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随心院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月30日 (土)

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随心院門跡(国土地理院空中写真より)
随心院中心部(国土地理院空中写真より)

随心院(ずいしんいん)は、京都府京都市山科区にある真言宗本山寺院門跡寺院。本尊は如意輪観音。元は山城・曼荼羅寺の子院の一つだったが本寺を取り込む形となった。歴代門跡には九条家から入る者が多かった。随心院門跡小野門跡

目次

組織

住職

  • 37世まで「随心院歴代法統略譜」『随心院史略』より[1]
  • 「小野曼荼羅寺随心院門跡」『諸門跡承伝系図』[2]
随心院門跡の歴代一覧
世数 生没年 在職年 略歴
空海 774-835 真言宗の開祖。
真雅 801-879 空海の弟子。
源仁 818-887
聖宝 832-909
観賢 853-925
淳祐 890-953 菅原氏菅原道真の孫。
元杲 914-995
1 仁海 951-1046 991-1046 山科・曼荼羅寺開山。小野流の祖。東大寺別当71世。東寺長者22世。金剛峰寺座主。和泉国出身。951年(天暦5年)生。宮道惟平の子。7歳で高野山に入り、雅真の弟子となる。石山寺元杲に伝法灌頂。991年(正暦2年)、曼荼羅寺を創建。1014年(長和3年)東寺凡僧別当。1023年(治安3年)、東寺二長者。1029年(長元2年)6月23日、東大寺別当。1031年(長元4年)7月5日、正倉院の修理を朝廷に要請。同年、東寺長者22世・法務。1032年(長元5年)東大寺別当を辞任。1043年(長久4年)の干魃の時、神泉苑と宮中で請雨経法を行い、大雨が降ったので人々は雨僧正と讃えた。その功績で再度、東寺長者となり金剛峰寺座主。1046年(永承1年)5月16日曼荼羅寺で死去。96歳。著書多数。門下も多い。小野僧正。雨海大師。
2 成尊 1012-1074 1046-1074 曼荼羅寺2世。1012年(長和1年)生。仁海に師事。1039年(長暦3年)仁海から灌頂。1071年(延久3年)2月9日、東寺三長者。1072年(延久4年)10月、東寺一長者。請雨経法などに験あり。1074年(承保1年)1月7日死去。63歳。小野僧都。
(義範) 1023-1088 1074-1078 歴代に数えず。肥後国出身。1023年(治安3年)生。藤原如政の子。仁海ついで成尊に師事。1054年(天喜2年)曼荼羅寺で成尊から灌頂。醍醐寺遍智院を開く。1075年(承保2年)請雨法で範俊と競う。1086年(応徳3年)東寺三長者、護持僧。曼荼羅寺を継いでいたが1078年(承暦2年)に範俊の訴えで追放されたらしい。1087年(寛治1年)神泉苑で祈雨法。1088年(寛治2年)閏10月5日死去。66歳。
3 範俊 1038-1112 1078-1112 曼荼羅寺3世。東寺長者。1038年(長暦2年)生。興福寺威儀師仁盛の子。叔父の成尊に師事して得度。南都で学んだ後、1071年(延久3年)成尊から伝法灌頂。1074年(承保1年)、成尊の臨時にあたり、白河天皇の使者が後継者を尋ねたところ、何も言わずに範俊を顧みたので正嫡とされた。1075年(承保2年)、神泉苑で請雨祈願をするも効果なく、那智山に隠れる。1076年(承保3年)、天皇の病気祈願で霊験があり、復帰。1078年(承暦2年)、訴えて義範を曼荼羅寺から追放し、曼荼羅寺に住す。1101年(康和3年)興福寺権別当。1104年(長治1年)東寺長者36世。1105年(長治2年)法務国師。晩年は鳥羽に隠棲。1112年(天永3年)4月24日死去。75歳。鳥羽僧正。
4 厳覚 1056-1121 勧修寺長吏。東寺二長者。1056年(天喜4年)生。源基平の子。園城寺行尊の弟。東寺信覚、曼荼羅寺範俊から灌頂を受ける。1084年(応徳1年)11月23日、勧修寺長吏。1121年(保安2年)閏5月8日死去。66歳。弟子に増俊・寛信・宗意らがいる。
5 増俊 1084-1165 中興。随心院流の祖。1084年(応徳1年)生。俗姓は堀川か。1115年(永久3年)、勧修寺勝福院で厳覚から灌頂。随心院を復興(事実上の開山か)。1165年(永万1年)2月11日死去。82歳。中納言阿闍梨。
6 顕厳 1116-1183 1116年(永久4年)生。中原広忠の子。1154年(久寿1年)増俊から灌頂。東大寺別当になったとも(史略)。護持僧。1183年(寿永2年)8月14日死去。68歳。
7 親厳 1151-1236 門跡初代。善通寺を初めて末寺とする。東大寺別当108世。1151年(仁平1年)生。中原親光の子。尊念に師事。法住寺で顕厳から灌頂。1215年(建保3年)7月12日、東寺四長者。1216年(建保4年)東寺三長者。1228年(安貞2年)寺務法務。護持僧。1229年(寛喜1年)東寺長者。同年、門跡となり、善通寺と讃岐曼荼羅寺を末寺とする。1235年(嘉禎1年)閏6月29日東大寺別当。1236年(嘉禎2年)11月2日死去。86歳。唐橋大僧正。随心院大僧正。
8 厳海 1173-1251 東寺長者。難波頼経の子。1173年(承安3年)生。親厳から灌頂。将軍九条頼経の帰依を受けた。1240年(仁治1年)東寺三長者。1241年(仁治2年)東寺二長者。1242年(仁治3年)東寺長者。法務。護持僧。1243年(寛元1年)、高野山の紛争で長者を辞任。1251年(建長3年)4月25日死去。79歳。
9 宣厳 ?-1251 藤原宣房の子。九条光長の孫。1217年(建保5年)親厳から灌頂。1248年(宝治2年)閏12月29日、東寺五長者。1249年(建長1年)東寺二長者。1251年(建長3年)8月27日死去。
10 俊厳 ?-1254 参議藤原俊経の子。厳海に師事。1251年(建長3年)東寺二長者。1254年(建長6年)11月29日死去。
11 厳恵 生没年不詳 九条高実の子。厳海に師事。醍醐寺。左大臣法印。
12 静厳 1243-1299 醍醐寺座主44世。東寺長者。摂政関白一条実経の子。1243年(寛元1年)生。厳舜のもとで出家。勝尊、親杲に灌頂。1285年(弘安8年)東寺五長者。1286年(弘安9年)東寺四長者。1288年(正応1年)東寺三長者。1288年(正応1年)護持僧。1289年(正応2年)寺務。1290年(正応3年)東寺長者法務。1292年(正応5年)寺務を辞任。1299年(正安1年)1月7日死去。57歳。殿大僧正。金剛王院大僧正。
13 厳家 1275-1308 醍醐寺座主50世。東寺長者。摂政一条家経の子。1275年(建治1年)生。1295年(永仁3年)静厳から灌頂。1305年(嘉元3年)2月、東寺長者。法務。1306年(徳治1年)8月まで。同年から翌年11月まで醍醐寺座主。後二条天皇護持僧。1308年(延慶1年)11月3日死去。34歳。
14 経厳 ?-1353 摂政一条家経の子。厳家の弟。1324年(正中1年)9月7日、東寺長者になるも即日辞退。1326年(嘉暦1年)2月9日から翌年4月まで東寺長者。1330年(元徳2年)7月3日、東寺長者、法務、寺務、護持僧。1343年(興国4年/康永2年)に再度東寺長者。1353年(正平8年/文和2年)6月死去。
15 通厳 ?-1363 関白左大臣一条経通の子。1363年(正平18年/貞治2年)死去。
16 照厳 生没年不詳 関白左大臣一条経通の子。
17 厳叡 生没年不詳 関白左大臣二条師良の子。
18 祐厳 ?-1452 関白左大臣一条経嗣の子。随心院門跡。1415年(応永22年)寺務、長者。1428年(正長1年)5月6日、東寺長者。1441年(嘉吉1年)にも東寺長者か。1452年(享徳1年)3月28日死去。
19 厳宝 ?-1481 東大寺別当163世。関白内大臣一条兼良の七男。尋尊の弟。叔父の祐厳に師事。随心院門跡を嗣ぐ。1466年(文正1年)東大寺別当。1467年(応仁1年)東寺長者(1466年(文正1年)とも)。1481年(文明13年)6月7日、東大寺別当・法務東寺長者。1481年(文明13年)12月2日死去。
20 持厳 ?-1510 醍醐寺座主78世。三宝院門跡30世。今小路師冬の子。関白太政大臣二条持通の養子。1509年(永正6年)東寺長者。1510年(永正7年)12月28日死去。
21 忠厳 ?-1552 東大寺別当169世。関白内大臣九条政忠の子。1508年(永正5年)8月15日東大寺別当。1552年(天文21年)10月15日死去。
22 仙朝 生没年不詳 源雅重の子。東大寺別当という。大僧正。
23 長静 生没年不詳 参議藤原定長の子。東大寺別当という。
24 増孝 1589-1644 1598- 東大寺別当176世。東寺長者180世。関白左大臣九条兼孝の子。1589年(天正17年)生。1598年(慶長3年)随心院に入る。1599年(慶長4年)、戦乱で荒廃した随心院の伽藍を再興。1607年(慶長12年)閏4月28日、東大寺別当。1630年(寛永7年)12月24日、東寺長者。1644年(正保1年)7月21日死去。56歳。西南院と号す。
25 栄厳 1622-1664 東大寺別当177世。関白左大臣九条幸家の子。1622年(元和8年)生。1644年(正保1年)7月4日東大寺別当。同時に東南院を兼務。1664年(寛文4年)閏5月10日死去。 43歳。本浄院と号す。
26 俊海 1651-1682 1662-1682 東大寺別当178世。左大臣鷹司教平の子。1651年(慶安4年)生。1662年(寛文2年)8月25日、出家して栄厳の弟子となる。1664年(寛文4年)7月26日、14歳で東大寺別当となり東南院を兼務。1682年(天和2年)5月26日死去。32歳。 後浄林院と号す。
27 堯厳(九条尚実) 1717-1787 1731-1743 関白九条輔実の末男。1717年(享保2年)生。1731年(享保16年)7月5日随心院に入室得度。権僧正。1743年(寛保3年)4月9日、勅命で還俗して九条家を継ぎ、九条尚実と名乗る。摂政、関白、太政大臣を歴任。1787年(天明7年)9月22日死去。71歳。
28 増護 1804-1875 1819- 東大寺別当188世。左大臣二条治孝の子。1804年(文化1年)生。1819年(文政2年)5月7日、随心院に入室得度。1828年(文政11年)護持僧。1855年(安政2年)東寺長者225世。1860年(万延1年)11月23日、東大寺別当。1862年(文久2年)東南院門跡。1865年(慶応1年)東寺長者を辞任。1875年(明治8年)11月12日死去。72歳。
(増縁)(鶴殿忠善) 1853-1895 付弟。九条尚忠の五男。1860年(万延1年)増護の付弟となる。1872年(明治5年)4月還俗。のち鶴殿忠善と名乗る。男爵。
29 澄剛 ?-1876 ?-1876 備後明王院弟子。京都福勝寺住職。1876年(明治9年)11月12日死去(19日とも)。
30 佐伯旭雅 1828-1891 1876-1878 阿波国出身。1828年(文政11年)生。1858年(安政5年)8月7日、善通寺法主。1876年(明治9年)随心院門跡。1878年(明治11年)4月15日、泉涌寺長老。1888年(明治21年)5月、泉涌寺を退任し随心院再任。1890年(明治23年)5月、勧修寺を兼務。1891年(明治24年)1月31日死去。64歳。
31 釈隆燈 1834-1891 1891-1888 阿波国阿波郡出身。1834年(天保5年)生。安祥寺住職を経て1891年(明治24年)随心院門跡。1891年(明治24年)10月30日死去。58歳。
佐伯旭雅 1828-1891 1888-1891 再任。
32 和田智満 1835-1909 1892-1901 自坊は神光院。1835年(天保6年)生。円山四条派画家の和田呉山の三男。7歳で長栄寺の智幢法樹に師事。1854年(安政1年)神光院に移る。神光院は廃寺となるが1878年(明治11年)復興。1892年(明治25年)5月、随心院門跡。1901年(明治34年)5月、門跡引退。1909年(明治42年)12月21日死去(1910年(明治43年)とも)。75歳。著書『比丘戒相略述』。「和田智満和上年譜考」がある。
33 佐伯法遵 1853-1912 1901-1912 善通寺法主。泉涌寺長老。伊予国宇摩郡出身。俗姓は薦田。1853年(嘉永6年)生。1865年(慶応1年)、佐伯旭雅に師事して善通寺で出家。1874年(明治7年)教導職試補。1876年(明治9年)吉祥院住職。1877年(明治10年)善通寺住職(1878年(明治11年)5月とも)。同年、泉涌寺で旭雅から随心院流の伝授を受ける。1901年(明治34年)9月、随心院門跡。1904年(明治37年)東寺・泉涌寺・勧修寺・随心院の合同管長。1905年(明治38年)、善通寺を退任。1906年(明治39年)6月9日、泉涌寺長老となり随心院・雲龍院を兼務。6月20日単称真言宗管長。1911年(明治44年)、四山合同の解体で泉涌寺派管長兼小野派管長となる。1912年(大正1年)5月27日(18日とも)死去。60歳。
34 箸蔵善龍 1852-1928 1912-1920 広隆寺住職。自坊は箸蔵寺。阿波国出身。1852年(嘉永5年)生。1863年(文久3年)箸蔵寺で得度。1875年(明治8年)真楽寺住職。1883年(明治16年)箸蔵寺住職。1892年(明治25年)6月、広隆寺住職を兼務。1907年(明治40年)定額僧。1912年(大正1年)随心院門跡・小野派管長。1919年(大正8年)真言宗長者。1920年(大正9年)11月11日、門跡を辞めて箸蔵寺に引退。1928年(昭和3年)11月1日死去。77歳。
35 重松寛勝 1863-1928 1921-1928 伊予国温泉郡出身。1863年(文久3年)生。1873年(明治6年)金山出石寺で得度。1880年(明治13年)高野山に登る。1887年(明治20年)大和生駒中学林、1889年(明治22年)讃岐高松中学林、1890年(明治23年)高野山大学林で講ず。同年、同学雑誌を発行。1884年(明治17年)高野山観音院住職。1889年(明治22年)高野山宝聚院住職。1891年(明治24年)高野山普賢院住職。高野山教議所や京都連合法務所に勤務。1903年(明治36年)、遍照光院照岡から灌頂。1907年(明治40年)定額僧。1926年(昭和1年)真言宗長者。1916年(大正5年)金剛峰寺寺務検校執行法印416世。1910年(明治43年)から1927年(昭和2年)にかけて大阪釈迦院を創建。1921年(大正10年)2月13日、真言宗小野派管長・随心院門跡。1928年(昭和3年)11月4日死去。66歳。(「故重松寛勝大和尚伝」)
36 湯崎弘雄 ?-1952 1929- 安祥寺住職。1929年(昭和4年)2月7日、小野派管長(2月20日文部省認可)・随心院門跡。1952年(昭和27年)死去。著書『密門大僧正遺文片影』。
37 蓮生観善 1874-1958 1931- 善通寺法主。初代善通寺派管長。自坊は与田寺(香川県東かがわ市)。讃岐国三木郡原村出身。1874年(明治7年)生。今雪鹿造(丸尾鹿造とも)の四男。1882年(明治15年)与田寺で得度。高野山大学、智積院、勧学院、真宗高倉学寮、曹洞宗麻布大学寮で学ぶ。御室派宗会議員、六大新報主筆、連合宗会議員、八派連合法務所第一部長、山階派宗務長・管長事務取扱を歴任。1905年(明治38年)与田寺住職。白鳥東照寺、高野山蔵院、屋島寺を兼務。1931年(昭和6年)善通寺派管長(5月16日文部省認可)・善通寺法主。随心院を兼務。1933年(昭和8年)真言宗長者。1949年(昭和24年)2月9日、善通寺退任。1958年(昭和33年)12月2日死去。86歳。著書『即身成仏入門』『弘法大師伝』『御修法の起源及沿革』『宗教法研究』『蓮生観善和上遺文集』。
38 玉島実雅 ?-1957 自坊は観心寺。早稲田大学卒。著書『随心院史略』。
39 池田龍潤 ?-1986 1958-1986 泉涌寺雲龍院住職。1958年(昭和33年)、随心院門跡。1986年(昭和61年)死去。
40 蓮生善隆 1915-2005 1987- 善通寺法主。善通寺派管長。自坊は別格本山与田寺(香川県東かがわ市)。1915年(大正4年)生。高野山大学、日本大学で学ぶ。高野山金剛三味院住職。与田寺住職。1970年(昭和45年)から1996年(平成8年)まで善通寺法主。1976年(昭和51年)真言宗長者。1987年(昭和62年)随心院門跡。2005年(平成17年)1月12日死去。89歳。追悼集『今大師蓮生善隆の遺言』。
41 高吉清順 ?-2008 1999- 善通寺法主。善通寺派管長。自坊は讃岐曼荼羅寺。宗務総長。1996年(平成8年)善通寺法主。1999年(平成11年)随心院門跡。2008年(平成20年)5月2日死去。83歳。
42 水谷修夫 1922-2019 2003-2008 自坊は浄光寺(兵庫県尼崎市)。1922年(大正11年)生。京都専門学校卒。1972年(昭和47年)浄光寺住職。2003年(平成15年)随心院門跡。2008年(平成20年)退任。2019年(令和1年)5月14日死去。97歳。
43 亀谷暁英 1930-2022 2008-2018 自坊は福勝寺。1930年生。2008年(平成20年)随心院門跡。2018年(平成30年)退任。2022年4月12日死去。京都府立西京大学卒。1955年福勝寺住職。1998年随心院寺務長。2008年から2018年まで随心院門跡門主。2013年、後七日御修法大阿闍梨。真言宗長者。
44 亀谷英央 1961- 2018-2023予定 亀谷暁英の長男。自坊は福勝寺。1961年(昭和36年)生。1985年(昭和60年)香川大学農学部卒。1987年(昭和62年)京都府立大学大学院農学研究科修了。1988年(昭和63年)高野山専修学院卒。1998年(平成10年)随心院執事。2008年(平成20年)福勝寺住職。2008年(平成20年)12月、随心院執事長。2017年(平成29年)1月、随心院寺務長。2018年(平成30年)4月1日、門跡に就任。

寺務長

寺務長とは別に執事長の職もあるようだが違いは不明。

  • 市橋真明(1929-2006)<1960-1998>:1929年(昭和4年)生。静岡県の御室派金剛院の出身。金剛峰寺で得度。京都専門学校卒。龍谷大学卒。1960年(昭和35年)善通寺派大乗院(随心院子院)住職・随心院寺務長。1974年(昭和49年)泉涌寺雲龍院住職。1998年(平成10年)12月、随心院寺務長を辞任。1999年(平成11年)雲龍院住職を辞任。2006年(平成18年)8月31日死去。77歳。
  • 大林教善(1945-)<2012->:自坊は甲山寺。善通寺派庶務部長、善通寺執行を歴任。2006年(平成18年)随心院流小野講傳所伝授阿闍梨。2012年、随心院寺務長。2016年四国八十八ヶ所霊場会会長。
  • 亀谷英央(1961-)<2017-2018>:随心院門主。自坊は福勝寺。2017年(平成29年)1月寺務長。
  • 中本義久()<>:

伽藍

資料

  • 『小野随心院所蔵文書』[3]
  • 『小野曼荼羅寺随心院門跡系図』[4]
  • 1938『随心院史略』[5]
  • 京都国立博物館1994『随心院:京都社寺調査報告15』
  • 京都府立総合資料館歴史資料課1994『随心院文書編年目録・随心院記録編年目録』
  • 蓮生善隆監修・随心院聖教類綜合調査団編1995『随心院聖教類の研究:仁海僧正九百五十年御遠忌記念』
  • 蓮生善隆・角野康夫1998『随心院:京の古寺から21』
  • 水本邦彦2002『随心院門跡を中心とした京都門跡寺院の社会的機能と歴史的変遷に関する研究』
  • 随心院聖教調査研究会編2004『随心院聖教と寺院ネットワーク』
  • 随心院2005『仁海:仁海僧正御誕生一〇五〇年記念』
  • 荒木浩2005『小野随心院所蔵の文献・図像調査を基盤とする相関的・総合的研究とその展開』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9A%8F%E5%BF%83%E9%99%A2」より作成

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