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日厳院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年4月15日 (土)
日厳院は、京都府京都市東山区茶屋町にあった妙法院門跡の院家寺院。尾坂門跡、小坂殿とも呼ばれた。現在の京都国立博物館の辺りにあった。明治初期に大念仏寺が兼務。 1162年(応保2年)5月、妙法院門跡快修が創建。以後、妙法院の運営を支えたと思われる。門跡として扱われていた時期もある可能性があるがはっきりしない。江戸時代には妙法院の院家として記録に残る。客殿が京都方広寺に移築されて現存する。
目次 |
組織
歴代住職
相顕を初代とすることもある。『日本仏家人名辞書』[1]、望月信亨『仏教大辞典 付録』[2]
- 1快修(?-1172)<>:妙法院門跡13世。1172年(承安2年)死去。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 2相顕()<>:快修の弟子。
- 3実覚()<>:小倉公雄の子。小坂と号す。
- 4亮性法親王(1318-1363)<>:後伏見天皇の第九皇子。妙法院門跡25世。天台座主。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 5亮継()<>:正親町三条実継の子。亮性法親王の弟子。系図に「両継」とある[3]。
- 6亮秀()<>:1427年(応永34年)、延暦寺大講堂供養に出仕か。権大僧都。
- 7明実()<>:僧正。
- 8実昭()<>:左大臣菊亭教季の子。明実の弟子。『日厳院引付』『地蔵抄』を記す。僧正。系図に記載[4]。
- 9公意()<>:権僧正。
- 10覚胤法親王(1465-1541)<>:伏見宮貞常親王の王子。妙法院門跡31世。天台座主。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 11覚永()<>:月輪氏賢の子。覚胤法親王の弟子。祇園社別当。法務大僧正。『即住院座主拝任事』を記す。
- 12堯憲(1628-?)<>:園基音の子。堯然法親王の弟子。1648年(慶安1年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/90。多武峰学頭を兼務。著書に『獅子吼院堯恕親王行業記』。大僧正。探題。
- 13堯什()<>:高倉永敦の子。堯恕法親王から灌頂。早世。
- 堯継()<>:東園基量の子。仏家、望月になし。1702年(元禄15年)在職[5]。1714年(正徳4年)12月在職[6]。
- 14堯陳()<>:1734年(享保19年)12月在職[7]。1736年(元文1年)在職[8]。堯珍、堯演とも[9]。
- 15堯明(1741-?)<-1763->:八条隆英の子。
- 16堯海(1743-1799)<-1770->:大念仏寺49世。勧修寺顕道の子。1743年(寛保3年)生。普応院、日厳院、勝安養院を歴任。1799年(寛政11年)3月26日死去。大僧正。紫衣。堯海通弘。(略歴は大念仏寺#組織を参照)
- 洞海(1769-?)<-1787->:大念仏寺50世?仏家、望月になし。洞海通天?
- 17教弥(?-1872)<>:大念仏寺52世。1872年(明治5年)死去。教弥通津。(略歴は大念仏寺#組織を参照)
- 教寛通仁(1847-1869)<>:勧修寺顕彰の養子。1847年(弘化4年)生。1869年(明治2年)6月18日死去。23歳。大僧都。通常は日厳院歴代に上がらないが『日本宗教大講座』では相続したとある[10]。(略歴は大念仏寺#組織を参照)
画像
参考文献
- 『日厳院引付』『即住院座主拝任事』