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生田神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月2日 (水)

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生田神社
いくた じんじゃ
Ikuta-jinja 001.jpg
概要 神功皇后が神託を受けて創建した神社。
奉斎 稚日女尊
(土岐昌訓論文)
所在地 兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1
所在地(旧国郡) 摂津国八部郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社従三位勲八等官幣中社別表神社
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目次

概要

生田神社関連旧跡

歴史

境内

生田神社関連旧跡を参照。

  • 本殿:
  • 住吉神社:
  • 八幡神社:
  • 諏訪神社:
  • 日吉神社:
  • 市杵島神社:
  • 稲荷神社:
  • 塞神社:
  • 雷大臣神社:
  • 人丸神社:
  • 蛭子神社:
  • 大海神社:
  • 松尾神社:
  • 戸隠神社:
  • 生田森坐社:
  • 兵庫宮御旅所:
  • 神使稲荷神社:

組織

社家には海上家(うながみけ)、刀禰家(とねけ)、後神家(ごこうけ)の三家があった。海上家の始祖は日本書紀に登場する海上五十狭茅とされる。のち後神家が専ら継承する。

神主

後神家は藤原氏。海上家の衰退であとを継いだ。

  • 1後神秀治()<>:後神家の祖。中興初代。民部。1464年(寛正5年)から1499年(明応8年)まで神主職。天正年間から1601年(慶長6年)までという伝承もある。
  • 2後神重煕()<>:右京。1499年(明応8年)から1516年(永正13年)まで神主職。
  • 3後神秀信()<>:治部。1516年(永正13年)から1538年(天文7年)まで神主職。
  • 4後神秀政()<>:主膳。1538年(天文7年)から1559年(永禄2年)まで神主職。
  • 5後神秀行()<>:左内。1559年(永禄2年)から1573年(天正1年)まで神主職。
  • 6後神重次()<>:左京。1573年(天正1年)から1602年(慶長7年)まで神主職。
  • 7後神秀次()<>:式部。1602年(慶長7年)から1655年(明暦1年)まで神主職。
  • 8後神正次()<>:中務。1655年(明暦1年)から1685年(貞享2年)まで神主職。
  • 9後神秀詮()<>:主計。1685年(貞享2年)から1733年(享保18年)まで神主職。多くの社務日記を残す。
  • 10後神重詮()<>:土佐守。1733年(享保18年)から1761年(宝暦11年)まで神主職。歌人。
  • 11後神孝秀()<>:従五位下。因幡守。1761年(宝暦11年)4月から5月まで神主職。国学者と交流。短期間の在職だが、位階と神道裁許状も得た。
  • 12後神俊秀()<>:従五位下。豊前守。1761年(宝暦11年)から1781年(天明1年)まで神主職。
  • 13後神重秀()<>:従五位下。筑前守。1781年(天明1年)から1817年(文化14年)まで神主職。1789年(寛政1年)兎原郡八部郡神祇道取締となる。宗門を禅宗から神道に変えたとみられる。1808年(文化5年)の神職人別改帳が残る。
  • 14後神重樹()<>:従五位下。出雲守。1817年(文化14年)から1841年(天保12年)まで大宮司職。
  • 15後神秀煕()<>:従五位下。肥前守。1841年(天保12年)大宮司職。1872年(明治5年)7月、県社列格にともない、8月1日生田神社祠官となる。1874年(明治7年)8月退任。

宮司

  • 15後神秀煕()<1872-1874>:1872年(明治5年)7月、県社列格にともない、8月1日生田神社祠官となる。1874年(明治7年)8月退任。
  • 16後神秀運()<1874-1885>:1874年(明治7年)8月、生田神社祠官。1885年(明治18年)5月、官幣小社昇格にともない、官選の宮司が赴任したため禰宜となる。1911年(明治44年)6月から1914年(大正3年)7月まで生田神社宮司。
  • 17西尾篤()<1885-1887>:1885年(明治18年)5月から1887年(明治20年)4月まで生田神社宮司。
  • 18林源吾(?-1914)<1887-1902>:滋賀県出身。1876年(明治9年)2月23日、生国魂神社主典。7月22日、権訓導。1878年(明治11年)1月19日、北野神社主典。6月24日、権少講義。1879年(明治12年)6月28日、内務省九等属。8月12日退任。10月31日神宮主典。11月4日中講義。1880年(明治13年)8月9日退任。12月7日権大講義。1884年(明治17年)教導職廃止。1885年(明治18年)5月12日長田神社宮司。1887年(明治20年)4月生田神社宮司。1902年(明治35年)4月、湊川神社宮司に転任。1914年(大正3年)9月生田神社宮司再任。1914年(大正3年)12月在職中死去。林原吾。
  • 19田所千秋(1836-1911)<1902-1911>:姫路藩士。1836年(天保7年)生。海神社宮司を経て1902年(明治35年)4月生田神社宮司。1911年(明治44年)5月、在職中死去。
  • 20後神秀運()<1911-1914>:1911年(明治44年)6月から1914年(大正3年)7月まで生田神社宮司。
  • 21上月為蔭()<1914-1914>:姫路出身。海神社宮司を経て1914年(大正3年)7月就任。9月に湊川神社宮司に転任。
  • 22林源吾(?-1914)<1914-1914>:1885年(明治18年)長田神社宮司。湊川神社宮司を経て1914年(大正3年)9月就任。1914年(大正3年)12月在職中死去。
  • 23大和田貞策(1880-1947)<1914-1922>:八坂神社禰宜を経て1914年(大正3年)12月12日から1922年(大正11年)3月まで生田神社宮司。(略歴は、春日大社#組織を参照)
  • 24清水平一郎(?-1922)<1922-1922>:国学院大学幹事を経て1922年(大正11年)3月生田神社宮司。同年12月在職中死去。
  • 25生田長浩()<1923-1931>:敢国神社宮司を経て1923年(大正12年)1月から1931年(昭和6年)6月まで生田神社宮司。宇佐神宮へ。
  • 26加藤直久()<1931-1936>:日光二荒山神社宮司を経て1931年(昭和6年)6月から1936年(昭和11年)1月まで生田神社宮司。平安神宮宮司へ。
  • 27田村晴胤()<1936-1937>:弥彦神社宮司を経て1936年(昭和11年)1月から1937年(昭和12年)4月まで生田神社宮司。台湾神宮宮司。(略歴は、賀茂御祖神社#組織を参照)
  • 28加藤錂次郎()<1937-1974>:吉備津彦神社宮司を経て1937年(昭和12年)4月から1974年(昭和49年)6月まで生田神社宮司。
  • 29福田義文()<1974-1986>:1974年(昭和49年)6月から1986年(昭和61年)まで生田神社宮司。
  • 30加藤隆久(1934-)<1986-2014>:1986年(昭和61年)から2014年(平成26年)6月30日まで生田神社宮司。
  • 31六車勝昭(?-2017)<2014-2017>:2014年(平成26年)7月1日付で就任。2017年(平成29年)1月18日、在職で死去。68歳。
  • 32日置春文()<2017->:2017年(平成29年)生田神社宮司。

画像

資料

  • 大和田貞策1920『生田神社誌要』[1]短いもの
  • 大和田貞策1922『生田神社誌』[2]
  • 1937『官幣中社生田神社誌要』[3]短い

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%94%9F%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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