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鎌倉・安養院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
鎌倉・安養院
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'''安養院'''(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市にある、[[阿弥陀信仰]]と[[観音信仰]]の[[浄土宗]]寺院。[[坂東三十三所霊場]]の第3番札所。[[浄土宗知恩院派]]に所属し、本尊は阿弥陀如来で、札所本尊の'''千手観音'''をともに祀る。'''祇園山田代寺'''、'''田代観音'''ともいう。(参考:同名寺院[[安養院]]) [[泉涌寺]]流の浄土・律・真言を兼学した願行が開いた[[鎌倉・長楽寺]]、[[浄土宗]]鎮西流名越派の祖の尊観良弁が開いた[[鎌倉・善導寺]]、比企谷にあった[[田代寺]]が合併した寺院とされるが、別説もある。 願行(憲静)は、[[源頼朝]]の菩提を弔うため、[[北条政子]]を願主として長楽寺を創建。元は願行が常陸国阿弥陀山(現在地不明)にいたときに頼朝の亡霊が現れたのがきっかけで、政子に説いて、稲瀬川で供養し、嘉禄元年(1225)、長楽寺を建てたという。 のち正慶2年(1333、元弘3年)、兵火で焼失した長楽寺を、善導寺に合併し、開基である北条政子の戒名を取って、安養院と改称したという。 時代は下り、江戸時代の延宝年間(元年とも8年ともいう)、安養院は火災で焼失したため、比企谷にあった田代寺を移して合併して再建したという。 坂東霊場の中で、現在浄土宗を掲げるのは、[[鎌倉・長谷寺]]と合わせて2寺のみである。 尊観良弁の墓、北条政子の墓がある。 (金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』) [[category:神奈川県]]
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