ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
梅香崎招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月27日 (土)
(梅ケ崎招魂社から転送)
梅香崎招魂社は長崎県長崎市西小島にあった招魂社。 梅香崎天満宮、長崎・大楠神社に付属して建てられた。長崎県護国神社の前身。同地には梅ケ崎官修墳墓もあった。佐古招魂社も参照。
目次 |
祭神
- 1:鬼塚麟之助:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 2:山口亀三郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 3:馬場農次郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 4:牛島鹿之助:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 5:本庄農馬:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 6:野村善吉:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 7:山脇大三郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 8:二木岩吉:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 9:松尾由太郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 10:矢野順作:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 11:山口政八:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 12:山口重吉:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 13:山口善之助:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 14:山口勝平:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。墓地は函館海軍墓地。
- 15:山口梅太郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 16:山口百次郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 17:山口繁蔵:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 18:山口茂十:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 19:山口惣市:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 20:山口力三郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 21:山口由太郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 22:山口喜助:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 23:山口伊兵衛:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 24:山口嘉一郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 25:山口吉蔵:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 26:山口庄三郎:1869年(明治2年)函館戦争で戦死。
- 27:坪田清三郎:1869年(明治2年)函館から凱旋後、京都で病死。
- 28:正封源三郎:1868年(明治1年)秋田で病死
- 29:国崎程蔵:1868年(明治1年)大曲で病死。
- 30:江崎佐平次:1868年(明治1年)一関で病死。
- 31:伴為助:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 32:西賢次郎:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 33:田川熊三郎:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 34:服部巳之助:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 35:堀川定造:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 36:矢島広助:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 37:宮下鉄弥:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 38:古川重五郎:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 39:松田重助:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 40:緒方安一:1868年(明治1年)南楢岡で戦死。
- 41:峰仙右衛門:1868年(明治1年)岩崎川で戦死。
- 42:島田完次郎:1868年(明治1年)岩崎川で戦死。
- 43:福田市之助:陸奥橋場で戦死。
画像
資料
公文書
- 『太政類典』
- 『公文録』
- 1871年(明治4年)1月「市中本籠町天満神社境内大楠神社招魂場敷地高引ノ儀ニ付伺」[10]
- 1871年(明治4年)1月「市中本籠町天満神社境内大楠神社招魂場供米寄附ノ儀伺」[11]
- 1875年(明治8年)8月「長崎県梅ケ崎招魂社経費増額伺」[12]
- 1884年(明治17年)1月「長崎外三県経費本年度予算中招魂社費増減ノ件」[13]:長崎県、佐賀県、宮崎県、鹿児島県
- 『公文類聚』
- 1884年(明治17年)1月23日「長崎外三県経費本年度予算中招魂社費増減」[14]:長崎県、佐賀県、宮崎県、鹿児島県
- 『記録材料』
- 1884年(明治17年)1月「長崎外三県経費本年度予算中招魂社費増減ノ件」[15]:長崎県、佐賀県、宮崎県、鹿児島県
- 1919『現行長崎県令規全集』「招魂社・墳墓」[16]
- 「梅ケ崎招魂社入費帳」:1876年(明治9年)。郷土志料目録に記載[17]
文献
- 井口潮1892『長崎軍歌』「梅香崎招魂場歌」[18]
- 福田忠昭1918『振遠隊』「弔慰」[19]
- 福田忠昭1918『振遠隊』「葬送」[20]
- 福田忠昭1918『振遠隊』「振遠隊五十年記念大祭記事」[21]
- 1929『長崎市史・地誌編神社教会部上』「神社表」[22]
- 1929『長崎市史・地誌編神社教会部下』「梅香崎招魂社」[23]
- 長崎県神職会長崎支会1936『長崎神社巡り』「官祭梅香崎招魂社」[24]
- 佐世保海軍工廠1936『佐世保鎮守府埋葬地忠魂録』「梅ケ崎招魂社」[25]
- 長崎県在郷軍人会1939『佐古梅ケ崎招魂社・佐古梅ケ崎墳墓沿革概要』:1960年、1968年、1996年に復刊。
- 長崎市小学校職員会1973『明治維新以後の長崎』「梅香崎招魂社」[26]
- 長崎市小学校職員会1973『明治維新以後の長崎』「金石文・梅ケ崎招魂社境内」[27]
- 青木義勇1983「明治初期の長崎医学校・病院概述、特に建造物の興廃と戦時仮病院指定二回の経験」『長崎談叢』[28]
- 雪下紀八郎1997『埋葬者名簿』:所蔵不詳
- 2012『新長崎市史・第2巻近世編』「振遠隊の転戦と梅香崎招魂社」
- 2014『新長崎市史・第3巻近代編』「梅香崎招魂社、佐古招魂社」
- 島善高2019「副島種臣と銭子琴」『大倉山論集』[29]: