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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

善光寺大勧進

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月25日 (土)

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善光寺大勧進(ぜんこうじ・だいかんじん)は、長野県長野市の善光寺の二つある本坊の一つを務める天台宗寺院(もう一つは大本願)。本尊は善光寺如来天台宗延暦寺派別格大寺本多善光を開祖とする。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。

組織

大勧進歴代

  • 尭淳まで「善光寺別当伝略」(『蕗原拾葉』所収)[1]に基づく。この史料は幕末維新期に大勧進に仕えた学者の岩下貞融が編纂したもの。大勧進を顕彰する立場から古記録をつなぎ合わせて歴代として記したもの。大勧進歴代をそのまま「善光寺別当」だったとみなしている。
  • 一方、1922年(大正11年)『善光寺史研究』[2]によると、信頼できる大勧進の歴代一覧は1769年(明和6年)の「御本坊代々之覚」が最古だという。これは秀慶から香雲まで記す。『善光寺史研究』は岩下貞融の研究が大勧進優位で偏っていると批判するために書かれたもの。
歴代 名前 生没年 在職年 備考
1 若麻績東人(本田善光
2 若麻績作留(本田善佐)
3 若麻績諸身
4 若麻績意比
5 若麻績当世
6 若麻績国依
7 若麻績高倚
8 若麻績大国
9 若麻績東世
10 若麻績広道
11 若麻績利成
12 若麻績寛膳部
13 若麻績高雄
14 若麻績正常
15 若麻績時国
16 丈部豊範
17 丈部安平
18 丈部時海
19 丈部時郡
20 丈部為重
21 丈部知里
22 丈部知歳
23 丈部知門
24 丈部衆延
25 丈部高節
26 丈部知隆
27 善海 安元・治承(1175-1181)頃 園城寺に属すという。
28 (不明) 文治(1185-1189)頃 「勧進上人」と呼ばれる。
29 (不明) 「大阿闍梨中納言」と呼ばれる。
30 忠豪 建久(1190-1198)頃
31 (不明) 「大勧進」と呼ばれる。
32 浄定
33 勝舜 園城寺の僧?
34 良信
35 親基
36 維真 1253年(建長5年)4月、勧揚坊と協力して造営。
37 (不明) 勧揚坊
38 観西
39 重実
40 善西
41 覚玄
42 実円
43 証範
44 聖尊
45 有慈
46 勝賀
47 俊乗 「俊栄」とも。
48 覚隆
49 俊範
50 静成 この頃、聖護院に属すという。
51 (不明) 「権別当」と呼ばれる。
52 円西 応長・正和(1311-1317)頃 妙観院に住す
53 善峰 応安(1368-1374)頃 妙観院に住す
54 (不明) 妙観院 妙観院に住す。89世に当たるとも。
55 (不明) 阿弥陀院
56 (不明) 妙法院
57 (不明) 蓮華院
58 (不明) 往生院
59 (不明) 無常院
60 (不明) 正覚院
61 秀慶 ?-1549 永正(1504-1521)頃 1549年(天文18年)3月9日死去。
62 重秀 ?-1571 1541- 1541年(天文10年)に就任。甲府に随行。1571年(元亀2年)7月21日、甲府新善光寺で死去。
63 重繁 ?-1601 1581-1601 当時、上杉景勝について、越後に赴いていた妙観院が大勧進に命じられた。善光寺如来の京都・方広寺遷座に供奉したとされる。1601年(慶長6年)4月27日死去。
64 重栄 ?-1630 1601-1628 実際の大勧進の開山か。桜井信忠の支族。「後還座縁起」を記した。1630年(寛永7年)10月17日死去。
65 重吽 ?-1632 1630-1632 重栄の弟子。山城醍醐院で学ぶ。1632年(寛永9年)7月16日死去。
66 重慶 ?-1640 1632-1640 重吽の弟子。1640年(寛永17年)3月13日死去。
67 重昌 ?-1666 1640-1666 白蓮坊出身(中衆は妻帯僧)。重慶の弟子。1666年(寛文6年)10月19日死去。
68 重真 ?-1680 1666-1680 淵之坊出身。吉祥院住職を経る。この代より天台宗に改宗となる。1680年(延宝8年)1月8日死去。
69 重僖 教智院 ?-1695 1680-1684 肥後出身。重真の弟子。常智院住職を経る。松代藩主を外護職とする。1695年(元禄8年)5月15日死去。
70 学海 安祥院 ?-1718 1684-1689 重僖の弟子。東叡山松林院住職を経る。「善光寺年中行事定書」を著す。のち重賢と称す。1718年(享保3年)3月6日死去。
71 本孝 ?-1695 1689-1695 常陸出身。下谷養玉院住職、常陸最勝王寺住職を経る。能書家。『善光寺縁起五巻』を記す。元禄5年、回向院にて出開帳を行う。同年、輪王寺宮公弁法親王の命で本尊検仏。真如堂四天王寺でも開帳。1695年(元禄8年)9月2日死去。
72 見海 清浄林院 ?-1718 1695-1700 常陸出身。三河真福寺学頭を経る。大勧進の火災により本堂再建のために資材焼失。引責辞任。武蔵金鑚寺に移る。1718年(享保3年)3月10日死去。
73 慶運 即住院 ?-1729 1700-1714 柳沢吉保の甥という。駒込大保福寺住職、感応寺住職を経る。戒善院室を称す。祠堂金貸付を始める。根津昌泉院に転住。寿碑を建てる。大保福寺に墓所があったが、谷中・天王寺に改葬し、善光寺に分骨。大勧進墓地では慶運の墓碑が中心となっている。1729年(享保14年)5月24日死去。
74 真円 戒善院 ?-1720 1714-1720 京都出身。寛永寺に入寺。慈明とも称す。1720年(享保5年)2月30日死去。
75 慈泉 霊山院 1658-1730 1720-1728 寛永寺坊官の出身。蓮堂とも称す。1730年(享保15年)8月20日死去。73歳(77歳とも)。出羽・寂光寺の「慈永」か?
76 慈蘊 霊山院 1684-1739 1728-1739 慈泉の弟子。比叡山法乗院住職、寛永寺明静院住職を経る。1739年(元文4年)12月17日死去。55歳。
77 香厳 受徳院 1689-1758 1739-1758 伊勢出身。真円の弟子。慈泉の弟子。比叡山覚常院住職、松林坊住職、寛永寺明静院住職を経る。京都開帳のときに、如来を報じて参内。内仏殿建立。1758年(宝暦8年)2月9日死去。68歳。
78 香雲 海龍王院 1711-1762 1758-1768 伊勢出身。比叡山金蔵院住職を経る。1768年(明和5年)9月7日死去。50歳。
79 慈薫 ?-1782 1768-1782 比叡山安禅院住職を経る。如来を奉じて参内。東海道、江戸、陸奥、出羽、越後を巡錫。1782年(天明2年)6月23日死去。
80 等順 不軽行院 ?-1804 1782-1801 門前町の美濃屋出身。寛永寺護国院住職を経る。浄林院を称す。浅間山噴火被災者に「融通念仏血脈譜」を授ける。全国各地を布教。「南無阿弥陀仏」の名号を配る。島原で温泉嶽噴火犠牲者のための大供養を行う。如来を奉じて参内。万善堂・内仏殿を再建。京都養源院に転住。1804年(文化1年)3月25日死去。
81 孝覚 讃寿院 ?-1806 1801-1806 美濃出身。比叡山の各院に住する。『霊巣集』『戸隠詣記』など著書あり。1806年(文化3年)10月14日死去。
82 亮寛 念体院 ?-1831 1806-1814 津軽出身。延暦寺、市谷自証院を経る。1831年(天保2年)6月4日多武峰竹林坊で死去。
83 晃道 是空院 ?-1821 1814-1821 肥前出身。詩歌・書画を好む。江戸時代最後の出開帳を行う。1821年(文政4年)5月24日死去。『是空集』など著書あり。
84 光純 浄厳院 ?-1843 1821-1838 豊後出身。比叡山金台院住職、寛永寺寿昌院住職、羽黒山別当(未確認)、大猷院別当を経る。仏足跡を建立。辞職して浅草清水寺に閑居。1843年(天保14年)11月14日死去。
85 山海 阿弥陀院 1784-1853 1838- 上野出身。羽黒山別当(出羽・寂光寺)、世良田長楽寺住職を経る。1853年(嘉永6年)閏7月5日死去。68歳。
86 尭淳 無礙光院 1802-1862 1854-1862 三河出身。戸隠山勧修院尭威の弟子。比叡山渓広院住職を経る。1862年(文久2年)閏8月26日死去。59歳。
87 清水谷義順 1862-1873 江戸出身。東叡山護国院主を経る。大講義。目黒清水寺に埋葬。
88 波母山考信 1873-1880 経歴不詳。
89 村田寂順 1838-1905 1881-1894 天台座主238世。鰐淵寺住職。三千院門跡門主53世。妙法院門跡門主43世(大勧進住職時代も兼任)。(略歴は妙法院#組織を参照)
90 三輪澄諦 1894-1894 島根出身。比叡山護心院住職、浅草寺住職、瀧泉寺住職、長楽寺住職を経る。1894年(明治27年)、大勧進住職となるが、同年に天台宗真盛派管長(西教寺住職)に就任。
91 高木習道 1844-1904 1894-1902 尾張出身。四天王寺の宝戒の弟子。美濃・華厳寺住職を経て大勧進住職。善峰寺兼務。1904年(明治37年)12月3日死去。61歳。(日本人名大辞典)
92 福江道貫 1902-1907 財団法人善光寺保存会を設立。
93 石堂晃純 1908-1926 千葉出身。
94 水尾寂暁 1926-1942 岡山出身。比叡山子院住職を経る。1926年(昭和1年)大勧進貫首就任。1942年(昭和17年)病で辞任。7月31日、坂本会心庵で死去。
95 清水谷恭順 1891-1979 1942-1953 群馬出身。浅草寺住職。聖観音宗管長2代。(略歴は浅草寺#組織を参照)
96 東伏見慈洽 1910-2014 1953-1959 久邇宮邦彦王の第三王子。青蓮院門跡。(略歴は青蓮院#組織を参照)
97 都築玄妙 1904-1988 1959-1977 群馬出身。
98 三浦義薫 1977-1985 滋賀出身。比叡山玉泉院住職、仏乗院住職を経る。
99 古宇田亮宣 1985-1989 東京出身。寛永寺執事長、比叡山延暦寺三光院住職を経る。
100 池山一切円 ?-2002 1989-1993 愛知出身。延暦寺教化部長、叡山学院院長を経る。
101 石塚慈侊 1993-? 栃木県出身。輪王寺安養院住職、輪王寺執事長を経る。日光修験道山王院住職。
102 小松玄澄 2002-2018 京都府宇治市出身。宝寿寺住職を務めた。2018年3月31日で辞任したが地位確認を求めて係争中。
103 瀧口宥誠 1933- 2018-現職 1933年生。山形県出身。叡山学院卒。延暦寺南山坊、延暦寺龍珠院を経て延暦寺善学院住職。2002年6月に善光寺大勧進副住職に就任。2018年4月1日特命住職に就任。同年5月1日に貫主に正式就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E5%8B%A7%E9%80%B2」より作成

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