通院の旧地という。

組織

歴代住職

  • 『浄源脈譜』「伝通院」[1]
  • ウェブサイト[2]
  • 『伝通院誌』「歴代山主」[3]
  • 『小石川伝通院志』「歴代山主」[4]
  • 現在は貫主と称する。
  • 開山:了誉聖冏(1341-1420)<>:
  • 1:正誉廓山(1572-1625)<>:中興。増上寺13世。1625年(寛永2年)死去。定蓮社正誉廓山。
  • 2:定誉随波(1563-1635)<>:増上寺18世。1635年(寛永12年)死去。了蓮社定誉随波。
  • 3:登誉知童(?-1639)<>:増上寺19世。1639年(寛永16年)死去。天蓮社登誉知童。
  • 4:叡誉聞悦(?-1645)<>:1645年(正保2年)死去。登蓮社叡誉聞悦。
  • 5:暁誉位産(1587-1652)<>:増上寺22世。1652年(承応1年)死去。「定誉随波」とするのは誤りか。。
  • 6:直誉廊円(?-1651)<>:1651年(慶安4年)死去。心蓮社直誉廊円。
  • 7:遵誉貴屋(?-1660)<>:増上寺23世。1660年(万治3年)死去。森蓮社遵誉貴屋。
  • 8:頓誉智哲(?-1669)<>:増上寺25世。1669年(寛文9年)死去。乗蓮社頓誉智哲。
  • 9:真誉相閑(?-1683)<>:高松・法然寺開山。1683年(天和3年)死去。源蓮社真誉相閑。
  • 10:信誉巌宿(?-1687)<>:増上寺29世。1687年(貞享4年)死去。涼蓮社信誉厳宿。厳宿。
  • 11:念誉林冏(?-1680)<>:1680年(延宝8年)死去。信蓮社念誉林冏。
  • 12:専誉春岳(?-1686)<>:1686年(貞享3年)死去。念蓮社専誉春岳。
  • 13:貞誉了也(?-1708)<>:増上寺32世。1708年(宝永5年)死去。念蓮社貞誉了也。
  • 14:白誉秀道(?-1707)<>:知恩院42世。1707年(宝永4年)死去。本蓮社白誉秀道。
  • 15:光誉慈雲(?-1701)<>:1701年(元禄14年)死去。本蓮社光誉慈雲。
  • 16:湛誉門秀(?-1720)<>:増上寺35世。1720年(享保5年)死去。黙蓮社湛誉門秀。門周。
  • 17:顕誉祐天(1637-1718)<>:増上寺36世。1718年(享保3年)死去。明蓮社顕誉祐天。
  • 18:覚誉意哲(?-1712)<>:1712年(正徳2年)死去。王蓮社覚誉意哲。
  • 19:称誉耕意(?-1715)<>:1715年(正徳5年)死去。揚蓮社称誉耕意。
  • 20:黙誉沢春(?-1718)<>:知恩院45世。1718年(享保3年)死去。本蓮社黙誉澤春。
  • 21:然誉了鑑(?-1727)<>:知恩院46世。1727年(享保12年)死去。任蓮社然誉了鑑。
  • 22:遣誉正真(?-1721)<>:1721年(享保6年)死去。迎蓮社遣誉正真。
  • 23:照誉見超(?-1732)<>:知恩院47世。1732年(享保17年)死去。真蓮社照誉見超。
  • 24:堅誉往的(?-1738)<>:知恩院48世。1738年(元文3年)死去。正蓮社堅誉往的。
  • 25:通誉頓秀(?-1739)<>:増上寺41世。1739年(元文4年)死去。傳蓮社通誉頓秀。
  • 26:馨誉檀察(?-1738)<>:1738年(元文3年)死去。秀蓮社馨誉檀察。
  • 27:走誉連察(?-1755)<>:増上寺43世。1755年(宝暦5年)死去。人蓮社走誉連察。
  • 28:喚誉雲頂(?-1753)<>:知恩院51世。1753年(宝暦3年)死去。遣蓮社喚誉雲頂。
  • 29:成誉大玄(?-1756)<>:増上寺45世。1756年(宝暦6年)死去。速蓮社成誉大玄。
  • 30:妙誉定月(?-1771)<>:増上寺46世。1771年(明和8年)死去。観蓮社妙誉定月。
  • 31:曹誉沢真(?-1765)<>:知恩院54世。1765年(明和2年)死去。潤蓮社曹誉澤真。沢春?
  • 32:到誉仙雅(?-1763)<>:1763年(宝暦13年)死去。真蓮社到誉仙雅。
  • 33:歓誉耕秀(?-1772)<>:増上寺47世。1772年(明和9年)死去。心蓮社歓誉耕秀。
  • 34:明誉忍達(?-1773)<>:館林善導寺か。瓜連常福寺45世。瀧山大善寺25。1773年(安永2年)死去。了蓮社明誉忍達。『小石川伝通院志』では「有故除一代云」とあり、除歴されている。
  • 35:典誉智英(?-1773)<>:増上寺48世。1773年(安永2年)死去。到蓮社典誉智英。
  • 36:豊誉霊応(?-1777)<>:増上寺49世。1777年(安永6年)死去。安蓮社豊誉霊応。
  • 37:輪誉教運(?-1776)<>:1776年(安永5年)死去。宝蓮社輪誉教運。
  • 38:瑞誉単笛(?-1777)<>:1777年(安永6年)死去。光蓮社瑞誉単笛。
  • 39:海誉祐月(?-1784)<>:知恩院58世。1784年(天明4年)死去。深蓮社海誉祐月。
  • 40:遍誉在定(?-1781)<>:1781年(天明1年)死去。法蓮社遍誉在定。
  • 41:実誉興玄(?-1796)<>:知恩院59世。1796年(寛政8年)死去。誠蓮社實誉興玄。
  • 42:統誉円宣(?-1792)<>:増上寺52世。1792年(寛政4年)死去。広蓮社統誉円宣。
  • 43:利誉円徹(?-1790)<>:1790年(寛政2年)死去。龍蓮社利誉円徹。
  • 44:嶺誉智堂(?-1800)<>:増上寺53世。1800年(寛政12年)死去。燿蓮社嶺誉智堂。
  • 45:仰誉聖道(?-1801)<>:知恩院61世。1801年(享和1年)死去。信蓮社仰誉聖道。
  • 46:聖誉霊麟(?-1806)<>:知恩院62世。1806年(文化3年)死去。徳蓮社聖誉霊麟。
  • 47:君誉智厳(?-1809)<>:知恩院63世。1809年(文化6年)死去。愛蓮社君誉智厳。
  • 48:泰誉在心(?-1822)<>:知恩院64世。1822年(文政5年)死去。清蓮社泰誉在心。
  • 49:騰誉実海(?-1820)<>:増上寺57世。1820年(文政3年)死去。神蓮社騰誉実海。
  • 50:迎誉貞厳(?-1827)<>:知恩院65世。1827年(文政10年)死去。等蓮社迎誉貞厳。
  • 51:実誉顕了(?-1831)<>:増上寺59世。1831年(天保2年)死去。性蓮社実誉顕了。
  • 52:速誉祐海(?-1827)<>:1827年(文政10年)死去。便蓮社速誉祐海。
  • 53:功誉念成(?-1838)<>:増上寺61世。1838年(天保9年)死去。円蓮社功誉念成。
  • 54:明誉徳翁(?-1841)<>:増上寺62世。1841年(天保12年)死去。光蓮社明誉徳翁。
  • 55:常誉念我(?-1837)<>:1837年(天保8年)死去。信蓮社常誉念我。
  • 56:梵誉密賢(?-1844)<>:増上寺64世。 1844年(天保15年)死去。海蓮社梵誉密賢。
  • 57:寂誉大円(?-1849)<>:1849年(嘉永2年)死去。照蓮社寂誉大円。
  • 58:立誉玄順(1789-1859)<>:1859年(安政6年)死去。法蓮社立誉玄順。
  • 59:温誉大宣(1802-1884)<>:石井大宣。増上寺69世。1884年(明治17年)死去。恭蓮社温誉大宣。
  • 60:随誉俊光(?-1874)<>:漆間俊光。1871年(明治4年)7月19日、知恩院74世。1874年(明治7年)死去。天蓮社随誉俊光。
  • 61:温誉大宣(1802-1884)<>:石井大宣。1872年(明治5年)8月24日、増上寺。1884年(明治17年)死去。恭蓮社温誉大宣。
  • 62:順誉徹定(1814-1891)<>:養鵜徹定。知恩院75世。1891年(明治24年)死去。随蓮社順誉徹定。
  • 63:竜誉泰獄(?-1876)<>:1876年(明治9年)死去。昇蓮社龍誉泰獄。
  • 64:立誉行誠(1809-1888)<>:福田行誡。知恩院76世。増上寺70世。1888年(明治21年)死去。建蓮社立誉行誠。
  • 65:導誉良胤(1815-1883)<>:大谷良胤。1883年(明治16年)10月2日死去。69歳。開蓮社導誉檀良胤。
  • 66:観誉泰成(1823-1895)<>:松濤泰成。自坊は芝宝松院。1883年(明治16年)12月18日、伝通院住職。1895年(明治28年)死去。妙蓮社観誉泰成。
  • 67:民誉良祐(1825-1894)<>:吉水良祐。1894年(明治27年)死去。仁蓮社民誉良祐。
  • 68:厚誉了寛(1829-1898)<>:久保了寛。清浄華院67世。1898年(明治31年)死去。信蓮社厚誉忠阿了寛。
  • 69:厳誉義城(1848-1921)<>:勤息義城。1921年(大正10年)死去。荘蓮社厳誉義城。
  • 70:方誉俊冏(1852-1933)<>:野沢俊冏。1933年(昭和8年)死去。大蓮社方誉広阿俊冏。
  • 71:撤誉玄俊(?-1943)<>:木村玄俊。1943年(昭和18年)死去。明蓮社撤譽玄俊。
  • 72:諦誉虎寛(?-1944)<>:布施虎寛。1944年(昭和19年)死去。正蓮社諦譽虎寛。
  • 73:法誉隆弘(?-1975)<>:大河内隆弘。1975年(昭和50年)死去。一蓮社法誉隆弘。
  • 74:謙誉俊善(?-1997)<>:鈴木俊善。1997年(平成9年)死去。恭蓮社謙誉俊善。
  • 75:教誉哲雄(?-2002)<>:吉川哲雄。2002年(平成14年)死去。順蓮社教誉哲雄。
  • 76:光誉正俊(?-2011)<>:木村正俊。2011年(平成23年)死去。昭蓮社光誉正俊。
  • 77:道誉諦善()<>:麻生諦善。淑徳学園理事長。成蓮社道誉諦善。

資料

  • 『古事類苑』「伝通院」[5]
  • 宇高良哲1998「伝通院の成立」『近世関東仏教教団の研究 : 特に浄土宗・真言宗・天台宗を中心に』[6]
  • 『小石川伝通院志』[7]
  • 『伝通院誌』[8]
  • 1991『伝通院略誌改訂』
  • 宇高良哲 2001『於大の方と伝通院』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%9D%E9%80%9A%E9%99%A2」より作成

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