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善光寺大勧進
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月3日 (土)
善光寺大勧進(ぜんこうじ・だいかんじん)は、長野県長野市の善光寺の二つある本坊の一つを務める天台宗寺院(もう一つは大本願)。本尊は善光寺如来。天台宗延暦寺派別格大寺。本多善光を開祖とする。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。
伽藍
- 万善堂:本堂。本尊は善光寺如来。左に永代過去帳、右に本田善光・弥生・善佐。
- 位牌堂:
- 護摩堂:本尊は不動明王(円珍作)。愛染明王と良源も。
- 無量寿殿:内仏殿
- 地蔵堂:
- 聖天堂:
- 水子観音:
- 聖観音像
- 放生池:
- 大門:1789年(寛政1年)建立
- 紫雲閣:1996年(平成8年)建立
- 寺務所:
- 奥書院:
- 行在所:1878年(明治11年)の行幸で明治天皇の行在所となる。大正天皇、昭和天皇なども行在所として用いる。
組織
大勧進歴代
- 尭淳まで「善光寺別当伝略」(『蕗原拾葉』所収)[1]に基づく。この史料は幕末維新期に大勧進に仕えた学者の岩下貞融が編纂したもの。大勧進を顕彰する立場から古記録をつなぎ合わせて歴代として記したもの。大勧進歴代をそのまま「善光寺別当」だったとみなしている。
- 一方、1922年(大正11年)『善光寺史研究』[2]によると、信頼できる大勧進の歴代一覧は1769年(明和6年)の「御本坊代々之覚」が最古だという。これは秀慶から香雲まで記す。『善光寺史研究』は岩下貞融の研究が大勧進優位で偏っていると批判するために書かれたもの。
歴代 | 名前 | 号 | 生没年 | 在職年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 若麻績東人(本田善光) | ||||
2 | 若麻績作留(本田善佐) | ||||
3 | 若麻績諸身 | ||||
4 | 若麻績意比 | ||||
5 | 若麻績当世 | ||||
6 | 若麻績国依 | ||||
7 | 若麻績高倚 | ||||
8 | 若麻績大国 | ||||
9 | 若麻績東世 | ||||
10 | 若麻績広道 | ||||
11 | 若麻績利成 | ||||
12 | 若麻績寛膳部 | ||||
13 | 若麻績高雄 | ||||
14 | 若麻績正常 | ||||
15 | 若麻績時国 | ||||
16 | 丈部豊範 | ||||
17 | 丈部安平 | ||||
18 | 丈部時海 | ||||
19 | 丈部時郡 | ||||
20 | 丈部為重 | ||||
21 | 丈部知里 | ||||
22 | 丈部知歳 | ||||
23 | 丈部知門 | ||||
24 | 丈部衆延 | ||||
25 | 丈部高節 | ||||
26 | 丈部知隆 | ||||
27 | 善海 | 安元・治承(1175-1181)頃 | 園城寺に属すという。 | ||
28 | (不明) | 文治(1185-1189)頃 | 「勧進上人」と呼ばれる。 | ||
29 | (不明) | 「大阿闍梨中納言」と呼ばれる。 | |||
30 | 忠豪 | 建久(1190-1198)頃 | |||
31 | (不明) | 「大勧進」と呼ばれる。 | |||
32 | 浄定 | ||||
33 | 勝舜 | 園城寺の僧? | |||
34 | 良信 | ||||
35 | 親基 | ||||
36 | 維真 | 1253年(建長5年)4月、勧揚坊と協力して造営。 | |||
37 | (不明) | 勧揚坊 | |||
38 | 観西 | ||||
39 | 重実 | ||||
40 | 善西 | ||||
41 | 覚玄 | ||||
42 | 実円 | ||||
43 | 証範 | ||||
44 | 聖尊 | ||||
45 | 有慈 | ||||
46 | 勝賀 | ||||
47 | 俊乗 | 「俊栄」とも。 | |||
48 | 覚隆 | ||||
49 | 俊範 | ||||
50 | 静成 | この頃、聖護院に属すという。 | |||
51 | (不明) | 「権別当」と呼ばれる。 | |||
52 | 円西 | 応長・正和(1311-1317)頃 | 妙観院に住す | ||
53 | 善峰 | 応安(1368-1374)頃 | 妙観院に住す | ||
54 | (不明) | 妙観院 | 妙観院に住す。89世に当たるとも。 | ||
55 | (不明) | 阿弥陀院 | |||
56 | (不明) | 妙法院 | |||
57 | (不明) | 蓮華院 | |||
58 | (不明) | 往生院 | |||
59 | (不明) | 無常院 | |||
60 | (不明) | 正覚院 | |||
61 | 秀慶 | ?-1549 | 永正(1504-1521)頃 | 1549年(天文18年)3月9日死去。 | |
62 | 重秀 | ?-1571 | 1541- | 1541年(天文10年)に就任。甲府に随行。1571年(元亀2年)7月21日、甲府新善光寺で死去。 | |
63 | 重繁 | ?-1601 | 1581-1601 | 当時、上杉景勝について、越後に赴いていた妙観院が大勧進に命じられた。善光寺如来の京都・方広寺遷座に供奉したとされる。1601年(慶長6年)4月27日死去。 | |
64 | 重栄 | ?-1630 | 1601-1628 | 実際の大勧進の開山か。桜井信忠の支族。「後還座縁起」を記した。1630年(寛永7年)10月17日死去。 | |
65 | 重吽 | ?-1632 | 1630-1632 | 重栄の弟子。山城醍醐院で学ぶ。1632年(寛永9年)7月16日死去。 | |
66 | 重慶 | ?-1640 | 1632-1640 | 重吽の弟子。1640年(寛永17年)3月13日死去。 | |
67 | 重昌 | ?-1666 | 1640-1666 | 白蓮坊出身(中衆は妻帯僧)。重慶の弟子。1666年(寛文6年)10月19日死去。 | |
68 | 重真 | ?-1680 | 1666-1680 | 淵之坊出身。吉祥院住職を経る。この代より天台宗に改宗となる。1680年(延宝8年)1月8日死去。 | |
69 | 重僖 | 教智院 | ?-1695 | 1680-1684 | 肥後出身。重真の弟子。常智院住職を経る。松代藩主を外護職とする。1695年(元禄8年)5月15日死去。 |
70 | 学海 | 安祥院 | ?-1718 | 1684-1689 | 重僖の弟子。東叡山松林院住職を経る。「善光寺年中行事定書」を著す。のち重賢と称す。1718年(享保3年)3月6日死去。 |
71 | 本孝 | ?-1695 | 1689-1695 | 常陸出身。下谷養玉院住職、常陸最勝王寺住職を経る。能書家。『善光寺縁起五巻』を記す。元禄5年、回向院にて出開帳を行う。同年、輪王寺宮公弁法親王の命で本尊検仏。真如堂や四天王寺でも開帳。1695年(元禄8年)9月2日死去。 | |
72 | 見海 | 清浄林院 | ?-1718 | 1695-1700 | 常陸出身。三河真福寺学頭を経る。大勧進の火災により本堂再建のために資材焼失。引責辞任。武蔵金鑚寺に移る。1718年(享保3年)3月10日死去。 |
73 | 慶運 | 即住院 | ?-1729 | 1700-1714 | 柳沢吉保の甥という。駒込大保福寺住職、感応寺住職を経る。戒善院室を称す。祠堂金貸付を始める。根津昌泉院に転住。寿碑を建てる。大保福寺に墓所があったが、谷中・天王寺に改葬し、善光寺に分骨。大勧進墓地では慶運の墓碑が中心となっている。1729年(享保14年)5月24日死去。 |
74 | 真円 | 戒善院 | ?-1720 | 1714-1720 | 京都出身。寛永寺に入寺。慈明とも称す。1720年(享保5年)2月30日死去。 |
75 | 慈泉 | 霊山院 | 1658-1730 | 1720-1728 | 寛永寺坊官の出身。蓮堂とも称す。1730年(享保15年)8月20日死去。73歳(77歳とも)。出羽・寂光寺の「慈永」か? |
76 | 慈蘊 | 霊山院 | 1684-1739 | 1728-1739 | 慈泉の弟子。比叡山法乗院住職、寛永寺明静院住職を経る。1739年(元文4年)12月17日死去。55歳。 |
77 | 香厳 | 受徳院 | 1689-1758 | 1739-1758 | 伊勢出身。真円の弟子。慈泉の弟子。比叡山覚常院住職、松林坊住職、寛永寺明静院住職を経る。京都開帳のときに、如来を報じて参内。内仏殿建立。1758年(宝暦8年)2月9日死去。68歳。 |
78 | 香雲 | 海龍王院 | 1711-1762 | 1758-1768 | 伊勢出身。比叡山金蔵院住職を経る。1768年(明和5年)9月7日死去。50歳。 |
79 | 慈薫 | ?-1782 | 1768-1782 | 比叡山安禅院住職を経る。如来を奉じて参内。東海道、江戸、陸奥、出羽、越後を巡錫。1782年(天明2年)6月23日死去。 | |
80 | 等順 | 不軽行院 | ?-1804 | 1782-1801 | 門前町の美濃屋出身。寛永寺護国院住職を経る。浄林院を称す。浅間山噴火被災者に「融通念仏血脈譜」を授ける。全国各地を布教。「南無阿弥陀仏」の名号を配る。島原で温泉嶽噴火犠牲者のための大供養を行う。如来を奉じて参内。万善堂・内仏殿を再建。京都養源院に転住。1804年(文化1年)3月25日死去。 |
81 | 孝覚 | 讃寿院 | ?-1806 | 1801-1806 | 美濃出身。比叡山の各院に住する。『霊巣集』『戸隠詣記』など著書あり。1806年(文化3年)10月14日死去。 |
82 | 亮寛 | 念体院 | ?-1831 | 1806-1814 | 津軽出身。延暦寺、市谷自証院を経る。1831年(天保2年)6月4日多武峰竹林坊で死去。 |
83 | 晃道 | 是空院 | ?-1821 | 1814-1821 | 肥前出身。詩歌・書画を好む。江戸時代最後の出開帳を行う。1821年(文政4年)5月24日死去。『是空集』など著書あり。 |
84 | 光純 | 浄厳院 | ?-1843 | 1821-1838 | 豊後出身。比叡山金台院住職、寛永寺寿昌院住職、羽黒山別当(未確認)、大猷院別当を経る。仏足跡を建立。辞職して浅草清水寺に閑居。1843年(天保14年)11月14日死去。 |
85 | 山海 | 阿弥陀院 | 1784-1853 | 1838- | 上野出身。羽黒山別当(出羽・寂光寺)、世良田長楽寺住職を経る。1853年(嘉永6年)閏7月5日死去。68歳。 |
86 | 尭淳 | 無礙光院 | 1802-1862 | 1854-1862 | 三河出身。戸隠山勧修院尭威の弟子。比叡山渓広院住職を経る。1862年(文久2年)閏8月26日死去。59歳。 |
87 | 清水谷義順 | 1862-1873 | 江戸出身。東叡山護国院主を経る。大講義。目黒清水寺に埋葬。 | ||
88 | 波母山考信 | 1873-1880 | 経歴不詳。 | ||
89 | 村田寂順 | 1838-1905 | 1881-1894 | 天台座主238世。鰐淵寺住職。三千院門跡門主53世。妙法院門跡門主43世(大勧進住職時代も兼任)。(略歴は妙法院#組織を参照) | |
90 | 三輪澄諦 | 1894-1894 | 島根出身。比叡山護心院住職、浅草寺住職、瀧泉寺住職、長楽寺住職を経る。1894年(明治27年)、大勧進住職となるが、同年に天台宗真盛派管長(西教寺住職)に就任。 | ||
91 | 高木習道 | 1844-1904 | 1894-1902 | 尾張出身。四天王寺の宝戒の弟子。美濃・華厳寺住職を経て1894年(明治27年)から1902年(明治35年)まで大勧進住職。善峰寺兼務。1904年(明治37年)12月3日死去。61歳。(日本人名大辞典) | |
92 | 福江道貫 | 1902-1907 | 財団法人善光寺保存会を設立。1902年(明治35年)から1907年(明治40年)まで大勧進貫主。 | ||
93 | 石堂晃純 | 1908-1926 | 千葉出身。1908年(明治41年)から1926年(昭和1年)まで大勧進貫主。 | ||
94 | 水尾寂暁 | 清浄金剛院 | 1877-1942 | 1926-1942 | 岡山出身。1877年(明治10年)生。片山潜の異母弟。比叡山子院住職を経る。1926年(昭和1年)3月1日大勧進貫首就任。1942年(昭和17年)病で辞任。7月31日、坂本会心庵で死去。 |
95 | 清水谷恭順 | 1891-1979 | 1942-1953 | 群馬出身。浅草寺住職。聖観音宗管長2代。1942年(昭和17年)から1953年(昭和28年)まで大勧進貫主。(略歴は浅草寺#組織を参照) | |
96 | 東伏見慈洽 | 1910-2014 | 1953-1959 | 久邇宮邦彦王の第三王子。青蓮院門跡。1953年(昭和28年)から1959年(昭和34年)まで大勧進貫主。(略歴は青蓮院#組織を参照) | |
97 | 都築玄妙 | 1904-1988 | 1959-1977 | 群馬出身。1904年(明治37年)生。1959年(昭和34年)から1977年(昭和52年)まで大勧進貫主。1988年(昭和63年)死去。 | |
98 | 三浦義薫 | 1977-1985 | 滋賀出身。比叡山玉泉院住職、仏乗院住職を経る。1977年(昭和52年)から1985年(昭和60年)まで大勧進貫主。 | ||
99 | 古宇田亮宣 | 1985-1989 | 東京出身。寛永寺執事長、比叡山延暦寺三光院住職を経る。1985年(昭和60年)から1989年(平成1年)まで大勧進貫主。 | ||
100 | 池山一切円 | 1917-2002 | 1989-1993 | 愛知出身。1917年(大正6年)生。1927年(昭和2年)得度。延暦寺教化部長、叡山学院院長を経る。1989年(平成1年)から1993年(平成5年)から大勧進貫主。金台院住職。望擬講。2002年(平成14年)9月16日死去。 | |
101 | 石塚慈侊 | 1924-2022 | 1993-2002 | 栃木県出身。1924年(大正13年)生。1935年(昭和10年)得度。1944年(昭和19年)出征。1945年(昭和20年)復員。同年、大正大学卒。1948年(昭和23年)輪王寺に奉職。1955年(昭和30年)輪王寺安養院住職。1985年(昭和60年)から1990年(平成2年)まで輪王寺執事長。1990年(平成2年)大勧進副住職。1993年(平成5年)3月から2002年(平成14年)4月まで大勧進貫主。日光修験道山王院住職。2022年(令和4年)3月25日死去。 | |
102 | 小松玄澄 | 1933- | 2002-2018 | 京都府宇治市出身。1933年(昭和8年)生。1956年(昭和31年)龍谷大学卒。宝寿寺住職を務めた。1991年(平成3年)大勧進副住職。2002年(平成14年)大勧進貫主。2018年(平成30年)3月31日で辞任したが地位確認を求めて係争。 | |
103 | 瀧口宥誠 | 1933-2022 | 2018-2022 | 山形県出身。1933年(昭和8年)生。叡山学院卒。延暦寺南山坊、延暦寺龍珠院を経て延暦寺善学院住職。2002年(平成14年)6月に善光寺大勧進副住職に就任。2018年(平成30年)4月1日特命住職に就任。同年5月1日に貫主に正式就任。2022年(令和4年)4月18日死去。88歳。 | |
104 | 栢木寛照 | 1946- | 2022- | 滋賀県甲賀市水口出身。1946年(昭和21年)生。1968年(昭和43年)比叡山無動寺で出家。叡南覚照に師事。1975年(昭和50年)金乗院住職。比叡山慈光院住職。三宝莚住職。天台宗宗議会議長を務めた。2015年(平成27年)善光寺大勧進副住職。2022年(令和4年)6月17日、善光寺大勧進貫主。 |