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妙法院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月5日 (木)
妙法院(みょうほういん)は、京都府京都市東山区にある、天台宗の門跡寺院。本尊は普賢菩薩。元は比叡山にあった院の一つであるようだが、里坊のみが残り、本坊の創立や廃絶の過程は不詳。西塔本覚院に起源があるともいう。蓮華王院(三十三間堂)を管轄下に置く。京都・方広寺も管轄下にあった。院家として法住寺、日厳院などがあった。天台宗延暦寺派門跡寺。鎮守は新日吉神宮。三千院門跡、青蓮院門跡と共に比叡山三門跡の一つ。法住寺に隣接して後白河天皇陵、妙法院宮墓地がある。妙法院門跡。新日吉門跡、皇居門跡。小坂殿。
目次 |
歴史
- 延暦年間:伝承によると、最澄が開いたという。
- 平安時代末:本覚院快修の弟子の昌雲が、本覚院より分かれて妙法院を設けたのが始まりと言われるが成立過程は諸説ある。元は本覚院と共に比叡山内にあった。
- 1184年4月3日:昌雲、後白河法皇から新日吉検校、蓮華王院、法住寺御所、今御影堂などの管領に任命された(華頂要略)。この頃、現在地に里坊を設けたとみられる。
- 不詳:里坊、綾小路(建仁寺の北側あたりか)に移転
- 1202年7月16日:実全、天台座主任命の宣旨を綾小路房で受ける(華頂要略)。8月27日には拝堂のため比叡山に登り、妙法院で印鑰を受けている(華頂要略)。この頃、山上西塔の妙法院が本坊で、綾小路房が里坊だったとみられる。
- 1227年:尊性法親王(綾小路宮)、天台座主に任命。この頃から門跡となり、青蓮院や梶井門跡と並び三門跡と称すようになったという。
- 1340年10月6日:佐々木導誉の放火により里坊は建仁寺の輪蔵や開山堂などと共に焼失(中院一品記)。太平記にも諍いの経緯が記されている。
- 1343年:里坊、再建。
- 1468年8月26日:応仁の乱で東軍の兵火により里坊は焼失(醍醐寺雑記)。妙法院宮は比叡山に逃れた。比叡山の本坊はこの時はまだあったとみられるが、その後の沿革は不詳。
- 1595年頃:豊臣秀吉は京都大仏建立にともない、妙法院を大仏経堂として近くに建てた。以後、毎月の「千僧供養」の場となる。
- 1595年:庫裏建立
- 1596年:寺領1600石。
- 1615年7月9日:徳川家康、豊国神社と方広寺の処分を決め、方広寺、新日吉神社、蓮華王院を妙法院が管理するようになる。さらに1000石加増
- 1708年3月8日:御所火災。霊元天皇が妙法院に避難。
- 1788年1月29日:天明の大火で御所火災。女一宮が妙法院に避難(光格天皇とするのは誤り)。
- 1863年8月18日:三条実美ら八月十八日の政変で追放された尊攘派の公家や志士が妙法院などに集った。
- 明治初年:神仏分離で新日吉神社を分離。
- 1870年2月:門跡号廃止
- 1886年1月:門跡号復活
伽藍など
関連旧跡
- 本坊
- 綾小路坊
院家・子院
末寺
組織
住職
歴代 | 名前 | 生没年 | 在職年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 最澄 | 767-822 | 日本天台宗開祖。伝教大師。墓所は延暦寺浄土院 | |
2 | 円仁 | 794-864 | 天台宗山門派開祖。慈覚大師。墓所は比叡山にある(円仁墓)。 | |
3 | 恵亮 | 812-860 | 内供奉十禅師。西塔宝幢院検校。大楽大師。 | |
4 | 常済 | 生没年不詳 | 西塔院院主。 | |
5 | 延昌 | 880-964 | 天台座主。法性寺座主。慈念とも。 | |
6 | 陽生 | ?-990/993 | 天台座主。竹林院に住す。 | |
7 | 教円 | 979-1047 | 天台座主。 | |
8 | 勝範 | 996-1077 | 天台座主。 | |
9 | 定慶 | |||
10 | 源暹 | ?-1134 | ||
11 | 相命 | |||
12 | 快実 | |||
13 | 快修 | ?-1172 | 天台座主。日厳院を創建。この頃から妙法院と号したらしい。 | |
14 | 後白河法皇 (行真) | 1127-1192 | 『日本仏家人名辞書』にはなし。後白河天皇陵 | |
15 | 昌雲 | 事実上の創設者か。新日吉神社検校。門跡初代とも。1184年(元暦1年)頃死去。 | ||
16 | 実全 | 1140/1141-1221 | 天台座主。妙法院出身としては初めての座主。綾小路座主と呼ばれた。宝幢院検校。新日吉社別当。 | |
17 | 尊性法親王 | 1194-1239 | 天台座主。初の法親王。守貞親王(後高倉院)の第一王子。四天王寺別当。綾小路宮。 | |
18 | 尊恵 | |||
19 | 俊円 | |||
20 | 尊守法親王 | 1209-1260 | 土御門天皇の第2皇子。高橋宮。 | |
21 | 性恵法親王 | 生没年不詳 | 亀山天皇の皇子。綾小路宮。 | |
22 | 尊教 | 生没年不詳 | 天台座主 | |
23 | 性守 | ?-1325 | 1325年(正中2年)5月21日死去。 | |
24 | 尊澄法親王 (宗良親王) | 1311-1385? | 後醍醐天皇の皇子。天台座主。井伊谷宮祭神。宗良親王墓。 | |
25 | 亮性法親王 | 1318-1363 | 後伏見天皇の第9皇子。日厳院住職4世。天台座主。 | |
26 | 亮仁法親王 | 1355-1370 | 後光厳天皇の第2皇子。『日本仏家人名辞書』にはなし。 | |
27 | 尭仁法親王 | 1363-1430 | 後光厳天皇の第7皇子。天台座主。四天王寺別当。 | |
28 | 尭性法親王 | 1371-1388 | 後光厳天皇の皇子。自殺。 | |
29 | 明仁法親王 | 木寺宮出身。 | ||
30 | 教覚 | 生没年不詳 | 天台座主。 | |
31 | 覚胤法親王 | 1465-1541 | 伏見宮貞常親王の王子。日厳院住職10世。天台座主。 | |
32 | 尭尊法親王 | ?-1559 | 伏見宮貞敦親王の王子。天台座主。 | |
33 | 常胤法親王 | 1548-1621 | 伏見宮邦輔親王の第5王子。天台座主。京都・方広寺別当。妙法院宮墓地。 | |
34 | 尭然法親王 | 1602-1661 | 後陽成天皇の第6皇子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
35 | 尭恕法親王 | 1640-1695 | 後水尾天皇の第10皇子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
36 | 尭延法親王 | 1676-1718 | 霊元天皇の皇子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
37 | 尭恭法親王 | 1717-1764 | 霊元天皇の第18皇子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
38 | 真仁法親王 | 1768-1805 | 閑院宮典仁親王の第10王子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
39 | 教仁法親王 | 1819-1851 | 閑院宮孝仁親王の王子。天台座主。妙法院宮墓地。 | |
40 | 伏見宮貞愛親王 | 1858-1923 | 伏見宮邦家親王の第14王子。還俗。 | |
41 | 大仏天祐 | |||
42 | 藤本道盈 | 1807-1885 | 1873- | 1807年(文化4年)生。恵心院、正覚院を歴任。1871年(明治4年)5月18日、金峰山寺学頭20世(末代)。1873年(明治6年)妙法院門跡門主42世。1885年(明治18年)死去。 |
43 | 村田寂順 | 1838-1905 | 天台座主238世。出雲国出身。1838年(天保9年)7月26日生。鰐淵寺本豊坊に住す。鰐淵寺住職として神仏分離に対処。三千院門跡門主53世。妙法院門跡門主43世。1881年(明治14年)善光寺大勧進住職89世を兼務。1886年(明治19年)天台座主代理。1896年(明治29年)9月24日、天台座主。大菩提会会長。1905年(明治38年)10月29日、京都・方広寺で死去。68歳。慈修。 | |
44 | 薗光轍 | 1846?-1923 | 自坊は寛永寺等覚院。1923年(大正12年)死去。 | |
45 | 梅谷孝永 | 1863-1945 | 天台座主247世。福井県鯖江市出身。田中九平の子。梅谷孝成の弟子となる。蓮成院、比叡山竹林院を歴住して三千院門跡55世、妙法院門跡45世となる。(「さばえの偉人一覧表」[1]) | |
46 | 壬生雄舜 | 1877-1950 | 1877年(明治10年)生。旧姓は中鉢。川越喜多院住職。浅草寺執事。1950年(昭和25年)死去。 | |
47 | 三崎良泉 | 1892-1976 | 1947- | 福井県足羽郡河和田村出身。1892年(明治25年)生。1918年(大正7年)埼玉吉祥寺を復興。天台宗宗務総長。1941年(昭和16年)9月5日、金峰山寺住職。1947年(昭和22年)9月10日、妙法院門跡47世に晋山。宗機顧問。1963年(昭和38年)仏教クラブ初代会長。1976年(昭和51年)11月13日死去[2]。84歳。大無礙光院。(深谷市史[3]未見) |
48 | 杉谷義周 | 1903-1982 | 1977?-1982? | 宗務総長。寛永寺住職・輪王寺門主。1977年(昭和52年)頃、妙法院門跡の代務者となる。1982年(昭和57年)12月8日死去[40]。79歳。(略歴は寛永寺#組織を参照) |
49 | 福井康順 | 1898-1991 | 1984- | 東洋思想の研究者。長野県出身。旧姓は高橋。明治31年(1898)4月27日生。1910年(明治43年)得度。早稲田大学文学部哲学科卒。同大学院修了。1924年(大正13年)輪王寺唯心院住職。大正大学教授、早稲田大学教授。1972年(昭和47年)大正大学学長。日本道教学会会長。1984年(昭和59年)、妙法院門跡門主49世。平成3年(1991)1月21日死去。92歳。著書多数。 |
50 | 大久保良順 | 1915-2010 | 1992-2002 | 自坊は天王寺。1915年(大正4年)生。大正大学学長。1992年(平成4年)妙法院門跡門主50世に就任。2002年(平成14年)退任。平成22年(2010)10月28日死去。95歳。 |
51 | 菅原信海 | 1925-2018 | 2003-2017 | 自坊は輪王寺照尊院。1925年(大正14年)生。早稲田大学第一文学部卒。1972年(昭和47年)早稲田大学教授。2001年(平成13年)戸津説法説法師。2003年(平成15年)妙法院門跡門主51世に就任。平成29年(2017)9月1日退任。東洋哲学会会長。天台宗勧学院院長。京都古文化保存協会理事長。平成30年(2018)2月11日死去。92歳。著書多数。 |
52 | 杉谷義純 | 1942- | 2017- | 1942年(昭和17年)生。寛永寺円珠院の出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒。大正大学大学院修了。寛永寺執事。宗議会議員。1993年(平成5年)宗務総長。大正大学理事長。平成25年(2013)戸津説法の説法師を務める。平成29年(2017)9月2日、妙法院門跡門主52世に就任(任期7年間)。著書多数。 |
(『日本仏家人名辞書』は光轍まで。望月信亨『仏教大辞典 付録』)