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西本願寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月15日 (金)

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御影堂と阿弥陀堂(右)

西本願寺は、京都府京都市下京区にある、浄土真宗開祖親鸞墓廟に起源する、同宗の拠点寺院。浄土真宗本願寺派本山。正式名称は「本願寺」。准門跡の格式を持ち、江戸時代まで青蓮院門跡院家だった。東本願寺も参照。本願寺遷座旧跡。同名寺院本願寺も参照。西本願寺関連旧跡

目次

歴史

伽藍

阿弥陀堂
西本願寺と南隣に興正寺が、南西に龍谷大学がある。(国土地理院空中写真より)
西本願寺境内。1945年頃。北隣(現在の「北境内地」に日蓮宗本圀寺がある。(国土地理院空中写真より)
西本願寺の中心部(国土地理院空中写真より)
西本願寺の西側(国土地理院空中写真より)
西本願寺の北境内地(国土地理院空中写真より)

両堂の前の広場を白洲境内地と呼ぶ。北隣りの聞法会館がある土地(本圀寺跡)を北境内地と呼ぶ。

白洲境内地

  • 阿弥陀堂:本願寺の本堂。御影堂の南にある(真宗本廟と逆)。1618年(元和4年)再建。1760年(宝暦10年)再建。正面45.2m。奥行き42.1m。高さ25m。御影堂より一回り小さい。外陣に285枚の畳があり、800人以上を収用。本尊は阿弥陀如来。木像。左脇壇に龍樹・曇鸞・善導、右脇壇に天親・道綽・源信。左余間に聖徳太子、右余間に法然。各地の大規模真宗本堂の規範とされた。1985年(昭和60年)修復。2022年4月1日、修復し遷仏。
  • 御影堂:阿弥陀堂の南にある(真宗本廟と逆)。正面62.1m。奥行48.3m。高さ29m。江戸時代の建築として現存最大級。本尊は親鸞。瓦は11万5000枚を使用。「御真影」と呼ばれる木像。「ごえいどう」と読む。1636年(寛永13年)の再建。左脇壇に勝如。右脇壇に歴代宗主御影。左余間に十字名号(帰命尽十方無礙光如来)。その北に北三の間、北飛檐の間。右余間に九字名号(南無不可思議光如来)。その南に南三の間、南飛檐の間。内陣外陣合わせて734畳。外陣に441枚の畳が敷かれ、1200人以上を収用できる。親鸞の大師号「見真」の勅額が掛かる。2009年(平成21年)修復。
  • 膳所:仏飯を炊事する施設。
  • 経蔵:1648年(慶安1年)に購入した天海版大蔵経を収める。1677年(延宝5年)寂如が建立。本尊は傅大士三尊・八天。八天は梵天帝釈天仁王四天王
  • 手水所:
  • 龍虎殿:本願寺寺務所。2009年(平成21年)7月に建設。
  • (北集会所):阿弥陀堂の北側、現在の安穏殿から伝道本部にかけてあった。1792年(寛政4年)以前に造営。1857年(安政4年)の阿弥陀堂修復の際に仮御堂として使われた。このとき、1792年(寛政4年)以来、北集会所に奉安していた太子御影、法然御影六高僧御影を堺御坊に下付した。幕末の1865年(慶応1年)3月10日、新選組の屯所となった。1867年(慶応3年)6月15日に退去して不動堂村屯所に移った。学林大講堂の再建に用いるためまもなく解体された。しかし1868年(明治1年)に焼失した本徳寺本堂の再建に使うため同寺に譲渡された。3年かけて1873年(明治6年)3月に移築され、現存している。
  • (南集会所):現在の龍虎殿のあたりにあった。
  • (連歌堂):両堂の中間にあった。
  • 旧仏飯所:1685年(貞享2年)11月21日建立。宝暦年間に再建されたものが現存。1811年(文化8年)改修。かつては書院と接続されていた。滴翠園の西北部にある。照り起り屋根を持つ寄棟造。1961年(昭和36年)に膳所に移るまで使われていた。[1]
  • 太鼓楼:1760年(宝暦10年)頃の再建。1789年(寛政1年)に修復。二つの太鼓が残されており、古いものは西大寺の太鼓を移したものという。
  • 鐘楼:初代の梵鐘は石山本願寺時代に広隆寺から買い取ったものという。
  • 阿弥陀堂門:檜皮葺。唐破風。堀川通に面する。1983年(昭和58年)、2009年(平成21年)修復。
  • 御影堂門:瓦葺。堀川通に面する。1859年(安政6年)修復。1960年(昭和35年)修復。2009年(平成21年)修復。
  • 目隠塀:
  • 総門:堀川通を挟んで御影堂門の東にある。1898年(明治31年)、1911年(明治44年)、1959年(昭和34年)移築。
  • 御成門:堀川通に面する。太鼓楼の近く。
  • 香房:式務部棟。仏間がある。両堂の間にある。
  • 御茶所:泉州摂待講が参拝者の接待をしている。
  • 飛雲閣:庭園は滴翠園。澆花亭。胡蝶亭。九重塔。
  • 安穏殿:旧称は参拝会館。
  • 本願寺中央幼稚園:
  • 台所門
  • 北小路門
  • 伝道本部:
  • 伝道第三本部:浄土真宗本願寺派総合研究所が入る。堀川通の反対側にある。
  • (本願寺同朋センター)

書院

  • 唐門:勅使門。1591年(天正19年)直後の造営とみられる。伏見城の遺構という説がある。
  • 大玄関:
  • 大玄関門:
  • 対面所:鴻の間とも。200畳以上。上々段、上段、下段にわかれ、下段は162畳。門主が群臣一同の前に姿を表す場所。大広間。寛永年間の建設。室内能舞台もある。
  • 雀の間
  • 雁の間
  • 菊の間
  • 装束の間
  • 納戸
  • 納戸
  • 狭屋
  • 虎渓の庭:対面所の東にある。
  • 白書院:門主が貴賓と個別に会う公的な場所。上段を含む一の間(紫明の間、24畳)、二の間、三の間(孔雀の間)が細長く並ぶ。小広間。対面所より古い。三の間は室内能舞台となる。
  • 黒書院:門主の私的な執務所。私的な接客の場所。一の間、二の間、茶室、鎖の間、広敷などがある。
  • 浪の間玄関:
  • 虎の間玄関:
  • 北能舞台:白書院の北にある。入母屋造り屋根。全国現存最古の能舞台。1581年(天正9年)の銘がある。
  • 南能舞台:対面所の南にある。切妻屋根。江戸時代前期。
  • 中雀門:脇に明治天皇行幸所の石碑が立つ。
  • 椽座敷
  • 実検の間
  • 環堵の間
  • 小書院
  • 奥書院
  • 車寄
  • 接待所
  • 集会議場

法主邸

  • 大宮門
  • 錦華寮:法主の私邸。
  • 百華園:百華池
  • 内仏?
  • 経蔵?:北端に宝形造の建物が2棟ある
  • (写字台):
  • (写字台文庫):歴代が収集して典籍群。龍谷大学に寄贈されて現存。

北境内地

  • 伝道第二本部:北境内地。
  • 信徒会館
    • あそか診療所:北境内地。
    • 勤式指導所:北境内地。
  • 聞法会館:宿泊施設。北境内地にある。
  • 総会所:仏壇がある。聞法会館に付属。
  • 開明社:本願寺御用達

その他

  • 龍谷ミュージアム:
  • 龍谷大学大宮学舎
  • 龍谷大学図書館:本願寺史料研究所も入る。
  • 龍谷大学付属平安高校
  • 伝道院:伊東忠太の設計で真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられた。1912年(大正1年)の建築。
  • 本願寺国際センター
  • 中央仏教学院

西御本寺册間之御絵図

組織

歴代住職(東西分裂前)

歴代住職の墓は大谷本廟や大谷祖廟にあると思われるが、それ以外にもある。

世数 法号 法諱 院号 生没年 在職年 備考
1 親鸞 1173-1262 浄土真宗開祖。見真大師。
2 如信 1235-1300 親鸞の孫。父は善鸞。関東にいたため本願寺に住することはなかったが2代に位置付けられている。
3 覚如 宗昭 1270-1351 1310-1351 事実上の本願寺開山。如信の従兄弟の子。親鸞の曽孫。父は覚恵。子に存覚・従覚。西山別院に墓。
4 善如 俊玄 1333-1389 1351-1389 覚如の孫。父は従覚。
5 綽如 時芸 1350-1393  1389-1393 善如の子。墓は井波瑞泉寺大谷御廟
6 巧如 玄康 1376-1440 1393-1440 綽如の子。
7 存如 円兼 1396-1457 1440-1457 巧如の子。墓所は本願寺金沢別院大谷廟所
8 蓮如 兼寿 信証院 1415-1499 1457-1489 存如の子。1489年(延徳1年)に引退して譲る。慧燈大師。蓮如墓は山科にある。権大僧都。
9 実如 光兼 教恩院 1458-1525 1489-1525 蓮如の子。墓は本願寺山科別院墓地にある。
10 証如 光教 信受院 1516-1554 1525-1554 実如の孫。父は円如。母は慶寿院。墓は本願寺山科別院墓地にある。歴代で権僧正の初任。
11 顕如 光佐 信楽院 1543-1592 1554-1592 証如の子。母は如従。青蓮院で得度しなかった初例という。子には東本願寺教如、京都興正寺顕尊、准如。
除歴 教如 1558-1614 1592-1593 顕如の子。秀吉により引退を命じられるがその後も活動を続けて、東本願寺の分立につながる。現在の西本願寺では歴代に数えていない。

歴代住職(東西分裂後)

東本願寺は東本願寺#組織を参照。

世数 法号 法諱 院号 生没年 在職年 備考
12 准如 光昭 信光院 1577-1630 1593-1630 顕如の子。教如の弟。母は如春。
13 良如 光円 教興院 1612-1662 1630-1662 准如の子。
14 寂如 光常 信解院 1651-1725 1662-1725 良如の子。
15 住如 光澄 信順院 1673-1739 1725-1739 寂如の子。
16 湛如 光啓 信暁院 1716-1741 1739-1741 住如の弟。寂如の子。在任は1年11カ月で最短。
除歴 静如 光雄 信行院 1722-1796 1741-1743 湛如の弟。寂如の末子。本徳寺住職。初名は昭貞。
17 法如 光闡 信慧院 1707-1789 1743-1789 住如や湛如の従兄弟。寂如の甥。良如の孫。父は本徳寺寂円。
18 文如 光暉 信入院 1744-1799 1789-1799 法如の子。
19 本如 光摂 信明院 1778-1826 1799-1826 文如の子。在任中、三業惑乱が発生。1826年(文政9年)12月12日死去。49歳。
20 広如 大谷光沢 信法院 1798-1871 1826-1871 本如の甥で、養子となる。顕証寺文淳(近松暉宣。文如の三男)の次男。文如の孫。1798年(寛政10年)6月1日生。1826年(文政9年)本願寺法灯を継承。本山財政を立て直すため、大坂の豪商の石田敬起を登用して借財の整理を進めた。石田敬起は岸和田藩・富山藩・尼崎藩・麻田藩などの財政改革にも貢献した。1857年(安政4年)、親鸞没地とされる地に角坊を創建した。尊王攘夷を唱え、戊辰戦争の時には多額の軍資金を新政府に提供し、紫宸殿を警備した。1871年(明治4年)8月19日死去。74歳。
21 明如 大谷光尊 信知院 1850-1903 1871-1903 大谷光沢の五男。1850年(嘉永3年)2月4日生。1868年(明治1年)法嗣となり、1871年(明治4年)継承。教導職大教正。1903年(明治36年)1月18日死去。54歳。
22 鏡如 大谷光瑞 信英院 1876-1948 1903-1914 大谷光尊の長男。明治9年12月27日生。貞明皇后の妹の九条籌子と結婚。大谷探検隊を組織。別荘二楽荘を建設。奔放な財政で教団が巨額の負債を抱え、合わせて汚職事件の責任も取り引退。10年以上空位が続く。1948年(昭和23年)10月5日、別府鉄輪で死去。73歳。別府別院に分骨。
23 勝如 大谷光照 信誓院 1911-2002 1927-1977 大谷光瑞の甥。大谷光尊の孫。父は浄如。在位50年で引退。
24 即如 大谷光真 1945- 1977-2016 大谷光照の子。引退
25 専如 大谷光淳 1977- 2016- 大谷光真の子。1977年(昭和52年)生。2016年(平成28年)継承。

(『日本仏家人名辞書』、本願寺ウェブサイト)

歴代執行長

  • 北畠典生
  • 佐々木鴻昭
  • 本多隆朗
  • 武田昭英

資料

寺史など

  • 石倉重継1902『本派本願寺名所図会』[2]
  • 北畠玄瀛1919『本願寺』[3]
  • 上原芳太郎1935『本願寺秘史』[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA」より作成

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