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鹿児島東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月20日 (月)
鹿児島東照宮は鹿児島県鹿児島市照国町(薩摩国鹿児島郡)にあった東照宮。別当は天台宗南泉院。関ケ原の戦いで敗北した主要大名の毛利家・上杉家・佐竹家・島津家の中で早期に建てられた東照宮と指摘される。大雄山東照宮。
歴史
島津家19代・藩主2代の島津光久(1616-1694)の創建と伝えるが、実質的な成立は宗家21代・藩主4代の島津吉貴時代の1710年(宝永7年)と考えられている。1714年(正徳4年)に徳川家康100回忌が行われている。1715年(正徳5年)の予定だったが、琉球国の使節の鹿児島滞在に合わせて前年に「取越」(祥当より繰り上げること)で行なわれた。そのためこの法要は琉球の服属儀礼の性格もあったと指摘される。法要は別当である南泉院や末寺の僧侶を中心に営まれたが、島津家菩提寺である曹洞宗福昌寺の僧侶も関与し、儀式次第の決定においては福昌寺での法要が前例として参照された。4月7日から16日まで千部読経が行われ、命日の4月17日と翌日には当主島津吉貴や一族重臣が参拝。法要終了後には士族・庶民の参拝が行われた。琉球使節は4月11日に参拝した。
宗家23代・藩主6代の島津宗信(1728-1749)や続く島津重年(1729-1755)、島津重豪(1745-1833)らは在国中、定期的に鹿児島東照宮に参詣した。島津斉彬も南泉院や東照宮などに度々参詣。島津忠義も1860年(万延1年)に南泉院に参詣している。 しかし、南泉院内に照国神社が創建された1864年(元治1年)12月以降、史料に現れなくなる。廃絶年不詳。
資料
- 栗林文夫2012「東照宮と島津氏」未見
- 曽根原理2017「鹿児島東照宮の成立―百回忌法会を中心に」