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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。
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竹林院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月27日 (土)
竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある修験道寺院。本尊は不動明王、蔵王権現、役小角。元は金峰山寺の満堂派の塔頭。元は真言律宗だったが明治以後は天台宗となり現在は単立。大峰山寺護持院の一つ。(参考:同名寺院竹林院_(同名))
歴史
弘仁9年(818)、空海が入峰の時に創建した椿山寺が起源という。延喜16年(916)、三好善行がこの寺で出家して日蔵と称した(元亨釈書)。常楽山日蔵院と称したが、後小松天皇から竹林院の名を賜った。金峰山律寺四院の一つとなった。元禄年間、高野山の支配を離れた。明治7年(1874)、廃絶。のち天台宗寺院として復興。戦後、単立となる。
(日本歴史地名大系、国史大辞典)