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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月25日 (日)

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官修墳墓 



目次

概要

官修墳墓(かんしゅうふんぼ)は、日本政府が管理する、幕末から西南戦争にかけての官軍死者の墓地。昭和17年(1942)までに1013所が設置された。1所に1柱が葬られたわけではなく、複数柱が葬られた場合もあり、1柱の戦没者が複数の墓地に祀られている場合もある。戦前は政府が修復費を支給していた。現在の法的位置付けは不詳。昭和33年(1958)に政府の調査があったが、管理はされていないようである。そのため、毀損、移転した墓もある。なお正式には地名を付して「●●官修墳墓」と称したが煩雑なので、通称などを優先する。被葬者は政府の調査漏れがなければ、靖国神社の祭神である。幕末維新期人物旧跡

京都、会津若松、熊本などの激戦地や、東北戦線などに出兵した官軍藩の地元に多い。官祭招魂社指定護国神社官軍殉難者奉斎招魂社陸軍墓地海軍墓地も参照。陸海軍墓地との区別や関係はよく分からない。陸海軍墓地が陸軍省・海軍省の管轄だったのに対して官修墳墓は内務省神社局(のち神祇院)の管轄だった。

歴史

  • 1874年:内務省、国事殉難者の墳墓に国費支出を通達。
  • 1875年:初の国費支出
  • 1901年:官修墳墓の制度ができる。
  • 1940年4月:「国庫より供進すべき護国神社祭粢料及び官修墳墓修繕料定額」を定める。一カ所につき、6円50銭を支給。
  • 1946年2月2日:勅令第71号で神社諸制度が廃止されたが、官修墳墓は宙に浮いた。大蔵省は「墳墓敷地は国有地のみでない」、文部省は「史蹟でも宗教でもない」、厚生省は「記念碑的なものもあり、純然たる墓地でない。また公園地でもない」、建設省は「関係のものでもない」との見解を示し、所轄庁が決まらなかったという。
  • 1957年2月4日:横須賀市追浜の遺族会、「横須賀市追浜等にある官修墳墓の祭祀及管理の復活に関する請願書」を提出し、参議院と衆議院で受理される。
  • 1957年3月:文部省が官修墳墓について調査。33都府県から報告。1013カ所。約10万坪のうち国有地2万坪、公有地4万坪、民有地4万5000坪という。
  • 1957年5月18日:内閣委員長は官修墳墓に関する法規が廃止されていないことを指摘し、請願の趣旨目的を適切妥当と認め、衆議院に報告。しかし請願はしばらく放置されたという。
  • 1957年10月3日:官修墳墓の移転改葬手続について宮崎県からの問い合わせ(9/15)に対し、文部省調査局長は「改善等著しい現状変更」は「総理府へ経伺すべきもの」と回答した。
  • この頃:総理府の内閣総理大臣審議室に事務所を設置して、文部省、大蔵省、厚生省、自治省など「五者」の連絡協議会を設置。
  • 1959年6月:厚生省と自治庁次官名で現状調査。滋賀県を除いて回答があり、396カ所を確認。国有地8502坪、県有地9841坪、市町村4628坪、社寺有地8978坪、個人有地712坪。文部省調査より大幅に減少。
  • 1961年8月:官修墳墓処遇大綱が決定。国費を支出して管理。国有地の場合無償貸与。管理は市町村に委任。管理費は地方交付税または特別交付金で支給。国有地にあるが、民間で管理しているものについては土地を有償で払い下げる。私有地にあるものについては管理費の交付はない。国は祭祀に関わらない。1カ所に付き1万円を支出。
  • 1961年10月3日:官修墳墓の取り扱いについて閣議決定。大蔵省と自治省から近く通達されるという。おおよそ大綱通り。国費は自治省から支出する方針。国有地の場合、その敷地を維持管理祭祀する市町村に無償貸付または譲渡する。都道府県有地の場合、都道府県が維持管理祭祀を行うもの以外は市町村に無償貸付するように勧める。維持管理祭祀は市町村または都道府県が行うものとし、憲法の趣旨に反しないように宗教的色彩を伴わない方法で地方の実情に応じて行うように勧奨する。官修墳墓を公共墓地などに移す場合など維持管理に多額の経費が必要な場合は別途財源措置を講ずる。なおこの後、実際にどの程度実行されたのかは不詳。

制度

一覧表

官修墳墓一覧(典拠:『大日本帝国内務省統計報告』明治34年~昭和17年)
都道府県 明治34-38
(1901-1905)
明治39-40
(1906-1907)
明治41-42
(1908-1909)
明治43-大正5
(1910-1916)
大正6
(1917)
大正7-9
(1918-1920)
大正10-昭和1
(1921-1926)
昭和2-17
(1927-1942)
01 北海道 14 14 14 14 14 14 13 13
02 青森県 10 10 15 15 15 15 15 15
03 岩手県 6 6 6 6 6 6 6 6
04 宮城県 1 1 1 1 1 1 1 1
05 秋田県 128 128 128 128 128 127 127 127
06 山形県 44 44 44 44 44 44 44 44
07 福島県 186 186 186 186 186 186 186 186
08 茨城県 14 14 14 14 14 14 14 14
09 栃木県 85 85 85 85 85 83 83 83
10 群馬県 7 7 7 7 7 7 7 7
11 埼玉県 1 1 1 1 1 1 1 1
12 千葉県 10 10 10 10 10 10 10 10
13 東京都 25 25 25 25 25 25 25 25
14 神奈川県 3 3 3 3 3 3 3 3
15 新潟県 91 91 85 79 85 83 83 83
16 富山県 6 6 6 6 6 6 6 6
17 石川県 1 1 1 1 1 1 1 1
18 福井県 1 1 1 1 1 1 1 1
19 山梨県 0
20 長野県 44 44 44 44 44 44 44 44
21 岐阜県 0
22 静岡県 0
23 愛知県 0
24 三重県 0
25 滋賀県 2 2 2 2 2 2 2 2
26 京都府 24 24 25 25 25 25 29 29
27 大阪府 2 2 2 2 2 2 2 2
28 兵庫県 1 1 1 1 1 1 1 1
29 奈良県 0
30 和歌山県 0
31 鳥取県 0
32 島根県 0
33 岡山県 28 28 28 28 28 28 28 28
34 広島県 6 6 6 6 6 6 6 6
35 山口県 25 25 25 25 25 25 26 24
36 徳島県 0
37 香川県 0
38 愛媛県 0
39 高知県 0
40 福岡県 4 4 4 4 4 4 8 8
41 佐賀県 10 10 10 10 10 10 10 10
42 長崎県 5 5 5 5 5 5 17 17
43 熊本県 96 96 97 97 97 97 163 163
44 大分県 4 4 4 4 4 4 12 12
45 宮崎県 8 7 7 7 7 7 12 12
46 鹿児島県 6 6 6 6 6 6 29 29
47 沖縄県 0
合計 898 897 898 892 898 893 1015 1013
  • 明治34年に官祭招魂社および官修墳墓の制度が定められる。
  • 大正12年は震災のため調査を欠く
  • 大正11年以前はその年の6月末日現在。それ以降は12月末日現在。
  • 『大日本帝国内務省統計報告』には参考として過去の数値が掲載されていることがあり、当該年度の報告書と数値が食い違うことがあるが、過去の数値は無視した。

比定地と候補地

01 北海道

『大日本帝国内務省統計報告』 によると13所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

02 青森県

03 岩手県

『大日本帝国内務省統計報告』によると6所があった。下記の2所はその候補地。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 官軍勇士墓:岩手県宮古市鍬ケ崎にある。宮古市指定文化財[1]
  • 官軍小西周右衛門の墓:岩手県宮古市の常安寺にある。宮古市指定文化財[2]

04 宮城県

05 秋田県

『大日本帝国内務省統計報告』によると127所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 全良寺官修墓地:秋田県秋田市。「戊辰役官軍戦死者・薩長など17藩256柱」を祀る[3]。秋田県公文書館に「羽州秋田八橋全良寺 官軍戦死墳墓之図」がある。
  • (忠専寺):候補地。秋田県秋田市。

06 山形県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると44所あった。下記はその候補地。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 山形県山形市薬師公園の鹿児島藩墓地
  • 山形県鶴岡市常念寺の官軍墳墓
  • 光丘官軍墓地:山形県酒田市日吉町。光丘神社そば。

07 福島県

『大日本帝国内務省統計報告』によると186所があった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 長寿院官軍墓地:候補地。福島県白河市。
  • 増淵勝蔵墓:候補地。清光寺
  • 農民深谷政右衛門墓:候補地。
  • 東明寺官軍墓地:候補地。福島県会津若松市。
  • 洞雲寺墓地:候補地。福島県相馬市。
  • 新福寺墓地:候補地。福島県南会津郡只見町。
  • 龍泉寺墓地:候補地。福島県南会津郡只見町。
  • 大竹繁三郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 白河城 薩摩藩墓所:候補地。福島県白河市。
  • 軍夫吉五郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 加藤善三郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 「長州大垣藩六人之墓」:候補地。福島県白河市。
  • 観音寺墓地:候補地。福島県白河市。
  • 正金寺墓地:候補地。福島県白河市。

08 茨城県

『大日本帝国内務省統計報告』によると14所があった。

  • 回天墓地:候補地。茨城県水戸市の回天神社内にある。
  • 田中利一墓:候補地。茨城県坂東市の高声寺にある。山口藩戦没者。

09 栃木県

『大日本帝国内務省統計報告』によると83所があった。

10 群馬県

『大日本帝国内務省統計報告』によると7所があった。

11 埼玉県

『大日本帝国内務省統計報告』によると1所があった。

  • 伊藤十郎定利墓:埼玉県熊谷市の報恩寺にある。山口藩足軽。

12 千葉県

『大日本帝国内務省統計報告』によると10所があった。

13 東京都

『大日本帝国内務省統計報告』によると25所があったが、不詳。

  • 大円寺墓地):候補地。東京都杉並区。鹿児島藩墓所がある。
  • 泉岳寺墓地):候補地。「明治戊辰芸州藩戦死者墓」がある。

14 神奈川県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると3所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 追浜官修墳墓:神奈川県横須賀市浦郷町。「浦郷官修墓地」ともいう。48基の墓碑。
  • 久保山官修墓地:神奈川県横浜市西区元久保町。横浜市営久保山墓地内にある。野毛の病院で死亡した兵士を葬った。

15 新潟県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると83所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 戊辰戦争殉難者墓苑:新潟県新潟市。現在は新潟県護国神社内に移転。
  • 高田官修墳墓:新潟県上越市大貫金谷山公園
  • 柏崎墓地:新潟県柏崎市学校町。
  • 悠久山墓地か:悠久山招魂社内。戊辰戦争の死者は賊軍だが、西南戦争の死者は官軍。

16 富山県

17 石川県

18 福井県

  • 高階幾次郎墓:福井県唯一の官修墳墓。足羽山招魂社に併設。福井藩士。1868年(明治1年)8月11日、越後国蒲原郡小松の戦いで負傷し、帰郷後、1870年(明治3年)3月4日に死去。現存不明。「福井県における宗教関係公文書の史料学的考察(その2)」[4]

19 山梨県

  • なし

20 長野県

21 岐阜県

  • なし

22 静岡県

  • なし

23 愛知県

  • なし

24 三重県

  • なし

25 滋賀県

『大日本帝国内務省統計報告』によると2所があった。下記1所はその候補地。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

26 京都府

坂本龍馬など、幕末の抗争で亡くなった志士などの墓が多い。『大日本帝国内務省統計報告』によると29所があったとされる。

  • 丹波・金輪寺):候補地。京都府亀岡市宮前町宮川神尾山。頼三樹三郎と桜井頼直の遺髪墓・招魂碑の他、官修墳墓のような石碑が並ぶ。

27 大阪府

『大日本帝国内務省統計報告』によると2所があった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

28 兵庫県

29 奈良県

  • なし

30 和歌山県

  • なし

31 鳥取県

  • なし

32 島根県

  • なし

33 岡山県

『大日本帝国内務省統計報告』によると28所があったとされ、『岡山県護国神社百年史』に掲載する下記の28柱の墓と思われる。

  • 杉山喜之介節雄墓
  • 花房喜三太義忠墓
  • 霜山健次郎豊忠墓
  • 平井源八郎重道墓
  • 太田万治正順墓
  • 伊原儀左衛門悌盛墓
  • 尾関久五郎孝友墓
  • 内藤恵三郎信時墓
  • 岡竹助蔵直道墓
  • 石黒幸三郎正智墓
  • 塩尻鶴右衛門浜雄墓
  • 国末藤左衛門興晴墓
  • 中村亀之進成儀墓
  • 赤井虎蔵定致墓
  • 高木定之丞忠景墓
  • 田中兼治近吉墓
  • 岡崎秀松遠則墓
  • 朝倉芳之介時景墓
  • 長尾亀八景次墓:岡山県岡山市北区建部町西原の墓地に現存?
  • 伊原常三郎道行墓
  • 緒方益太郎邦昌墓
  • 斎藤小十郎墓:岡山県倉敷市の正福寺に現存?
  • 中西寿之介厚載墓
  • 三宅彦太郎守徳墓
  • 雀部八郎時宜墓
  • 梶川虎伝次盛久墓
  • 吉岡安次郎憶美墓
  • 山本五太夫林光墓

34 広島県

35 山口県

『大日本帝国内務省統計報告』によると24所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 小瀬官修墳墓:山口県岩国市小瀬屋敷。籌勝院か?19人
  • 岡の寮官修墳墓:山口県岩国市本郷町岡の寮。14人
  • 大道寺官修墳墓:山口県山口市名田島。5人。
  • 上郷:山口県山口市小郡上郷。3人
  • 吉敷岸本:山口県山口市小郡上郷。1人。
  • 吉敷岡山:山口県山口市小郡上郷。1人。
  • 東泉寺:山口県山口市秋穂東。1人。
  • 堂ノ尾:山口県下関市吉田。2人
  • 吉田地方セリ場:山口県下関市吉田地方。3人。
  • 吉田地方岩屋ケ浴:山口県下関市吉田地方。6人。
  • 吉田地方神田:山口県下関市吉田地方。1人。
  • 吉田地方大判:山口県下関市吉田地方。3人。
  • 本行寺官修墳墓:山口県下関市赤間町。26人。
  • 光明寺官修墳墓:山口県下関市細江町。いわゆる「光明寺党」がここで結成。1人。
  • 東光寺官修墳墓:山口県下関市豊前田町。東光寺は奇兵隊本陣。5人。
  • 引接寺官修墳墓:山口県下関市中之町。1人。
  • 了円寺官修墳墓:山口県下関市大坪。3人。
  • 大乗寺官修墳墓:山口県下関市長府金屋町。2人。
  • 勝野原官修墳墓:山口県下関市。中山忠光墓。長門・中山神社が建てられた。1人。
  • 光明寺?山口県美祢市美東町大田。13人。
  • 天神峠:山口県美祢市美東町大田 天神峠。光明寺に合併?2人。
  • 奥田:山口県美祢市美東町大田奥田。光明寺に合併?2人。
  • 赤妻官修墳墓:山口県山口市。錦小路頼徳墓。赤妻神社が建てられた。1人。
  • 江良官修墳墓:山口県山口市。6人。

(『山口県統計書』1883年(明治16年)12月31日現在)

36 徳島県

  • なし

37 香川県

  • なし

38 愛媛県

  • なし

39 高知県

  • なし

40 福岡県

『大日本帝国内務省統計報告』によると8所があった。下記を含むと思われる。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

41 佐賀県

佐賀の乱があった。『大日本帝国内務省統計報告』によると10所があった。下記を含むと思われる。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

万部島招魂場は該当しないか)

42 長崎県

『大日本帝国内務省統計報告』によると17所があったが1墓地ごとに複数カ所が数えられていると思われる。

43 熊本県

西南戦争の激戦地。『大日本帝国内務省統計報告』によると163所があったが下記の1墓地ごとに複数カ所が数えられていると思われる。1907年(明治40年)まで96カ所が数えられ、翌年に1カ所増え97カ所が長く続いたが、1921年(大正10年)から急増して163カ所となった。詳細は不明だが、追加の指定があったか、管理などの都合で分割されたかしたのかもしれない。また以下の墓地とは別に京都の霊山官修墳墓内に熊本藩招魂社がある。

44 大分県

『大日本帝国内務省統計報告』によると12所があった。下記の墓地にそれぞれ複数カ所あった可能性がある。

45 宮崎県

『大日本帝国内務省統計報告』によると12所があった。下記の墓地にそれぞれ複数カ所あった可能性がある。

  • (都城招魂塚)

46 鹿児島県

『大日本帝国内務省統計報告』によると29所があった。下記が候補。

47 沖縄県

  • なし

参考文献

  • 『大日本帝国内務省統計報告』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%98%E4%BF%AE%E5%A2%B3%E5%A2%93」より作成

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