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照国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年2月25日 (木)

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照国神社

照国神社(てるくに・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市照国町にある、明治維新の功績者とされる鹿児島藩主島津斉彬を祀る霊社領主奉斎神社別格官幣社別表神社。かつて隣地に鶴嶺神社鹿児島招魂社があり、現在も招魂社旧社殿が鹿児島県護国神社頓宮として残る。島津家も参照。

目次

祭神

  • 贈正一位源斉彬

1882年(明治15年)12月15日に太政官が照国神社を別格官幣社に列格した時の通令によると「贈従一位源斉彬」とある。のち正一位贈位。 斉彬の墓は北西2.1kmの島津家福昌寺墓地にある。 照国大明神の神号は朝廷から賜ったものとする記述も多いが、神鏡銘文によると神祇管領吉田家の吉田良義から授与されたものと記す。

歴史

成立

島津斉彬は1858年(安政5年)7月16日に急死。朝廷は1862年(文久2年)従三位権中納言を贈位贈官。この時は幕府を通じて達せられた。1863年(文久3年)5月11日、吉田家から照国大明神の神号が授与された。これは松方正義を使者として直接近衛家を通じて朝廷(?)に申請。同行した諏訪神社祠官井上信濃守が「神号」(神像とも)を奉じて5月20日帰郷。鹿児島城本丸の大菊の間に仮宮を設けて奉安。1864年(元治1年)8月、照国大明神のための神鏡を鋳造。1864年(元治1年)12月19日、天台宗南泉院境内に社殿を造営し正遷座祭を執り行った。同時に島津久光と島津忠義が神領100石を寄進した。

南泉院は薩摩・大隅・日向の天台宗触頭で、鹿児島東照宮の別当だった。幕府と関係が深いことが敬遠され、常盤の千眼寺近くに移転。1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶した。

1869年(明治2年)10月26日、鹿児島招魂社を照国神社の横に遷座。 1869年(明治2年)11月22日、従一位贈位。 1870年(明治3年)12月22日、島津久光召喚のために鹿児島を訪れた勅使岩倉具視が剣1振りを奉納した。 1872年(明治5年)6月20日、明治天皇鹿児島行幸。宮内卿徳大寺実則が奉幣。 1873年(明治6年)、県社に列格。

島津家に従属していた琉球国の使節は従来、福昌寺と浄光明寺に参拝するのが定例となっていた。1869年(明治2年)7月18日の例まで知られるが、両寺が廃絶となったため、1870年(明治3年)8月23日から鶴嶺神社と照国神社に参拝するようになった。照国神社参拝は1867年(慶応3年)8月14日にも行われているが、島津家霊廟への定例参拝として神社参拝はこれが初めてだった。1871年(明治4年)に琉球が鹿児島藩から明治政府に移管されて以降もしばらくの期間は定例参拝が行われた。1876年(明治9年)までは確認できるという。(深澤秋人「上国使者の寺社参詣」[1]

西南戦争以後

1877年(明治10年)9月、西南戦争で焼失。明治天皇奉納の剣も焼失したため、1880年(明治13年)2月、明治天皇は再び剣を奉納した。 1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。 1882年(明治15年)12月15日、豊栄神社常磐神社と共に別格官幣社に昇格した。 1883年(明治16年)3月7日、鹿児島県令渡辺千秋が勅使として参列し列格奉告大祭 1883年(明治16年)7月3日、例祭日を10月28日と定めた(太陰暦9月28日から太陽暦に変更)。 1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。 1900年(明治33年)7月26日、鹿児島県皇典講究分所を社務所に設置。

社殿造営

1901年(明治34年)5月16日、正一位贈位。県知事千頭清臣が策命使として墓前に奉告した。 同年12月10日、社殿改築のため地鎮祭。 1904年(明治37年)社殿竣工。6月17日本殿に「仮殿遷座祭」。この時の本殿が戦災まで使われた。 1909年(明治42年)4月14日、鶴嶺神社に仮殿遷座祭。28日に正遷座祭。 1917年(大正6年)11月22日、祭神の銅像完成。 1920年(大正9年)3月26日、皇太子時代の昭和天皇が参拝。 1922年(大正11年)5月9日、イギリス皇太子奉迎式を実施。 1922年(大正11年)5月11日、屋根葺き替えのため仮遷座祭。8月21日正遷座祭。 1925年(大正14年)4月11日、氏子総代を初めて設置。 1925年(大正14年)8月11日、貞明皇后『神ながらの道』を奉納。 1928年(昭和3年)3月、社殿整備のための照国神社奉賛会設立。 1929年(昭和4年)7月16日、祭神の正忌日を頌徳祭と定め、中祭とする。 1932年(昭和7年)2月17日、本殿一部屋根修理のため仮遷座。3月1日に正遷座祭。 1932年(昭和7年)6月28日、奉賛会解散。 1932年(昭和7年)9月15日、神道講演を毎月始める。 1932年(昭和7年)12月15日、昇格50年奉祝祭。

戦後

1945年(昭和20年)8月、戦災で焼失。1958年(昭和33年)に再建した。 1948年(昭和23年)11月、鹿児島県護国神社が隣地から草牟田に遷座したが、隣地にも旧社殿が頓宮として残された。

(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』、『鹿児島地誌 郷土教育資料』[2]

境内

組織

祠官

照国神社の歴代祠官
歴代 生没年 在職年 略歴
1 井上千春 鹿児島藩士。井上祐行。教導職大講義。明治初年に照国神社祠官を務めたか。大鳥神社少宮司を経て1874年(明治7年)10月、都農神社宮司。翌年退任。1884年(明治17年)「神祇官再興の議」の建白書を政府に提出。
2 藤井長節 1817-1876 鹿児島諏訪神社社家井上祐住の子。1817年(文化14年)生。初名は井上経徳。藤井宮内。藤井良蔵。神職を継ぐが1850年(嘉永3年)の当主継承をめぐるお由羅騒動で島津斉彬派だったため脱藩して福岡へ。斉彬の相続で復権。1862年(文久2年)、藩命で近衛家に仕える。1866年(慶応2年)から弟の井上長秋と共に岩倉具視ら倒幕派公卿と島津家の連絡役に当たる。のち照国神社祠官。1876年(明治9年)2月2日死去。
3 井上千春 再任。
4 島津珍彦 1844-1910 のち宮司。
5 亀山久晴 ?-1885 ~1880~ 1880年(明治13年)8月在職。1883年(明治16年)禰宜。1885年(明治18年)10月9日死去。

宮司

照国神社の歴代宮司
歴代 生没年 在職年 略歴
1 島津珍彦 1844-1910 1883-1887 重富島津家当主6代。男爵。1844年(弘化1年)生。島津久光の子。1873年(明治6年)侍従。1876年(明治9年)本学校一等校長。照国神社祠官。1883年(明治16年)2月1日、照国神社宮司。1885年(明治18年)県立中学造士館館長を兼任。制度改正で1887年(明治20年)3月17日宮司廃官。同年4月23日、改めて照国神社宮司。1887年(明治20年)12月31日宮司退任。1889年(明治22年)3月2日、華族となり男爵となる。1890年(明治23年)貴族院議員。1910年(明治43年)6月16日死去。島津忠鑑。
2 島津忠欽 1845-1915 1888-1897 今和泉島津家15代当主。玉里島津家分家初代当主。男爵。1888年(明治21年)1月17日宮司就任。1897年(明治30年)1月29日宮司退任(3月6日とも)。
3 島津久実 1866-? 1897-1901 花岡島津家8代当主。1866年(慶応2年)生。1885年(明治18年)11月5日照国神社禰宜。1895年(明治28年)7月、官祭鹿児島招魂社受持神官。1897年(明治30年)3月12日(3月6日とも)照国神社宮司就任。1900年(明治33年)7月、鹿児島県皇典講究分所所長。1901年(明治34年)3月30日(3月25日とも)照国神社宮司退任。4月に招魂社受持神官と分所長も退任。1906年(明治39年)11月、枚聞神社宮司。1909年(明治42年)4月、枚聞神社宮司退任。翌月、鶴嶺神社社司。
4 島津久明 1842-1914 1901-1914 日置島津家14代当主。男爵。1842年(天保13年)生。1901年(明治34年)3月30日(25日とも)、宮司就任。1914年(大正3年)4月17日(21日とも)死去。
5 二階堂智行 ?-1922 1915-1922 1909年(明治42年)4月14日枚聞神社宮司。1915年(大正4年)6月16日照国神社宮司。1922年(大正11年)8月11日(8月11日とも)死去。
6 肝付忠一 ?-1924 1922-1924 1915年(大正4年)6月16日枚聞神社宮司。1922年(大正11年)9月26日(神社誌では27日とする)、照国神社宮司。1924年(大正13年)8月10日死去。
7 占部真一 1884-? 1924-1928 福岡県出身。1884年(明治17年)生。国学院大学卒。1920年(大正9年)諏訪大社主典。1917年(大正6年)4月24日退任。同年12月25日鎌倉宮禰宜。1919年(大正8年)9月19日退任。同日、江島神社社司。1922年(大正11年)9月19日八代宮宮司。1924年(大正13年)9月22日、照国神社宮司。1928年(昭和3年)9月7日、丹生都比売神社宮司。1932年(昭和7年)8月23日、霧島神宮宮司。1935年(昭和10年)8月6日、伊弉諾神社宮司。1940年(昭和15年)6月25日退任。
8 矢田収蔵 1980-1959 1928-1933 東京出身。1890年(明治23年)生。1912年(大正1年)神宮大麻暦頒布準備委員補。神宮神部署主事。1919年(大正8年)国学院大学国文科卒。同年平安神宮主典。1924年(大正13年)平安神宮禰宜。1928年(昭和3年)9月7日、照国神社宮司。1933年(昭和8年)5月22日、高良大社宮司。1952年(昭和27年)吉田神社宮司。1956年(昭和31年)大原野神社宮司。1959年(昭和34年)1月13日死去。
9 海老沼唯 1883-1946 1933-1940 愛媛県神社庁長。京都出身。1883年(明治16年)生。1908年(明治41年)国学院大学卒。1913年(大正2年)10月8日、敢国神社宮司。1919年(大正8年)2月24日退任。同年3月20日伏見稲荷大社主典。1922年(大正11年)7月26日休職。1923年(大正12年)7月17日、神宮神部署主事補。11月26日退任。1925年(大正14年)4月17日諏訪神社禰宜。1929年(昭和4年)3月5日丹生川上神社宮司。1933年(昭和8年)5月22日、照国神社宮司。1940年(昭和15年)3月11日退任。戦後、愛媛県神社庁長。1946年(昭和21年)7月31日死去。
10 河崎正直 1898-1985 1940-1945 石川県出身。1898年(明治31年)生。1925年(大正14年)国学院大学文学部道義科卒。同年伏見稲荷大社主典。1933年(昭和8年)水無神社宮司。1940年(昭和15年)照国神社宮司、1945年(昭和20年)2月12日吉野神宮宮司。1984年(昭和59年)吉野神宮名誉宮司。1985年(昭和60年)1月22日死去。
11 足立繁貴 1902-1984 1945-1984 鹿児島県神社庁長。京都府出身。1902年(明治35年)生。1927年(昭和2年)皇典講究所神職養成部卒。同年伊弉諾神社主典。1932年(昭和7年)生田神社主典。1934年(昭和9年)出石神社禰宜。1937年(昭和12年)函館八幡宮禰宜。1942年(昭和17年)土佐神社宮司。1945年(昭和20年)2月12日照国神社宮司。1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)まで鹿児島県神社庁長。1984年(昭和59年)2月18日死去。
12 足立明 1933-1993 1984-1993 京都府出身。1933年(昭和8年)生。1955年(昭和30年)国学院大学文学部宗教学科卒。同年照国神社権禰宜。1959年(昭和34年)寒川神社権禰宜。1963年(昭和38年)寒川神社禰宜。1970年(昭和45年)寒川神社権宮司。1974年(昭和49年)3月21日、照国神社権宮司。1984年(昭和59年)4月1日照国神社宮司。1993年(平成5年)6月5日死去。
13 島津修久 1938- 島津家本宗家当主32代。1993年(平成5年)9月27日、宮司代務者就任。のち宮司。

権宮司

1973年(昭和48年)3月30日設置。

  • 足立明(1933-1993)<1974-1984>:のち宮司。
  • 田原成一郎

画像

資料

  • 『照国神社沿革史略』
  • 『照国神社誌』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%85%A7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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