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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大念仏寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年11月6日 (火)

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大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある、融通念仏宗総本山の阿弥陀信仰寺院。本尊は、十一尊天得如来良忍が創建したとされる。天台宗妙法院門跡院家勝安養院(のち日厳院)を兼務した。(参考:同名寺院念仏寺

目次

本尊

  • 十一尊天得如来

組織

住職

  • 58代までは『日本仏家人名辞書』。59代から62代までは『日本仏教基礎講座』)
  • 歴代略歴の没年月日は主に『日本仏家人名辞書』による。
世数 生没年 就任年 略歴
1 良忍 1072-1132 融通念仏宗開祖。大念仏寺開山。尾張国知多郡出身。1132年(長承1年)2月1日死去。聖応大師。
2 厳賢良恵 1089-1148 1132-1148 良忍の弟子。神峰山寺開山。摂津国茅原出身。1089年(寛治3年)生。俗名は橘輔元。1132年(長承1年)大念仏寺を継ぐ。晩年、神峰山寺に隠棲。「四万三千偏の行者」という。念仏を数えるのに小豆を用いたという。1148年(久安4年)4月3日死去。60歳。著書『融通念仏和讃』。(日本人名大辞典、日本仏家人名辞書)
3 明応良感 ?-1160 1160年(永暦1年)3月4日死去。
4 観西良信 ?-1171 1171年(承安1年)7月1日死去。
5 尊永隆阿 ?-1179 1179年(治承3年)7月2日死去。
6 良鎮護阿 ?-1182 1179-1182 1179年(治承3年)大念仏寺住職。嵯峨三宝寺を創建。『融通念仏縁起』(本縁起)を作り諸国に頒布したという。1182年(寿永1年)10月5日死去。以後、大念仏寺はしばらく中絶。『融通念仏縁起絵巻』(応永、明徳)を作った良鎮とは別人という。
7 法明良尊 1279-1349 1321- 大念仏寺中興。1279年(弘安2年)10月10日生。高野山の俊賢に師事。1321年(元亨1年)、石清水八幡宮の夢告で融通念仏宗の法脈を継承し、大念仏寺を復興したという。1349年(正平4年/貞和5年)6月13日死去。71歳。
8 興善修観 ?-1356 1356年(正平11年/延文1年)12月2日死去。
9 法阿乗空 ?-1360 1360年(正平15年/延文5年)10月6日死去。
10 道善心観 ?-1368 1368年(正平23年/応安1年)8月25日死去。
11 道円融阿 ?-1374 1374年(文中3年/応安7年)11月7日死去。
12 幸阿称観 ?-1378 1378年(天授4年/永和4年)2月8日死去。
13 本阿法空 ?-1384 1384年(元中1年/至徳1年)5月5日死去。
14 道音良響 ?-1391 法明良尊の弟子。1354年(正平9年/文和3年)、放出道音寺を創建。後小松天皇から宸翰の融通念仏勧進帳序を賜ったという。1391年(元中8年/明徳2年)9月14日死去。(融通総本山大念仏寺案内記ほか)
15 浄善恵観 ?-1400 在職10年。融通念仏縁起を三刻。1400年(応永7年)1月24日死去。
16 明教円忍 ?-1412 1412年(応永19年)5月9日死去。
17 法円教観 ?-1419 1419年(応永26年)9月10日死去。
18 性阿覚法 ?-1430 1430年(永享2年)3月11日死去。
19 妙阿故観 ?-1444 1444年(文安1年)7月12日死去。
20 道従良真 ?-1450 1450年(宝徳2年)11月13日死去。
21 道永観阿 ?-1459 1459年(長禄3年)10月15日死去。
22 道法任空 ?-1466 1466年(文正1年)6月15日死去。
23 道通良融 ?-1474 1474年(文明6年)4月27日死去。
24 浄蓮法観 ?-1487 1487年(長享1年)8月12日死去。
25 幸観道祐 ?-1493 1493年(明応2年)9月19日死去。
26 妙恵道観 ?-1501 1501年(文亀1年)10月19日死去。
27 法清空観 ?-1512 1512年(永正9年)12月13日死去。
28 道融観山 ?-1521 1521年(大永1年)9月20日死去。
29 法融加空 ?-1529 1529年(享禄2年)2月23日死去。
30 道阿助空 ?-1544 1544年(天文13年)1月20日死去。
31 道観良阿 ?-1550 1550年(天文19年)11月26日死去。
32 道融良勝 ?-1575 大和国の布教を進める。1575年(天正3年)12月26日死去。(融通総本山大念仏寺案内記ほか)
33 良斉道融 ?-1596 1596年(慶長1年)11月21日死去。
34 宗円頓空 ?-1600 1600年(慶長5年)3月11日死去。
35 良古法禅 ?-1613 1613年(慶長18年)3月11日死去。
36 道和良説 ?-1618 良古法禅の弟子。大阪生玉出身。住吉法泉寺に住す。1613年(慶長18年)大念仏寺住職に就任。1617年(元和3年)、住吉松太夫の亡霊を供養したという。近世の記録では、(それまで挽道場だったのが)道和の時代の元和元年(1615)に平野荘代官の末吉孫左衛門から寺地を寄進され、現在地に定着したともいう[1]。1618年(元和4年)死去。(日本仏家人名辞書、融通総本山大念仏寺案内記ほか)
37 法順良宜 ?-1621 1621年(元和7年)2月9日死去。
38 法覚良円 ?-1629 『法覚縁起』という絵伝(狩野安広画)が大念仏寺に残る。1629年(寛永6年)8月28日死去。
39 法善良厳 ?-1644 1644年(正保1年)8月5日死去。
40 道祐良覚 ?-1649 1649年(慶安2年)3月26日死去。
41 清雲良月 ?-1653 大原南坊との争論が始まる。1653年(承応2年)12月17日死去。
42 崇厳良実 ?-1660 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』には「崇権」とある。就任後、大原南坊に追い出される。1660年(万治3年)8月24日死去。
43 舜空良恵 1599-1674 1660 河内国花田の出身。崇厳良実の弟子。1599年(慶長4年)生。1660年(万治3年)大念仏寺住職。1661年(寛文1年)、大原南坊と争論があるが、幕府より大念仏寺は天台宗寺院ではないという裁許を得る。1666年(寛文6年)10月15日不断念仏を始める。1667年(寛文7年)10月15日練供養を始める。1669年(寛文9年)3月1日引退。晩年、故郷に舜空寺を創建。この頃から史料(末寺に下賜した本尊の裏書)に「大念仏寺」の名が確認できるという。1674年(延宝2年)7月4日死去。76歳。(日本人名大辞典、融通総本山大念仏寺案内記)
44 崇観隆明 ?-1675 1675年(延宝3年)9月13日死去。
45 良観覚意 ?-1686 末寺帳を作成。1686年(貞享3年)2月18日死去。
46 大通融観 1649-1716 良観覚意の弟子。摂津国住吉郡平野出身。1649年(慶安2年)1月8日生。真言律の快円慧空や覚彦浄厳、天台律の妙立慈山、臨済宗の賢巌禅悦や鉄眼道光に、戒律や天台、禅を学ぶ。1681年(天和1年)、33歳で大念仏寺の良観覚意に師事して出家。1688年(元禄1年)に幕府より宗門再興の裁許を受ける。「融通念仏宗」の名が史料に確認できるのはこれ以降という。『融通念仏縁起』を出版。来迎会を復興。住職任命を従来の六別時からのくじ引きではなく、本山の権限とした。1716年(享保1年)閏2月12日死去。68歳。忍光とも。著書『融通円門章』『融通念仏信解章』『大源雑録』など。(国史大辞典など)
47 忍通融海 ?-1721 三条西実教の子。以後、勝安養院を兼務。1721年(享保6年)8月5日死去。著書『大源雑録』『大通上人年譜』。(融通総本山大念仏寺案内記など)
本山執権 (龍海融天) ?-1733 1721-1725 本山執権。摂津貞松院住職。1699年(元禄12年)9月、入衆。荒蒔城福寺に住す。1721年(享保6年)の忍通融海の没後、本山執権を務めた。1725年(享保10年)、信海通存の入寺にあたり、法務後見となる。32年間にわたり本山の執務を執った。1705年(宝永2年)本山で西谷名目を講義。1708年(宝永5年)2月、貞松院住職。1730年(享保15年)6月引退して大阪塩町に万休庵を建てた。1732年(享保17年)宗祐寺住職。1733年(享保18年)、芝村広讃寺。同年7月25日死去。(日本仏家人名辞書)
48 信海通存 ?-1777 1725-? 勧修寺尹隆の養子。1725年(享保10年)大念仏寺住職。僧正。1773年(安永2年)10月6日、後桃園天皇から良忍に聖応大師号を下賜。1777年(安永6年)9月12日死去。(融通総本山大念仏寺案内記など)
49 堯海通弘 ?-1799 勧修寺顕道の子。日厳院16世。毘沙門堂などを再建。大僧正。1799年(寛政11年)3月26日死去。
50 洞海通天 ?-1807 勧修寺経逸の子。権僧正。1807年(文化4年)11月4日死去。
51 真海通法 ?-1833 勧修寺経逸の子。洞海通天の弟。権僧正。1833年(天保4年)8月4日死去。
52 教弥通津 ?-1872 勧修寺経則の養子。日厳院17世。冷泉家出身。1868年(明治1年)8月、勝安養院に代わり日厳院を兼務。大僧正。1872年(明治5年)7月11日死去。
53 教寛通仁 ?-1869 勧修寺顕彰の養子。大僧都。1869年(明治2年)6月18日死去。
54 秦慈嶺(慈嶺真教) 1804-1880 1873 三河国碧海郡棚尾村(愛知県碧南市)出身。大樹寺良聞に師事(浄土宗の僧だったか?)。明治初年、大教院に奉職。1873年(明治6年)1月、当時浄土宗に所属していた大念仏寺住職に就任。1874年(明治7年)融通念仏宗独立。1880年(明治13年)11月23日死去。77歳。(『日本仏家人名辞書増補』)
55 秦教忍(教忍義雲) 唐橋在綱の子。
(霊厳) 事務取扱。梅原霊厳?
56 得善清凉 ?-1907 1900 宗祐寺住職。1900年(明治33年)大念仏寺住職。1907年(明治40年)11月4日死去。
57 唐橋泰教 唐橋在綱の子。教忍義雲の弟。
58 梅原霊厳 ~1916~
59 山上戒全 ?-1947 1920- 東大寺で華厳学を講義。1920年(大正9年)5月17日管長就任(官報)。1947年(昭和22年)死去。著書『融通念仏宗教義講説』[1]、『融通念仏宗綱要』、『融通円門章講讃』。
60 西洞院時雄 ~1960~
61 本霊禅山 ~1977~
62 田代尚光 林昌寺住職。著書『増訂融通念仏縁起の研究』『良忍上人と大念仏寺』など。
63
64
65 白井慈勲 ?-2008 2008年(平成20年)死去。
66 倍巌良舜 1922-2018 2006-2018 1922年(大正11年)生。自坊は法徳寺。2006年(平成18年)就任。2018年(平成30年)11月6日死去。

参考文献

  • 『日本仏家人名辞書』
  • 融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』
  • 大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
  • 明治41『融通念仏宗々憲宗規』

脚注

  1. 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E5%AF%BA」より作成

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