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霊山官修墳墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月11日 (日)
霊山官修墳墓(りょうぜん・かんしゅうふんぼ)は、京都府京都市東山区の京都霊山護国神社にある官修墳墓。霊明神社・霊明神社墓地も参照。 山口藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。
目次 |
一覧
招魂社
総称して霊山招魂社などと呼ばれ、官祭招魂社だった。京都霊山護国神社の前身。1911年(明治44年)『靖国神社誌』記載の「京都愛宕霊山招魂社」8カ所、『もりのしげり』記載の「霊山官祭招魂社 第一社」から「第一〇社」、および「第一四社ノ二」「第一四社ノ三」、『護国之神と招魂祭』記載の「愛宕郡清閑寺村靈山(八ヶ所)」、「招魂社調」記載の霊山山口招魂社、霊山福岡招魂社、霊山鳥取招魂社、霊山高知招魂社、霊山京都府招魂社、霊山熊本招魂社、霊山久留米招魂社、霊山徴兵七番隊招魂社、霊山埜崎大蔵招魂社に該当すると思われる(徴兵七番隊、埜崎大蔵招魂社は招魂碑のみと思われる)。ちなみに鹿児島藩招魂社は東福寺即宗院、佐土原藩招魂社は大雲院にある。
- 山口藩招魂社:官祭招魂社
- 福岡藩招魂社:官祭招魂社。久留米藩招魂社を合祀?
- 鳥取藩招魂社:官祭招魂社
- 高知藩招魂社:官祭招魂社
- 京都招魂社:官祭招魂社
- 熊本藩招魂社:官祭招魂社
- (久留米藩招魂社):官祭招魂社。福岡藩招魂社に合祀?
- 徴兵七番隊招魂社:官祭招魂社
- 水戸藩招魂社
- 岐阜県招魂場:一部、「徴兵七番隊招魂社」を含むか?
墓・碑
官修墳墓
- 唱義1号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、74柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義2号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、89柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義3号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、28柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義4号:1870年(明治3年)3月、福岡藩主が設立、7柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義5号:1869年(明治2年)9月、高知藩が設立、27柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義6号:1869年(明治2年)8月、丹羽貫之介が設立、六角獄舎で刑死した4柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義7号:1871年(明治4年)4月改葬、天誅組および生野義挙殉難者37柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義8号:1868年(明治1年)7月、高知藩が設立、3柱(『官修墳墓録』)。坂本龍馬と中岡慎太郎と藤吉。
- 唱義9号:1863年(文久3年)から1869年(明治2年)にかけて設立、8柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義14号:設立年不詳。3柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義15号:1基(1877年(明治10年)5月)を除いて設立年不詳。5柱(『官修墳墓録』)。
- 唱義16号:1863年(文久3年)から1877年(明治10年)にかけてと1898年(明治31年)に設立。10柱(『官修墳墓録』)。
官修墳墓(唱義1号)
順 | 名前 | 生没年 | 所属 | 死去 | 死因 | 靖国 | 招魂社 | 官修墳墓 | 贈位 | 略歴 |
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1 | 来島又兵衛 | 1817-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | 光峨嵋山護国神社 | 正四位 | 1864年(元治1年)7月19日、蛤御門で戦死。49歳。「官修墳墓録」には「来島又兵衛政久」とある。 | ||
2 | 久坂玄瑞 | 1840-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 桜山招魂社 | 正四位 | 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。26歳。「官修墳墓録」には「久坂義助通武」とある。松門神社祭神。 | ||
3 | 寺島忠三郎 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 朝日山護国神社 | 正四位 | 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。22歳。「官修墳墓録」には「寺島忠三郎昌昭」とある。松門神社祭神。 | ||
4 | 入江九一 | 1837-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 桜山招魂社 | 正四位 | 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。27歳。「官修墳墓録」には「入江九一弘毅」とある。松門神社祭神。 | ||
5 | 有吉熊次郎 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 朝日山護国神社 | 正五位 | 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。23歳。「官修墳墓録」には「有吉熊次郎良明」とある。 | ||
6 | 船越清蔵 | 1805-1862 | 山口藩 | 1862年(文久2年)8月8日 | 病死 | 従四位 | 1862年(文久2年)8月8日、美祢郡絵堂村で病死。「官修墳墓録」には「船越清蔵守愚」とある。 | |||
7 | 堤松左衛門 | 1839-1863 | 熊本藩 | 1863年(文久3年)3月23日 | 自刃 | 1863年(文久3年)3月23日、洛東大日山で自刃。25歳。。本名と変名「南木四郎」の墓碑がそれぞれある。「官修墳墓録」には「南木四郎義次堤松左衛門義次」とある。 | ||||
8 | 松浦松洞 | 1837-1862 | 山口藩 | 1862年(文久2年)4月13日 | 自刃 | 正五位 | 1862年(文久2年)4月13日、粟田山で自刃。26歳。「官修墳墓録」には「松浦亀太郎知新」とある。松門神社祭神。 | |||
9 | 松尾甲之進 | ?-1863 | 山口藩 | 1863年(文久3年)8月20日 | 病死 | 桜山招魂社 | 1863年(文久3年)8月20日、京師で病死。「官修墳墓録」には「松尾甲之進則信」とある。望月亀弥太とは別人物。 | |||
10 | 周田半蔵 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)9月6日 | 病死 | 桜山招魂社 | 1864年(元治1年)9月6日、京師で病死。22歳。「官修墳墓録」には「周田半蔵正順」とある。 | |||
11 | 吉田稔麿 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)6月5日 | 戦死 | 桜山招魂社 | 従四位 | 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で戦死。24歳。「官修墳墓録」には「吉田稔麿秀実」とある。松門神社祭神。 | ||
12 | 杉山松助 | 1838-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)6月6日 | 戦傷死 | 従四位 | 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で被傷。6日死去。27歳。「官修墳墓録」には「杉山松助律義」とある。松門神社祭神。 | |||
13 | 野老山吾吉郎 | 1846-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)6月27日 | 戦傷死 | 従五位 | 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で被傷。同月27日死去。19歳。「官修墳墓録」には「野老山吾吉郎輝朗所山五六郎」とある。所山五六郎。 | |||
14 | 湯川庄蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | 光峨嵋山護国神社 | 1864年(元治1年)7月19日、蛤御門で戦死。「官修墳墓録」には「湯川庄三(蔵)」とある。湯川庄造。 | |||
15 | 弘中与三右衛門 | 1825-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、伏見桃山で自刃。39歳。「官修墳墓録」には「弘中与惣左衛門恒忠」とある。 | ||||
16 | 佐藤市郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月20日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月19日、捕縛。同月20日獄死。「官修墳墓録」には「佐藤市郎」とある。 | ||||
17 | 佐方熊三郎 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「佐方熊三郎」とある。 | ||||
18 | 田中誠助 | 1830-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。35歳。「官修墳墓録」には「田中誠助」とある。田中誠輔か。 | ||||
19 | 和智金槌 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。24歳。「官修墳墓録」には「和智金槌」とある。和智金熊か。 | ||||
20 | 山田千吉 | 1840-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。25歳。「官修墳墓録」には「山田千吉」とある。 | ||||
21 | 出羽虎槌 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「出羽虎槌」とある。 | ||||
22 | 桂勝三郎 | 1848-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 防府市護国神社 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。17歳。「官修墳墓録」には「桂勝三郎孝政」とある。 | |||
23 | 高橋与三 | 1844-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。21歳。「官修墳墓録」には「高橋与三光標」とある。 | ||||
24 | 三分利徳三郎 | 1844-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 桜山招魂社 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。21歳。「官修墳墓録」には「三分利徳三郎重忠」とある。 | |||
25 | 今津宇三郎 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 桜山招魂社 | 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「今津宇三郎」とある。 | |||
26 | 弘勝之助 | 1837-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 朝日山護国神社 | 正五位 | 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。28歳。「官修墳墓録」には「弘勝之助忠貞」とある。松門神社祭神。 | ||
27 | 山田虎之助 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月20日 | 刑死 | 桜山招魂社 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月20日、獄中で刑死。20歳。古手屋耕介「官修墳墓録」には「山田虎之助彪」とある。 | ||
28 | 内山太郎右衛門 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月20日 | 刑死 | 桜山招魂社 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月20日、獄中で刑死。22歳。「官修墳墓録」には「内山太郎右衛門直一」とある。 | ||
29 | 吉岡庄助 | 1831-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)6月5日 | 戦死 | 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で戦死。34歳。「官修墳墓録」には「吉岡庄助篤之」とある。 | ||||
30 | 有田三郎兵衛 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 刑死 | 光峨嵋山護国神社 | 1864年(元治1年)7月19日、捕縛。同月27日、六角獄で刑死。23歳。「官修墳墓録」には「有田三郎兵衛国久」とある。 | |||
31 | 大町国太郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)8月18日 | 獄死 | 1864年(元治1年)8月18日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「大町国太郎」とある。 | ||||
32 | 野田新太郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「野田新太郎」とある。 | ||||
33 | 山根亦七 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「山根亦七」とある。 | ||||
34 | 藤村与吉郎 | 1825-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。40歳。「官修墳墓録」には「藤村与吉郎」とある。 | ||||
35 | 佐藤彦兵衛 | 1834-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。31歳。「官修墳墓録」には「佐藤彦兵衛」とある。 | ||||
36 | 堀田音三郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)10月26日 | 獄死 | 1864年(元治1年)10月26日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「堀田音三郎」とある。 | ||||
37 | 小谷嘉兵衛 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)11月18日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)11月18日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「小谷嘉兵衛」とある。 | ||||
38 | 野原彦之進 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)7月5日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)7月5日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「野原彦之進」とある。 | ||||
39 | 河野理兵衛 | 1814-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)12月20日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)12月20日、六角獄で死去。52歳。「官修墳墓録」には「河野理兵衛通貫」とある。 | ||||
40 | 仲子栄太郎 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)6月9日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)6月9日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「仲子栄太郎」とある。 | ||||
41 | 大心 | ?-1866 | 山口藩 | 1866年(慶応2年)5月12日 | 獄死 | 金剛隊。1866年(慶応2年)5月12日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「大心」とある。 | ||||
42 | 円暁 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)9月6日 | 獄死 | 金剛隊。1865年(慶応1年)9月6日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「円暁」とある。 | ||||
43 | 恵定 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)7月16日 | 獄死 | 金剛隊。1865年(慶応1年)7月16日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「恵定」とある。 | ||||
44 | 安丸 | 1848-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)7月27日 | 獄死 | 金剛隊。1865年(慶応1年)7月27日、六角獄で死去。18歳。「官修墳墓録」には「安丸」とある。 | ||||
45 | 松渓 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)7月27日 | 獄死 | 金剛隊。1865年(慶応1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「松渓」とある。 | ||||
46 | 幾輔 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)12月22日 | 死去 | 1865年(慶応1年)12月22日死去。「官修墳墓録」には「幾輔」とある。 | ||||
47 | 吉竹卯吉 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「吉竹卯吉」とある。 | ||||
48 | 引頭与市 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。23歳。「官修墳墓録」には「引頭与市高則」とある。 | ||||
49 | 照平 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「照平」とある。 | ||||
50 | 吉太郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「吉太郎」とある。 | ||||
51 | 市蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「市蔵」とある。 | ||||
52 | 岡村仲助 | 1836-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。29歳。「官修墳墓録」には「岡村仲助」とある。 | ||||
53 | 高木元右衛門 | 1833-1864 | 熊本藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 正五位 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。32歳。「官修墳墓録」には「高木元右衛門直久」とある。 | |||
54 | 政之輔 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「政之輔」とある。 | ||||
55 | 長尾郁三郎 | 1837-1864 | 京都 | 1864年(元治1年)7月20日 | 刑死 | 正五位 | 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。28歳。「官修墳墓録」には「長尾郁三郎武雄」とある。靖国神社元宮祭神。 | |||
56 | 河村丹斎 | 生没年不詳 | 山口藩 | 「官修墳墓録」には「河村丹斎」とある。 | ||||||
57 | 横田清兵衛 | 1834-1864 | 京都 | 1864年(元治1年)7月19日 | 刑死 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月19日、六角獄で刑死。31歳。「官修墳墓録」には「横田清兵衛順宣」とある。 | |||
58 | 大高忠兵衛 | 1823-1864 | 兵庫 | 1864年(元治1年)7月4日 | 獄死 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月4日、獄死。42歳。「官修墳墓録」には「大高忠兵衛」とある。 | |||
59 | 西川耕蔵 | 1823-1865 | 志賀 | 1865年(慶応1年)2月11日 | 獄死 | 従五位 | 1865年(慶応1年)2月11日、獄死。43歳。「官修墳墓録」には「西川耕蔵直純」とある。 | |||
60 | 入江惣兵衛 | 1823-1864 | 京都 | 1864年(元治1年)7月13日 | 獄死 | 池田屋の主人。1864年(元治1年)7月13日、獄死。「官修墳墓録」には「池田惣兵衛」とある。 | ||||
61 | 山田小右衛門 | 生没年不詳 | 山口藩 | 「官修墳墓録」には「山田小右衛門」とある。 | ||||||
62 | 宮津三郎兵衛 | ?-1864 | 兵庫 | 1864年(元治1年)8月13日 | 獄死 | 1864年(元治1年)8月13日、獄死。「官修墳墓録」には「宮津三郎兵衛」とある。 | ||||
63 | 中野喜八 | ?-1866 | 東京 | 1866年(慶応2年)3月5日 | 死去 | 1866年(慶応2年)3月5日、死去。「官修墳墓録」には「中野喜八」とある。 | ||||
64 | 徳蔵 | 1848-1866 | 山口藩 | 1866年(慶応2年)3月2日 | 死去 | 1866年(慶応2年)3月2日、死去。19歳。「官修墳墓録」には「徳蔵」とある。 | ||||
65 | 玉之石卯吉 | 1838-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 死去 | 光峨嵋山護国神社 | 1864年(元治1年)7月19日、死去。27歳。「官修墳墓録」には「玉之石卯吉」とある。玉之石卯兵衛、玉石卯兵衛とも。 | |||
66 | 幸助 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、獄死。「官修墳墓録」には「幸助」とある。 | ||||
67 | 三吉 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)7月16日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)7月16日、獄死。「官修墳墓録」には「三吉」とある。 | ||||
68 | 千代松 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)10月25日 | 死去 | 1865年(慶応1年)10月25日、死去。「官修墳墓録」には「千代松」とある。 | ||||
69 | 幸吉 | ?-1865 | 山口藩 | 1865年(慶応1年)2月26日 | 獄死 | 1865年(慶応1年)2月26日、獄死。「官修墳墓録」には「幸吉」とある。 | ||||
70 | 弥助 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月27日 | 獄死 | 1864年(元治1年)7月27日、獄死。「官修墳墓録」には「弥助」とある。 | ||||
71 | 先山倫之進 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | 富田護国神社か | 1864年(元治1年)7月19日、戦死。「官修墳墓録」には「先山倫之進正倫」とある。先山倫之丞か。 | |||
72 | 松野頴 | 1842-1864 | 徳山藩 | 1864年(元治1年)11月7日 | 獄死 | 1864年(元治1年)11月7日、大坂千日獄で獄死。23歳。「官修墳墓録」には「松野穎信行」とある。 | ||||
73 | 福谷林兵衛 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | 1864年(元治1年)7月19日、戦死。「官修墳墓録」には「福谷林兵衛好長」とある。 | ||||
74 | 山田善次郎 | 1853-1869 | 埼玉 | 1869年(明治2年)9月 | 死去 | 大村益次郎の家臣。1869年(明治2年)9月死去。17歳。「官修墳墓録」には「山田善次郎敏忠」とある。 |
官修墳墓(唱義2号)
- 『靖国神社忠魂史』[1]
順 | 名前 | 生没年 | 所属 | 死去 | 死因 | 靖国 | 招魂社 | 官修墳墓 | 贈位 | 略歴 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 乃木初太郎 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 三田尻招魂社官祭祭神 | 従五位 | 大組隊。福原越後に従い参戦。1864年(元治1年)7月19日稲荷街道で戦死。18歳。「官修墳墓録」には「乃木初太郎高知」とある。 | |
2 | 臼井富之祐 | 1840-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | ● | 桜山招魂社 | 奇兵隊。福原越後に従い参戦。1864年(元治1年)7月19日負傷して伏見で自刃。25歳。「官修墳墓録」には「臼井留之助胤勝」とある。 | ||
3 | 新見弾蔵 | 1832-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 福原越後家臣。1864年(元治1年)7月19日藤森で戦死。33歳。「官修墳墓録」には「新見弾蔵常久」とある。 | ||
4 | 山徳権之允 | 1833-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 桜山招魂社 | 奇兵隊。1864年(元治1年)7月19日藤森で戦死。34歳。「官修墳墓録」には「山徳権之丞信篤」とある。 | ||
5 | 改蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 御楯隊。魁蔵。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「改蔵」とある。 | ||||
6 | 伊藤敬蔵 | 1817-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊砲隊長。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。48歳。「官修墳墓録」には「伊藤敬蔵正直」とある。 | ||
7 | 緒方弥左衛門 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。「官修墳墓録」には「緒方弥左衛門直澄」とある。緒方真澄。上善寺首塚に名がある。 | ||
8 | 広峰太郎 | 1848-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。17歳。「官修墳墓録」には「広峰太郎清風」とある。 | ||
9 | 芥川小七 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日死去。22歳。「官修墳墓録」には「芥川小七高明」とある。 | |||
10 | 村上犬若 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日死去。18歳。「官修墳墓録」には「村上犬若英頼」とある。村上丈若。 | |||
11 | 広中謙蔵 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。22歳。「官修墳墓録」には「広中謙蔵孝雄」とある。広仲謙造。 | ||
12 | 藤井善九郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦傷死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日負傷して大坂藩邸で死去。「官修墳墓録」には「藤井善九郎義行」とある。 | ||
13 | 梅本仙之助 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 戦死 | ● | 小郡招魂社官祭祭神 | 樫原官修墳墓 | 集義隊。1864年(元治1年)7月19日樫原で戦死。「官修墳墓録」には「梅本仙之助直政」とある。 | |
14 | 乙丸善助 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 神職。1864年(元治1年)7月19日死去。22歳。「官修墳墓録」には「乙丸善助信久」とある。 | |||
15 | 金子末松 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。24歳。「官修墳墓録」には「金子末松」とある。 | |||
16 | 松村喜代蔵 | 1831-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「松村喜代三」とある。 | |||
17 | 藤井健蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「藤井健蔵」とある。 | |||
18 | 石津又兵衛 | 1831-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「石津又兵衛重俊」とある。 | |||
19 | 秋本金熊 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。20歳。「官修墳墓録」には「秋本金熊義盛」とある。秋本金槌。 | |||
20 | 篠原宗二郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社私祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「篠原宗二郎」とある。忠魂史には「篠原惣二郎」とある。 | |||
21 | 那須唯一 | 1841-1864 | 壬生藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「那須唯一正武」とある。忠魂史では山口藩所属扱い。 | ||
22 | 岡崎熊吉 | 1832-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 遊撃隊。明倫館の経理を務めていた。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。33歳。「官修墳墓録」には「岡崎熊吉」とある。 | |||
23 | 阿座上庄蔵 | 1846-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。19歳。「官修墳墓録」には「阿座上正蔵正光」とある。阿座上正造。松門神社祭神。 | |||
24 | 堀弥四郎 | 1846-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 桜山招魂社 | 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。19歳。「官修墳墓録」には「堀弥四郎敬忠」とある。 | |||
25 | 河野覚太郎 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 荻野隊。1864年(元治1年)7月19日烏丸口で死去。20歳。「官修墳墓録」には「河野覚太郎通泰」とある。 | |||
26 | 勝間田多三郎 | 1837-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 郷勇隊司令。1864年(元治1年)7月19日下立売烏丸口で死去。28歳。「官修墳墓録」には「勝間田多三郎」とある。 | ||||
27 | 南部泰蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日御所内で死去。「官修墳墓録」には「南部泰蔵」とある。南部泰造 | ||||
28 | 平田邦彦 | 1839-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。26歳。「官修墳墓録」には「平田邦彦高邦」とある。平田国彦。 | ||
29 | 波多野敬蔵 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日竹田街道で死去。18歳。「官修墳墓録」には「波多野敬蔵直郷」とある。 | |||
30 | 徳重音之進 | 1840-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日竹田街道で死去。25歳。「官修墳墓録」には「徳重音之進直義」とある。 | |||
31 | 竹下譲平 | 1846-1890 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 家老福原越後の家臣。禁門の変の後、行方不明となり、戦死したと思われていたが生存していたらしい。1890年(明治23年)4月19日死去。ただし『忠魂史』でも戦死扱い。1864年(元治1年)7月19日死去。43歳。「官修墳墓録」には「竹下護平讓」とある。 | ||||
32 | 弘中市郎 | 1816-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日死去。49歳。「官修墳墓録」には「弘中市郎信通」とある。 | ||||
33 | 国重敬蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「国重敬蔵」とある。 | ||||
34 | 西村素兵衛 | 1838-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)11月17日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)11月17日大坂で死去。27歳。「官修墳墓録」には「西村素兵衛唯謹」とある。 | |||
35 | 藤田哲蔵 | 1823-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日大坂桜宮の船中で死去。42歳。「官修墳墓録」には「藤田哲蔵通行」とある。 | |||
36 | 西村善次 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)11月17日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)11月17日大坂千日獄で死去。22歳。「官修墳墓録」には「西村善次唯清」とある。 | |||
37 | 藤井佐次右衛門 | 1823-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)11月17日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)11月17日大坂千日獄で死去。42歳。「官修墳墓録」には「藤井佐次右衛門正則」とある。藤井佐治右衛門。 | |||
38 | 三隅吉平 | 1833-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「三隅吉平吉直」とある。 | |||
39 | 佐竹直衛 | 1825-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 国分寺隊隊長。荻野隊。1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。40歳。「官修墳墓録」には「佐竹直衛秀行」とある。 | ||||
40 | 岡本一学 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 国分寺隊。1864年(元治1年)7月19日京都御所内で死去。20歳。「官修墳墓録」には「岡本一学光久」とある。国本一学光久か。 | ||||
41 | 由川重吉 | 1815-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 国分寺隊。1864年(元治1年)7月19日死去。50歳。「官修墳墓録」には「由川重吉信重」とある。 | ||||
42 | 伊藤道之進 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「伊藤道之進」とある。 | ||||
43 | 藤本久左衛門 | 1840-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)12月15日 | 獄死 | ● | 維新招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)12月15日大坂千日獄で死去。25歳。「官修墳墓録」には「藤本久左衛門」とある。忠魂史には「藤本久右衛門」。 | ||
44 | 土田泰蔵 | 1830-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日藤森で死去。35歳。「官修墳墓録」には「土田泰蔵」とある。 | ||||
45 | 土田蔦之助 | 1838-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 朝日山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。27歳。「官修墳墓録」には「土田蔦之助信教」とある。 | |||
46 | 有川恒槌 | 1846-1864 | 長府藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 桜山招魂社 | 正五位 | 精兵隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。19歳。「官修墳墓録」には「有川恒槌紀綱」とある。 | ||
47 | 田村育蔵 | 1836-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 三蔭山招魂社官祭祭神 | 従五位 | 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。29歳。「官修墳墓録」には「田村郁藏直道」とある。上善寺首塚に名がある。 | ||
48 | 澄川謙蔵 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 三蔭山招魂社官祭祭神 | 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。23歳。「官修墳墓録」には「澄川謙蔵正義」とある。 | |||
49 | 中尾易三郎 | 1833-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 三蔭山招魂社官祭祭神 | 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「中尾易三郎宣足」とある。 | |||
50 | 中村惣治 | 1832-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 三蔭山招魂社官祭祭神 | 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。33歳。「官修墳墓録」には「中村惣治藤信」とある。忠魂史には「中村総治藤信」。 | |||
51 | 中村伝右衛門 | ?-1865 | 山口 | 1865年(慶応1年)5月23日 | 1865年(慶応1年)5月23日死去。「官修墳墓録」には「中村伝右衛門」とある。 | |||||
52 | 河野軍治 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 家老国司信濃の家臣。1864年(元治1年)7月19日烏丸邸前で死去。20歳。「官修墳墓録」には「河野軍治義清」とある。忠魂史では「阿野軍治」。 | |||
53 | 篠原秀太郎 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 家老国司信濃の家臣。1864年(元治1年)7月19日醍醐邸前で死去。18歳。「官修墳墓録」には「篠原秀太郎忠孝」とある。 | |||
54 | 蔵田静雄 | 1835-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。30歳。「官修墳墓録」には「蔵田静雄恒明」とある。藤田静雄? | |||
55 | 市川守雄 | 1829-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。36歳。「官修墳墓録」には「市川守雄正直」とある。 | |||
56 | 佐々木半四郎 | 1829-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。36歳。「官修墳墓録」には「佐々木半四郎尊友」とある。 | |||
57 | 松田清左衛門 | 1831-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「松田清左衛門久之」とある。 | |||
58 | 柴尾盛衛 | 1824-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。41歳。「官修墳墓録」には「柴尾盛衛光政」とある。柴尾森雄? | |||
59 | 三隅竜雄 | 1833-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「三隅竜雄登久」とある。 | |||
60 | 河内柳太郎 | 1842-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 1864年(元治1年)7月19日死去。23歳。「官修墳墓録」には「河内柳太郎誠友」とある。 | ||||
61 | 蔵重源三郎 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日新町上長者町上ルで死去。24歳。「官修墳墓録」には「蔵重源三郎兼次」とある。蔵重源三。倉重源三。 | |||
62 | 来原植松 | 1846-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。19歳。「官修墳墓録」には「来原植松高茂」とある。忠魂史には「来島植松高茂」とある。 | |||
63 | 阿武鞆輔 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 朝日山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。「官修墳墓録」には「阿武鞆輔幸胤」とある。 | |||
64 | 兵千代 | 1844-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日新町中長者町上ルで死去。21歳。「官修墳墓録」には「兵千代」とある。 | |||
65 | 作次郎 | 1827-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。38歳。「官修墳墓録」には「作次郎」とある。 | |||
66 | 作蔵 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 万倉招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。18歳。「官修墳墓録」には「作蔵」とある。 | |||
67 | 酒井金三郎 | ?-1866 | 長府藩 | 1866年(慶応2年)12月21日 | ● | 1866年(慶応2年)12月21日死去。「官修墳墓録」には「酒井金三郎」とある。忠魂史では1864年(元治1年)6月5日に暗殺とある。 | ||||
68 | 野村勝太郎 | 1830-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 児玉親恒従者。1864年(元治1年)7月19日山崎で死去。35歳。「官修墳墓録」には「野村勝太郎正文」とある。 | ||||
69 | 町田岩熊 | 1845-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 荻野隊。1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。20歳。「官修墳墓録」には「町田岩熊漂賢」とある。 | ||||
70 | 高橋岩蔵 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。「官修墳墓録」には「高橋岩蔵」とある。高橋岩之允か | |||
71 | 河野熊太郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「河野熊太郎」とある。 | |||
72 | 中原太三郎 | 1835-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 国司信濃に従う。1864年(元治1年)7月19日中立売門で自刃。30歳。「官修墳墓録」には「中原太三郎義行」とある。 | ||
73 | 長蔵寺今雄 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 金剛隊隊長。臨済宗長蔵寺(山口県萩市)の僧侶。1864年(元治1年)7月19日御所内で死去。「官修墳墓録」には「長蔵寺今雄」とある。令雄。僧侶の殉難者は、山口県の地元の招魂社には祀られない傾向にあったようだ。 | ||||
74 | 小林市右衛門 | 1827-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日室町上長者町で自決。38歳。「官修墳墓録」には「小林市右衛門織光」とある。小林市五右衛門?小林屋市右衛門 | ||
75 | 野村喜代熊 | 1837-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。28歳。「官修墳墓録」には「野村喜代熊道郷」とある。忠魂史には「野村屋喜代熊」。 | |||
76 | 藤田万槌 | 1839-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。26歳。「官修墳墓録」には「藤田万槌秀時」とある。藤山屋万槌、藤山万槌 | |||
77 | 増山乙松 | 1849-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。16歳。「官修墳墓録」には「増山乙松義之」とある。増山乙造。忠魂史には「増山屋音松義之」。 | |||
78 | 西宝寺皆道 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 金剛隊。浄土真宗西宝寺(山口県宇部市)の僧侶。等心と同一人物か[2]。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「西宝寺皆道」とある。 | ||||
79 | 荒瀬千代熊 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「荒瀬千代熊」とある。 | |||
80 | 大元房蔵 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日醍醐邸で死去。24歳。「官修墳墓録」には「大元房蔵吉政」とある。大元房吉。大元屋房蔵吉政。 | |||
81 | 岩城国三郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「巌城国三郎」とある。 | |||
82 | 岩野虎太郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「岩野虎太郎」とある。 | |||
83 | 大玉亀之進 | 1843-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日醍醐邸で死去。22歳。「官修墳墓録」には「大玉亀之進当貴」とある。大玉亀之助。 | |||
84 | 前田弥四郎 | 1847-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日死去。18歳。「官修墳墓録」には「前田弥四郎」とある。忠魂史には「前田屋弥四郎」。 | |||
85 | 西原吉之助 | 1846-1864 | 山口 | 1864年(元治1年)7月19日 | 1864年(元治1年)7月19日死去。19歳。「官修墳墓録」には「西原吉之助」とある。西村吉之進か。 | |||||
86 | 渓月院得舟 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 金剛隊。曹洞宗渓月院(山口県光市)の僧侶。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「渓月院得舟」とある。 | ||||
87 | 難波金槌 | 1846-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。19歳。「官修墳墓録」には「難波金槌好勝」とある。難波金助。 | |||
88 | 村田義作 | 1838-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。27歳。「官修墳墓録」には「邨田義作」とある。 | |||
89 | 須子小五郎 | 1846-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | ● | 峨嵋山招魂社官祭祭神 | 阿倍野官修墳墓 | 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。19歳。「官修墳墓録」には「須子小五郎孝尚」とある。 |
官修墳墓(唱義3号)
順 | 名前 | 生没年 | 所属 | 死去 | 死因 | 靖国 | 招魂社 | 官修墳墓 | 贈位 | 略歴 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 田岡俊三郎 | 1829-1864 | 小松藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従五位 | 伊予小松藩士。生野の変に参加。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。36歳。「官修墳墓録」には「田岡俊三郎久恒」とある。 | ||||
2 | 上岡胆治 | 1823-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 医師。土佐勤王党。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。43歳。天忠神社祭神。「官修墳墓録」には「上岡膽治正敏」とある。 | ||||
3 | 半田門吉 | 1834-1864 | 久留米藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 天誅組に参加。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。31歳。「大和戦争日記」を残す。「官修墳墓録」には「半田紋吉成久」とある。 | ||||
4 | 伊藤甲之助 | 1844-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。土佐勤王党。七卿落ちに随行。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。21歳。「官修墳墓録」には「伊藤甲之助和義」とある。 | ||||
5 | 那須俊平 | 1807-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 郷士。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。58歳。変名は檮山源八郎。「官修墳墓録」には「那須俊平重任」とある。 | ||||
6 | 尾崎幸之進 | 1840-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日京都御所花畠で死去。25歳。「官修墳墓録」には「尾崎幸之進基之」とある。 | ||||
7 | 柳井健次 | 1842-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。土佐勤王党。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。23歳。「官修墳墓録」には「柳井健次友政」とある。 | ||||
8 | 原道太 | 1838-1864 | 久留米藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従四位 | 藩士。真木和泉に師事。七卿落ちに随行。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。27歳。「官修墳墓録」には「原道太盾雄」とある。 | ||||
9 | 中村恒次郎 | 1841-1864 | 福岡藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。三条実美に仕える。変名は野口逸麿。1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「中村恒次郎無可」とある。 | ||||
10 | 中平竜之助 | 1842-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 自刃 | 正五位 | 忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で自刃。22歳。「官修墳墓録」には「中平竜之助定碓」とある。 | |||
11 | 内田弥三郎 | 1841-1864 | 熊本藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従五位 | 医師の子。鹿児島藩の尊攘志士と行動をともにしようと上京。山口藩方に加わる。1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「内田弥三郎秀行」とある。 | ||||
12 | 青木与三郎 | 1836-1864 | 厳原藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。厳原藩領の肥前国養父郡に住む。脱藩して山口藩へ。1864年(元治1年)7月19日死去。29歳。「官修墳墓録」には「青木与三郎良香」とある。 | ||||
13 | 津田愛之助 | 1847-1864 | 厳原藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従五位 | 藩士。肥前国基肄郡出身。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。18歳。「官修墳墓録」には「津田愛之助政信」とある。 | ||||
14 | 安藤鉄馬 | 1843-1864 | 岡山 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。22歳。「官修墳墓録」には「安藤鉄馬貞啓(安藤誠之助)」とある。 | ||||
15 | 小橋友之輔 | 1846-1864 | 高松藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 藩士。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。19歳。「官修墳墓録」には「小橋友之助以義」とある。 | ||||
16 | 若杉直綱 | 1843-1864 | 大分 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従五位 | 豊後出身。堺で医師を開業。尊攘志士と交わり山口藩へ。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。32歳。「官修墳墓録」には「若杉弘之進直綱」とある。 | ||||
17 | 粟屋良之助 | 1841-1864 | 膳所藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 膳所招魂社 | 正五位 | 藩士。山口藩の儒学者岡村簣斎に師事。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「粟屋良之助達道」とある。 | |||
18 | 武林八郎 | 1839-1864 | 大阪 | 1864年(元治1年)7月19日 | 従五位 | 河内出身。天誅組に参加し捕縛。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。26歳。「官修墳墓録」には「武林八郎章広」とある。 | ||||
19 | 川島武二郎 | ?-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 長谷川鉄之進の従者。長谷川鉄之進は越後出身で忠勇隊に参加した。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。「官修墳墓録」には「川島武二郎直吉」とある。 | |||||
20 | 伊藤香刀 | ?-1864 | 1864年(元治1年)6月5日 | 1864年(元治1年)6月5日死去。「官修墳墓録」には「伊藤香刀(力)」とある。伊藤香力。 | ||||||
21 | 北添佶磨 | 1835-1864 | 高知藩 | 1864年(元治1年)6月5日 | 従四位 | 庄屋。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。30歳。変名は本山七郎。「官修墳墓録」には「北添佶摩正佶(本山七郎」とある。 | ||||
22 | 広岡浪秀 | 1841-1864 | 山口藩 | 1864年(元治1年)6月5日 | 従五位 | 大嶺八幡宮(山口県美祢市)の神職。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。24歳。変名は広分彦也。「官修墳墓録」には「広岡浪秀正恭」とある。 | ||||
23 | 大高又次郎 | 1821-1864 | 林田藩 | 1864年(元治1年)6月5日 | 正五位 | 藩士。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。44歳。「官修墳墓録」には「大高又次郎重秋」とある。 | ||||
24 | 古高俊太郎 | 1829-1864 | 近江 | 1864年(元治1年)7月19日 | 刑死 | 正五位 | 毘沙門堂門跡従者。捕縛され池田屋事件の発端となる。1864年(元治1年)7月19日獄中で刑死。36歳。「官修墳墓録」には「古高俊太郎正順」とある。 | |||
25 | 駒井躋庵 | 1810-1866 | 金沢藩 | 1866年(慶応2年)8月9日 | 獄死 | 正五位 | 金沢藩医。藩内の勤王派弾圧で捕縛。1866年(慶応2年)8月9日獄中で死去。57歳。「官修墳墓録」には「駒井躋庵」とある。 | |||
26 | 川瀬太宰 | 1819-1866 | 膳所藩 | 1866年(慶応2年)6月7日 | 刑死 | 従四位 | 聖護院宮家臣。膳所家老戸田資能の子。尊王志士を匿った。1866年(慶応2年)6月7日六角獄で刑死。48歳。「官修墳墓録」には「川瀬太宰定」とある。 | |||
27 | 川瀬幸 | 1817-1865 | 滋賀 | 1865年(慶応1年)6月24日 | 正五位 | 川瀬太宰の妻。川瀬太宰の処刑と共に自刃。1865年(慶応1年)6月24日死去。49歳。「官修墳墓録」には「太宰妻幸」とある。 | ||||
28 | 福岡祐次郎 | ?-1864 | 愛媛 | 1864年(元治1年)6月5日 | 経歴不詳。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。「官修墳墓録」には「福岡祐次郎」とある。 |
官修墳墓(唱義4号)
順 | 名前 | 生没年 | 所属 | 死去 | 死因 | 靖国 | 招魂社 | 官修墳墓 | 贈位 | 略歴 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 平野国臣 | 1828-1864 | 福岡藩 | 1864年(元治1年)7月20日 | 刑死 | 正四位 | 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。平野神社祭神。「官修墳墓録」には「平野次郎国臣」とある。 | |||
2 | 松田五六郎 | 1827-1864 | 福岡藩 | 1864年(元治1年)7月21日 | 自害 | 天王山官修墳墓 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月21日、天王山で自刃。「官修墳墓録」には「中原出羽守安定(松田五六郎)」とある。 | ||
3 | 吉田重蔵 | 1831-1864 | 福岡藩 | 1864年(元治1年)7月20日 | 刑死 | 従五位 | 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。「官修墳墓録」には「吉田重蔵良秀」とある。 | |||
4 | 戸原卯橘 | 1835-1863 | 秋月藩 | 1863年(文久3年)10月14日 | 自害 | 山口招魂社 | 従四位 | 生野の変に参加。1863年(文久3年)10月14日、山口村妙見山で自刃。「官修墳墓録」には「戸原卯橘継明」とある。 | ||
5 | 仙田市郎 | 1821-1864 | 福岡藩 | 1865年(慶応1年)8月 | 自害 | 従五位 | 1865年(慶応1年)8月、大坂獄で自害。「官修墳墓録」には「仙田一(市)郎正敏」とある。 | |||
6 | 海賀宮門 | 1834-1862 | 秋月藩 | 1862年(文久2年)5月7日 | 殺害 | 正五位 | 1862年(文久2年)5月7日、日向細島で死去。「官修墳墓録」には「海賀宮門直求」とある。 | |||
7 | 中村恒次郎 | 1841-1864 | 福岡藩 | 1864年(元治1年)7月19日 | 正五位 | 唱義3号9を参照 |
「筑前招魂場之図」[3]
官修墳墓(唱義5号)
西南の飛び地にあったが、戦後改葬。 (『官修墳墓録』)
- 天誅組:吉村寅太郎重郷:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。『隠玖菟岐集』[4]
- 天誅組:那須信吾重民:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
- 天誅組:楠目清馬藤盛:1863年(文久3年)9月28日、多武峰で戦死。
- 天誅組:森下幾馬茂時:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で自刃。
- 天誅組:土居佐之助金英:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:森下儀之助茂忠:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 池田屋:石川潤次郎真義:高知藩。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日、池田屋事件で新選組に殺害された。
- 天誅組:鍋島米之助義復:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
- 天誅組:池内蔵太定勝:高知藩郷士。土佐勤王党。天誅組に参加し、大阪山口藩邸に逃げ切る。禁門の変に参戦。坂本龍馬の亀山社中に加わり1866年(慶応2年)5月2日、塩屋沖で事故死。
- 天誅組:田所騰次郎重道:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:嶋浪間義親:高知藩士。天誅組に参加。中山忠光と共に山口藩に逃げ切る。1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。島浪間。
- 天誅組:安岡斧太郎直行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:安岡嘉助正定:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:沢村幸吉行敏:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:前田繁馬正種:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
- 天誅組:島村省吾正文:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:松本謙三郎□衡:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
- 天誅組:宍戸弥四郎昌明:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で戦死。
- 天誅組:中垣健太郎幸雄:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:荒巻羊三郎真刀:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:江頭種八国足:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:酒井伝次郎重威:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天狗党:池尻嶽五郎岳:久留米藩士。天狗党の乱に参加。1864年(元治1年)11月20日、信濃国和田峠で殺害された。
- 天誅組:鶴田陶司道徳:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:伴林六郎光平:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:井原応輔徳道:高知藩。土佐勤王党。天誅組には参加していないが、島浪間の配下となり1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
- 牧岡二郎忠夫:枚岡(平岡)の誤記か。北畠治房(平岡武夫)の親族か。戊辰戦争に従軍。1868年(明治1年)12月17日死去。
官修墳墓(唱義6号)
- 丹羽正雄:
- 河村季興:
- 川勝寛治:
- 吉川菊次:
官修墳墓(唱義7号)
現在は合葬碑。 (『官修墳墓録』)
- 天誅組:安積五郎武貞:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:岡見留次郎経成:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:渋谷伊予作実行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:尾崎太郎孝基:鳥取藩士。尾崎健蔵。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:尾崎鋳五郎靖:島原藩士。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:岡見鉄蔵:高取藩士。1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で死去。安田鉄造、山下佐吉。安田鉄吉。
- 天誅組:尾仲要蔵:1863年(文久3年)9月23日、葛川村北手で死去。
- 天誅組:林兵次郎:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口の戦いで戦死。
- 天誅組:関為之助:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
- 天誅組:和田左市信勝:1863年(文久3年)9月21日、十津川郷上湯川で死去。
- 天誅組:深瀬繁理維正:十津川郷士。1863年(文久3年)9月25日、白川河原で処刑。
- 天誅組:秦将蔵則久:1863年(文久3年)9月29日、長谷寺付近で死去。
- 天誅組:山本実之助:高野山三宝院の役人。1863年(文久3年)9月、天誅組の挙兵に関わったとして捕縛され、京都に護送の途中に死去。沢田実之助。
- 天誅組:古東領左衛門需:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:乾十郎嗣龍:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 英彦山:厳瑤坊亮親(佐竹織江):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
- 英彦山:教観坊成連(藤山衛門):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
- 天誅組:水郡善之助長雄:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:長野一郎寛道:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:保母健景光:1864年(元治1年)7月21日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:船田彦次郎貞光:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:辻郁之助単茂:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:田中樟之助祐信:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:森本伝兵衛勝定:1864年(元治1年)7月16日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:橋本若狭綱幸:1864年(元治1年)7月7日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:伊沢宜庵卓:医師。1865年(慶応1年)7月18日、六角獄舎で死去(28日とも)。
- 生野義挙:横田友次郎靖之:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 生野義挙:大村辰之助包房:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 生野義挙:伊藤龍太郎祐之:水戸藩弘道館教授。1867年(慶応3年)11月18日、六角獄舎で死去。
- 生野義挙:黒田与市郎重清:大庄屋。1866年(慶応2年)12月19日、獄中で死去。黒田与一郎。山口護国神社祭神。美国神社祭神。
- 生野義挙:三牧謙助秀胤:1865年(慶応1年)1月、六角獄舎で死去。
- 生野義挙:木村愛之助(片山九市春量):1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:鶴松:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 天誅組:常助:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
- 元次郎:1863年(文久3年)8月18日死去。
- 忠右衛門:1863年(文久3年)8月18日死去。
- 朝七:没年月日不詳。
官修墳墓(唱義8号)
- 坂本龍馬:
- 中岡慎太郎:
- 藤吉:
「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」
官修墳墓(唱義9号)
- 江幡定彦広光
- 林忠五郎正義
- 安田喜助安臣
- 村井修理少進政礼
- 藤井但馬守尚弼
- 小林民部権大輔良典
- 黒瀬市郎助美之
- 宮地宜蔵正覚
官修墳墓(唱義14号)
- 豊田美稲:1891年(明治24年)11月5日靖国神社合祀[5]
- 安藤正勝:
- 中井義高:
官修墳墓(唱義15号)
- 藤崎楯彦:
- 宮永正純:
- 若泉主税:
- 松田発明:
- 露木成親:
官修墳墓(唱義16号)
- 生野義挙:大田六右衛門雅義:1865年(慶応1年)4月24日、獄中で死去。太田六右衛門。
- その他:胤康:日向慈眼寺住職。曹洞宗僧侶。1866年(慶応2年)5月17日、京都の獄中で死去。
- 天誅組:藤本津之助真金:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。藤本鉄石。黒住教と関係。
- 天誅組:福浦元吉:洲本の商人。1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
- その他:安達幸之助寛栗:金沢藩士。藩校壮猶館教授。1869年(明治2年)9月4日、三条木屋町で大村益次郎の身代わりで殺害された。
- 生野義挙:本多小太郎素行:膳所藩士。失態で士籍を失い、明暗寺で虚無僧となる。1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で死去。
- その他:仙石佐多雄隆明:鳥取新田藩士。1863年(文久3年)2月27日、足利木像事件で戦死。
- その他:高松平十郎信行:信濃出身。剣客。1863年(文久3年)2月27日、足利木像事件で戦死。
- その他:玄堂:明暗寺33世。虚無僧。1866年(慶応2年)11月1日、大阪で斬首。
- 天狗党:大越伊予介:水戸藩の神職。天狗党に参加。1863年(文久3年)7月10日死去。
未分類
- 霊山表忠碑
- 木戸孝允碑
- 木戸孝允墓
- 梅田雲浜墓
- 丗七烈士碑
- ラダ・ビノード・パール顕彰碑
- 大村益次郎墓
- 山口藩墓所
- 玉松碑
- 小野碑
- 松林廉之助碑
- 品川弥二郎墓
- 元治元年甲子七月十九日戦死者埋骨所
- 村上都愷墓:霊明神社を創建。
- 殉職自衛隊員之碑
- 殉国勇士表忠碑
- 十津川郷士墓:『隠玖菟岐集』[6]