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手向山八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月29日 (月)
手向山八幡宮(たむけやま・はちまんぐう)は、奈良県奈良市にある東大寺鎮守の八幡宮。祭神は品陀別命・足仲彦命・息長帯姫命・比売大神(国史大辞典)。国分寺・国府・東大寺関連施設の鎮守として各地に分霊された。東大寺関連旧跡も参照。県社。手向山神社。東大寺八幡宮。神社本教。
歴史
宇佐神宮の分霊を奉じた神輿は天平勝宝元年(749)12月18日、平群郡から入京。梨原宮に奉安された。そして東大寺に入り、鏡池の東側、東塔の西側に鎮座した。その後、治承4年(1180)12月の南都焼討で焼失。嘉禎3年(1237)10月、千手院跡の現在地に遷された。大勧進行勇が復興した。鎌倉時代の復興の時、快慶作の僧形八幡神像を御神体とした。
江戸時代、元和8年(1622)、細川忠興が300石を寄進し、修造。 寛永19年(1642)11月27日大火で焼失。その後、万治元年(1658)に仮殿が建てられ、元禄4年(1691)8月26日に大勧進公慶により再建されたのが現在の社殿だという。東大寺転害門(佐保路門)を御旅所とした転害会(手掻会、碾磑会)は天文8年(1539)まで勅祭として行われていた。その後は東大寺や住民で行われている。元は9月3日だったが現在は10月5日。(国史大辞典、日本歴史地名大系) 奈良時代建造の東大寺油倉が江戸時代に八幡宮宝庫として移築され、現存している。
資料
- 『奈良市史 社寺編』「手向山神社」[1]