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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

北畠顕家墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年11月17日 (日)

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大阪府大阪市阿倍野区王子町にある、南朝忠臣の北畠顕家(1318-1338)の墓とされる塚。

歴史

北畠顕家は北畠親房の長男。1338年5月22日、21歳で敗死。『太平記』によると、その場所は「和泉ノ堺安部野」という。戦死場所については和泉石津とする説もあり、そちらにも墓碑がある。 江戸時代、『摂津誌』を編纂した並河誠所が『太平記』の記述から当地の大名塚を顕家の墓と断定し、墓碑を建立した。 墓碑には「別当鎮守府大将軍従二位行中納言兼右衛門督陸奥権守源朝臣顕家卿之墓」とある。「大」の字は追刻。

1919年12月「北畠顕家卿墓」碑、建立。1928年7月、「北畠卿顕章会」を設立。 1940年までに墓域を拡張し整備し、大阪市に寄付した。 大阪市も顕彰史跡に指定し、整備に関わり、1939年11月に北畠公園とした。 公園内に顕家会館があり、北畠顕家の像がある。

西1kmに顕家を祀る阿部野神社が1887年に創建された。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E5%AE%B6%E5%A2%93」より作成

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