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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

北畠神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年4月19日 (金)

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北畠神社
きたばたけ じんじゃ
Kitabatake-jinja 001.jpg
概要 南朝忠臣を奉斎する神社。
奉斎 北畠顕能
(土岐昌訓論文)
所在地 三重県津市美杉町上多気1148
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 別格官幣社別表神社
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目次

概要

北畠神社(きたばたけ・じんじゃ)は、三重県津市にある、南朝忠臣北畠顕能(あきよし)などを祀る霊社。江戸時代の創建とされ、昭和3年、国家の英雄を顕彰する別格官幣社となった。顕能が築き、中世末まで伊勢北畠家の拠点だった霧山城の麓にあった館跡にある。同族を祀る神社で3社(当社、霊山神社阿部野神社)も別格官幣社が認められたのは、北畠家が唯一である。ちなみに顕能の墓は室生寺などに伝承地がある。




歴史

北畠顕能は北畠親房の子とされるが、経歴には不詳の点が多い。 一説に1335年、兄顕信らと共に伊勢に下り、1338年、南朝から伊勢国司に任命されたという。 南朝の京都侵攻で楠木正儀と共に活躍。八幡合戦でも奮戦した。

顕能は1342年頃、吉野と伊勢を結ぶ多芸の地に居館を移し、背後の霧山に城を築いた。 1576年に織田信長軍に滅ぼされるまで、約240年にわたり北畠氏9代の拠点となった。

江戸時代、1692年、旧臣末裔や村人が遺徳を偲んで居館跡に神社を創建。北畠八幡宮と称した。 1643年、北畠氏末裔の鈴木家次の創建ともいう。 1881年、北畠神社と改称。1928年、村社から別格官幣社に昇格した。 末社に多芸神社がある。 別当の真善院があったが、1898年廃絶。本尊馬頭観音は聖光寺に移された。


(国史大辞典、日本歴史地名大系)

境内

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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