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鹿王院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月21日 (日)
鹿王院(ろくおういん)は、京都府京都市右京区嵯峨にある、春屋妙葩ゆかりの臨済宗寺院。元来は嵯峨・宝幢寺の開山堂。後には天龍寺の境外塔頭となるが現在は単立寺院。仏牙寺(ぶつげじ)と号す。山号は覚雄山。西南に曇華院がある。
目次 |
歴史
- 1379年:足利義満は瑞夢を見て春屋妙葩を招いて宝幢寺を創建。正確な年代は不明だが、続いて寿塔として建てた開山堂が鹿王院の起源。名前の由来は工事の際に鹿が現れたため。
- 1436年:「宝幢寺鹿王院領目録」が伝わる。(『日本歴史地名大系』)
- 1467年:応仁の乱始まる。宝幢寺は焼かれて廃絶。鹿王院のみが残る。
- 1596年:伏見地震で倒壊
- 寛文年間:虎岑玄竹が鶴岡藩酒井家の支援を受けて再興。
- 1676年:昭堂(現在の本堂か)再建。以後、天龍寺の境外塔頭の扱いを受けた。
- 1968年3月:天龍寺派を離脱して単立寺院となる(『国史大辞典』)
(境内由緒書)
伽藍
- 本堂:本尊は釈迦如来と十大弟子。須弥壇上には天牌などが並ぶ。後壇の向かって右に春屋妙葩像を祀り、その真下には宝篋印塔があるという。後壇の向かって左には開基足利義満像がある。後壇中央の壇には真ん中に弥勒菩薩、向かって右に賢渓玄倫像と名称不明像、向かって左に虎岑玄竹像を祀る。向かって右壁面の龕には歴代の位牌、反対壁面の龕には観音菩薩と有縁の位牌を祀る。
- 客殿:境内の中心にある。
- 舎利殿:本尊は仏牙舎利。仏牙舎利は源実朝が宋から請来したもので、後光厳天皇が春屋妙葩に下賜した。後奈良天皇、正親町天皇、後水尾天皇が礼拝したという。舎利殿を中心に庭園が構成されている。
画像
組織
住職
- 春屋妙葩(1311-1388)<>:
- 1汝霖良佐(生没年不詳)<>:天龍寺前住。「汝霖周佐」とも。
- 2厳中周〓(1359-1428)<>:南禅寺102世。相国寺22世。智海大珠禅師。〓は「王」の周囲に「口」が四つ。
- 3柏心周操(?-1450)<>:天龍寺101世。相国寺41世。
- 4説郷梵伝()<>:円覚寺前住。
- 5玉厳周玲()<>:天龍寺前住。
- 6潤仲周瓏()<>:南禅寺前住。
- 7心叔守厚()<>:臨川寺住職。「心叔守愚」とも。
- 8為霖玄佐()<>:臨川寺住職。
- 9文泉昌渭()<>:臨川寺住職。
- 10賢渓玄倫()<>:天龍寺201世。
- 11虎岑玄竹()<>:中興。天龍寺205世。酒井忠知の子。
- 12松嶺昌柏()<>:円覚寺前住。
- 13南叟昌瑠()<>:円覚寺前住。
- 14霊源慧桃(1721-1785)<>:白隠の弟子。
- 15海会古礼()<>:臨川寺住職。
- 16龍水昌釤()<>:臨川寺住職。「龍泉昌釤」とも。
- 17韶陽慧音()<>:臨川寺住職。
- 18天敬宗寔()<>:天龍寺226世。
- 19泊船昌因()<>:
- 20仙峰宗球()<>:天龍寺233世。
- 21義堂昌〓()<>:天龍寺前住。。〓は「石眞」。「義堂昌碩」とも。
- 22怡雲昌怡()<>:天龍寺前住。。
- 23峨山昌禎(1852-1900)<>:中興。橋本峨山。天龍寺239世。
- 24謙宗紹温()<>:天龍寺再住。
- 25独山玄義(1869-1938)<>:橋本独山。相国寺128世。
- 26実堂玄実()<>:
「鹿王院世代」[1]
資料
- 鹿王院文書
- 鹿王院記
- 宝幢寺鹿王院領目録