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修験道
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
修験道
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'''修験道'''(しゅげんどう)は、日本在来の山岳信仰を基盤とし、[[神道]]、[[仏教]](特に[[密教]])、[[道教]]などと習合しながら成立した日本の宗教。森羅万象は[[大日如来]]の化身と捉える密教思想を背景に、[[蔵王権現]]や[[不動明王]]などを中心的尊格とする。明治初年に政府の弾圧を受けて、廃絶とされた経緯があり、現在では仏教教団として存続しているものが多い。根本道場は、開祖[[役小角]]が開いた、[[吉野]]・[[熊野]]を結ぶ[[大峰山]]にある[[大峰山寺]](および[[金峰山寺]])である。主に[[天台宗]]([[寺門派]])の[[聖護院]]を本山とする[[本山派]]と、[[真言宗]]の[[醍醐寺三宝院]]を本山とする[[当山派]]に分かれる。[[葛城山]]も開祖修行地として重要視されている。地方では、東北地方の[[出羽三山]]、九州の[[英彦山]]、中国地方の[[五流修験]]などが有力で、独立傾向が強い。特に出羽三山は開祖を役小角ではなく、[[蜂子皇子]]としており、独自性を打ち出している。また[[富士山]]、[[石鎚山]]、[[木曽御嶽山]]もガラパコス的発展を遂げ、修験道からは半ば独立したような固有の世界を形成している。また天台密教、真言密教の総本山である[[比叡山]]や[[高野山]]でも修行が行われた。 ==歴史== ===役小角の伝説=== ===古代=== *[[最澄]]や[[空海]]が霊山を開く。 *[[日光山]]など開かれる。 ===中世=== *[[熊野信仰]]が興隆。熊野詣が流行。 *大和国の大寺院を中心とした修験教団が形成。後の当山派。 ===近世=== *幕府が[[本山派]]、[[当山派]]を改めて認定 *[[富士信仰]]の中で、[[角行系富士信仰]]が成立 *[[木曽御嶽信仰]]が成立 ===近代=== *神仏分離・廃仏毀釈と修験道廃止 *[[教派神道]]教団の成立 *修験道教団の復興と再編成 ==信仰== ==人物== *[[役小角旧跡]] *[[修験道の諸師旧跡]] *[[修験道の本山寺院]] ==宗派・教団== ===歴史的・伝統的な宗派・流派=== (「◼︎◼︎修験」という言い方は様々なニュアンスがあるが、ここではその地域に拠点とする教団と宗教伝統を意味する) *中央霊場に拠点を置く教団 **'''[[吉野修験]]''':修験道の根本道場とされる吉野の[[大峰山]](金峰山)で行われる修験。'''大峰修験'''('''大峯修験''')ともいう。吉野から熊野に至る奥駈道を修行場とする。 **'''[[熊野修験]]''':[[熊野三山]]を拠点とする修験。奥駈道を通じて吉野とつながっており、訪れる人も重なることから吉野修験との区別は曖昧な点がある。 **'''[[葛城修験]]''':修験道の発祥地とされる[[葛城山]]を拠点とする修験。 **'''[[比叡山修験]]''':[[比叡山]]で行われる修験。回峰修行。 *全国に配下を持つ教団: **'''[[本山派]]''':[[天台宗寺門派]]の[[聖護院門跡]]を本山とする修験道教団。平安時代、[[白河上皇]]の熊野行幸の先達を務めた[[増誉]]を熊野三山検校に任命し、聖護院を与えたのが始まり。全国の熊野先達を統率したのを軸として山伏支配を行った。 **'''[[当山派]]''':[[真言宗古義派]]の[[醍醐寺三宝院門跡]]を本山とする修験道教団。醍醐寺を創建した平安時代の真言宗僧[[聖宝]]を開祖に仮託する。実際には大和国の有力先達による集団を母体に形成され、のちに醍醐寺三宝院を本山として奉じたともいう。 *地方霊場を拠点とし、さらに周辺地域に影響力を持った地方教団 **'''[[出羽三山修験]]''':出羽国(山形県)の[[出羽三山]]を根本道場とする修験道教団群。特に[[羽黒山]]を中心とする天台宗の流派と修行体系を指して'''羽黒修験'''と呼ぶ。近世、寛永寺末となり本山派に入らなかったため、'''修験道羽黒派'''とも呼ばれる。またそれとは別に[[湯殿山]]を中心とした[[真言宗]]系の修験宗派もあり、'''一世行人'''と呼ばれる行者の任命権を保持し、東北地方各地に末寺を擁した。 **'''[[英彦山修験]]''':[[英彦山]]を拠点とした天台宗の修験道教団。九州各地に配下を持った。座主は[[後伏見天皇]]の皇胤が世襲したとされる。廃仏棄釈で廃絶。近世は本山派の末寺取り込みに抵抗の末勝訴し、寛永寺末となった。そのため、'''修験道英彦山派'''とも呼ばれる。 **'''[[五流修験]]''':[[五流尊瀧院]]を拠点とした天台宗の修験道教団。児島半島を領土とした。現在に至るまで[[後鳥羽天皇]]の皇胤が首長を務める。近世は本山派の配下となった。 **'''[[宝満山修験]]''':[[宝満山]]を拠点とした天台宗の修験道教団。[[大宰府]]設置以来、あるいは[[最澄]]以来の歴史を持つ。近世、同じ九州を代表する霊山である英彦山のようには独立を維持できず、本山派の傘下に入ったが、英彦山と対等の格式を保った。廃仏棄釈で廃絶。 *近世・近代に勃興した山岳系宗教 **'''[[木曽御嶽信仰]]''':信濃国(長野県)の[[木曽御嶽山]]を根本道場とする山岳宗教。江戸時代後期の[[覚明]]・[[普寛]]が創始。天台宗の影響が強いがそれにとらわれない。多数の教団・講社がある。御座(おざ)と呼ばれるシャーマニズム儀礼と、亡くなった行者を神として祀る霊神碑建立が特徴。関東地方と東海地方を中心に広まる(長野県にはそれほど多くはない)。影響下の霊山も各地にある。 **'''[[角行系富士信仰]]''':甲斐国(山梨県)・駿河国(静岡県)の[[富士山]]の神を奉斎する山岳宗教系の宗教伝統。江戸時代初期の角行が創始し、江戸時代中期の身禄が活躍し、江戸を中心に広まった。多数の教団・講社がある。関東地方各地に[[富士塚]]を築造したのが特徴。 **'''[[石鎚山信仰]]''':伊予国の[[石鎚山]]を拠点とする山岳宗教。多数の教団・講社がある。四国や中国地方で信仰される。 ===現在の教団=== *[[金峯山修験本宗]]:[[金峰山寺]]を本山とする吉野修験の教団。 *[[真言宗醍醐派]]:[[醍醐寺]]、[[三宝院]]を本山とする当山派の教団。ただし修験以外の寺院も含む。 *[[本山修験宗]]:[[聖護院]]を本山とする本山派の教団。 *[[修験道本庁]]:[[五流尊瀧院]]を本山とする五流修験の教団。 *[[真言宗犬鳴派]]:[[七宝瀧寺]]を本山とする葛城修験の教団。 *[[天台寺門宗]]:[[園城寺]]を本山とする本山派の教団。本来は修験以外がメイン。 *[[御嶽教]]:奈良県に本部を置く[[木曽御嶽信仰]]の教団 *[[木曽御嶽本教]]:[[黒沢御嶽神社]]を母体とする木曽御岳信仰の教団 *[[扶桑教]]:東京都世田谷区に本部を置く[[角行系富士信仰]]の教団。 *[[石鎚本教]]:[[石鎚神社]]を母体とする[[石鎚信仰]]の教団。 *[[真言宗石〓派]]:[[前神寺]]を本山とする石鎚信仰の教団。 *[[石鎚山真言宗]]:[[伊予・極楽寺]]を本山とする石鎚信仰の教団。 *[[大山阿夫利神社本庁]]:[[大山阿夫利神社]]を中心とする教団。 *白山教:[[白山比咩神社]]を中心とする教団。のち解散。 *([[鞍馬弘教]]) == 霊山と聖地 == *[[吉野山]] **[[金峰山寺]] **[[大峰山寺]] *[[熊野三山]] *[[醍醐寺]] *[[聖護院]] *[[比叡山]] *[[高野山]] *[[葛城山]] *[[出羽三山]] *[[英彦山]] *[[五流修験]] *[[石鎚山]] *[[木曽御嶽山]] [[修験道の本山寺院]] ===日本の霊山一覧=== ==参考文献==
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