ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
鹿苑寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月23日 (木)
鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都府京都市北区金閣寺町にある臨済宗寺院。本尊は聖観音。臨済宗相国寺派。大本山相国寺の境外塔頭とされる。金閣寺。山号は北山。(参考:同名寺院黄金寺院)
目次 |
歴史
足利義満は西園寺を含む西園寺家の山荘を没収し、1397年(応永4年)に北山殿を造営した。室町殿以降、将軍邸内には観音堂を建てる慣例があり舎利殿(金閣)が建てられた。1398年(応永5年)に義満が北山殿に移住した。1408年(応永15年)義満の死後、足利義持、義満夫人の日野康子(北山院)が在所とした。1419年(応永26年)日野康子の死後、足利義持が義満の院号鹿苑院殿から鹿苑寺と名付け、夢窓疎石(既に1351年(正平6年/観応2年)に死去)を勧請開山として禅寺とした。歴代将軍が参詣し、中でも8代将軍足利義政は毎年10月15日に参詣した。舎利殿のほか、仏殿、泉殿、書院、不動堂などがあった。 1467年(応仁1年)6月、応仁の乱で破壊され、舎利殿を残して焼失した。 舎利殿が金閣と呼ばれるようになるのは荒廃後のことで、1484年(文明16年)が初出。
相国寺中興の西笑承兌が鹿苑寺の復興にも着手し、1589年(天正17年)12月1日、豊臣秀吉が朱印状を下して寺領350石を寄進した。1788年(天明8年)相国寺末寺帳でもこの寺領は維持されている。天正年間、宇喜多秀家が不動堂を再建。慶長年間、後水尾天皇の行幸にあたり、金森宗和が夕佳亭を建立。延宝年間に方丈を再建。享保年間に鐘楼・大書院を再建。天保年間に庫裏・唐門を再建した。 1904年(明治37年)舎利殿を解体修理。1950年(昭和25年)7月2日、寺僧の放火により舎利殿焼失。1955年(昭和30年)舎利殿を復元再建。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)
伽藍
- 舎利殿(金閣)
- 不動堂:本尊は不動明王。空海作という石不動が石窟の中にあり、その前に礼堂が建てられている。
- 榊雲:祭神は春日明神。鎮守社。
- 白蛇塚:安民沢という池に浮かぶ小島にある石塔。
- 夕佳亭:茶室。
組織
住職
- 『室町時代の相国寺住持と塔頭』、臨済宗相国寺派ウェブサイト「金閣寺住持位次」[1]より。
世数 | 名 | 生没年 | 就任年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
開山 | 夢窓疎石 | 1275-1351 | 相国寺勧請開山。 | |
用中周本 | 生没年不詳 | 1435年(永享7年)以前就任。筑前・聖福寺87世。 | ||
(不明) | 生没年不詳 | ?-1438 | 1438年(永享10年)6月18日退任。(ウェブサイトになし) | |
大愚性智 | ?-1439 | 1438-1439 | 大海寂弘の法嗣。安養寺、清見寺、東福寺89世、天龍寺57世、南禅寺92世、建仁寺121世を歴任。1438年(永享10年)6月25日頃就任。1439年(永享11年)6月27日退任。30日死去。 | |
徳仲等懋 | ?-1446 | 1439-? | 1439年(永享11年)7月17日就任。1440年(永享12年)以降退任。1446年(文安3年)12月26日死去。 | |
瑞渓周鳳 | 1391-1473 | 不詳 | 相国寺42世。1448年(文安5年)以前就任。1449年(宝徳1年)以降退任。1473年(文明5年)5月8日死去。 | |
東岳澄昕 | 1388-1463 | 不詳 | 相国寺45世。1453年(享徳2年)以前就任。1463年(寛正4年)4月3日死去。 | |
東岡周〓 | ?-1450 | 不詳 | 相国寺43世。1455年(康正1年)以前就任(没年と合わない?)。相国寺派ウェブサイトになし。(〓は「山尺」) | |
立之瑞幢 | 1458-1459 | 天龍寺135世。1458年(長禄2年)3月21日就任。1459年(長禄3年)12月3日退任。 | ||
竺峰懐雄 | 1459-1462 | 天龍寺125世。南禅寺194世。1459年(長禄3年)12月3日、将軍が就任了承。1462年(寛正3年)8月5日退任して南禅寺住職。 | ||
以鈍等鋭 | 生没年不詳 | 1462-? | 相国寺58世。1462年(寛正3年)8月17日、将軍が就任了承。1463年(寛正4年)以前に退任。 | |
(不明) | ?-1466 | 1466年(文正1年)7月16日退任。 | ||
黙堂寿照 | 不詳 | (『室町時代の相国寺住持と塔頭』 になし) | ||
同文景忞 | 生没年不詳 | 1466-? | 相国寺73世。1466年(文正1年)7月19日将軍了承。1467年(応仁1年)以前退任。 | |
桃隠昌源 | 不詳 | 南禅寺219世。1480年(文明12年)以前に就任。(ウェブサイトになし) | ||
維馨梵桂 | 1404-1490 | ?-1489 | 相国寺72世。1484年(文明16年)以前に就任。1489年(延徳1年)2月13日退任。(ウェブサイトでは同文景忞の前) | |
真境性致 | 1489-1491 | 1489年(延徳1年)2月19日就任。1491年(延徳3年)12月8日退任。真境致智。 | ||
春英寿芳 | 1491-? | 天龍寺152世。瑞渓周鳳の法嗣。1491年(延徳3年)12月13日就任。1493年(明応2年)以降退任。相国寺慶雲院常喜軒。 | ||
泰甫恵通 | 不詳 | 等持寺、宝筐院に歴任。 | ||
九江 | 不詳 | (九江妙亀とは別人か) | ||
梅叔法霖 | 生没年不詳 | 不詳 | 相国寺89世。 | |
桃蹊等種 | 不詳 | 文林慶集の法嗣。 | ||
維高妙安 | 1480-1567 | 不詳 | 相国寺90世。慈照寺5世。惟高妙安。 | |
玉山梵久 | 不詳 | 足利家の出身という。 | ||
照山周暠 | ?-1565 | 不詳 | 12代将軍足利義晴の子。 |
独住住職
世数 | 名 | 生没年 | 就任年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 西笑承兌 | 1548-1607 | 相国寺92世。1607年(慶長12年)12月27日死去。 | |
2 | 鳳林承章 | 1593-1668 | 相国寺95世。1668年(寛文8年)8月24日死去。 | |
3 | 丹崖承誠 | ?-1673 | 1673年(延宝1年)6月16日死去。円崖承誠は誤りか。 | |
4 | 文雅慶彦 | ?-1698 | 1673-1698 | 鳳林承章の法嗣。1673年(延宝1年)11月就任。1698年(元禄11年)12月29日死去。鹿苑寺に像がある。 |
5 | 性峰道廓 | ?-1712 | ?-1711 | 1711年(正徳1年)4月退任。1712年(正徳2年)7月18日死去。 |
6 | 無聞承聡 | ?-1772 | 相国寺110世。1772年(安永1年)11月12日死去。 | |
7 | 龍門承猷 | 1734-1800 | 1759-1789 | 四辻実長の子。1734年(享保19年)生。1759年(宝暦9年)就任。1789年(寛政1年)8月退任。1800年(寛政12年)2月26日死去。67歳。 |
8 | 三甫玄省 | ?-1800 | 1790-1797,1799-1800 | 1790年(寛政2年)1月27日就任。1797年(寛政9年)12月9日退任。1799年(寛政11年)12月再任。1800年(寛政12年)12月9日死去(9月6日とも)。 |
9 | 以中玄保 | ?-1835 | 1808-?,1829-1832 | 相国寺119世。1808年(文化5年)2月就任。。1829年(文政12年)12月2日再任。1832年(天保3年)10月退任1835年(天保6年)閏7月11日死去。 |
10 | 北澗承学 | ?-1849 | 1832-1849 | 相国寺121世。1832年(天保3年)1月就任。1849年(嘉永2年)10月29日死去。北潤承学。 |
11 | 憲道周顥 | ?-1878 | 1866-1870 | 相国寺125世。1866年(慶応2年)8月就任。1870年(明治3年)11月退任。1878年(明治11年)7月16日死去。 |
12 | 貫宗承一 | ?-1908 | 1870-1903,1907-1908 | 伊藤貫宗。尾張出身。1870年(明治3年)11月14日就任。1903年(明治36年)5月29日退任。後継者の寛道宗徳の死去により、1907年(明治40年)2月15日再任。1908年(明治41年)2月25日死去。 |
13 | 寛道宗徳 | ?-1907 | 1903-1907 | 1903年(明治36年)5月29日就任。1907年(明治40年)2月3日死去。 |
14 | 寛海承照 | ?-1922 | 1908-1922 | 細川寛海。1908年(明治41年)4月1日就任。1922年(大正11年)2月3日死去。 |
15 | 敬宗令恭 | 1881-1935 | 1922-1935 | 伊藤令恭。伊藤敬宗。相国寺派執事長。和歌山県出身。相国寺128世独山玄義の法嗣。1881年(明治14年)生。紫野中学校校長。相国寺瑞春院住職。1922年(大正11年)2月28日就任。1935年(昭和10年)死去。55歳。雲頂。放光窟と号す。 |
16 | 慈海承文 | 1902-1985 | 1935-1985 | 村上慈海。相国寺派宗務総長。愛知県出身。1902年(明治35年)生。1916年(大正5年)寛海承照に師事して得度。大谷大学哲学科卒。天龍寺専門道場掛錫。1935年(昭和10年)9月25日就任。1985年(昭和60年)8月12日死去。 |
特命1 | 太拙宗忍 | 1914-1995 | 1985-1995 | 梶谷宗忍。相国寺131世。1985年(昭和60年)9月、鹿苑寺住職を兼務。1995年(平成7年)1月16日死去。 |
特命2 | 賴底承黙 | 1933- | 1995- | 有馬頼底。相国寺132世。1995年(平成7年)5月1日鹿苑寺住職を兼務。 |