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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

法住寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年10月5日 (月)

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法住寺(国土地理院空中写真より)
妙法院・豊臣秀吉墓・智積院・方広寺・豊国神社・京都国立博物館・三十三間堂(国土地理院空中写真より)

法住寺(ほうじゅうじ)は、京都府京都市東山区にある後白河天皇菩提寺である天台宗寺院。元門跡寺院後白河天皇陵妙法院宮墓地が隣接する。現在の寺院は江戸時代の復興。(参考:同名寺院法住寺_(同名)

目次

歴史

988年(永延2年)に太政大臣藤原為光が創建したが、1032年(長元5年)に焼失し、やがて廃絶。跡地に法住寺殿が建てられた。元和年間(1615-1523)、妙法院門跡院家寺院として法住寺を天皇陵に隣接する現在地に復興。明治期に大興徳院と改称するが、昭和30年(1955)に法住寺に戻した。

組織

住職

  • 1尋覚()<>:
  • 2道仁法親王(1210-1263)<>:土御門天皇皇子。園城寺長吏55世。大原野宮
  • 3静仁法親王(1216-1296)<>:土御門天皇皇子。園城寺長吏56世。熊野三山検校。
  • 4仁恵法親王(1244-1298)<>:後嵯峨天皇皇子。新熊野検校12・15世。日光山座主28世。勝長寿院
  • 5道瑜(1256-1309 )<>:熊野三山検校14世。園城寺長吏67世。鶴岡別当12世。新熊野検校17世。
  • 6道恵(1292-1321)<>:惟康親王の第二王子。道瑜の弟子。
  • 7道珍()<>:

(『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』。原文には番号なし)

参考文献

  • 山田邦和 2006「後白河天皇陵と法住寺殿」『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%95%E4%BD%8F%E5%AF%BA」より作成

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