ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
三蔭山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月18日 (日)
三蔭山神社は山口県萩市須佐にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。楠木正成を祀ることが特徴。三蔭山招魂場、三蔭山招魂社、須佐招魂社、須佐護国神社。
目次 |
歴史
- 1864年(元治1年)7月18日:禁門の変。
- 1864年(元治1年)11月11日:山口藩家老益田親施、禁門の変の責を負わされて自刃。(のち笠松神社に祀られる)
- 1865年(慶応1年)1月24日:大谷撲助や河上範三らが回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが鎮圧された。
- 1869年(明治2年):兼重厚平が招魂場を開設。楠木正成を中心に禁門の変と戊辰戦争の戦死者32柱を祀った。益田家家臣が中心。
- 1876年(明治9年)1月:官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。
祭神
官祭祭神
- 1:有田彦兵衛(1846-1868):1868年(明治1年)鳥羽伏見の戦いで戦死。23歳。
- 2:久我亀吉(1846-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国椎谷で負傷し病院で戦傷死。23歳。
- 3:芳川道助(?-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で戦死。享年不詳。
- 4:原井直助(1841-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で戦死。28歳。
- 5:金山義十郎(1846-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で不詳し、小千谷病院で戦傷死。23歳。
- 6:内田正一郎 (1847-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で不詳し、小千谷病院で戦傷死。22歳。
- 7:山下範三郎(1841-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国蝶ケ嶽で戦死。28歳。
- 8:藤田篤輔(1845-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国長岡で戦死。24歳。
- 9:村岡彦十郎(1839-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国陣ケ嶺で負傷し病院で戦傷死。30歳。
- 10:中村芳彦(1851-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国月岡で負傷し病院で戦傷死。18歳。
- 11:渡辺九郎(1850-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国某所で負傷し、病院で戦傷死。19歳。
- 12:田村育蔵(1835-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。30歳。
- 13:澄川謙蔵(1842-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。23歳。
- 14:中村惣治(1832-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。33歳。
- 15:中尾易三郎 (1843-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。22歳。
- 16:上田亀二郎(?-1866):1866年(慶応2年)四境戦争で石見国益田で戦死。享年不詳。
- 17:大谷撲助(1838-1865):禁門の変の責を負って益田親施が自害したことに反発し、1865年(慶応1年)1月24日に回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが自害する。28歳。
- 18:河上範三(1841-1865):禁門の変の責を負って益田親施が自害したことに反発し、1865年(慶応1年)1月24日に回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが自害する。25歳。
私祭祭神
資料
- 『山口県風土誌』[4]:祭神一覧
- 津田勉2009「県内二十二の官祭招魂社」『山口県神道史研究』21