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朝日山護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月18日 (日)
朝日山護国神社は山口県山口市秋穂二島にある招魂社。祭神は戦没者278柱。朝日山の山頂にある。官祭招魂社。指定外護国神社。朝日山招魂場、朝日山招魂社、秋穂招魂社、秋穂二島護国神社。真言宗真照院の横を登り切った山頂にある。八幡隊が設けた。墓碑は西側に17基、東側に20基がある。北側の2列あり、奥は17基、手前は西6基、東6基の計66基が並ぶ。
目次 |
歴史
- 『靖国神社誌』によると1865年(慶応1年)4月の創設とある。現地由緒書によると、同年4月4日に起工。8日に竣工した。6月25日、棟上式を行った。八幡隊参謀寺島忠三郎ら66柱を祀った。同年銘とみられる「周防国秋穂郷朝日山八幡隊招魂場碑」[1]がある。
- 1869年(明治2年)2月、東麓を建設。同年5月、参道を整備(「招魂場路開発」碑)。
- 1875年(明治8年)6月28日、官祭招魂社となり、朝日山招魂社と称した。(1959山口県文化史[2]でも1875年(明治8年)6月とある)。
- 1937年(昭和12年)9月、王政復古70年記念に御霊舎寄進。
- 1939年(昭和14年)8月21日、朝日山護国神社と改称した。
- 1940年(昭和15年)2月13日、神饌幣帛料供進神社となる。9月18日、秋穂二島出身の戦没者を合祀。
- 1952年(昭和27年)10月21日、朝日神社と改称。
- 1965年(昭和40年)1月18日、朝日山護国神社に復称した。
- 1967年(昭和42年)8月27日、戦没者碑を建立。
- 1999年(平成11年)9月24日、台風被災。
- 2000年(平成12年)3月18日、復旧工事完了。
祭神
- 官祭祭神。山口県風土誌[3]。1911年(明治44年)『靖国神社誌』[4]では29柱とあり一致しない。
- 01:佐藤佐武良(1845-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で上野の戦いで戦死。24歳。
- 02:藤井清六(1827-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で上野の戦いで戦死。42歳。
- 03:新庄吉兵衛(1851-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で戦死。18歳。
- 04:飯田政之進(1848-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で戦死。21歳。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 05:杉山蔀(1839-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で戦死。30歳。出典の「十郎」は「蔀」の誤読とみられる。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 06:佐々川治郎(1848-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で戦死。出典は「郎」が欠けている。笹川治郎正義。21歳。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 07:井上四郎(1850-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で戦死。19歳。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 08:高橋一郎(1848-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で負傷して死去。21歳。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 09:西郷小源太(1836-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で負傷して死去。33歳。神霊碑は「西郷小源」。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 10:西郷吉甫(?-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で陸奥国駒峰で負傷して死去。享年不詳。相馬慶徳寺官修墳墓。
- 11:佐藤辰二郎(1851-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で上野の戦いで戦死。18歳。
- 12:弘勝之進(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸中で自害。享年不詳。
- 13:有吉熊次郎(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸中で自害。享年不詳。
- 14:寺島忠三郎(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸中で自害。享年不詳。
- 15:金子久之進(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸前で戦死。享年不詳。
- 16:阿武鞆輔(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸前で戦死。享年不詳。
- 17:小川友槌(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸前で戦死。享年不詳。
- 18:土田蔦之助(?-1864):1864年(元治1年)禁門の変で鷹司邸前で戦死。享年不詳。
- 19:中村与七郎(?-1865):1865年(慶応1年)内乱で長門国美祢郡長登村で戦死。享年不詳。大田光明寺官修墳墓
- 20:石田三千代(1845-1865):1865年(慶応1年)内乱で長門国美祢郡大田で戦死。21歳。大田天神峠官修墳墓
- 21:野々村三郎(?-1865):1865年(慶応1年)内乱で長門国美祢郡大田で負傷して後日死去。享年不詳。山口岡山官修墳墓
- 22:利吉(?-1865):1865年(慶応1年)内乱で長門国美祢郡大田で戦死。享年不詳。大田天神峠官修墳墓?
- 23:中川源太郎(?-1866):1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国蒲生で戦死。享年不詳。下関本行寺官修墳墓
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秋穂正八幡宮から見た朝日山 |