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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

清水寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月25日 (日)

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清水寺
きよみずでら
概要
奉斎 十一面千手千眼観音
所在地 京都府京都市東山区清水1
所在地(旧国郡) 山城国愛宕郡
所属(現在) 北法相宗
格式など 北法相宗大本山
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目次

概要

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区(山城国愛宕郡八坂郷)にある、清水観音信仰南都仏教寺院。本尊は十一面千手観音西国三十三所観音霊場第16番札所で、日本を代表する観音霊場の一つ。全国に同名の寺院がある。有名な「清水の舞台」も観音は崖上に現れるという信仰の表現である。延鎮が坂上田村麻呂を開基として創建。坂上氏の氏寺という説もある。平安時代末から興福寺末となり、一乗院門跡が清水寺別当を兼ねた。そのため興福寺と対立した延暦寺やその末寺の感神院とたびたび戦火を交えた。応仁の乱で焼失。願阿弥という時宗僧の勧進で文明16年に再建。現在の本堂は寛永10年(1633)の再建。幕末には本坊成就院住職だった月照が勤皇僧として活躍した。戦後、大西良慶が独立教団を立て、北法相宗大本山と称す。阿弥陀堂法然が常行念仏の道場とした旧跡と伝え、法然上人二十五霊場の第13番札所。境内にある奥院とは別に山科に奥院と伝わる法厳寺がある。鎮守は地主神社。北に八坂神社が近く、南に大谷本廟(西大谷)が接する。清水観音。南観音寺と呼ばれる子島寺に対して北観音寺とも。山号は音羽山。(参考:同名寺院清水寺 (同名)

歴史

縁起

『扶桑略記』や『今昔物語集』によると、宝亀9年4月、延鎮(当時は賢心と名乗る)が夢告を得て北に向かうと、一筋の金色の水が流れているのを見つけた。水源を訪ねると、滝の傍に草庵があり、行叡という行者に出会った。「お前を待っていた。ここにある木株で観音を造れ」と言い、姿を消した。後を追うと、山科のある峰に靴だけが落ちていて、行叡が観音の化身だと分かった。その後、坂上田村麻呂の支援で清水寺を創建した。

清水寺境内の奥院が行叡の草庵跡といい、山科区の法厳寺が行叡の靴を延鎮が発見した場所という。

古代

嘉保元年(1094)、興福寺隆禅が復興 興福寺の出張所のような存在となる。

中世

願阿弥が中興。

近世

近代

伽藍

伽藍

  • 本堂:本尊は十一面千手観音。脇侍として勝敵毘沙門天勝軍地蔵がある。三尊とも秘仏。その姿を見ることはできないが、一番上の脇手を頭上で組み、化仏を持つ清水式の形を御前立に見ることができる。
  • 朝倉堂:本尊は本堂と同じ。法華三昧堂。朝倉貞景の寄進で建立。
  • 開山堂:大本願の坂上田村麻呂夫妻、延鎮、行叡を祀る。田村堂とも。
  • 中興堂:大西良慶を祀る。
  • 春日社:法相宗の守護神春日神を祀る。
  • 随求堂:慈心院の本堂。本尊は大随求菩薩
  • 善光寺堂:地蔵院の本堂。本尊は地蔵菩薩如意輪観音善光寺如来も祀る。善光寺如来は、明治に合併した奥院の善光寺如来堂のもの。
  • 三重塔:本尊は大日如来
  • 経堂:本尊は釈迦三尊。経堂というが経典は現存しない。講堂。
  • 西門:日想観の聖地だったとみられている。
  • 地主神社:地主神。
  • 大講堂:仏舎利と仏足石を祀る。

奥院

  • 奥の院本堂:本尊は三面千手観音。脇侍として毘沙門天と地蔵を祀る。他に二十八部衆、風神雷神を祀る。音羽の滝の上にある。延鎮の草庵の跡という。本堂のミニ版の舞台造。本尊の三面千手観音坐像は本面の左右に大き目の脇面がある。別に頭上に二十四面がある。「奥の千手堂」
  • 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。法然が常行念仏の道場とした旧跡と伝え、法然上人二十五霊場の第13番札所。
  • 釈迦堂:
  • 音羽の滝:行叡が修行していた旧跡

その他

  • 子安塔:泰産寺の本堂に当たる。本尊は千手観音。
  • 経書堂:来迎院の本堂。本尊は聖徳太子。「きょうかくどう」。
  • 大日堂:真福寺の本堂。本尊は大日如来。

子院

諸役

  • 成就院:本願を務めた旧本坊。財政を司る。清水寺中興の願阿弥の住房が起源で元は本願院といった。中世、五条橋を管理していた。江戸時代中期以降は塔頭の輪番。現存。
  • 宝性院:執行を務めた塔頭。現存。
  • 慈心院:目代を務めた塔頭。本堂は随求堂。現存。足利将軍家と関係が深い。

六坊

  • 光乗坊:
  • 蓮養坊:寛永年間には廃絶か。
  • 義観坊:寛永年間には廃絶か。
  • 智文坊:
  • 義乗坊:
  • 真乗坊:織田信長によって廃絶。
  • 円養院:
  • 延命院:現存。

その他

  • 来迎院:本堂は経書堂。参道沿いの清水坂と三年坂が交わる場所にある。現存。耒迎院。
  • 地蔵院:本堂は善光寺堂。法人格はなし。
  • 泰産寺:子安塔を管理。現存。
  • 真福寺:本堂は大日堂。現存。

組織

清水寺別当

  • 報恩(?-795):延鎮の師。古代の備前などで活躍したとされる伝説的な僧侶。吉野で修行。報恩大師。報恩大師創建四十八寺が著名。
  • 延鎮(生没年不詳):開山。
  • 願預():
  • 安興():
  • 隆原():
  • 〓宗():
  • 寿曜():
  • 道歴?():
  • 興法():
  • 名誉():
  • 〓源():
  • 禅連?():
  • 真寵():
  • 長代():
  • 増延():
  • 康信():
  • 朝源():
  • 康尚():「康成」とも。
  • 定朝(?-1057):仏師。
  • 定源():
  • 定範():
  • 定俊():
  • 定深():祇園神人に危害を加える事件を起こす。
  • 勝快():
  • 永縁(1048-1125):興福寺別当31世。円勢就任に反発が起こったため就任。
  • 有禅():興福寺僧。
  • 無円():興福寺僧。
  • 長円(?-1150):天台系の仏師。円勢の子。大治4年(1129)別当に就任。
  • 隆覚(1074-1158):興福寺別当35世。
  • 定耀():興福寺僧。
  • 恵信(1124-1171):興福寺別当39世。「覚継」とも称す。
  • 乗範():西大寺別当50世。興福寺権別当。
  • 玄縁(?-1179):興福寺別当43世。
  • 範玄(?-1199):興福寺別当46世。
  • 勝朝():
  • 舜覚():
  • 円長():興福寺僧。
  • 範玄(?-1199):再任。
  • 信家():興福寺僧。元興寺別当。
  • 玄信():興福寺僧。
  • 円経():興福寺僧。元興寺別当。
  • 範信():興福寺僧。
  • 玄信():再任。
  • 基円():興福寺僧。
  • 経円():興福寺僧。
  • 定玄(?-1247):興福寺別当60世。
  • 経円():再任。
  • 定玄():再任。
  • 親縁(生没年不詳):興福寺別当67世。
  • 定玄():再任。
  • 円憲():興福寺僧。元興寺別当。
  • 良盛(1196-1262):興福寺別当68世。
  • 尋性():興福寺僧。
  • 頼円(生没年不詳):興福寺別当71世。
  • 宗懐(?-1289):興福寺別当79世。
  • 〓範():興福寺僧。
  • 〓遍():

(以上、清水寺別当次第[1]


  • 清範(962-999):文殊菩薩の化身と言われた。
  • 円勢(?-1134):天台系の仏師。永久元年(1113)に別当に任命されると、清水寺の激しい反発が起こり、強訴まで行われたことから辞退。
  • 円玄:経円の直前にいたらしいが別当次第にない。(大日本史料総合DB)
  • 俊円:東北院。法隆寺別当。(大日本史料総合DB)
  • 光政:俊円の後任。(大日本史料総合DB)
  • 隆秀:(大日本史料総合DB)
  • 兼雅:興福寺松林院。隆秀の後任。(大日本史料総合DB)
  • 任円:興福寺浄法院。兼雅の後任。(大日本史料総合DB)
  • 一乗院真敬親王:1665年(寛文5年)就任。(大日本史料総合DB)

近代

  • 園部忍慶(1842-1890)<1875-1890>:清水寺の僧侶。月照の弟子。明治元年、成就院住職。明治8年清水寺住職。(以上、法隆寺辞典)明治14年8月29日から(『法隆寺年表』)、一度廃絶した興福寺を兼務し、その復興にも尽力した。明治20年7月、法相宗管長(法隆寺辞典)。明治23年2月22日死去(『法隆寺年表』、『日本仏教基礎講座』「法相宗興福寺」。23日とする資料も)。49歳。
  • 千早定朝(1823-1899)<1890-1891>:本務は法隆寺。園部の死去で明治23年3月23日から翌年2月16日まで兼務。(法隆寺年表では23年6月30日まで)。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 雲井良海(1836-1894)<1891-1894>:郡山藩足立家の出身。興福寺一同と共に還俗。雲井春影と名乗る。明治11年東大寺東南院で得度。高志大了に密教を学ぶ。同年、豊山に入る。明治21年長徳寺住職。明治24年2月16日、興福寺住職兼清水寺住職に就任(法隆寺年表では明治23年7月1日清水寺住職となり翌年2月16日に興福寺住職・法相宗管長)。明治27年5月19日死去(『法隆寺年表』、『日本仏教基礎講座』「法相宗興福寺」)(20日とする資料も)。清水寺のトラブルの責任感から自害という。
  • 千早定朝(1823-1899)<1895-1899>:明治28年4月14日再任(『法隆寺年表』)。本務は法隆寺。
  • (佐伯寛応)(1853-1930)<1895-1897?>:明治28年?住職代理に就任。法隆寺辞典に79歳死去とある。
  • (楓実賢)<1897-1899>:明治30年11月、住職代理に就任。明治32年3月に千早定朝に死去したが、5月6日から引き続き「寺務管理」に就任。
  • 楓実賢(1837-1907)<1899-1907>:元は法隆寺の僧侶。明治32年5月、興福寺の要請で清水寺住職に就任。法隆寺内宗源寺、同興善院の住職を兼務。明治40年10月9日死去。
  • 井坊忍教(1873-1914):
  • 大西良慶(1875-1983)<1914-1983>:清水寺中興。奈良県出身。明治8年12月21日生。父は妙楽寺智光院の僧侶。明治22年、興福寺に入寺。園部忍慶に師事。法隆寺勧学院で佐伯定胤に学ぶ。明治32年(1899)興福寺住職。日露戦争に従軍。大正3年(1814)、清水寺住職を兼務。昭和17年(1942)、興福寺住職を退任して清水寺住職に専念。昭和40年(1965)、北法相宗を設立して初代管長。昭和58年2月15日死去。
  • 松本大円(1922-2012)<1983-1988>:北法相宗2代管長。古都税紛争中、拝観を再開しようとして反発を受け、辞職に追い込まれる。平成24年8月18日死去。
  • 森清範(1940-)<1988->:北法相宗3代管長。


画像

参考文献

  • 国史大事典
  • 日本歴史地名大系
  • 図録『京都清水寺』2013
  • 清水寺ウェブサイト

資料

  • 『清水寺成就院日記』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA」より作成

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