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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

阿蘇神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年9月26日 (木)

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阿蘇神社
あそ じんじゃ
Aso-jinja 002.jpg
概要 阿蘇山の神。
奉斎 健磐龍命
(土岐昌訓論文)
所在地 熊本県阿蘇市一の宮町宮地宮園3083
所在地(旧国郡) 肥後国阿蘇郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正二位勲五等肥後国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社
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目次

概要

阿蘇神社(あそ・じんじゃ)は、熊本県阿蘇市にある阿蘇山の神を祀る神社。神宮寺は西巌殿寺。山上に阿蘇山上神社西巌殿寺奥之院がある。阿蘇山も参照。

歴史

境内

組織

大宮司

  • 速瓶玉命:阿蘇国造の祖。健磐龍命の御子。国造神社祭神。
  • 稚人君命:惟人君命。初代大宮司。
  • 成兼丸:
  • 阿蘇成輔:
  • 阿蘇高正:
  • 阿蘇高軌:
  • 阿蘇友則:
  • 阿蘇友兼:
  • 阿蘇惟兼:
  • 阿蘇惟風:
  • 阿蘇利名:
  • 阿蘇頼高:
  • 阿蘇成時:
  • 阿蘇則高:
  • 阿蘇惟教:
  • 阿蘇惟文:
  • 阿蘇惟氏:
  • 阿蘇忠行:
  • 阿蘇惟峰:
  • 阿蘇友助:
  • 阿蘇惟顕:
  • 阿蘇惟明:
  • 阿蘇惟保:
  • 阿蘇遠明:
  • 阿蘇宗延:
  • 阿蘇惟情:
  • 阿蘇友利:
  • 阿蘇友成:
  • 阿蘇友仲:
  • 阿蘇頼元:
  • 阿蘇惟助:
  • 阿蘇惟親:
  • 阿蘇惟信:
  • 阿蘇惟通:
  • 阿蘇惟満:
  • 阿蘇惟経:
  • 阿蘇惟遠:
  • 阿蘇惟雅:
  • 阿蘇惟綱:
  • 阿蘇惟員:
  • 阿蘇惟行:
  • 阿蘇則真:
  • 阿蘇是員:
  • 阿蘇友孝:
  • 阿蘇友実:
  • 阿蘇友房:
  • 阿蘇惟俊:
  • 阿蘇惟宣:
  • 阿蘇資長:
  • 阿蘇惟泰:
  • 阿蘇惟次:
  • 阿蘇惟義:
  • 阿蘇惟景:
  • 阿蘇惟資:
  • 阿蘇惟国:
  • 阿蘇惟時(?-1353)<1333->:1333年(元弘3年/正慶2年)大宮司となる。まもなく譲った阿蘇惟直が1336年(延元1年/建武3年)に戦死したため、大宮司に復職。
  • 阿蘇惟直(?-1336)<>:阿蘇惟時の子。南朝の武将。護良親王に従う。多々良浜で足利尊氏に討たれた。
  • 坂梨孫熊丸()<>:北朝の大宮司。
  • 阿蘇惟澄(?-1364)<1361->:阿蘇惟時の娘婿。南朝の武将。1333年(元弘3年/正慶2年)、護良親王に従い、ついで征西将軍宮懐良親王に従う。1361年(正平16年/康安1年)大宮司となる。
  • 阿蘇惟武(?-1377)<>:阿蘇惟澄の次男。南朝の武将。1365年(正平20年/貞治4年)、南朝の大宮司となり、北朝の大宮司の兄と対立。戦死。
  • 阿蘇惟政(生没年不詳)<1377->:阿蘇惟武の子。南朝の武将。従兄弟の阿蘇惟郷と大宮司職を争う。1392年(明徳3年)の南北朝の合併で翌年、北朝に下る。
  • 阿蘇惟村(?-1406)<>:阿蘇惟澄の長男。祖父阿蘇惟時の養子となる。北朝に着く。1351年(正平6年/観応2年)、祖父の阿蘇惟時から継承。
  • 阿蘇惟兼()<>:阿蘇惟政の子。
  • 阿蘇惟歳()<>:阿蘇惟兼の子。大宮司継承をめぐる2家系の訴訟の結果、阿蘇惟忠の養子となる。
  • 阿蘇惟家()<>:阿蘇惟歳の子。
  • 阿蘇惟郷(?-1470)<>:阿蘇惟村の子。北朝系。従兄弟の阿蘇惟政、その子の阿蘇惟兼と大宮司職を争う。
  • 阿蘇惟忠(1415-1485)<>:阿蘇惟郷の子。北朝系。南朝系の惟歳を養子に迎え、対立を収めた。しかし、再び対立して戦死。
  • 阿蘇惟憲()<>:
  • 阿蘇惟長(?-1537)<>:1505年(永正2年)菊池政隆を当主から追放し菊池家を継ぎ菊池武経と名乗る。
  • 阿蘇惟豊(1493-1559)<-1513>:兄の阿蘇惟長から大宮司を継承するが、1513年(永正10年)惟長に追放される。日向に逃れ甲斐親宣の援助を得て1517年(永正14年)大宮司に復帰。阿蘇惟豊墓
  • 阿蘇惟前(生没年不詳)<1513->:阿蘇惟長の子。戦国時代の武将。1513年(永正10年)叔父の阿蘇惟豊を追放するが、1514年(永正11年)に反撃にあって薩摩に逃れた。
  • 阿蘇惟将(?-1583)<>:阿蘇惟豊の子。戦国時代の武将。
  • 阿蘇惟種(?-1584)<>:阿蘇惟種墓
  • 阿蘇惟光(1582-1593)<1584-1593>:阿蘇惟豊の孫。12歳で豊臣秀吉に処刑された。大宮司職の権威は終わった。
  • 阿蘇惟善()<>:阿蘇惟光の弟。
  • 阿蘇友貞()<>:1685年(貞享2年)退任。
  • 阿蘇友隆()<>:1689年(元禄2年)退任。
  • 阿蘇友名()<>:
  • 阿蘇真楫()<>:
  • 阿蘇惟典(1732-1793)<>:歌人。
  • 阿蘇惟馨()<>:

(国史大辞典)

宮司

  • 阿蘇惟治(1808-1879)<>:神職・志士。阿蘇神社大宮司。1877年(明治10年)9月12日死去。
  • 阿蘇惟敦(1830-1893)<1873-1883>:惟治の子(神道人名辞典では惟馨の子とする)。1873年(明治6年)阿蘇神社宮司。権少教正。1883年(明治16年)退任。華族となり、男爵となる。(神道人名辞典、国学者DB)
  • 阿蘇惟孝(1864-1936)<1883->:惟敦の子。1883年(明治16年)5月、阿蘇神社宮司就任。熊本県皇典講究分所所長。1905年(明治38年)、国造神社社司を兼務。皇典講究所評議員。
  • 阿蘇惟紀()<1929-1934>:1929年(昭和4年)阿蘇神社宮司就任。1934年(昭和9年)退任。
  • 阿蘇惟友(1923-)<>:
  • 90阿蘇惟之(-2012)<-2012>:
  • 91阿蘇治隆()<2012-2019>:惟之の弟。
  • 92阿蘇惟邑(1988-)<2019->:皇学館大学卒。熱田神宮、八幡朝見神社に奉職。2019年7月15日、阿蘇神社宮司。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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