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清水寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月1日 (土)

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清水寺(国土地理院空中写真より)

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水(山城国愛宕郡八坂郷)にある、清水観音信仰南都仏教寺院。本尊は十一面千手観音西国三十三所観音霊場第16番札所で、日本を代表する観音霊場の一つ。全国に同名の寺院がある。有名な「清水の舞台」も観音は崖上に現れるという信仰の表現である。延鎮が坂上田村麻呂を開基として創建。坂上氏の氏寺という説もある。平安時代末から興福寺末となり、一乗院門跡が清水寺別当を兼ねた。そのため興福寺と対立した延暦寺やその末寺の感神院とたびたび戦火を交えた。応仁の乱で焼失。願阿弥という時宗僧の勧進で文明16年に再建。現在の本堂は寛永10年(1633)の再建。幕末には本坊成就院住職だった月照が勤皇僧として活躍した。戦後、大西良慶が独立教団を立て、北法相宗大本山と称す。阿弥陀堂法然が常行念仏の道場とした旧跡と伝え、法然上人二十五霊場の第13番札所。境内にある奥院とは別に山科に奥院と伝わる法厳寺がある。鎮守は地主神社。北に八坂神社が近く、南に大谷本廟(西大谷)が接する。清水観音。南観音寺と呼ばれる子島寺に対して北観音寺とも。山号は音羽山。(参考:同名寺院清水寺 (同名)

目次

本尊

  • 十一面千手千眼観音菩薩

清水型観音。四十二臂。秘仏でその姿を見ることはできないが、一番上の脇手を頭上で組み、化仏を持つ。御前立が厨子の前にある。

歴史

知恩院~八坂神社~大谷祖廟~高台寺~清水寺(国土地理院空中写真より)
清水寺・大谷本廟の周辺(国土地理院空中写真より)

縁起

『扶桑略記』や『今昔物語集』によると、778年(宝亀9年)4月、延鎮(当時は賢心と名乗る)が夢告を得て北に向かうと、一筋の金色の水が流れているのを見つけた。水源を訪ねると、滝の傍に草庵があり、行叡という行者に出会った。「お前を待っていた。ここにある木株で観音を造れ」と言い、姿を消した。後を追うと、山科のある峰に靴だけが落ちていて、行叡が観音の化身だと分かった。その後、坂上田村麻呂の支援で清水寺を創建した。798年(延暦17年)、寺域を広げ、脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天を祀った。

清水寺境内の奥院が行叡の草庵跡といい、山科区の法厳寺が行叡の靴を延鎮が発見した場所という。

古代

1094年(嘉保1年)、興福寺隆禅が復興 興福寺の出張所のような存在となる。 貴族の信仰を集め、源氏物語、枕草子、今昔物語にも登場する。

中世

願阿弥が中興。 能の「熊野」「田村」「盛久」に東條。

近世

近代

伽藍

本堂周辺

  • 本堂:本尊は十一面千手観音。脇侍として勝敵毘沙門天勝軍地蔵がある。三尊とも秘仏。1633年(寛永10年)再建。舞台造は最大高15m。礼堂に1633年(寛永10年)の懸仏が掛かる。大悲閣ともいう。正面36m。側面30m。高さ18m。寝殿造風の仏堂で寄棟造の檜皮葺。外陣(礼堂)、内陣、内内陣に分かれる。和様・漆塗りの大須弥壇があり、その上に厨子3基を奉安する。二十八部衆が厨子と厨子の間に並び、風神・雷神が両端にいる。轟門と回廊でつながる。外縁に出世大黒天を祀る。西脇に塩断ち阿弥陀如来を祀る。
  • 朝倉堂:本尊は本堂と同じ。成就院の本堂に当たる。法華三昧堂。1510年(永正7年)朝倉貞景の寄進で建立。後柏原天皇下賜の観音像を祀っていた(焼失)。回廊の北側にある。1631年(寛永8年)~1633年(寛永10年)再建。正面五間、側面三間。本瓦葺き。入母屋造り。素木。堂内の厨子は宝形造り唐様。東脇に仏足石がある。
  • 開山堂:大本願の坂上田村麻呂夫妻、延鎮、行叡を祀る。田村堂とも。経堂の東にある。1631年(寛永8年)~1633年(寛永10年)頃に再建。三間四方。入母屋造り。檜皮葺。謡曲「田村」に登場する。
  • 中興堂:大西良慶(1875-1983)を祀る。1997年(平成9年)10月建立。
  • 春日社:法相宗の守護神春日神を祀る。江戸時代初期の再建。典型的な春日造。桃山様式の彫刻がある。1629年(寛永6年)の火災を免れた。1918年(大正7年)移築。摩利支天堂と呼ばれた時期も。鎮守堂。
  • 随求堂:慈心院の本堂。本尊は大随求菩薩。秘仏。梵字の大随求陀羅尼を模した円形光背を持ち、七重の獅子蓮華台座に座る元禄様式の質の高い像。毘沙門天と吉祥天を脇侍とする。歓喜天や粟島明神も祀る。特異な形状の堂宇。胎内めぐりがある。江戸時代中期の享保年間の再建。
  • 善光寺堂:地蔵院の本堂。本尊は地蔵菩薩(首ふり地蔵)。如意輪観音善光寺如来も祀る。善光寺如来は、明治に合併した奥院の善光寺如来堂のもの。「清水善光寺」。1984年(昭和59年)改築。
  • 三重塔:本尊は大日如来。四方の壁に真言八祖像を描く。初代は897年(寛平9年)建立という。1632年(寛永9年)再建。高さ約31m。総丹塗。桃山様式の文様を施す。1987年(昭和62年)解体修理で造営時の姿に復元。
  • 経堂:本尊は釈迦三尊。経堂というが経典は現存しない。講堂を兼ねる。三重塔の東に立つ。1633年(寛永10年)再建。正面五間、側面四間。本瓦葺き。入母屋造り。
  • 西門:持国天と増長天を祀る。日想観の聖地だったとみられている。「拝殿」風の他に類例のない形式で、木階があり高欄を設け、切妻屋根の庇を持つ。背面に軒唐破風がある。檜皮葺。三重塔の前に立つ。桃山様式の三間一戸の八脚門。1631年(寛永8年)再建。1994年(平成6年)修復。
  • 地主神社:地主神。神仏分離で独立。1873年(明治6年)7月、村社。1881年(明治14年)郷社。
  • 大講堂:仏舎利と仏足石を祀る。多宝閣に4mの巨大な仏足石があり、釈迦十一霊相を表す。高さ20mの壁面には東面に薬師如来、南面に釈迦如来、西面に阿弥陀如来、北面に多宝如来の鋳像4076体を祀る。大講堂には宝蔵殿もある。1984年(昭和59年)建立。清水寺開創1200年記念。四階建て。三棟が連結。多宝閣、円通殿、迎賓殿、宝蔵殿、寺務所がある。
  • 仁王門:金剛力士(高さ3.6m、鎌倉時代)を祀る。室町時代15世紀末の再建。正面10m。側面8.4m。高さ14m。入母屋造り。檜皮葺。丹塗。扁額の「清水寺」は藤原行成の筆という。赤門とも呼ばれる。2004年(平成16年)修復。北脇に1875年(明治8年)の基準点標石が残る。
  • 水子観音堂:1982年(昭和57年)建立。
  • 馬駐:室町時代後期の建築。全国的に希少。正面10m。側面5m。5頭の馬をつなぐことができる。
  • 弁財天社:1991年(平成3年)改築。
  • 鬼子母神堂:弁天堂の隣にあった。1942年(昭和17年)頃廃絶。
  • 千体石仏:鎌倉時代の石仏も含む。
  • 月照碑
  • 円通殿
  • 寺務所
  • 鐘楼:1607年(慶長12年)再建。瓦葺き。切妻造り。6本柱。四方転び。桃山様式。1999年(平成11年)修復。1478年(文明10年)に願阿が鋳造した梵鐘が掛かる。
  • 轟門:持国天と広目天(平安時代末)を祀る。1631年(寛永8年)~1633年(寛永10年)再建。普門閣の扁額を掲げる。切妻造り。本瓦葺き。三間一戸の八脚門。東大寺転害門を模した建築。
  • 北総門:元は成就院の正門。薬医門。本瓦葺き。切妻造り。
  • 鹿間塚:
  • 大黒堂:勧化所。1846年(弘化3年)再建。1897年(明治30年)頃廃絶。
  • 西国三十三観音堂:1897年(明治30年)頃廃絶。朝倉堂に奉遷。
  • 粟島明神祠:1898年(明治31年)随求堂に合祀。

奥院

本堂の西口を出ると、南に曲がる崖が続き、北から釈迦堂、阿弥陀堂、奥院本堂と並ぶ。奥院本堂は音羽の滝の直上に位置する。

  • 奥院本堂:本尊は三面千手観音。脇侍として毘沙門天地蔵を祀る。空海も祀る。他に二十八部衆、風神雷神を祀る。延鎮の草庵の跡という。本堂のミニ版の舞台造。本尊の三面千手観音坐像は本面の左右に大き目の脇面がある。別に頭上に二十四面がある。1633年(寛永10年)再建。五間四方。寄棟造。檜皮葺。夜叉神堂が付属する。「奥の千手堂」
  • 阿弥陀堂:本尊は丈六阿弥陀如来。1188年(文治4年)法然が常行念仏の道場とした旧跡と伝え、法然上人二十五霊場の第13番札所。1633年(寛永10年)再建。三間四方。入母屋造り。桟瓦葺。前面一間は吹き放ちで礼堂兼通路。右脇に法然像を祀る。両聯に「洛陽六阿弥陀如来念仏道場」「円光大師廿五拝十三番遺跡」とある。
  • 釈迦堂:本尊は釈迦如来(平安末)と普賢菩薩・文殊菩薩(鎌倉時代末)。1631年(寛永8年)再建。1975年(昭和50年)豪雨被害。三間四方。寄棟造。檜皮葺。
  • 石塔:法華塔と刻まれている。阿弥陀堂と奥院本堂の間の奥にある。
  • 銅塔:阿弥陀仏が納められている。阿弥陀堂の前にある。
  • 百体地蔵堂:多数の石地蔵を祀る。釈迦堂と阿弥陀堂の間の奥にある。1918年(大正7年)建立。
  • 濡れ手観音:奥院本堂の裏の小池の中に立つ石仏。
  • 西向地蔵堂:1885年(明治18年)再建。1975年(昭和50年)復旧。
  • 宝篋印塔:西向地蔵堂のそばに宝篋印塔2基がある。
  • 音羽の滝:行叡が修行していた旧跡。清水寺の名の由来という。倶利伽羅不動明王や行叡を祀る。1925年(大正14年)不動堂改築。「黄金水」「延命水」
  • 滝宮:明治初年に地主神社に合祀された。
  • アテルイ・モレ碑:1994年(平成6年)11月建立。関西胆江同郷会などの発起による。清水寺開基の坂上田村麻呂とアテルイが戦った縁による。
  • 十一重石塔:1918年(大正7年)、本堂東から移築。
  • 善光寺如来堂:元は奥之院本堂に隣接していた。1898年(明治31年)、宝性院境内に移転し、地蔵院に合併。

その他

  • 子安塔:泰産寺の本堂に当たる。本尊は千手観音(子安観音)。寛永頃の再建。高さ約15m。檜皮葺。1911年(明治44年)仁王門前から移築。
  • 経書堂:来迎院の本堂。本尊は聖徳太子。「きょうかくどう」。1922年(大正11年)聖徳太子1300年遠忌を記念して改築。
  • 大日堂:真福寺の本堂。本尊は大日如来。参道沿いにある。
  • 姥堂:金性院の本堂。本尊は奪衣婆愛染明王。経書堂の南向にあった。廃絶。
  • 清水寺経塚:1912年(大正1年)出土
  • 護摩堂:成就院にある。1670年(寛文10年)頃、東福門院の寄進で建立。不動明王や黄金千手観音を祀る。1927年(昭和2年)5月、月照像(山下源之助造立)を祀る。1928年(昭和3年)6月、信海像(同)を祀る。
  • 護摩堂:宝性院本堂。1899年(明治32年)、神泉苑に売却。
  • 聖天堂:竹林院にあった。1898年(明治31年)随求堂に合祀。

子院など

  • 清水寺の寺院運営組織(寺家、一山)は桃山時代には執行(しぎょう)、目代および六坊とよばれる寺僧により行われていた。「一山」といった場合、執行・目代・六坊から構成され、本願職の成就院は含まれていなかった。本願職は諸国に僧侶を使わし、伽藍造営のための資金を集めた。古くからの寺僧である「一山」と、経済力を持つ本願職は明治に至るまで常に対立を繰り返した。
  • 六坊は1589年(天正17年)には成立していた。六坊というが真乗院は織田信長により廃絶し5寺しかなかった。執行と目代はもともと寺僧から選ばれたが江戸時代にはそれぞれ宝性院と慈心院が兼務することとなった。本来、執行と目代が山林・境内・諸堂・平僧などの住庵を統領するべきものだったが、その職務・権限は成就院に奪われていた。執行と目代は導師を務めることができず、六坊のみが法会の導師を務めることができた。六坊は10日交代で毎日の本堂の勤行を行っていた。真乗院の跡を成就院が継いだともいう。現在の延命院周辺に5坊がならんでいた。

諸役

寺名 役職 現存 概要
成就院 本願 清水寺本願職(勧進職)を務めた。807年(大同2年)の創建と伝えるが、中世に成立とみられ、明治まで「清水寺一山」には含まれなかった。清水寺中興の願阿弥の住房が起源で元は本願院(本願寺)といった。中世、五条橋を管理していた。寛永の大火までは現在の経堂のあたりにあった。現存。庭園が有名。1639年(寛永16年)東福門院の寄進で再建。
宝性院 執行 清水寺執行職を務めた。1928年(昭和3年)改築。現存。
慈心院 目代 清水寺目代職を務めた。本堂の随求堂のみ残る。807年(大同2年)の創建。足利将軍家と関係が深い。1677年(延宝5年)、後水尾上皇の勅願所となる。現存。
義乗院 六坊 × 義乗坊。1874年(明治7年)廃絶。
延命院 六坊 蓮養坊または義観坊の後身とみられる。六坊で唯一現存する。
智文院 六坊 × 智文坊。財政再建のため1889年(明治22年)廃絶し売却された。
光乗院 六坊 × 光乗坊。財政再建のため1889年(明治22年)廃絶し売却された。
円養院 六坊 × 蓮養坊または義観坊の後身とみられる。1891年(明治24年)頃廃絶。
真乗院 六坊 × 真乗坊。織田信長によって廃絶。

その他

寺名 現存 近世所属 所在地 概要
南蔵院 × 成就院 滝下 本尊は虚空蔵菩薩。滝下にあった。江戸時代、成就院の「末寺」だった。盛尊が享禄年間に創建。元は大和国内山(永久寺?)にあり主膳寺と称したという。成就院の使僧によって創建されたとみられる。明治初年に廃絶。
金蔵院 × 成就院 境内 慈心院の東隣にあった。江戸時代、成就院の「寺家」だった。盛尊が享禄年間に創建。明治初年に廃絶。
宝珠院 × 成就院 境内か 成就院の隠居所とみられる。
来迎院 成就院 清水坂1 本堂は経書堂で本尊は聖徳太子。聖徳太子が創建という。参道沿いの清水坂と三年坂が交わる場所にある。江戸時代、成就院の「末寺」だった。現存。耒迎院。
泰産寺 成就院 清水坂1 子安塔が本堂に当たり、本尊は子安観音。清水坂南側の仁王門に最も近い場所にあった。養老年間、光明皇后が創建したと伝える。1911年(明治44年)7月15日、仁王門下から現在地に移転。江戸時代、成就院の「寺家」だった。現存。
法成寺 × 成就院 清水坂1 本堂は姥堂で本尊は奪衣婆と愛染明王。来迎院の参道挟んで反対側にあった。文禄年間、晴明塚から移転という。1893年(明治26年)2月に廃絶。金性院、愛染院とも。江戸時代、成就院の「末寺」だった。
仲光院 × 成就院 清水坂1 本尊は愛染明王歓喜天。多田満仲家臣の仲光が天延年間に創建したと伝える。清水坂南側にあった。江戸時代、成就院の「寺家」だった。1890年(明治23年)、財政再建のため廃絶し売却された。
地蔵院 宝性院 清水坂1 本堂は現在の善光寺堂で本尊は地蔵菩薩(首ふり地蔵)・如意輪観音・善光寺如来。清水坂北側の仁王門に最も近い場所にあった。善光寺堂に近い位置か。1335年(建武2年)創建。法人格はなし。
真福寺 宝性院 清水坂1 本堂は大日堂で本尊は大日如来。清水坂北側にある。1534年(天文3年)現在地に移転。現存。
慶養庵 × 宝性院 滝下 滝下にあった。1521年(大永1年)創建。江戸時代は宝性院の「滝下中」の一つだった。明治初年に廃絶。
栄春庵 × 宝性院 滝下 滝下にあった。1577年(天正5年)創建。江戸時代は宝性院の「滝下中」の一つだった。一時離雲庵と名乗るか。明治初年に廃絶。
慶閑庵 × 宝性院 滝下 滝下にあった。1521年(大永1年)創建の慶雲院が改名か。江戸時代は宝性院の「滝下中」の一つだった。明治初年に廃絶。
松林院 × 宝性院 滝下 滝下にあった。1521年(大永1年)創建。江戸時代は宝性院の「滝下中」の一つだった。明治初年に廃絶。
慈眼院 × 宝性院 滝下 滝下にあった。1617年(元和3年)創建。江戸時代は宝性院の「滝下中」の一つだった。明治初年に廃絶。
竹林院 × 慈心院 西門下 西門下の少し南にあった。1461年(寛正2年)創建。円養院が兼務していた時期もある。1897年(明治30年)慈心院に合併。建物は青蓮院に売却された。聖天堂があった。廃絶。
寺名 宗派 近世所属 所在地 概要
宝徳寺 浄土宗 成就院 清水坂1 本尊は阿弥陀如来(聖徳太子作)。清水坂北側にある。江戸時代は成就院の配下にあり、門前町の「惣堂」と位置づけられていた。1667年(寛文7年)徳空が創建。あるいは1604年(慶長9年)に念仏道場が建てられ、1663年(寛文3年)に徳空が寺として伽藍を建てたともいう。山号は霊光山。浄土宗西山深草派。現存。
日体寺 日蓮宗 成就院 清水坂2 本尊は釈迦如来。日蓮宗久遠寺派。清水坂北側にある。江戸時代は成就院「支配下」だった。紀伊郡石原村にあった浄土宗観音寺が前身。1732年(享保17年)に六波羅に移転。翌年(同年とも)日忍が日蓮宗に改宗。師の日体を開山とし、名を取って寺号とした。古い寺院を買い取って寺院を建てたのが実情だろう。1746年(延享3年)大漸寺の隣接地に移転。本圀寺末。日蓮宗久遠寺派。山号は常照山。現存。
大漸寺 日蓮宗 成就院 清水坂2 清水坂北側にある。江戸時代は成就院「支配下」だった。1742年(寛保2年)、日琢(日逢とも)が創建。1555年(弘治1年)創建の山科の桂林庵の事跡を買い取って移転させた形にした。大漸庵と称す。法華経寺末。山号は宝林山。日蓮宗久遠寺派。現存。
一心庵 日蓮宗 成就院 清水坂2 本尊は釈迦如来。清水坂にあった。江戸時代は成就院「支配下」だった。1690年(元禄3年)に日観が創建とも、1673年(延宝1年)に馬町に創建され1759年(宝暦9年)に尼知光(妙智とも)が移転とも。1907年(明治40年)4月、本山京都・本法寺に合併して廃絶。
西光寺 浄土宗 成就院 清水坂2 本尊は阿弥陀如来。清水坂南側にある。江戸時代は成就院「支配下」だった。1682年(天和2年)、大雲院9世の光誉実阿が空也の旧跡を再興し、空也寺を創建。1749年(寛延2年)大雲院13世遠誉順阿が空也寺を移転して大雲院の隠居所とした。空也墓がある。浄土宗知恩院派。現存。
安祥院 浄土宗 成就院 五条坂 本尊は阿弥陀如来。五条坂にある。江戸時代は成就院「支配下」だった。942年(天慶5年)尊意朱雀天皇の勅願で久世に創建。大藪山仁王護国院と称した。法然が再興。1727年(享保12年)、木喰僧の正禅養阿が創建。正禅は高野山応其の弟子で狸谷山不動院を開いたことでも知られる。日限地蔵を祀る地蔵堂がある。梅田雲浜墓がある。浄土宗知恩院派。現存。

周辺寺院

参道沿いに多くの寺院がある。

  • 宝福寺時宗鳥辺野墓地ゆかり。廃絶。東山通り沿いに地蔵堂が残る。
  • 金剛院:不詳。八坂庚申堂?
  • 影向寺:不詳。
  • 西向寺:浄土宗。元は西七条にあった。1894年に移転。浄土宗知恩院派。
  • 北斗堂:謡曲「熊野」に登場。廃絶。
  • 観持庵:臨済宗。本尊は阿弥陀如来。南禅寺末。山号は大梅山。善応寺とも。廃絶。
  • 花蔵院:臨済宗。柏厳が創建。廃絶。
  • 定水庵:廃絶。
  • 常楽庵:廃絶。
  • 松林庵:禅宗。1521年、宗胤が創建。元は音羽の滝の下にあった。のちに清水坂に移転。廃絶。
  • 満福寺:臨済宗。廃絶。
  • 慈願寺:本尊は釈迦如来。1498年創建。廃絶。
  • 滝尾不動堂:『源平盛衰記』に1165年焼失とある。
  • 晴尾観音寺:同上。
  • 本願院:成就院のことか??

末寺

  • 法厳寺:京都府京都市山科区音羽南谷町。戦後、離脱して本山修験宗となる。
  • 大泉坊:大阪天王寺。慈心院末。
  • 神宮寺:丹後桑田。
  • 清水寺:光乗院末。長崎。

壬生山伏

成就院の配下で仏餉頭を交代で務めた山伏。壬生村に住んでいた。

  • 伝碩
  • 普門院
  • 知門院
  • 真龍院
  • 教蔵
  • 松林院
  • 林山

組織

清水寺別当

  • 報恩(?-795):延鎮の師。古代の備前などで活躍したとされる伝説的な僧侶。吉野で修行。報恩大師。報恩大師創建四十八寺が著名。
  • 延鎮(生没年不詳):開山。
  • 願預():
  • 安興():
  • 隆原():
  • 〓宗():
  • 寿曜():
  • 道歴?():
  • 興法():
  • 名誉():
  • 〓源():
  • 禅連?():
  • 真寵():
  • 長代():
  • 増延():
  • 康信():
  • 朝源():
  • 康尚():「康成」とも。
  • 定朝(?-1057):仏師。
  • 定源():
  • 定範():
  • 定俊():
  • 定深():祇園神人に危害を加える事件を起こす。
  • 勝快():
  • 永縁(1048-1125):興福寺別当31世。円勢就任に反発が起こったため就任。
  • 有禅():興福寺僧。
  • 無円():興福寺僧。
  • 長円(?-1150):天台系の仏師。円勢の子。大治4年(1129)別当に就任。
  • 隆覚(1074-1158):興福寺別当35世。
  • 定耀():興福寺僧。
  • 恵信(1124-1171):興福寺別当39世。「覚継」とも称す。
  • 乗範():西大寺別当50世。興福寺権別当。
  • 玄縁(?-1179):興福寺別当43世。
  • 範玄(?-1199):興福寺別当46世。
  • 勝朝():
  • 舜覚():
  • 円長():興福寺僧。
  • 範玄(?-1199):再任。
  • 信家():興福寺僧。元興寺別当。
  • 玄信():興福寺僧。
  • 円経():興福寺僧。元興寺別当。
  • 範信():興福寺僧。
  • 玄信():再任。
  • 基円():興福寺僧。
  • 経円():興福寺僧。
  • 定玄(?-1247):興福寺別当60世。
  • 経円():再任。
  • 定玄():再任。
  • 親縁(生没年不詳):興福寺別当67世。
  • 定玄():再任。
  • 円憲():興福寺僧。元興寺別当。
  • 良盛(1196-1262):興福寺別当68世。
  • 尋性():興福寺僧。
  • 頼円(生没年不詳):興福寺別当71世。
  • 宗懐(?-1289):興福寺別当79世。
  • 〓範():興福寺僧。
  • 〓遍():

(以上、清水寺別当次第[1]


  • 清範(962-999):文殊菩薩の化身と言われた。
  • 円勢(?-1134):天台系の仏師。永久元年(1113)に別当に任命されると、清水寺の激しい反発が起こり、強訴まで行われたことから辞退。
  • 円玄:経円の直前にいたらしいが別当次第にない。(大日本史料総合DB)
  • 俊円:東北院。法隆寺別当。(大日本史料総合DB)
  • 光政:俊円の後任。(大日本史料総合DB)
  • 隆秀:(大日本史料総合DB)
  • 兼雅:興福寺松林院。隆秀の後任。(大日本史料総合DB)
  • 任円:興福寺浄法院。兼雅の後任。(大日本史料総合DB)
  • 一乗院真敬親王:1665年(寛文5年)就任。(大日本史料総合DB)

近現代の貫主

  • 現在は「貫主」と称す。
  • 『清水寺史』
  • 世数は近代の便宜上付した。
近代の清水寺の歴代住職
世数 生没年 在職年 略歴
1 園部忍慶 1842-1890 1875-1890 清水寺の僧侶。月照の弟子。和泉国堺出身。1842年(天保13年)生。12歳で成就院月照に師事。15歳で光乗院住職となる。高野山遍照院の栄秀から灌頂。1868年(明治1年)、成就院住職。慣例に従い、中納言園基茂の猶子となる。1875年(明治8年)清水寺住職。1881年(明治14年)8月29日から(『法隆寺年表』)、一度廃絶した興福寺を兼務し、その復興にも尽力した。教導職大講義。1887年(明治20年)7月、法相宗管長(法隆寺辞典)。1890年(明治23年)2月22日死去(『法隆寺年表』、『日本仏教基礎講座』「法相宗興福寺」。『清水寺史』では23日)。49歳。(法隆寺辞典、法隆寺年表、日本仏教基礎講座)
2 千早定朝 1823-1899 1890-1891 本務は法隆寺。園部の死去で1890年(明治23年)3月23日から翌年2月16日まで兼務。(法隆寺年表では23年6月30日まで)。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
3 雲井良海 1836-1894 1891-1894 郡山藩足立家の出身。興福寺一同と共に還俗。雲井春影と名乗る。1878年(明治11年)東大寺東南院で得度。高志大了に密教を学ぶ。同年、長谷寺末に入る。1888年(明治21年)東京長徳寺住職。1890年(明治23年)7月1日清水寺住職。1891年(明治24年)2月16日に興福寺住職・法相宗管長を兼務。1893年(明治26年)9月、財政再建のため子院処分・財産売却を進めていたが、実務にあたっていた執事が不正を行ったとして内部で告発され、これを契機に雲井体制への不信感が高まり、自らも告訴された。執事が勾留された後、辞意を表明。しかし住職派と反住職派の対立が激化。疑惑が高まり、1894年(明治27年)1月、未決ながら収監された。5月19日、清水寺に帰還。その夜に自決した。
4 千早定朝 1823-1899 1895-1899 1895年(明治28年)4月14日、興福寺住職兼清水寺住職に再任(『法隆寺年表』)。本務は法隆寺。1899年(明治32年)3月21日死去。
(佐伯寛応) 1853-1930 1895-1897? 1853年(嘉永6年)生。1895年(明治28年)住職代理に就任。奈良にいる千早住職の下、清水寺を担当した。1930年(昭和5年)死去。法隆寺辞典に79歳死去とある。
(楓実賢) 1837-1907 1897-1899 1897年(明治30年)11月、住職代理に就任。1899年(明治32年)3月21日に千早定朝が死去したが、5月6日から引き続き「寺務管理」に就任。
5 楓実賢 1837-1907 1899-1907 元は法隆寺の僧侶。1837年(天保8年)生。1897年(明治30年)11月、清水寺住職代理に就任。1899年(明治32年)3月21日に千早定朝が死去したが、5月6日から引き続き「寺務管理」に就任。まもなく正式な住職に就任した。法隆寺内宗源寺、同興善院の住職を兼務。1907年(明治40年)10月9日死去。
6 井坊忍教 1873-1914 1907-1914 奈良角振出身。1873年(明治6年)生。1884年(明治17年)清水寺に入り、園部忍慶に師事。1887年(明治20年)円養院住職。1891年(明治24年)延命院を兼務。高野山で学び、法隆寺勧学院で学んだ。1893年(明治26年)円養院住職を退任し、延命院住職のみとなる。1907年(明治40年)清水寺住職。1914年(大正3年)9月8日死去。42歳。
7 大西良慶 1875-1983 1914-1983 清水寺中興。北法相宗初代管長。奈良県出身。1875年(明治8年)12月21日生。父は多武峰妙楽寺智光院の大西広海。興福寺の嘱望により県立郡山中学を中退し1889年(明治22年)、興福寺に入寺。園部忍慶に師事。1890年(明治23年)千早定朝のもと受戒得度。1893年(明治26年)法隆寺勧学院で佐伯定胤に学ぶ。1898年(明治31年)興福寺副住職。1899年(明治32年)興福寺住職(1900年(明治33年)とも)。室生寺丸山貫長に三宝院流灌頂。1903年(明治36年)鶯滝で荒行。1904年(明治37年)中国北京の東文学舎に留学。1905年(明治38年)日露戦争の従軍僧を務めた。同年、法相宗管長(1908年(明治41年)まで)、大僧正探題。1911年(明治44年)管長再任(1914年(大正3年)まで)。1914年(大正3年)10月9日、清水寺住職を兼務。11月8日晋山式。成就院・延命院・慈心院・竹林院・来迎院・山科法厳寺を兼務。1915年(大正4年)8月、早朝の暁天法話を始める。暁天法話の活動は全国に広まり、良慶は67年間毎年続ける。1920年(大正9年)1月、京都仏教護国団(和敬会)団長(1955年(昭和30年)まで)。同年管長(1923年(大正12年)まで)1921年(大正10年)9月、京都養老院(同和園)を創設。1924年(大正13年)和敬学園創設。同年、朝鮮仏教団常任顧問。1929年(昭和4年)管長再任(1932年(昭和7年)まで)。1935年(昭和10年)日華仏教研究会を創設。1938年(昭和13年)管長(1941年(昭和16年)まで)。1942年(昭和17年)2月、興福寺住職を退任して清水寺住職に専念。1965年(昭和40年)5月28日、北法相宗を設立して初代管長。7月1日、立宗奉告法要。1966年(昭和41年)7月、霊山観音座主。同じく1966年(昭和41年)7月、叡福寺座主。1974年(昭和49年)日中友好仏教協会名誉会長。1983年(昭和58年)2月15日死去。
8 松本大円 1922-2012 1983-1988 北法相宗2代管長。京都府綾部市出身。1922年(大正11年)生。1935年(昭和10年)入寺得度。宝性院住職。執事長・宗務長を経て1983年(昭和58年)清水寺貫主・管長に就任。1984年(昭和59年)3月10日晋山式。古都税紛争中、拝観を再開しようとして反発を受け、1988年(昭和63年)辞職に追い込まれる。清水寺長老・名誉管長となる。2012年(平成24年)8月18日死去。
9 森清範 1940- 1988- 北法相宗3代管長。1940年(昭和15年)生。1955年(昭和30年)得度。法務部長を経て1988年(昭和63年)4月、清水寺貫主・管長。

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資料

古典籍

  • 『清水寺成就院日記』
  • 『清水寺縁起絵巻』:土佐光信筆。1517年(永正14年)頃。

文献

  • 図録『京都清水寺』2013
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA」より作成

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