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与田寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年7月3日 (土)

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与田寺(よだじ)は、香川県東かがわ市中筋(讃岐国大内郡)にある薬師信仰真言宗寺院。本尊は薬師如来真言宗善通寺派四国八十八所霊場の総奥之院を称す。虚空蔵院と号す。與田寺。山号は医王山。

歴史

『与田寺旧記』によると739年(天平11年)、行基の創建で医王山薬師寺と称したという。 空海が真言宗に改め勅願所とし、嵯峨天皇が200町の寺田を賜ったという。 河内の誉田八幡宮を勧請して鎮守とし神宮寺と改称したとも、讃岐・水主神社の別当になったともいう。 鎌倉時代には讃岐七談義所の一つとなった。 戦乱で荒廃するが、室町時代、増吽が復興。後小松天皇の勅で虚空蔵院と改称した。盛んに写経活動を行った。 増吽は熊野信仰に篤く、応永年間の熊野速玉大社の再建に尽力し、水主三山に熊野三山を勧請した。 また小豆島の吉祥寺、直島の極楽寺、備前・蓮台寺なども復興したという。覚城院にも住した。玉野市の無動院で石棺に入り入定したとも。 以後、興隆して与田寺旧記によると末寺は讃岐国128寺、下野・武蔵・尾張・播磨・備前・備中・阿波の1129寺に及んだと記す。

1583年(天正11年)、長宗我部軍の兵火で焼失。 元和年間、増意が再興するが、1640年(寛永17年)焼失。 松平頼重が高松藩主となると、院主増遍が上申して1645年(正保2年)20石寄進を受ける。 1665年(寛文5年)、仁和寺の直末となる。 高松藩主の命で五大虚空蔵護摩を行った。以後、再び隆昌する。 明治になって与田寺と改称した。 (日本歴史地名大系)

境内

  • 本堂:1733年(享保18年)再建。
  • 大師堂:
  • 護摩堂:本尊は清水観音、不動明王、地蔵菩薩など。元禄年間再建。
  • 多宝塔:
  • 仁王門:1634年(寛永11年)再建。
  • 鐘楼門:1634年(寛永11年)再建。
  • 奥之院大師堂:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8E%E7%94%B0%E5%AF%BA」より作成

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