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宇佐神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月24日 (月)

宇佐八幡宮から転送)
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宇佐神宮
うさ じんぐう
Dainihon-jingishi-yori (8).jpg身舎が二つ連結した八幡造本殿の構造が分かる
概要 八幡信仰の総本社。三大八幡宮の一社。
奉斎 誉田別尊、比売神、大帯姫命
(土岐昌訓論文)
所在地 大分県宇佐市南宇佐2859
所在地(旧国郡) 豊前国宇佐郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社一品豊前国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 八幡信仰宇佐八幡宮五所別宮六所宝塔宇佐八幡宮関連旧跡応神天皇旧跡東大寺関連旧跡


目次

概要

宇佐神宮(うさ・じんぐう)は、大分県宇佐市にある、応神天皇を祀る八幡信仰の総本社。宇佐八幡宮

歴史

  • 欽明天皇32年:託宣
  • 崇峻天皇3年:辛島勝乙目が祀る。
  • 712年:鷹居社創建
  • 716年:小山田遷座
  • 720年:朝廷、隼人討伐のため祈願。八幡神は自ら出陣したという。以後、隼人の戦没者の慰霊のために放生会が始まる。
  • 725年:現在地に遷座。辛島勝波豆米が託宣を受けた。官社列格。弥勒寺創建。
  • 725年:八幡神、平城京に上京
  • 731年:官幣に預かる
  • 733年:比売神が現在地に鎮座
  • 737年4月1日:朝廷、伊勢神宮とともに宇佐神宮に「新羅の無礼」を陳謝。続日本紀。六国史における宇佐神宮の初見。
  • 740年:藤原広嗣の乱平定の報賽として封戸20戸寄進
  • 745年:阿部虫麻呂が聖武天皇病気平癒祈願に参向
  • 746年:聖武天皇病気平癒に功として神階三位。封400戸・水田20町・度僧50口を寄進
  • 748年:祝部従八位大神宅女・杜女に外従五位下
  • 749年:一説に行幸会が始まる。4年に一度。
  • 749年11/19:上京を託宣
  • 749年11/24:迎神使を宇佐を派遣
  • 12/18:大和国平群郡に到着。入京。梨原宮に滞在。7日間悔過。
  • 749年12月27日:八幡神が東大寺参詣。「広幡八幡大神」が天神地祇を率いて大仏建立に協力すると託宣。続日本紀。
  • 750年2/29:東大寺大仏のための金発見に功ありとして宇佐大神に一品、封800戸・位田80町、比売神に二品、封600戸・位田60町を寄進。伊勢神宮の所領を超える。755年返納。
  • 752年:東大寺大仏開眼供養
  • 754年:厭魅事件
  • 765年:一時、大尾山に遷座。
  • 766年:比売神封戸600戸が復す
  • 767年9月18日:比売神宮寺成立。続日本紀。
  • 769年:宇佐八幡宮神託事件
  • 782年:大尾山から還座
  • 天応初年:神号「護国霊験威力神通大菩薩」
  • 783年:神号「護国霊験威力神通大自在王菩薩」
  • 798年:八幡大神の800戸復す
  • 811年:行幸会、6年に一度となる
  • 815年:八幡大菩薩は応神天皇の霊だとみえる(大神清麿等解状)
  • 820年:大帯姫廟神社を祀るように神託
  • 821年:「八幡大菩薩宮司」の語(類聚国史)
  • 823年:大帯姫廟神社が創建され、三殿構成となる
  • 827年:分霊社として由原宮創建
  • 弘仁年間:下宮が成立。
  • 833年:和気真綱が仁明天皇即位奉告のため参向。続日本紀。「和気使」の語の確実な初見。
  • 844年:八幡神は応神天皇とする(宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起)
  • 852年:若宮鎮座。
  • 859年:宇佐神宮で託宣を受け行教、石清水八幡宮を創建。
  • 870年2月15日:清和天皇が宣命を下し、「我朝乃顕祖」と位置付けた。
  • 879年:33年ごとの式年造営が始まる。?
  • 994年:大宰府藤原佐理と乱闘事件。日本紀略。
  • 998年:造替
  • 1097年:造替(『勘仲記』弘安10年5月14日条)
  • 1129年:造替(『勘仲記』弘安10年5月14日条)
  • 1161年:造替(『勘仲記』弘安10年5月14日条)
  • 1184年:緒方惟栄が社殿破壊
  • 1188年:仮殿造営
  • 1309年:大火で焼失
  • 1313年:宇佐託宣集成立
  • 1321年:宇佐奉幣使中絶
  • 1418年:足利義持が社殿造営
  • 1423年:大内盛見が行幸会を再興。
  • 1507年:足利義澄が社殿造営
  • 1524年:大内義興が社殿造営
  • 1589年:黒田長政が300石寄進
  • 1591年:黒田長政が社殿造営
  • 1605年:細川忠興が社殿造営。また1000石寄進。
  • 1616年:行幸会復興
  • 1618年:放生会復興
  • 1619年:神能復興
  • 1627年:社殿修復
  • 1646年:徳川家光が朱印地1000石寄進
  • 1723年:大火
  • 1742年:社殿復興?
  • 1744年:宇佐奉幣使復興
  • 1861年:社殿造営。現在の社殿。
  • 1871年5月14日:官幣大社

境内

組織

大宮司(古代)

  • 大神田麻呂(生没年不詳)<>:大神氏。当時の職名は「主神司」。大宮司の初代とみなされることもある。754年(天平勝宝6年)種子島に配流となるが、のちに許された。773年(宝亀4年)大宮司に復帰。
  • 宇佐池守(生没年不詳)<766->:宇佐氏。766年(天平神護2年)宮司。773年(宝亀4年)道鏡の偽神託に関与したと疑われた。宇佐公池守。
  • 大神邦利()<-1008>:
  • 宇佐相規()<1008->:
  • 大神家弘()<>:

大宮司(中世)

  • 大神宮明()<1221->:


  • 宇佐公則()<1054->:以後、宇佐氏が世襲?
  • 宇佐公相()<>:
  • 宇佐公順()<>:
  • 宇佐公基()<>:
  • 宇佐公通(生没年不詳)<1144->:
  • 宇佐公房(生没年不詳)<1175-1180><1193-1215>:『宇佐宮神領大鏡』を編纂。
  • 宇佐公定()<>:
  • 宇佐公仲()<>:
  • 宇佐公高()<>:
  • 岩根公春()<>:
  • 宇佐公有()<>:
  • 安心院公泰()<>:
  • 宇佐公氏()<>:
  • 宇佐公世()<>:
  • 岩根公夏()<>:
  • 宇佐公為()<>:
  • 安心院公宣()<>:
  • 宮成公敦()<>:
  • 岩根公景()<>:
  • 到津公連()<>:南朝側につく。
  • 出光公和()<>:
  • 宮成公右()<>:
  • 吉松公浦()<>:
  • 宮成公居()<>:
  • 宮成公内()<>:
  • 出光公行()<>:
  • 宮成公満()<>:
  • 到津公貞()<>:
  • 安心院公増()<>:南北朝統一後の初の大宮司。
  • 宮成公則()<>:
  • 到津公兼()<>:
  • 宮成公佐()<>:
  • 安心院公世()<>:
  • 出光公順()<>:
  • 宮成公正()<>:
  • 到津公弘()<>:
  • 安心院公見()<>:
  • 宮成公幸()<>:
  • 出光公保()<>:
  • 宮成公高()<>:
  • 到津公治()<>:
  • 出光公恒()<>:
  • 宮成公通()<>:
  • 安心院公正()<>:
  • 宮成公建()<>:
  • 到津公澄()<>:
  • 出光公成()<>:
  • 安心院公糺()<>:
  • 宮成公里()<>:
  • 出光公善()<>:
  • 宮成松千代()<>:
  • 宮成公基()<>:


未見:「宮成家系」[1]

大宮司(近世)

  • 宮成公恒()<>:
  • 宮成公躬()<>:
  • 宮成公岡()<>:
  • 宮成公雄()<>:
  • 宮成公綏()<>:
  • 宮成公素()<>:
  • 宮成公義()<>:
  • 宮成公純()<>:
  • 宮成公貞()<>:1884年(明治17年)2月死去。大宮司。
  • 宮成公矩()<>:男爵。大宮司?1852年(嘉永5年)8月生。1898年(明治31年)9月死去。こののち、公徳(1865-1904)、公勲(1872-)、公康(1915-)と続くが宮司にはならず。
  • 到津公憲()<>:
  • 到津公吉()<>:
  • 到津公兼()<>:
  • 到津公村()<>:
  • 到津公峰()<>:
  • 到津公著(-1756)<>:到津家中興という。宇佐使を復興。1756年(宝暦6年)死去
  • 到津公箇()<>:
  • 到津公古()<>:
  • 到津公悦()<>:
  • 到津公章()<>:
  • 到津公〓()<>:1848年(嘉永1年)3月死去。


宮司(近現代)

  • 到津公誼(1845-1901)<>:男爵。1845年(弘化2年)10月生。1901年(明治34年)6月死去。
  • 到津公煕(1869-1936)<1901-1916>:1869年(明治2年)8月生。宇佐神宮の社家出身。1901年(明治34年)、宇佐神宮宮司。1916年(大正5年)退職するが、1919年(大正8年)再任。
  • 到津公煕(1869-1936)<1919->:再任。
  • 横山秀雄(1891-1948)<>:神奈川県出身。神宮皇学館卒。熊野坐神社宮司、宮崎神宮宮司、宇佐神宮宮司を歴任。1948/11/26死去。
  • 到津保夫(-1973)<1948->:阿蘇惟孝の三男。到津公煕の婿養子。阿蘇神社宮司。1948年、宇佐神宮宮司。男爵。1973/3/5死去。
  • 78到津公斉(1937-2009)<1973-2006>:2006/5退任。2009/1/13死去。
  • 79池永公比古(-2008)<2006-2008>:薦神社宮司。2006/5宇佐神宮宮司。2008/8/8死去。
  • 80穴井伸久()<2009-2016>:大分県神社庁庁長。瀧神社宮司。2009/2/26宇佐神宮特任宮司。2016/2/19退任。
  • 81小野崇之()<2016->:神社本庁総務部長。2016/2/20宇佐神宮宮司。

少宮司・権宮司

  • 宗六翁(1819-1896)<1877-1878>:(略歴は西寒多神社#組織を参照)
  • 河野八百吉()<-1946->:都農神社宮司。西寒多神社宮司。
  • 元永正豊(1913-)<>:
  • 到津克子()<-2014>:到津公斉の長女。2014/5/15退任。
  • 永弘健二()<>:
  • 大久保博範()<2017->:石清水八幡宮権禰宜。宇佐神宮禰宜。2017/10/10宇佐神宮権宮司。

勅祭

勅祭社式年祭宇佐使も参照。江戸時代に復興した時には60年ごとの甲子の年に行う。1924年が式年祭の年になったが行われず、翌年の1925年(大正14年)から現在の10年ごとの形となる。勅使祭、臨時奉幣祭とも呼ばれている。香椎宮も同時に参向する。日程は天皇がその都度決めることになっているが、10月6日が慣例のようだ。ただし敗戦直前の1945年は7月30日だった。回数の数え方は何が基準なのか未確認。また他の官国幣社と同様に正遷座祭にも臨時奉幣があり、また応神天皇の式年祭にも奉幣がある。

  • 1744年(延享1年)10月17日:飛鳥井雅重:9月25日発遣。宣命[2]。10月21日香椎宮。
  • 1804年(文化1年)4月:四辻公説:3月14日発遣。『宇佐使発遣次第』[3][4]
  • 1864年(元治1年)6月15日:梅渓通善:5月21日発遣。宣命[5]。6月22日香椎宮。
  • 1925年(大正14年)10月6日:長谷信道:1925年(大正14年)10月1日内務省令第17号「官幣大社宇佐神宮同香椎宮臨時奉幣祭式」制定[6]。10月9日香椎宮。
  • 1935年(昭和10年)10月6日:室町公藤:1935年(昭和10年)9月23日内務省令第55号「官幣大社宇佐神宮官幣大社香椎宮臨時奉幣祭式」制定[7]。10月9日香椎宮。
  • 1945年(昭和20年)7月30日:清水谷公揖:1945年(昭和20年)7月27日内務省令第18号祭式制定[8]。8月2日香椎宮。
  • 1955年(昭和30年)10月6日:三条実春:
  • 1965年(昭和40年):
  • 1975年(昭和50年):
  • 1985年(昭和60年)10月6日:
  • 1995年(平成7年)10月6日:
  • 2005年(平成17年)10月6日:
  • 2015年(平成27年)10月6日:山田蓉:
  • 2025年(令和7年):
  • 2035年(令和17年):

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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