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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

叡尊旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年7月15日 (日)

叡尊から転送)
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叡尊(えいそん)(1201-1290)は、真言律宗西大寺流の開祖。大和出身。興福寺の学侶慶玄の子。醍醐寺叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。現在の真言律宗西大寺派では宗祖と呼ばれる。思円房興正菩薩叡尊上人思円上人ともいう。

目次

略歴

生誕地と墓廟

  • 浄福寺興正菩薩堂:奈良県大和郡山市白土町。叡尊の生誕地。大和・浄福寺は浄土宗寺院。
  • 興正菩薩叡尊誕生之地碑:奈良県大和郡山市白土町。
  • 西大寺体性院:叡尊の墓所。奈良県奈良市西大寺野神町。西大寺の奥院。
  • 西大寺愛染堂:奈良県奈良市西大寺芝町。脇間に叡尊を祀る。像は寿像。
  • 家原寺開山堂:大阪府堺市西区家原寺町。行基空海、叡尊を祀る。
  • 興正寺弘法堂:愛知県名古屋市昭和区八事本町。空海、天瑞円照、叡尊を祀る。

修学の旧跡

一覧




  • 家原寺:大阪府堺市西区家原寺町。
  • 大鳥神社:大阪府堺市西区鳳北町。
  • 長承寺:大阪府堺市西区鳳北町。廃絶。
  • 清浄光院:大阪府堺市北区長曽根町。廃絶。
  • 真福寺:大阪府堺市美原区真福寺。廃絶。櫟本神社の神宮寺。子院文殊院が現存。
  • 信太神社
  • 久米田寺:大阪府岸和田市池尻町。
  • 和泉地蔵堂:


  • 叡福寺:大阪府南河内郡太子町太子。
  • 道明寺:大阪府藤井寺市道明寺。
  • 西琳寺:大阪府羽曳野市古市。
  • 誉田八幡宮:大阪府羽曳野市誉田。
  • 八尾釈迦堂:大阪府八尾市。廃絶。
  • 教興寺:大阪府八尾市教興寺。
  • 枚岡神社:大阪府東大阪市出雲井町。
  • 神栄寺:河内国交野郡。廃絶。
  • 忍頂寺:大阪府茨木市忍頂寺。
  • 勝尾寺:大阪府箕面市粟生間谷。




年譜

年譜

  • 1201年(建仁1年)1歳
    • 5月:大和国添上郡箕田(奈良県大和郡山市白土)に生誕。
  • 1211年(建暦1年)11歳
  • 1212年(建暦2年)12歳
    • (忍性、誕生)
  • 1217年(建保5年)17歳
    • 叡賢のもとで剃髪。
  • 1223年(貞応2年)23歳
    • 故郷に帰る。
  • 1224年(元仁1年)24歳
  • 1225年(嘉禄1年)25歳
  • 1226年(嘉禄2年)26歳
    • 印可を受ける。
  • 1235年(嘉禎1年)35歳
    • 1月16日:尊円の招きで西大寺宝塔院に持斎僧として入る。
  • 1236年(嘉禎2年)36歳
    • 9月1日:覚盛、円晴、有厳とともに東大寺法華堂で自誓受戒。(戒律の復興。真言律宗西大寺流の創始)
    • 12月16日:西大寺は地頭に占拠され、叡尊は海龍王寺に移る。
    • 12月:海龍王寺で良範に初めて菩薩戒を与える。
  • 1238年(暦仁1年)
    • 西大寺に戻る。八角五重石塔を建立。
    • 8月8日:西大寺復興を誓う
    • 10月8日:童子が剃髪。叡性と号す。童子出家の最初。
    • 10月15日:僧食を始める
    • 10月30日:布薩を始める
  • 1239年(延応1年)39歳
    • 1月1日:修正会を復興する。
    • 1月15日:修正会結願後、鎮守の西大寺八幡神社に参拝。献茶の撤下を参詣者に振る舞う。大茶盛の起源とされる。
    • 9月8日:忍性に十重戒。
  • 1240年(仁治1年)40歳
    • 3月6日:忍性らに八斎戒。
  • 1241年(仁治2年)41歳
    • 曉に霊夢。春日大明神が大変喜んだという。
  • 1242年(仁治3年)42歳
  • 1244年(寛元2年)44歳
    • 2月25日:今里野で文殊供養。大規模に
    • 覚盛が西大寺を去り、唐招提寺に移る。
  • 1245年(寛元3年)45歳
    • 3月24日:最勝講を再興。
    • 4月9日:法華寺で尼僧に授戒。
    • 7月:覚如と定舜(俊ジョウの弟子)を宋に派遣決定。
    • 9月13日:初めて別受戒を家原寺で行う。
    • 9月16日:叡尊ら住吉大社に参拝
    • 11月25日:真言堂を建立(史実ではないとも)
  • 1246年(寛元4年)46歳
    • 6月22日:定舜らが帰国。覚如は客死。
    • 10月8日:定舜ら西大寺帰還。730巻を請来。
    • 聖徳太子墓で授戒。
    • 土師寺で授戒
  • 1247年(宝治1年)47歳
    • 4月:僧堂を建てる。
    • 8月18日:愛染明王像(現存)を造立して祀る。
  • 1249年(建長1年)49歳
    • 3月13日:叡尊ら、嵯峨清凉寺へ。模刻のため。14~20日にわたり清凉寺で供養を行う。そのかたわらで仏師らが模刻し、4月3日には完成した。
    • 5月5日:清凉寺模刻釈迦仏の開眼法要。西大寺本堂(真言堂)本尊となる。施主には忍性の実父もいた。
    • 5月20日:覚盛死去。
  • 1250年(建長2年)50歳
    • 6月21日:実兄の禅心が死去。
  • 1251年(建長3年)51歳
    • 河内・安楽寺で授戒
    • 2月30日:堯尊に文殊、羅漢像などを描かせる。
  • 1252年(建長4年)52歳
  • 1253年(建長5年)53歳
    • 11月9日:実父慶玄が死去。後、父の邸宅を敬田寺とした。
  • 1254年(建長6年)54歳
  • 1255年(建長7年)55歳
  • 1256年(康元1年)56歳
  • 1257年(正嘉1年)57歳
  • 1258年(正嘉2年)58歳
    • 両界曼荼羅に開眼法要。
  • 1259年(正元1年)59歳
    • 忍性、鎌倉で北条重時の鎌倉・極楽寺を復興。以後、忍性は幕府幹部に接近。
  • 1261年(弘長1年)61歳
    • 10月8日:北条実時の使者が叡尊を訪問。一切経を西大寺称名寺に寄進したい。叡尊の鎌倉下向を願う。
    • 12月18日:北条実時、宋版一切経を西大寺に施入。
  • 1262年(弘長2年)62歳
    • 1月2日:実時や前執権北条時頼の願いを受け、鎌倉下向を決める。
    • 2月4日:鎌倉に向けて西大寺を出発。
    • 2月27日:北条実時の出迎えを受ける。
    • 2月28日:鎌倉釈迦堂に入る。
    • 最明寺で北条時頼に授戒。
    • 8月15日:西大寺に帰る。以後、朝廷などとの交流が盛んになる。
    • 石清水八幡宮で修法。
  • 1264年(文永1年)64歳
    • 9月4日:光明真言会を初めて行う。真言律宗西大寺派の最重要行事となる。
  • 1266年(文永3年)66歳
    • 法華寺
    • いちいの極楽寺
  • 1267年(文永4年)67歳
    • 4月10日:般若寺に完成目前の文殊菩薩像を納める。大般若経の転読。
    • 4月22日:般若寺文殊菩薩像完成。叡尊が授戒した人の名を納める。
    • 7月25日:般若寺の文殊菩薩像開眼法要。28日まで。(般若寺の復興が成る)
  • 1269年(文永6年)69歳
    • 3月11日:般若寺で生身文殊供養の無遮大会。3万人集まるという。
    • 8月6日:京都堀川殿で唐招提寺仏舎利を感得。
    • 仏舎利塔建立を発願
  • 1270年(文永7年)70歳
    • 教興寺に参詣
    • 金剛舎利塔を建立。西大寺塔院に安置
  • 1271年(文永8年)71歳
    • 2月6日:仏舎利供養
  • 1273年(文永10年)73歳
  • 1274年(文永11年)74歳
    • 8月:石清水八幡宮で放生会。
    • 10月:文永の役始まる。
    • 10月29日:勅命で四天王寺で仁王会。亀山天皇行幸?
  • 1275年(建治1年)75歳
    • 3月:伊勢神宮で護国法。鎌倉幕府からもらった大般若経や西大寺の曼荼羅を移して法要。
    • 8月:四天王寺で国家安穏の法要。
    • 枚岡神社住吉大社でも法要。
  • 1277年(建治3年)77歳
    • 儀軌通りの仁王会を始める。
  • 1278年(弘安1年)
  • 1279年(弘安2年)79歳
  • 1280年(弘安3年)80歳
    • 6月26日:西室(現在の愛染堂の場所にあった)を新築し移住。同時に叡尊寿像(現存)も作られる。
    • 伊勢神宮、参詣。
  • 1281年(弘安4年)81歳
    • 1月15日:亀山上皇の命で石清水八幡宮で祈願。
    • 1月16日:山上で『梵網経』。
    • 1月20日:『最勝王経』転読。
    • 弘安の役
    • 7月12日:亀山上皇が西大寺西室に行幸。
    • 7月26日:勅命で石清水八幡宮で祈祷。
    • 閏7月7日:祈祷終わる。9日に敵船壊滅の報告。
  • 1283年(弘安6年)83歳
    • 2月17日:東塔の像の修理
    • 2月18日:宝生護国院の上棟式。
    • 12月10日:亀山上皇、西大寺宝生護国院に行幸。一切経転読、宇治橋網代廃止、仙洞御所での講義を懇請
  • 1284年(弘安7年)84歳
    • 1月21日:宇治橋網代停止の院宣。
    • 3月24日:仙洞御所の持仏堂で菩薩戒を亀山上皇に授戒。
    • 4月4-8日:宮中で一切経転読。
    • 閏4月:宮中で講義。
    • 後宇多天皇にも授戒。
    • 5月:一条実経(一条家始祖)の願いを受け山城・円明寺で授戒。
    • 9月2日:鉄宝塔完成。
  • 1285年(弘安8年)85歳
    • 2月24日:勅命で四天王寺別当になる。
    • 3月14日:四天王寺に入る。
    • 7月23日:播磨・一乗寺に出かける。
    • 10月12日:亀山上皇、四天王寺行幸。
  • 1286年(弘安9年)86歳
    • 2月28日:自伝『金剛仏子叡尊感身学正記』を完成。発病した前年11月14日から書き始めた。3月14日修正。
    • 11月19日:宇治の橋寺と宇治橋の修理完成。浮島十三重石塔を建立。
  • 1288年(正応1年)88歳
  • 1289年(正応2年)89歳
  • 1290年(正応3年)90歳
    • 8月25日:西大寺西室で死去。生涯に9万7710人に菩薩戒を授けた(『興正菩薩行実年譜』)。
    • 8月27日:葬儀。西大寺近くに葬る。墓所には体性院が設けられ、西大寺奥之院となる。

死後

  • 1300年(正安2年)7月4日:亀山上皇、院宣で「興正菩薩」号を下賜。
  • 1300年(正安2年)閏7月3日:後伏見天皇、綸旨で「興正菩薩」号を下賜。
  • 1302年(乾元1年):13回忌。文殊菩薩五尊像(現存)を造立。
  • 1688年(元禄1年)、臨済僧の高泉性〓(1633-1695、宇治・万福寺住職)、「南都西大寺睿尊伝」を含む『東国高僧伝』を編纂、刊行。
  • 1689年(元禄2年):近江・安養寺中興の戒山慧堅、「南都西大寺興正菩薩伝」を含む『律苑僧宝伝』を刊行。
  • 1702年(元禄15年):臨済宗の卍元師蛮、「和州西大寺沙門叡尊伝」を含む『本朝高僧伝』を編纂。
  • 元禄年間:浄住寺慈光が『西大勅謚興正菩薩行実年譜』を編纂。
  • 1819年(文政2年):この年までに『群書類従』の「興正菩薩伝」が刊行される。
  • 1990年(平成2年):西大寺、700年遠忌法要を執行。

伝記

  • 『金剛仏子叡尊感身学正記』(『学正記』):1286年(弘安9年)編纂。叡尊が86歳の時に自ら編纂した。内容は極めて正確で、伝記にありがちな誇張もないという。西大寺に最古の写本(1359年(正平14年/延文4年))が伝わっている。奈良国立文化財研究所編1956『西大寺叡尊伝記集成』大谷出版社、長谷川誠編1990『興正菩薩御教誡聴聞集・金剛仏子叡尊感身学正記(読み下し・口語訳・影印本)』西大寺、細川涼一訳注1999『感身学正記1』平凡社東洋文庫664(続刊未刊)に所収。また松尾剛次研究室ウェブサイトに全文が掲載されている[1]
  • 「関東往還記」:1262年(弘長2年)の成立。叡尊の鎌倉下向について随行した弟子性海(1235-1290頃)が記した日記。原本は現存しない。元来は金沢文庫にあった写本が前田家を経て尊経閣文庫に伝えられている。まとまった唯一の伝本。一部のみ残存し、前後を欠いている。1262年(弘長2年)2月5日~7月30日を収録。北条時頼や実時との交渉が記録されている。鎌倉で叡尊、忍性らが武士や庶民に授戒したり、法要を行ったり、病者や貧困者を救済した活動が記される。国書刊行会編1911『史籍雑纂 第1』、関靖編1934『校訂増補 関東往還記』便利堂、『西大寺叡尊伝記集成』、細川涼一訳注2011『関東往還記』平凡社東洋文庫803に所収。
  • 「関東往還前記」:「関東往還記」の断片。昭和初期に金沢文庫で称名寺伝来の古文書の中から発見され、同題が付けられた。尊経閣文庫本には失われた首部の一部と見られている。1261年(弘長1年)12月28日~翌年2月2日を収録。金沢文庫蔵。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『西大勅謚興正菩薩行実年譜』:江戸時代の元禄年間に浄住寺慈光が30年以上かけて編纂。本編3巻、附録2巻。『学正記』を基礎に、同書にない史料を多く掲載しているが、正確性については一部疑問もあるという。写本は西大寺と教興寺にあるという。1915『西大勅諡興正菩薩年譜』西大寺、『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『洛西葉室山浄住寺開山興正菩薩略年譜』:元禄年間の近い時期に編纂。浄住寺と叡尊との関係を中心にまとめられたもの。宮内庁蔵。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『西大寺叡尊遷化之記』:極楽寺蔵。「西大寺叡尊上人遷化之記并嘆徳記」も同じものと思われる。熊原雅夫翻刻1957「西大寺叡尊上人遷化之記并嘆徳記」(『南都佛教』4号)、『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 「南都西大寺興正菩薩伝」:近江・安養寺中興の戒山慧堅(1649-1704)が1689年(元禄2年)に編纂した律僧360人余りの伝記集『律苑僧宝伝』の巻第12に収録。戒山慧堅は野中寺慧猛の弟子。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『律苑僧宝伝』は、関口靜雄・山本博也編2007『律苑僧宝伝』(昭和女子大学近代文化研究所、唐招提寺・律宗戒学院叢書第2集)として刊行。
  • 「南都西大寺睿尊伝」 :臨済僧の高泉性〓(1633-1695、万福寺住職)が1688年(元禄1年)に編纂した僧侶伝集『東国高僧伝』巻第10に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『東国高僧伝』は、仏書刊行会編1931『大日本仏教全書』第104冊に収録。
  • 「興正菩薩伝」 :増上寺貞誉が所蔵していた書。塙保己一が編纂した『群書類従』「伝部69」に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『群書類従』経済雑誌社本は国会図書館デジタルコレクション[2]で公開されている。
  • 「和州西大寺沙門叡尊伝」:臨済宗の卍元師蛮が1702年(元禄15年)に編纂した『本朝高僧伝』巻第59に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『本朝高僧伝』の国文学研究資料館所蔵本が同館のデータベースで公開されている[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%A1%E5%B0%8A%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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