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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

専照寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月28日 (木)

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専照寺(せんしょうじ)は、福井県福井市にある浄土真宗本山寺院大町門徒(三門徒)の正統を自認する真宗三門徒派の本山で、越前四本山(証誠寺毫摂寺誠照寺専照寺)の一つ。大町・専修寺から分裂して創建され、開山は浄一。江戸時代は、院家の格式を持つ妙法院門跡の末寺だった。四本山の中で唯一城下町に移った。越前国足羽郡。中野本山。 山号は中野山、鹿苑山。

目次

歴史

成立

如導が創建した大町専修寺では2世以来、専修寺の教義が浄土真宗から外れ、浄土宗西山派に近づく傾向にあったとされる。至徳2年(1385)には道性が離脱して証誠寺を分立するなど、このことに傘下の門徒の一部は危惧を抱いていた。そして4世某(『日本仏教基礎講座』では名を浄光とする)の時代の永享7年(1435)には本願寺から破門を宣告され、再び分立を引き起こしたと考えられている。同年、離脱した有力末寺が浄一という僧を擁立して足羽郡蕗路里中野(福井市中野町)に移り建てたのが専照寺という。地名から中野門徒と呼ばれる。年代については『専照寺縁起』の応永3年(1396)説もある。

この時離脱した有力末寺とは帆山の誓願寺、河北(こぎた)の専光寺、社の専通寺。浄一は帆山誓願寺道願の子という。了泉の三男ともいうが年代が合わないという。元は足利将軍家連枝の鞍谷御所(越前市池泉町)に仕えており、分立に際して出家したため僧侶としての経歴は浅く、そのため有力末寺3寺が後見役となったという。 証誠寺を兼務していた京都・毫摂寺の末寺となった。 なお本願寺から破門宣告が出た背景には、大町門徒各本山を傘下に収めつつあった毫摂寺の働き掛けもあった可能性が示唆されている。

中世

当時、中野は京都鹿苑寺(金閣寺)の寺領で、山号の鹿苑山もこれに由来するとみられる。 永享9年(1437)11月、将軍足利義教の帰依を受け、寺領を得たとされる。 戦国時代には朝倉氏に味方して、一向一揆と激しく対立した。

「真言宗田中善法寺」(石清水八幡宮善法寺のことか)の末寺になった時期もあったという(中野物語)。

近世

天正年間、本願寺教団と不和があり、興宗寺(福井市松本)心願らに焼かれた(慶長年間とも)。そのため天正10年(1582)、北庄城(福井城)下の堀小路(福井県西木田)に移転。 天正13年(1585)8月、正親町天皇の勅願所となる。以後、住職就任時に宮中参内が慣例になったという。

江戸時代には天台宗妙法院門跡院家となる。 承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に如導の墓を建立した。 元禄2年(1689)、親鸞信仰を疎かにしているとの批判があり末寺が分裂。親鸞崇拝を重視する専超寺や清水山の専伝寺が西本願寺末に転じた。専超寺了恩は『中野物語』を執筆した。

享保9年(1724)、証如は境内狭隘を理由に現在地(新屋敷下町、福井市みのり)に移転。証如は伽藍を建て制度を整備した。 天保8年(1837)の大火で伽藍焼失。翌年、御影堂などを再建。

近現代

明治6年(1873)、東本願寺末に所属(明治5年9月とも)。明治11年(1878)12月、独立して真宗三門徒派を称した。教団名として「真宗三門徒派」を名乗るのは三門徒発祥の大町専修寺の正統に一番近いことへの誇りの現れだろうか。法主家は平家を名乗るが、如導が平氏出身との伝承に基づくと思われる。昭和23年(1948)6月の福井大震災で御影堂を残して伽藍倒壊。昭和34年(1959)阿弥陀堂再建。


(1996「鯖屋誠照寺・中野専照寺の成立」、日本仏教基礎講座、国史大辞典、日本歴史地名大系)

伽藍

諸堂

  • 御影堂:本尊は親鸞。木像で胎内に親鸞自作の面と遺骨を収めるという。如導木像、歴代御影を祀る。天保9年の再建。大震災を免れた旧市内最古の建造物。
  • 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。木像で春日作という。「本堂」とされる。脇間には聖徳太子と法然の像を祀り、余間には六高祖の絵像を祀る。また正親町天皇と足利義教の位牌を祀る。
  • 如導墓:承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に建立した。

塔頭

  • 教覚寺
  • 菩提寺

組織

歴代住職

歴代 法諱 院号 生没年 在職年 備考
1 如導 1253-1340 大町門徒の祖。
2 如浄 本覚院 1306-1381 如導の次男。1340年(興国1年/暦応3年)継承という。1381年(弘和1年/永徳1年)3月10日死去。1362年、浄土宗西山派の教えに「傾いた」ため、門徒から激しい非難を受けた。小泉論文は1375年死去とする。
3 了泉 心海院 1317-1404 如導の三男。『真宗人名辞典』では生年不明とする。『中野物語』にいう「良金」のことで「良金」は「良全」の誤りと考えられている。1404年(応永11年)11月13日死去(1405年死去とも)。
4 浄一 心月院 1364-1438 1426-1438 専照寺の実質的な開山。1364年(正平19年/貞治3年)8月15日生。1426年(応永33年)専照寺分立。1438年(永享10年)7月7日死去。
5 源如 三楽院 1412-1462 略歴不詳。1412年(応永19年)生。1462年(寛正3年)8月25日死去。
6 如海 廻向院 1421-1488 1462- 略歴不詳。1421年(応永28年)生。1462年(寛正3年)継承。1488年(長享2年)4月21日死去。
7 空恵 実相院 1457-1515 略歴不詳。1457年(長禄1年)9月27日生。1515年(永正12年)9月3日死去。
8 如空 龍華院 1474-1554 略歴不詳。1474年(文明6年)12月18日生。1554年(天文23年)10月15日死去。『中野物語』では覚如が先
9 覚如 浄心院 1527-1561 1527年(大永7年)2月15日生。1561年(永禄4年)2月7日死去。『中野物語』では1531年(享禄4年)死去。
10 善智 本秀院 1534-1573 1534年(天文3年)6月12日生(1504年(永正1年)生という説もある)。1573年(天正1年)6月21日死去。
11 善連 始覚院 1548-1589 1573-1589 1548年(天文17年)1月3日生。1589年(天正17年)8月14日死去。1573年(天正1年)継承。1575年(天正3年)越前一向一揆と対立。1582年(天正10年)中野から北庄に移転。1585年(天正13年)権大僧都法印となり、正親町天皇の勅願所となる。『中野物語』では善清。
12 善慶 光顔院 1564-1612 1589-1612 1564年(永禄7年)4月23日生。1589年(天正17年)継承。1591年(天正19年)堀秀治から安堵。1593年(文禄2年)松平秀康から安堵。1612年(慶長17年)8月11日死去。
13 善性 芳香院 1609-1637 1612-1637 1609年(慶長14年)3月13日生。1612年(慶長17年)継承。1624年(寛永1年)朱印状を得る。1637年(寛永14年)8月12日死去。「善住」は誤り。
14 善空 浄元院 1634-1667 1637-1667 1634年(寛永11年)12月25日生。1637年(寛永14年)継承。1667年(寛文7年)1月4日死去。
15 如善 貞元院 1640-1679 1667-1679 1640年(寛永17年)8月8日生。1667年(寛文7年)継承。1679年(延宝7年)1月2日死去。
16 如閑 貞光院 1646-1686 1679-1685 1646年(正保3年)3月11日生。1679年(延宝7年)継承。隠居(?)。1686年(貞享3年)10月29日死去。
17 証如 往還院 1678-1761 1685-?,?-1761 1678年(延宝6年)9月27日生。1685年(貞享2年)継承。現在地に移転。一旦隠居したが広如の死去で再任。1761年(宝暦11年)7月2日死去。
18 広如 究竟院 1708-1741 ?-1741 1708年(宝永5年)7月22日生(1702年(元禄15年)生とも)。継承年不明。1741年(寛保1年)11月4日死去。
19 誉如 無量光院 1736-1807 池尻栄房の子。1736年(元文1年)2月18日生。1761年(宝暦11年)継承。1807年(文化4年)7月13日死去。
20 賢如 功徳聚院 1779-1819 1779年(安永8年)3月14日生。妻は池尻暉房娘の勝姫。1819年(文政2年)1月18日死去。
21 信如 無礙光院 1807-1826 1819-1826 1807年(文化4年)生(1809年(文化6年)9月13日生とも)。1819年(文政2年)継承。妻は今出川家の智姫。1826年(文政9年)3月15日死去。
22 平聞如 歓喜光院 1811-1888 1826- 信如の子。1811年(文化8年)8月4日生。1826年(文政9年)継承。妻は誠照寺の娘の晃姫。隠居。1888年(明治21年)1月7日死去。
23 平光如 無量寿院 1842-1874 毫摂寺出身。1842年(天保13年)9月5日生。妻は真姫。1874年(明治7年)5月19日死去。
24 平宣如 無称光院 1866-1897 1874- 光如の子。1866年(慶応2年)8月6日生。1874年(明治7年)継承。1878年(明治11年)管長初代。1897年(明治30年)1月22日死去。諱は浄宣。
25 円如(平光円) 興教華院 1867-1934 宣如の子。1867年(慶応3年)生(1868年(明治1年)生とも)。妻は証誠寺出身の総子。1934年(昭和9年)7月19日死去。諱は光円。
26 寿如(平光寿) 1903-1991 円如の子。1904年(明治37年)4月19日生。妻は二条基弘の娘承子。1991年(平成3年)2月20日死去。諱は光寿。
27 平光顕 1936- 1936年(昭和11年)11月3日生。
28 平光慈

『真宗人名辞典』など。望月『仏教大辞典 付録』も参照。親鸞を1世、如導を2世とする数え方もある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%82%E7%85%A7%E5%AF%BA」より作成

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