ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
青蓮院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月14日 (日)
(青蓮院門跡から転送)
青蓮院(しょうれんいん)は、京都府京都市東山区粟田口三条坊町にある、天台宗の門跡寺院。本尊は熾盛光如来。妙法院門跡、三千院門跡と共に比叡山三門跡の一つ。天台宗延暦寺派門跡寺。最澄が東塔南谷に建てた青蓮坊が起源という。浄土真宗開祖親鸞との関係が深く、植髪堂がある。本願寺は元々は青蓮院の末寺であった。鞍馬寺や多武峰寺も支配。また盲僧を管轄した。内侍所東幸旧跡。
青蓮院門跡の三院家として十楽院、延暦寺妙香院、延暦寺大乗院があった。十楽院は青蓮院より先にこの地にあったが、青蓮院に合併した。花園天皇十楽院上陵として名前を残す。妙香院は比叡山飯室谷にあった。大乗院は無動寺谷にあり、親鸞の修行地である。山腹に京都・尊勝院、青不動を祀る青龍殿がある。鎮守は粟田神社。西山善峰寺が隠居所。青蓮院宮西山墓地、青蓮院宮上ノ墓地、青蓮院宮下ノ墓地。粟田御所。青蓮院門跡。
目次 |
歴史
組織
住職
- 世数は『華頂要略』に基づく。
- 「望月」は『望月仏教大辞典』の世数(掲載順から数えたもの)。「仏家」は『日本仏家人名辞書』の世数(掲載順から数えたもの)。
- 「華頂要略」は『大日本仏教全書』収録本(国立国会図書館デジコレ)へのリンク
- 三津玄深以降は不詳。
- 未見:「青蓮院別伝」:『柳原家記録』所収[1]。
- 未見:「青蓮院門跡系譜」『続群書類従』96[2]
- 未見:「青蓮院系図」『諸門跡承伝系図』[3]
- 未見:「諸門跡伝―円融坊・青蓮院・妙法院」『華頂要略』141[4]
世代 | 僧名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 | 仏家 | 望月 | 華頂要略 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
(最澄) | 767-822 | 天台宗開祖。 | 1 | 1 | |||
(円仁) | 794-864 | 天台座主。 | 2 | 2 | |||
(安恵) | 795-868 | 最澄、円仁の弟子。天台座主4世。 | 3 | 3 | |||
(相応) | 831-918 | 円仁の弟子。無動寺、葛川明王院を開く。 | 4 | 4 | |||
(喜慶) | 天台座主。 | 5 | なし | ||||
(暹〓) | 6 | 5 | |||||
(慶円) | 944-1019 | 天台座主。 | 7 | なし | |||
(慶命) | 965-1038 | 天台座主。 | 8 | 6 | |||
(慶範) | 997-1061 | 法性寺座主、平等院別当。 | 9 | 7 | |||
(広算) | 10 | 8 | |||||
(寛慶) | ?-1123 | 法性寺座主。天台座主。 | 11 | 9 | |||
1 | 行玄 | 1097-1155 | 藤原師実の子。青蓮院初代。住房が鳥羽天皇皇后美福門院の御願寺となった。 | 12 | 10 | 巻4[5] | |
2 | 覚快法親王 | 1134-1181 | 鳥羽天皇第七皇子。行玄の弟子。法性寺座主。無動寺検校。天台座主。 | 13 | 11 | 巻4[6] | |
付弟 | (真誉法親王) | 1136-? | 鳥羽天皇第八皇子。19歳で大宰府郊外の筑前国御笠郡小野郷(宝満山の麓)に隠棲。智光寺にいたという。翌年消息を絶つ。真誉親王墓が宝満山麓にある。 | 14 | なし | ||
3 | 慈円 | 1155-1225 | 関白藤原忠通の子。九条兼実の弟。天台座主。無動寺検校。四天王寺別当。 | 15 | 12 | 巻4[7] | |
付弟 | (良尋) | 16 | なし | ||||
付弟 | (真性) | 17 | なし | ||||
4 | 良快 | 1185-1242 | 九条兼実の子。天台座主。四天王寺別当。 | 18 | 13 | 巻5[8] | |
付弟 | (慈賢) | 1175-1241 | 法性寺座主。天台座主。 | 19 | なし | ||
5 | 慈源 | 九条道家の子。 | 20 | 14 | 巻5[9] | ||
6 | 道覚法親王 | 1204-1250 | 後鳥羽天皇皇子。天台座主。西山宮と称す。 | 21 | 15 | 巻5[10] | |
7 | 最守 | 1224-1256 | 藤原基房の子。延暦寺宝幢院院主。 | 22 | 16 | 巻5[11] | |
付弟 | (慈慶) | なし | なし | ||||
8 | 尊助法親王 | 1217-1290 | 土御門天皇皇子。妙法院のち青蓮院に入る。天台座主。無動寺三昧院検校。 | 23 | 17 | 巻6[12] | |
9 | 慈禅 | 天台座主。 | 24 | 18 | 巻6[13] | ||
10 | 道玄 | 1237-1304 | 1269- | 二条良実の子。1269年(文永6年)青蓮院門跡。天台座主。 | 25 | 19 | 巻6[14] |
11 | 慈実 | 1238-1300 | 九条道家の子。慈源の弟。法性寺座主。天台座主。四天王寺別当。 | 26 | 20 | 巻6[15] | |
付弟 | (慈忠) | なし | なし | ||||
12 | 慈助法親王 | 1254-1295 | 後嵯峨天皇皇子。尊助法親王の弟子。天台座主。 | 27 | 21 | 巻7[16] | |
13 | 慈玄 | 1270-1301 | 一条実経の子。法性寺座主。 | 28 | 22 | 巻7[17] | |
14 | 慈深 | 31 | 25 | 巻7[18] | |||
15 | 良助法親王 | 1268-1318 | 亀山天皇皇子。尊助法親王の弟子。天台座主。冬野墓。 | 29 | 23 | 巻7[19] | |
16 | 慈道法親王 | 1282-1341 | 亀山天皇皇子。法性寺座主。天台座主。四天王寺別当。 | 32 | 24 | 巻7[20] | |
付弟 | (祐助法親王) | 1302-1359 | 後二条天皇皇子。天台座主。 | 30 | 29 | ||
付弟 | (行円法親王) | 生没年不詳 | 亀山天皇皇子。良助法親王の弟子。十楽院に住す。 | 33 | なし | ||
付弟 | (道澄法親王) | 生没年不詳 | 亀山天皇皇子。慈道法親王の弟子。法性寺座主。十楽院。 | なし | なし | ||
付弟 | (道煕法親王) | 1308-? | 伏見天皇第七皇子。十楽院に住す。 | 34 | なし | ||
17 | 尊円法親王 | 1298-1356 | 伏見天皇皇子。天台座主。能書家で書道青蓮院流の始祖。 | 35 | 26 | 巻8[21] | |
付弟 | (尊実法親王) | 1314-? | 後伏見天皇の第五皇子。妙香院に住す。慈真とも称す。 | 36 | 27 | ||
? | (祐助) | 37 | なし | ||||
18 | 尊道法親王 | 1332-1403 | 後伏見天皇皇子。天台座主。 | 38 | 28 | 巻9[22] | |
付弟 | (慈済) | 39 | なし | ||||
付弟 | (聖助法親王) | 生没年不詳 | 後光厳天皇皇子。 | なし | なし | ||
付弟 | (尊満) | 1381-1403 | 足利義満の三男。法性寺座主。 | 40 | なし | ||
19 | 道円法親王 | 1364-1385 | 後光厳天皇皇子。無動寺三昧院検校。天台座主。 | 41 | 30 | 巻10[23] | |
20 | 義円(足利義教) | 1394-1441 | 第6代将軍。足利義満の子。天台座主。 | 42 | 31 | 巻10[24] | |
21 | 義快 | 43 | なし | 巻10[25] | |||
22 | 尊応 | 1432-1514 | 44 | 32 | 巻11[26] | ||
付弟 | (尊伝法親王) | 1472-1504 | 後土御門天皇皇子。墓所は般舟院陵内。 | 45 | 33 | ||
23 | 尊鎮法親王 | 1504-1550 | 後柏原天皇皇子。知恩院と知恩寺の本末争いに関わる。天台座主。 | 46 | 34 | 巻12[27] | |
付弟 | (童形宮) | なし | なし | ||||
24 | 尊朝法親王 | 1552-1597 | 伏見宮邦輔親王王子。四天王寺別当。天台座主。尊朝流書道を開く。龍池院。 | 47 | 35 | 巻13[28] | |
25 | 尊純法親王 | 1591-1653 | 伏見宮出身の梶井宮応胤法親王の王子。天台座主。 | 48 | 36 | 巻14[29] | |
付弟? | (尊敬法親王) | 1634-1680 | 輪王寺宮初代。守澄法親王と改名。天台座主。 | 49 | なし | ||
26 | 尊証法親王 | 1651-1694 | 後水尾天皇皇子。天台座主。後桂蓮院。 | 50 | 37 | 巻15[30] | |
付弟? | (日出宮) | 51 | 38 | ||||
27 | 尊祐法親王 | 1697-1747 | 伏見宮邦永親王王子。天台座主。蓮華寿院。 | 52 | 39 | 巻16-17[31] | |
28 | 尊映法親王 | 1748-1793 | 桂宮家仁親王王子。尊英法親王。一乗院門跡に移り、院主39世となる。興福寺別当229世。一乗院宮喜光寺墓地。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照) | 53 | 40 | 巻18[32] | |
29 | 尊真法親王 | 1744-1824 | 伏見宮貞建親王王子。一乗院門跡38世を継ぐ予定だったが、青蓮院に移る。天台座主。施無畏王院。 | 54 | 41 | 巻19-29[33][34] | |
30 | 尊宝法親王 | 1804-1832 | 伏見宮貞敬親王王子。天台座主。 | 55 | 42 | 巻30-31[35] | |
〓宮(サンズイ+吉) | 56 | 43 | |||||
尊融法親王 (久邇宮朝彦親王) | 1824-1891 | 伏見宮邦家親王の第4王子。尊応法親王と称し、一乗院門跡43世。興福寺別当235世。天台宗に転じて尊融法親王。青蓮院門跡。天台座主。還俗して久邇宮朝彦親王。神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。(略歴は、伊勢神宮#組織を参照) | 57 | 44 | |||
吉水覚昌 | 58 | 45 | |||||
三津玄深 | 1888- | 1888年(明治21年)青蓮院門跡。天台座主241世。 | 59 | 46 | |||
今出川円俊 | 1872-1935 | 1872年(明治5年)生。1928年(昭和3年)時点で青蓮院門跡。1931年(昭和6年)11月5日探題。1935年(昭和10年)7月21日死去。64歳。 | |||||
赤松円麟 | ?-1937 | 1935-1937 | 自坊は延暦寺金台院。延暦寺執行。滋賀院門跡から1935年(昭和10年)10月10日、青蓮院門跡に転任。1936年(昭和11年)9月21日、已講。1937年(昭和12年)5月21日死去。 | ||||
中村勝契 | 1855-1927 | 天台座主。 | |||||
田村徳海 | 1873-1951 | 四天王寺住職。(略歴は、四天王寺#組織を参照) | |||||
太田深澄 | 1871-1953 | 1946-1953 | 毘沙門堂門跡門主。近江・西明寺住職。1946年(昭和21年)3月26日、青蓮院門跡[36]。1953年(昭和28年)3月24日死去[37]。82歳。(略歴は、毘沙門堂#組織を参照) | ||||
東伏見慈洽 | 1910-2014 | 1953-2004 | 久邇宮邦彦王の三男。邦英王。1910年(明治43年)生。東伏見宮家との縁が非常に深かったため、その家名と祭祀を継承するために華族に臣籍降下。伯爵。東伏見邦英と名乗る。1945年(昭和20年)、天台宗で出家。東伏見慈洽と改名。1952年(昭和27年)、善光寺大勧進住職。1953年(昭和28年)4月26日大勧進辞職して、6月15日青蓮院門跡門主。2014年1月1日死去。103歳。 | ||||
東伏見慈晃 | 1942- | 2004- | 東伏見慈洽の次男。1942年(昭和17年)生。学習院高等科から中央大学。49世を名乗る。 |
伽藍
- 宸殿:歴代門主と有縁の天皇の位牌を祀る。
- 本堂:本尊は熾盛光如来。青不動も祀る。熾盛光堂。現在の堂宇は清水寺竹林院から移築したもの
- 華頂殿:客殿
- 小御所
- 植髪堂:本尊は親鸞
- 聖天堂:本尊は聖天。2021年4月15日再建。
- 日吉社:
- 青龍殿:
- 粟田神社:
- 青蓮院宮西山墓地
- 青蓮院宮上ノ墓地
- 青蓮院宮下ノ墓地
子院
院家
- 本覚院:脇門跡。青蓮院門跡の配下に本覚院門跡があったことは史料に登場するが、詳細不明。妙法院の前身である本覚院との関係も不詳。
- 浄土寺:脇門跡。京都府京都市左京区銀閣寺町。廃絶。左京・浄土院が後身という。
- 寂場院:脇門跡。寂場坊。比叡山延暦寺横川地区解脱谷。京都東山に里坊があったか。
- 般若院:脇門跡。裏築地門跡(?)1371年(建徳2年/応安4年)、仰木荘をめぐり妙法院門跡の衆徒に討たれた(祇園執行日記)。
- 実乗院:脇門跡。岡崎門跡。京都岡崎。
- 曼殊院:脇門跡。竹内門跡。京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町。
- 西本願寺:外様院家。京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル。
- 東本願寺:外様院家。京都府京都市下京区常葉町。
- 毫摂寺:外様院家・諸院家。福井県越前市清水頭町。
- 定法寺:院家。京都府京都市東山区定法寺町。廃絶。
- 安居院:院家。京都府京都市上京区新ン町。廃絶。
- 聖光院:院家。のち専修寺3世となる顕智や常楽寺3世となる光覚が住したという(国史大辞典、日本歴史地名大系)。
- 知恩院:院家。智恩院。
- 尊勝院:院家。京都府京都市東山区粟田口。
- 東南院:院家。
- 真珠院:院家。
- 常楽院:院家。東塔南谷にあった?
- 上乗院:院家。京都府京都市東山区粟田口三条坊町。廃絶。跡地不詳。上坊。上之坊。院号は真正極楽寺が継承するともいう(華頂要略)。
- 依正院:院家。
- 蓮実院:諸院家。
- 功徳院:諸院家。
- 法輪院:諸院家。横川解脱谷。
- 石泉院:諸院家。東塔にあった。京都府京都市東山区石泉院町に里坊があった。文永年間に承源が創建。応仁の乱で廃絶。京都市上京区前之町にも同名寺院があったらしい。(日本歴史地名大系)
- 真性院:諸院家。心性院とも
- 妙観院:諸院家。西塔東谷にあった?京都府京都市上京区柳図子町にあった妙観院か。
- 明応院:諸院家。明王院とも。
- 報恩院:諸院家。
- 南光院:諸院家。
- 禅明院:諸院家。
- 照泉院:諸院家。松泉院とも。
- 蓮泉院:諸院家。
- 智楽院:諸院家。
- 蓮門院:諸院家。
- 仏心院:諸院家。
- 十乗院:諸院家。京都府京都市東山区粟田口三条坊町。江戸時代には愛宕山大善院が兼務。廃絶。
- 密乗院:諸院家。蜜乗院。
- 無量寿院:諸院家。
- 妙解院:諸院家。
- 金剛寿院:諸院家。東塔東谷?
- 宝光院:諸院家。
- 宝光明院:諸院家。
- 不動院:諸院家。東塔北谷?
- 三光院:諸院家。
- 阿〓院:諸院家。
- 東福院:諸院家。
- 徳寿院:諸院家。
- 詮量院:諸院家。
- 蓮光院:諸院家。
- 真理院:
その他・末寺
- 東山・金蔵寺:京都府京都市東山区粟田口三条坊町。本尊は地蔵菩薩。廃絶。
- 延暦寺妙香院:滋賀県大津市。
- 延暦寺大乗院:滋賀県大津市。
- 能福寺:兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町。
- 神通院:気比神宮の神宮寺。青蓮院末。気比神宮社務職は青蓮院門跡の兼務だった。
資料
古典籍
- 『華頂要略』:青蓮院の寺史。1803年編。その後も幕末まで追補された。
- 1999『青蓮院門跡吉水蔵聖教目録』