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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

東大寺東南院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年2月24日 (日)

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東大寺東南院(とうだいじ・とうなんいん)は、奈良県奈良市の東大寺にあった門跡寺院。廃絶。三論宗を標榜。三論宗と真言宗の拠点。東大寺東照宮があった。現在は東大寺本坊となる。東大寺天皇殿、持仏堂がある。東大寺関連旧跡も参照。(参考:同名寺院東南院

目次

歴史

聖宝が貞観17年(875)に建てた薬師堂が起源。別当道義が延喜4年(904)、大安寺の東北にあった佐伯院を薬師堂付近に移転。大仏殿真言院(南院)の東南にあることから東南院と称した。 延久3年(1071)、東南院住職が三論宗長者も兼ねることとなり元興寺や大安寺の三論宗も管轄した。

寛治2年(1088)2月、白河上皇高野山行幸の時に御所となって以降、上皇の御所となり南都御所と呼ばれた。後白河法皇の御所、源頼朝の宿所になった。

南都焼き討ちで焼失するが、建久元年(1190)勝賢が再建した。

伽藍

組織

歴代

  • 1聖宝(832-909):三論宗の僧。修験道当山派(真言修験)の開祖。東大寺東南院や醍醐寺を創建。小野流の開祖。天智天皇の6世孫で幼名を恒蔭王という。空海実弟の真雅に師事する。理源大師。
  • 2延〓(861-929):東大寺別当41世。聖宝の弟子。東寺長者法務。醍醐寺座主2世。
  • 3済高(870-942):聖宝に密教を学ぶ。勧修寺門跡初代。東寺長者。金剛峰寺座主。「東南院務次第」では東大寺別当になったとするが他書には見えず。『続要録』になし。
  • 4観理(894-974):延〓の弟子。東大寺別当54世。醍醐寺座主8世。法隆寺別当7世。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 5法縁(911-981):観理に三論宗を学ぶ。醍醐寺9世。法隆寺別当8世。東大寺別当55世・56世。(略歴は醍醐寺#組織参照)
  • 6澄心(939-1014):観理の弟子。東大寺別当65世・66世。元興寺別当。
  • 7済慶(965-1047):澄心の弟子。東大寺別当72世。
  • 8有慶(981-1071):澄心の弟子。済慶の弟。東大寺別当76世・79世。元興寺別当。
  • 9慶信(1041-1095):有慶の弟子。東大寺別当81世。
  • 10覚樹(1084-1139):平安時代末期の学僧。源顕房の子。慶信の弟子。宋の崇梵が書簡と仏舎利を送り学問興隆を讃えた。『東大寺辞典』には「東南院の第九代院主」とある。
  • 11慧珍(1118-1169):源顕国の子。覚樹に三論宗を学ぶ。大安寺別当。
  • 12聖慶(1153-1175):藤原師行の子。慧珍の弟子。大安寺別当。
  • 13道慶(1169-?):源有房の子。聖慶の弟子。晩年は高野山に入り、浄土教に専念したという。
  • 14勝賢(1138-1196):道慶に譲られる。三宝院門跡5世。醍醐寺座主18・20・22世。東大寺別当97世。東寺二長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 15定範(1165-1225):勝賢の弟子。醍醐寺座主28世。東大寺別当103世。大安寺別当。
  • 16道深法親王(1206-1249):道助親王王子。仁和寺門跡9世。『続要録』になし。
  • 17道快(1209-1248):藤原道経の子。東寺長者法務。醍醐寺地蔵院を中興。「聖快」「快賢」とも名乗った。
  • 18聖実(生没年不詳):近衛家実の子。道快の弟子。入唐して帰らず。
  • 19聖兼(1242-1293):近衛家実の子。聖実の弟。東大寺別当116世・119世。醍醐寺座主43世。三宝院門跡15世。『続要録』では「聖憲」。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 20聖忠(1268-1319):聖兼の弟子。東大寺別当121世・124世・127世。醍醐寺座主51世。東寺長者法務。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 21(不詳):「東南院務次第」には記されていない。
  • 22聖尋(生没年不詳):聖忠の弟。元弘の乱で後醍醐天皇と行動を共にして東大寺末寺の笠置寺に移るが、その後消息不明。東大寺別当130世。醍醐寺座主59・61世。三宝院門跡20世。東寺長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 23聖珍法親王(?-1382):伏見天皇皇子。三社託宣を感得したという。東大寺別当132・137・139世。三宝院門跡23世。醍醐寺座主69世。東寺長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
  • 24聖助(生没年不詳):東大寺別当123世。
  • 25観海法親王(生没年不詳):邦世親王王子。聖珍法親王の弟子。東大寺別当143世・145世。「寛海」とも。
  • 26観覚法親王(?-1418):東大寺別当147世。
  • 27聖真法親王(生没年不詳):惟明親王王子。「聖海」とも。
  • 28珍覚(1421-?):東大寺別当153世。
  • 29覚尋(生没年不詳):東大寺別当158世・161世。
  • 30厳宝(?-1481):東大寺別当163世。随心院門跡26世。東寺長者。
  • 31政紹(1466-1491):三宝院門跡29世。醍醐寺座主77世。
  • 32恒弘法親王(1431-1509):東大寺別当155世。勧修寺門跡。
  • 33忠厳(?-1552):東大寺別当169世。随心院門跡28世。
  • 34増孝(1589-1644):東大寺別当176世。随心院門跡31世。東寺長者180世。
  • 35栄厳(1622-1664):東大寺別当177世。随心院門跡32世。
  • 36俊海(1651-1682):東大寺別当178世。随心院門跡33世。
  • 37尊孝法親王(1701-1748):東大寺別当181世。勧修寺門跡。
  • 済範法親王(山階宮晃親王)(1816-1898):東大寺別当186世。勧修寺門跡。
  • 増護(1804-1875):東大寺別当188世。随心院門跡35世。東寺長者225世。

(37世まで「東南院務次第」[1]) (『東大寺続要録』「東南院院主次第」は17世聖憲まで)


  • 「南都東大寺東南院門跡」『諸門跡承伝系図』[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E6%9D%B1%E5%8D%97%E9%99%A2」より作成

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