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都農神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月22日 (日)

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都農神社
つの じんじゃ
Tsuno-jinja 001.jpg
概要
奉斎 大己貴命
(土岐昌訓論文)
所在地 宮崎県児湯郡都農町川北13294
所在地(旧国郡) 日向国児湯郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社日向国一宮国幣小社別表神社
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目次

概要

歴史

境内

組織

神主

  • 金丸通清(1539-1619)<>:1539年(天文8年)生。1619年(元和5年)死去。
  • 金丸実次(1583-1655)<>:1583年(天正11年)生。1655年(明暦1年)死去。金丸実久。
  • 金丸実元(1609-1682)<>:1609年(慶長14年)生。1682年(天和2年)死去。
  • 金丸通勝(1645-1719)<>:1645年(正保2年)生。1719年(享保4年)死去。
  • 金丸通寛(1672-1743)<>:1672年(寛文12年)生。1743年(寛保3年)死去。
  • 金丸通好(?-1768)<>:1768年(明和5年)死去。
  • 金丸通重(1706-1776)<>:1706年(宝永3年)生。1776年(安永5年)死去。
  • 金丸通忠(1759-1797)<>:1759年(宝暦9年)生。1797年(寛政9年)死去。
  • 金丸主税()<1797->:1797年(寛政9年)相続。
  • 金丸道繁(1803-1828)<>:1803年(享和3年)生。1828年(文政11年)死去。
  • 金丸通賀(1779-1847)<>:1779年(安永8年)生。1847年(弘化4年)死去。
  • 金丸通敏(1828-1861)<>:1828年(文政11年)生。1861年(文久1年)死去。
  • 永友司(1799-1880)<1862->:1799年(寛政11年)生。高鍋八幡宮神主。金丸家の跡継ぎが幼少のため、高鍋藩は1862年(文久2年)2月15日、永友司に都農神社の受持神主を命じる。永友宗義。1880年(明治13年)死去。『西南戦争日記』(明治十年戦争日記)を残す。

宮司

  • 1堀口章介()<1873-1873>:文部省修史局員。1873年(明治6年)3月、都農神社宮司。赴任せず辞職。
  • 2石神喜平次()<1873-1874>:1873年(明治6年)4月、都農神社宮司。1874年(明治7年)9月、寒川神社宮司。のち大物忌神社宮司。1891年(明治24年)2月7日死去(官報)。
  • 3井上千春()<1874->:照国神社初代祠官。1874年(明治7年)10月、都農神社宮司。
  • 4井牟田泉(1875-1875)<>:肥後出身。直治。神職。神道講釈に長ける。1875年(明治8年)3月都農神社宮司。1892年(明治25年)4月死去。
  • 5坂田莠(1830-1891)<1875-1879>:明治前期の内務官僚・神職。1830年(天保1年)7月、日向国高鍋藩出身。士族。阪田莠とも。1868年(明治1年)4月28日、内国事務局権判事。同29日、寺院属。4月22日、権弁官事。5月9日、寺院掛専務となる。1869年(明治2年)11月、高鍋藩権大参事。1871年(明治4年)11月20日、新川県参事。12月18日免官。1875年(明治8年)9月7日、都農神社宮司兼権大講義。翌年、宮崎県神道事務分局長担任。翌年、鹿児島県東神道事務局副局長。1879年(明治12年)12月8日、大和神社宮司。27日権少教正。1880年(明治13年)5月31日正七位。1881年(明治14年)、大阪府奈良神道事務分局長。同年12月9日大神神社宮司兼権少教正。1883年(明治16年)5月2日依願免官。1891年(明治24年)3月30日死去。62歳。墓所不明。『素行紀事』。(『大神神社史料』『日本人名辞典』ほか)
  • 6丸野房雄()<1879->:1876年(明治9年)石清水八幡宮宮司。1878年(明治11年)宮崎宮宮司。1879年(明治12年)12月、都農神社宮司。
  • 7永友宗鷹(1835-1886)<1882->:永友司の子。1835年(天保6年)生。都農神社権宮司。1877年(明治10年)の西南戦争の時、戦火を恐れて御神体を民家に奉遷した。1882年(明治15年)3月、都農神社宮司。1886年(明治19年)11月27日死去。
  • 8秋月種繁(1857-1890)<1886->:秋月家28代当主。子爵。秋月種樹の子。1857年(安政4年)生。1881年(明治14年)父の隠居で家督相続。1886年(明治19年)12月、都農神社宮司。1890年(明治23年)死去。
  • 9永友宗年(1854-1927)<1889-1927>:永友宗鷹の子。1854年(安政1年)生。高鍋藩校で名和大年に国学を学ぶ。井上頼圀に師事。1878年(明治11年)都農神社に奉仕。1881年(明治14年)宮崎神宮宮司。1886年(明治19年)、宮崎神宮の官幣大社昇格を実現。1889年(明治22年)5月1日、都農神社宮司。1927年(昭和2年)死去。『日向国神祇史料』『日向雑記』『続日向雑記』『日向全書』を編纂。
  • 10永友宗清()<1927-1942>:永友宗年の子。1927年(昭和2年)8月、都農神社宮司。1942年(昭和17年)2月鵜戸神宮宮司に転任。1948年(昭和23年)3月21日、都農神社宮司に再任。『鵜戸の宮居』[1]
  • 11河野八百吉()<1942-1945>:1942年(昭和17年)3月、都農神社宮司。1945年(昭和20年)、西寒多神社に転任。のち宇佐神宮権宮司。
  • 12佐藤敏夫()<1945-1948>:1945年(昭和20年)12月、都農神社宮司。高知県祭務官から転任。1948年(昭和23年)3月21日退任。
  • 13永友宗清()<1948->:再任。1948年(昭和23年)3月21日、鵜戸神宮宮司から転任。
  • 14井上国雄(1890-1964)<1955-1960>:1890年(明治23年)生。1918年(大正7年)国学院大学国文科卒。宮崎県や満洲国の学校で教鞭を執る。1920年(大正9年)右松神社霧島神社社掌。1950年(昭和25年)宮司。1955年(昭和30年)6月、都農神社宮司。1960年(昭和35年)、宮崎神宮宮司・宮崎県護国神社宮司。1960年(昭和35年)宮崎県神社庁長。1964年(昭和39年)死去。
  • 15長友安美(1908-)<1960-1967>:宮崎県出身。1908年(明治41年)生。1933年(昭和8年)国学院大学神道部卒。同年、青島神社社掌。1953年(昭和28年)、宮崎県神道青年会会長。1960年(昭和35年)7月、都農神社宮司。同年、宮崎県神社庁副庁長。1967年(昭和42年)鵜戸神宮宮司。1983年(昭和58年)鵜戸神宮退任。
  • 16杉田清(1907-)<1967->:宮崎県出身。1907年(明治40年)生。1937年(昭和12年)国学院大学神道部卒。同年、伏見稲荷大社嘱託。1940年(昭和15年)宮崎神宮主典。1941年(昭和16年)宮崎県祭務官補。1945年(昭和20年)筥崎宮禰宜。1960年(昭和35年)宮崎八幡宮宮司。1967年(昭和42年)1月、都農神社宮司。
  • (壱岐秋吉)()<1988->:1988年(昭和63年)9月、宮司代務者。
  • 永友元夫()<2001->:永友宗清の子。2001年(平成13年)9月都農神社宮司。
  • 永友謙二()<2010->:永友宗清の孫。鵜戸神宮権宮司を経て2010年(平成22年)2月1日、都農神社宮司。


権宮司

  • 永友宗鷹

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%83%BD%E8%BE%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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