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大念仏寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大念仏寺
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'''大念仏寺'''(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある、[[融通念仏宗]]総本山の[[阿弥陀信仰]]寺院。本尊は、'''十一尊天得如来'''。[[良忍]]が創建したとされる。[[天台宗]][[妙法院門跡]]の[[院家]][[勝安養院]](のち[[日厳院]])を兼務した。(参考:同名寺院[[念仏寺]]) ==本尊== *十一尊天得如来 ==歴代住職== *1'''[[良忍]]'''(1072-1132): *2厳賢良恵(1089-1148):[[神峰山寺]]開山。 *3明応良感 *4観西良信 *5尊永隆阿 *6良鎮護阿(?-1182):以後、しばらく中絶。 *7'''[[法明良尊]]'''(1279-1349):中興。 *8興善修観 *9法阿乗空 *10道善心観 *11道円融阿 *12幸阿称観 *13本阿法空 *14道音良響 *15浄善恵観 *16明教円忍 *17法円教観 *18性阿覚法 *19妙阿故観 *20道従良真 *21道永観阿 *22道法任空 *23道通良融 *24浄蓮法観 *25幸観道祐 *26妙恵道観 *27法清空観 *28道融観山 *29法融加空 *30道阿助空 *31道観良阿 *32道融良勝 *33良斉道融 *34宗円頓空 *35良古法禅 *36道和良説:近世の記録では、(それまで挽道場だったのが)道和の時代の元和元年(1615)に平野荘代官の'''末吉孫左衛門'''から寺地を寄進され、現在地に定着したともいう<ref>『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。</ref>。 *37法順良宜 *38法覚良円:『法覚縁起』という絵伝(狩野安広画)が大念仏寺に残る。 *39法善良厳 *40道祐良覚 *41清雲良月:[[大原南坊]]との争論が始まる。 *42崇厳良実(?-1660):『融通念佛宗 その歴史と遺宝』には「崇権」とある。就任後、大原南坊に追い出される。 *43舜空良恵(1599-1674):寛文元年(1661)、幕府より大念仏寺は天台宗寺院ではないという裁許を得る。本堂造営。この頃から史料(末寺に下賜した本尊の裏書)に「大念仏寺」の名が確認できるという。 *44崇観隆明 *45良観覚意:末寺帳を作成。 *46'''[[大通融観]]'''(1649-1716):元禄元年(1688)に幕府より宗門再興の裁許を受ける。「融通念仏宗」の名が史料に確認できるのはこれ以降という。『融通念仏縁起』を出版。来迎会を復興。住職任命を従来の[[六別時]]からのくじ引きではなく、本山の権限とした。 *47忍通融海:三条西実教の子。以後、[[勝安養院]]を兼務。 *(龍海融天):本山執権 *48信海通存:勧修寺尹隆の養子。 *49堯海通弘:勧修寺顕道の子。 *50洞海通天:勧修寺経逸の子。 *51真海通法:勧修寺経逸の子。洞海通天の弟。 *52教弥通津:勧修寺経則の養子。冷泉家出身。明治元年8月、勝安養院に代わり[[日厳院]]を兼務。 *53教寛通仁:勧修寺顕彰の養子。 *54秦慈嶺(慈嶺真教) *55秦教忍(教忍義雲):唐橋在綱の子。 *(霊厳):事務取扱。梅原霊厳? *56得善清凉 *57唐橋泰教:唐橋在綱の子。教忍義雲の弟。 *58梅原霊厳: *59山上戒全(-1947) *60西洞院時雄 *61本霊禅山 *62田代尚光 *63 *64 *65白井慈勲(-2008): *66倍巌良舜(1922-):現職。 (58代までは『日本仏家人名辞書』。59代から62代までは『日本仏教基礎講座』) ==参考文献== *『日本仏家人名辞書』 *融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』 *大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』 *明治41『融通念仏宗々憲宗規』 ==脚注== <references/> [[category:大阪府]]
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