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北京・棲隠寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
北京・棲隠寺
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'''棲隠寺'''(せいいんじ)は、中国北京市門頭溝区、市街地中心部から西北30kmの山中にある寺院。'''仰山棲隠寺'''、'''仰山寺'''。[[イ仰宗]]の発祥地となった仰山棲隠寺(江西省宜春市袁州区)とは別の寺院である(参考:同名寺院[[棲隠寺]])。 遼代の創建とされるが、存在がはっきりするのは金代以降という。松木民雄は大定20年(1180)、鎌田茂雄は大定24年(1184)に金5代皇帝'''世宗'''が創建したとしている。'''玄冥禅師顗公'''を開山とし、一万人の僧がいたと記されている。6代章宗はしばしば寺に行幸したという。[[曹洞宗]]の高僧'''万松行秀'''が住したことでも知られる。明代には荒廃し、それを見た西域出身の吉祥上師が再建を願ったが果たせず、弟子の智広が永楽年間に修復した。正統年間、天順年間にも修復が行われた。 清代の乾隆年間(1736-1795)には廃寺となっていた。松木民雄が調査したときも跡地のみだったが、近年、再興されたようだ。 丸塔、六角塔の古塔2基と「仰山棲隠寺重修碑」「祖師弁公大和尚道行碑」(断片のみ)が残っている。 == 参考文献 == *鎌田茂雄、2001『新中国仏教史』大東出版社 *松木民雄、1998「北京・棲隠寺の仏塔と碑文」『北海道東海大学紀要 人文社会科学系』11 [[Category:中華人民共和国北京市]]
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