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光明皇后旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年1月9日 (土)
(光明皇后から転送)
光明皇后(こうみょう・こうごう)(701-760)は、聖武天皇の皇后。奈良時代の人物。藤原氏。不比等と橘三千代の第三女。仏教を篤く信仰し、国分寺、国分尼寺、東大寺大仏の造営を提唱し、夫の天皇の力で実現した。信仰に基づき福祉事業を手掛けたとされる。729年(天平1年)の長屋王の変の後、当時、臣下としては異例の皇后となった。一族の藤原仲麻呂を中枢に据え、政権を掌握。国政への介入は一部混乱を招くとともに、現代にいたる藤原氏繁栄の基礎となった。鑑真から受戒して尼僧となる。別名は安宿媛、光明子とも。光明皇太后。中台天平応真仁正皇太后。
一覧
年表
年譜
年 | 月日 | 数え歳 | 事項 |
---|---|---|---|
701年(大宝1年) | 1 | 光明子、誕生。(聖武天皇も同年に誕生) | |
702年(大宝2年) | 2 | ||
703年(大宝3年) | 3 | ||
704年(慶雲1年) | 4 | ||
705年(慶雲2年) | 5 | ||
706年(慶雲3年) | 6 | ||
707年(慶雲4年) | 7 | ||
708年(和銅1年) | 8 | ||
709年(和銅2年) | 9 | ||
710年(和銅3年) | 10 | ||
711年(和銅4年) | 11 | ||
712年(和銅5年) | 12 | ||
713年(和銅6年) | 13 | ||
714年(和銅7年) | 14 | 首皇子(のちの聖武天皇)、皇太子となる。 | |
715年(霊亀1年) | 15 | ||
716年(霊亀2年) | 16 | 光明子、皇太子の妃となる。 | |
717年(養老1年) | 17 | ||
718年(養老2年) | 18 | 光明子、皇女(孝謙天皇)を産む。 | |
719年(養老3年) | 19 | ||
720年(養老4年) | 8月3日 | 20 | 父の藤原不比等が死去。長屋王政権へ。 |
721年(養老5年) | 21 | ||
722年(養老6年) | 22 | ||
723年(養老7年) | 23 | ||
724年(神亀1年) | 2月4日 | 24 | 聖武天皇が即位し光明子、天皇夫人となる。 |
725年(神亀2年) | 25 | ||
726年(神亀3年) | 26 | ||
727年(神亀4年) | 閏9月29日 | 27 | 光明子、皇子(名は一説に基王)を産む。11月2日、皇太子とされる。 |
728年(神亀5年) | 9月13日 | 28 | 皇太子死去。19日に那富山に埋葬(基王墓)。 |
729年(天平1年) | 2月10日 | 29 | 長屋王の変。藤原氏政権へ。 |
8月10日 | 皇后となる。皇族以外の人物が皇后となる初の例とされる。ただし仁徳天皇の磐之媛命を皇后とした伝承が前例とされた。 | ||
9月28日 | 小野牛養を皇后宮大夫とする。 | ||
730年(天平2年) | 4月17日 | 30 | 皇后宮職に施薬院を設置。悲田院もこのとき設置されたという。 |
4月28日 | 光明皇后、興福寺に五重塔建立を発願。自ら土を運んで作業に参加したという。1年以内に完成したという(興福寺濫觴記)。 | ||
731年(天平3年) | 7月 | 31 | 海龍王寺を創建(和漢三才図会)。『続日本紀』738年(天平10年)3月28日条に、山階寺(興福寺)、鵤寺(法隆寺)、観世音寺と並んで記す「隅院」に当たると考えられている。 |
732年(天平4年) | 32 | ||
733年(天平5年) | 1月11日 | 33 | 生母の橘三千代が死去。 |
5月26日 | 皇后病気のため大赦 | ||
この年から737年(天平9年)にかけて法隆寺など諸寺に仏具を奉納 | |||
734年(天平6年) | 1月11日 | 34 | 生母の橘三千代の一周忌に菩提のため興福寺西金堂を建立。 |
735年(天平7年) | 35 | ||
736年(天平8年) | 11月17日 | 36 | 異父兄の葛城王(橘諸兄)・佐為王(橘佐為)が橘氏を賜る。 |
737年(天平9年) | 3月 | 37 | 講説のため興福寺に寄進。 |
4~8月、政権を握っていた藤原房前、藤原麻呂、藤原武智麻呂、藤原宇合の4兄弟が相次いで病死する。橘諸兄政権へ。 | |||
12月27日 | 皇后宮に玄昉訪問。 | ||
738年(天平10年) | 1月13日 | 38 | 皇女安倍内親王(孝謙天皇)を皇太子とする。女性初の皇太子。 |
739年(天平11年) | 2月26日 | 39 | 皇后病気のため大赦 |
10月 | 皇后、維摩講を開く | ||
740年(天平12年) | 5月1日 | 40 | 父母の菩提のため一切経を書写する(いわゆる五月一日経)。生母の7回忌。 |
6月19日 | 聖武天皇、諸国で法華経を書写させ、七重塔を建てさせた。 | ||
8月29日 | 藤原広嗣の乱 | ||
10月8日 | 金鐘寺(東大寺の前身)で華厳会。天皇皇后、施入。 | ||
12月 | 恭仁京遷都 | ||
741年(天平13年) | 2月14日 | 41 | 聖武天皇、国分寺・国分尼寺建立を命じる。光明皇后の勧めによるという。 |
742年(天平14年) | 2月1日 | 42 | 聖武天皇、恭仁京の皇后宮に行幸。 |
7月14日 | 光明皇后の令旨で金光明寺(金鐘寺)で安居。 | ||
743年(天平15年) | 5月11日 | 43 | 一切経書写(いわゆる五月十一日経)。 |
10月15日 | 聖武天皇、大仏建立を発願。 | ||
744年(天平16年) | 10月3日 | 44 | 『楽毅論』(夏侯玄が武将・楽毅を論じたもの)を書写。正倉院に現存し、書跡の名品とされる。 |
745年(天平17年) | 5月11日 | 45 | 再び平城京に遷都。旧皇后宮を「宮寺」とする(のちの法華寺)。まもなく「宮寺三綱」が設置された。 |
746年(天平18年) | 3月 | 46 | 聖武天皇、皇太子(孝謙天皇)、光明皇后のため、羂索院(東大寺法華堂)で法華会を営む。 |
10月6日 | 造営中の東大寺大仏、燃燈供養。聖武天皇、光明皇后が行幸。 | ||
747年(天平19年) | 3月 | 47 | 皇后不予のため新薬師寺を創建(東大寺要録)。 |
光明皇后の発願で東大寺講堂の虚空蔵・地蔵・文殊・維摩の像造立が始められる。 | |||
748年(天平20年) | 48 | ||
749年(天平感宝1年/天平勝宝1年) | 1月14日 | 49 | 聖武天皇、皇太后宮子、光明皇后が中島宮で行基を戒師として菩薩戒を受戒。のち皇太子(孝謙天皇)も受戒。光明皇后の法名を万福という。(扶桑略記) |
4月1日 | 聖武天皇、光明皇后・皇太子(孝謙天皇)と共に東大寺に行幸し大仏に参拝。 | ||
7月2日 | 聖武天皇が譲位し、孝謙天皇が即位。以後、藤原仲麻呂が政権内で台頭。 | ||
9月7日 | 皇后宮職を紫微中台と改称。 | ||
750年(天平勝宝2年) | 50 | ||
751年(天平勝宝3年) | 4月 | 51 | |
752年(天平勝宝4年) | 4月1日 | 52 | 孝謙天皇が行幸して東大寺大仏、開眼。続日本紀には聖武天皇・光明皇后の記述はないが、正倉院宝物の礼服御冠残闕の木牌に「太上天皇」「皇太后」と「天平勝宝四年四月九日」とある。 |
753年(天平勝宝5年) | 4月15日 | 53 | 皇太后病気で大赦 |
754年(天平勝宝6年) | 4月5日 | 54 | 東大寺大仏殿前の戒壇で聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇が鑑真から受戒。 |
3月15日 | 孝謙天皇、聖武太上天皇と光明皇太后の平安のために大仏殿に織帳の曼荼羅を作る。 | ||
11月8日 | 孝謙天皇、聖武太上天皇と光明皇太后の平安のために薬師仏を作り、大赦を行う。 | ||
755年(天平勝宝7年) | 55 | ||
756年(天平勝宝8年) | 5月2日 | 56 | 聖武太上天皇、崩御。同日、道祖王を皇太子とする。19日埋葬。 |
6月21日 | 光明皇太后、聖武天皇の49日にあたり、宝物を東大寺に奉納(正倉院宝物)。国家珍宝帳、種々薬帳が現存。 | ||
7月8日 | 光明皇太后、法隆寺に宝物を奉納。 | ||
757年(天平宝字1年) | 1月6日 | 57 | 橘諸兄(光明皇后の異父兄)死去。藤原仲麻呂政権へ。 |
3月 | 皇太子道祖王が廃され、大炊王(後の淳仁天皇)が皇太子となる。 | ||
6月 | 橘奈良麻呂の乱。皇太后宮の鈴・璽を奪取しようとする。 | ||
閏8月17日 | 紫微内相の藤原仲麻呂、興福寺維摩会を再興する。 | ||
758年(天平宝字2年) | 6月4日 | 58 | この年以前に造法華寺司が成立。 |
7月 | 東大寺に屏風・花氈を奉納 | ||
8月1日 | 孝謙天皇譲位。淳仁天皇即位。太皇太后(光明皇后)に尊号を奉り、天平応真仁正皇太后とする。 | ||
8月25日 | 紫微中台を改称して坤宮官と称す。 | ||
10月 | 藤原不比等の書を貼り付けた屏風を東大寺に奉納 | ||
759年(天平宝字3年) | 6月16日 | 59 | 太皇太后の命を受け、淳仁天皇は父の舎人親王を天皇に追尊する。 |
12月23日 | 居宅を捨てて伽藍を建て、法華滅罪寺(法華寺)とする。法名は則真とも。 | ||
760年(天平宝字4年) | 3月13日 | 60 | 皇后の病平癒のため天神地祇を祀る。伊勢神宮や諸社の神職に安穏平復を願わせ、位階を賜う。 |
閏4月28日 | 使を派遣して五大寺(不詳)に奉納。 | ||
6月7日 | 崩御。 |