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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

西大寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月3日 (水)

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西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市にある古代寺院で、南都仏教真言宗本山寺院。本尊は清凉寺釈迦如来称徳天皇が創建。天皇が帰依した道鏡の影響も指摘されている。古代の官寺七大寺の一つ。鎌倉時代に叡尊が中興し、真言律宗西大寺流の拠点となる。元は金堂(現・四王堂)が中心だったが、中興以降は光明真言堂を本堂とする。奥之院として叡尊墓所の体性院がある。鎮守は、西大寺八幡神社真言律宗西大寺派総本山。秋篠山四天院と称す。西大寺関連旧跡も参照。(参考:同名寺院西大寺 (同名)天王寺


目次

歴史

古代の創建

964年9月11日、孝謙上皇が発願し、造営が始められた。広大な伽藍が整備された。しかし、平安時代に入ると主要伽藍を火災で失い、さらに隆盛する興福寺の配下に組み込まれ、事実上の末寺となる。西大寺別当は興福寺僧が兼務するようになる。


叡尊による復興

1235年5月16日に叡尊は西大寺に入る。1238年、八角五重石塔を建立し、舎利を埋納。1245年、本堂となる光明真言堂を建立。1249年、清凉寺の釈迦如来像を模刻。四王堂に祀るが、のちにこれが本尊となる。

門流の本山として

中世の戦乱で大きな被害を受けたが江戸時代に入り復興。

組織

住職(古代)

西大寺別当が置かれた。

  • 1安栄()<>:
  • 2平恩(?-889)<>:三論宗の学僧。唯識・倶舎にも通じた。865年維摩会講師。889年1月26日死去。(日本人名大辞典)
  • 3安好()<>:
  • 4豊継()<>:
  • 5雲澄()<>:
  • 6入玄()<>:
  • 7入玄()<>:再任。
  • 8峰如()<>:益信の弟子か。
  • 9良〓?()<>:
  • 10恩寛?()<>:
  • 11延善?()<>:
  • 12永有()<>:
  • 13禅教()<>:
  • 14禅樹()<>:
  • 15禅樹()<>:再任。
  • 16仲算(935-976)<>:興福寺の僧。喜多院空晴に師事。963年(応和3年)の宗論で、延暦寺良源を論破。973年(天延1年)、西大寺別当となる。「別当次第」では「中算」。(『日本人名大辞典』)
  • 17禅樹()<>:再任。
  • 18安救?()<>:
  • 19永安()<>:
  • 20定澄()<>:(興福寺別当の定澄は年代が合わないので別人か)
  • 21仁宗(945?-?)<1000->:興福寺の僧。宿曜師。995年(長徳1年)に宣旨を受け、造暦を担当している。その功績で1000年(長保2年)、西大寺別当となる。(『国史大辞典』『日本人名大辞典』)
  • 22輔静()<1004->:薬師寺別当(「法相宗・薬師寺」『日本仏教基礎講座 奈良仏教』)。寛弘元年(1004)3月7日、西大寺別当に就任(御堂関白記)。
  • 23輔静()<>:再任。
  • 24明空()<>:
  • 25道讃()<>:
  • 26蓮胤()<>:憐因?
  • 27仁統(生没年不詳)<1025->:興福寺の僧。宿曜師。藤原道長ら貴族のための占星・祈祷をたびたび行っている。1015年(長和4年)に造暦を担当し、その功績で、1025年(万寿2年)、西大寺別当となる。(『国史大辞典』『日本人名大辞典』)
  • 28円縁(?-1060)<>:興福寺別当25世。
  • 29長〓?()<>:
  • 30行昭()<>:
  • 31能算(?-1094)<1062->:興福寺の僧。宿曜師。仁統の弟子。1062年(康平5年)、西大寺別当、1075年(承保2年)から没年まで法隆寺別当。(『国史大辞典』『日本人名大辞典』)
  • 32懐真()<>:
  • 33慈懐()<>:
  • 34澄禅?()<>:
  • 35実覚()<>:
  • 36湛秀()<>:
  • 37済円(1080-)<-1138->:
  • 38寛久()<>:寛救とも。
  • 39維厳()<>:
  • 40覚珍()<>:
  • 41玄縁()<>:
  • 42教覚()<>:
  • 43忠恵()<>:
  • 44雅円()<>:
  • 45忠恵()<>:
  • 46雅円()<>:
  • 47尊雅?()<>:
  • 48〓宗?()<>:
  • 49性誉()<>:
  • 50乗範()<-1278->:興福寺の僧。1278年(弘安1年)時点で西大寺別当だった。1283年(弘安6年)に興福寺権別当となる。

(以上、西大寺別当次第[1]

西大寺別当

律僧を統括する長老とは別に別当も存続していた。

  • 尊憲()<-1283->:興福寺僧か。興福寺別当範憲の父か。1283年(弘安6年)(中世記録人名索引DB。勘仲記)
  • 良堯()<>:鎌倉後期。(日本古文書ユニオンカタログ)
  • 範宗()<-1356->:興福寺の僧。1356年(正平11年/延文1年)時点で西大寺別当だった。1353年(正平8年/文和2年)興福寺権別当となる。
  • 円守()<1371->:1371年(応安4年)1月28日、西大寺別当に就任。(一乗院文書)
  • 兼暁(-1450)<-1450>:1450年(宝徳2年)、西大寺別当在職で死去。(大日本史料7編人名カードDB)
  • 兼継()<1494->:町広光の子。興福寺別当195世・201世。1494年(明応3年)10月15日、西大寺別当に就任(大日本史料総合DB)。
  • 兼範()<1529->:1529年(享禄2年)11月19日、西大寺別当に就任。(大日本史料総合DB)
  • 覚誉(?-1562)<1554->:一乗院門跡。興福寺別当。1554年(天文23年)2月29日、西大寺別当に就任。(大日本史料総合DB)
  • 兼円()<>:興福寺別当183世。

住職(叡尊以降)

長老と称す。

歴代 僧名 生没年<在職年> 備考
1 叡尊 思円房 1201-1290 真言律宗西大寺流の開祖。西大寺中興。興正菩薩。宗祖と呼ばれる(空海は高祖とされる)。1290年(正応3年)8月25日死去。90歳。
2 信空 慈道房 1231-1316 叡尊の弟子。後宇多上皇の帰依を受ける。諸国国分寺の復興を行う。慈真和尚。1316年(正和5年)1月26日死去。86歳。
3 宣瑜 浄覚房 1240-1325 叡尊の弟子。弘正寺に住す。花園天皇に授戒。1325年(正中2年)2月29日死去。86歳。
4 静然 良證房 1252-1331 1331年(元弘1年)12月13日死去。80歳。
5 賢善 覚律房 1251-1340 1340年(興国1年/暦応3年)10月2日死去。90歳。
6 澄心 静心房 1278-1347 1347年(正平2年/貞和3年)9月5日死去。70歳。
7 信昭 静観房 1267-1352 1352年(正平7年/文和1年)3月2日死去。86歳。
8 元耀 求覚房 1280-1355 1355年(正平10年/文和4年)10月17日死去。76歳。
9 真湛 悟妙房 1286-1360 1360年(正平15年/延文5年)10月25日死去。75歳。
10 清算 彦證房 1288-1362 1362年(正平17年/貞治1年)11月14日死去。75歳。
11 覚乗 慈淵房 1273-1363 1363年(正平18年/貞治2年)1月26日死去。91歳。
12 貞祐 慈證房 1291-1365 1365年(正平20年/貞治4年)閏9月2日死去。75歳。
13 信尊 道昭房 1297-1366 1366年(正平21年/貞治5年)9月20日死去。70歳。
14 堯基 尊密房 1296-1370 1370年(建徳1年/応安3年)4月24日死去。75歳。
15 貞泉 信乗房 1294-1379 1379年(天授5年/康暦1年)6月1日死去。86歳。
16 禅誉 円宗房 1299-1388 1388年(元中5年/嘉慶2年)5月5日死去。90歳。
17 慈朝 祐覚房 1319-1391 1391年(元中8年/明徳2年)1月9日死去。73歳。
18 深泉 本〓房 ?-1395 1395年(応永2年)9月25日死去。
19 良耀 浄順房 ?-1404 1404年(応永11年)2月25日死去。
20 高湛 明印房 1323-1408 武蔵・称名寺で出家して湛睿に師事。鎌倉・極楽寺東大寺戒壇院を経て、西大寺長老となる。1408年(応永15年)9月25日死去。86歳。
21 叡空 円道房 1333-1412 1412年(応永19年)2月23日死去。80歳。
22 英如 正円 1345-1415 1415年(応永22年)2月29日死去。71歳。
23 英源 円善 1347-1419 1419年(応永26年)10月5日死去。73歳。
24 元空 忍照 1340-1423 1423年(応永30年)7月25日死去。84歳。
25 栄秀 浄曽 1354-1430 1430年(永享2年)8月2日死去。77歳。
26 高海 本円 1357-1436 1436年(永享8年)4月26日死去。80歳。
27 良誓 浄音 1360-1450 1450年(宝徳2年)1月2日死去。91歳。
28 元澄 良賢 1380-1457 1457年(長禄1年)11月8日死去。78歳。
29 高算 明円 1392-1471 1471年(文明3年)12月12日死去。80歳。
30 仙恵 明珠 1395-1478 1478年(文明10年)8月6日死去。84歳。
31 秀如 正真 1404-1488 1488年(長享2年)5月27日死去。85歳。
32 良慶 円珠 1416-1498 1498年(明応7年)8月7日死去。83歳。
33 尊海 浄宗 ?-1502 1502年(文亀2年)3月7日死去。
34 高仲 通円 1428-1509 1509年(永正6年)5月8日死去。82歳。
35 高森 円宣 1428-1511 1511年(永正8年)2月2日死去。84歳。
36 玄海 浄禅 1448-1518 1518年(永正15年)7月8日死去。71歳。
37 高実 本鼎 1459-1532 1532年(天文1年)1月27日死去。74歳。
38 光淳 明寿 1463-1538 1538年(天文7年)5月22日死去。76歳。
39 高珠 円栄 1480-1565 1565年(永禄8年)2月9日死去。86歳。
40 尊珠 等玉 1489-1573 1573年(天正1年)9月7日死去。85歳。
41 高興 明舜 1510-1578 1578年(天正6年)3月29日死去。69歳。
42 尊慶 尊慶 1509-1593 1593年(文禄2年)11月7日死去。85歳。
43 凝海 光忍 1519-1599 1599年(慶長4年)8月2日死去。81歳。
44 高秀 栄春 1522-1603 1603年(慶長8年)12月13日死去。82歳。
45 高久 奎玉 1527-1614 1614年(慶長19年)1月8日死去。88歳。
46 高仙 明識 1541-1617 1617年(元和3年)5月14日死去。77歳。
47 尊智 玄寿 1554-1636 1636年(寛永13年)9月25日死去。83歳。
48 高喜 明観 1586-1663 1663年(寛文3年)8月8日死去。78歳。
49 賢瑜 栄順 1585-1668 1668年(寛文8年)12月22日死去。84歳。
50 高円 良仙 1611-1680 1680年(延宝8年)6月25日死去。70歳。
51 尊信 春識 1615-1691 1691年(元禄4年)6月27日死去。77歳。
52 高算 尊慶 1644-1716 1716年(享保1年)11月13日死去。73歳。
53 尊覚 春賢 1652-1719 1719年(享保4年)9月29日死去。68歳。
54 尊栄 信順 1659-1735 1735年(享保20年)2月3日死去。77歳。
55 寛慶 円明 1662-1745 1745年(延享2年)8月11日死去。84歳。
56 高瑜 明元 1695-1766 1766年(明和3年)2月14日死去。72歳。
57 尊静 真覚 1698-1772 1772年(安永1年)5月24日死去。75歳。
58 尊堂 真旭 1719-1795 1795年(寛政7年)4月6日死去。77歳。
59 尊員 真乗 1756-1819 1819年(文政2年)9月11日死去。64歳。
60 慶般 円昌 1760-1835 1835年(天保6年)11月20日死去。76歳。
61 英堂 円誓 ?-1843 1843年(天保14年)10月11日死去。「尊堂」とある。
62 尊慧 真演 ?-1845 1845年(弘化2年)5月28日死去。
63 高判 智豊 1787-1862 1862年(文久2年)12月20日死去。76歳。
64 佐伯泓澄 津梁房 1824-1906<1874-1906> 文政7年2月5日生。下総国印旛郡岩戸村出身。旧姓は間野。天保6年に長谷寺末の実蔵院で出家。天保8年、長谷寺に修学。元治元年までいた。明治2年、東大寺戒壇院で受戒。明治3年、東大寺真言院住職。明治6年6月28日、教導職九級試補。明治7年11月28日、奈良県中教院に勤務。同年12月18日、奈良県の命令で西大寺住職に就任。明治8年8月7日、権中講義。明治19年12月16日、「長老」の号が復活。たび重なる請願で明治28年6月6日、真言律宗独立を実現。7月4日、初代管長就任。また明治8年5月14日から明治15年4月1日まで「元興福寺守護職」(「元興福寺堂塔守護」とも。のち「奈良公園取締」)を務めた。明治39年4月7日死去。83歳。
65 福垣真応 祐誡房 1871-1928<1906-1928> 自坊は伊賀宝厳寺。1906年(明治39年)4月19日、管長事務取扱に就任。同年6月2日、長老・管長就任。昭和3年5月27日死去。85歳。(『近代の西大寺と真言律宗』)
66 佐伯悟龍 1875-1942<1928-> 自坊は護国院。京都出身。明治8年8月24日生。旧姓は植村。明治20年出家。真言律宗大学林卒。佐伯弘澄に師事し、明治39年、弘澄の養子となる。教興寺大和・般若寺福智院を兼務。昭和3年5月28日、管長事務取扱に就任。9月6日、長老管長に就任。昭和17年9月6日死去。68歳。(『近代の西大寺と真言律宗』)
67 駒岡乗円 明瑞  -1952<1942-> 宝山寺住職。宗務長を経て昭和17年9月6日、管長代務者に就任(『近代の西大寺と真言律宗』)。同年11月9日、長老就任?。9月30日付で管長就任(『近代の西大寺と真言律宗』)。昭和27年1月26日死去。69歳。
68 瀬木俊明 1890-1974<1952-1960> 自坊は無量寿福寺。明治23年5月15日生。大正3年、真言宗連合京都大学卒業。昭和17年、宗務長。昭和27年1月26日管長代務者就任。2月8日長老・管長就任。昭和35年3月31日、引退。昭和49年4月4日死去。84歳。(『近代の西大寺と真言律宗』『現代人物誌第十八編』)
69 松本実道 叡海 1904-1999<1960-1996> 宝山寺住職。明治37年5月11日生、関西大学卒業、昭和8年僧籍、昭和27年2月宝山寺住職(『現代人物誌第十八編』)。昭和35年4月1日、長老就任。昭和49年1月、後七日御修法で大阿闍梨を務める。1999年(平成11年)9月4日死去。96歳。(『郷土歴史人物事典奈良』には、関西大学卒。昭和27年宝山寺住職。昭和37年西大寺住職とある)(リストには5月22日生。農家の生まれ。大正3年宝山寺入寺。昭和37年宝山寺貫主。昭和35年から平成8年まで管長)
70 谷口光明 1922-2012<1996-2008> 大正11年(1922)11月30日生(リスト)。愛媛県出身。京都専卒。昭和24年、西大寺に入寺。翌年、西大寺保育園と西大寺幼稚園を設立。園長となる。昭和61年宗務長執事長に就任。平成8年から20年まで長老。2012年(平成24年)2月6日死去。89歳。(リスト)
71 大矢実円 1935-<2008-> 宝山寺住職。
  • 『仏家人名辞書』、望月『仏教大辞典 付録』、『近代の西大寺と真言律宗』、『日本仏教基礎講座』、『図録 奈良西大寺展』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%AF%BA」より作成

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