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霊雲寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
霊雲寺
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'''霊雲寺'''(れいうんじ)は、東京都文京区にある[[真言宗]]・[[律宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は両部2体の[[大日如来]]。江戸時代、戒律復興運動の先駆けとなった[[浄厳]]が将軍徳川綱吉の帰依を受けて創建した。関東真言律の本寺とされ、[[西大寺]]末の[[江戸触頭]]だった。[[新安祥寺流]]の拠点。現在は[[真言宗霊雲寺派]]総本山。宝林山。大悲心院、仏日院。(参考:同名寺院[[霊雲寺_(同名)]]) == 歴史 == 浄厳は、名声を聞いた将軍寵臣の柳沢吉保の推薦で徳川綱吉に謁見。江戸駐錫の地として湯島に3500坪を賜り、元禄4年(1691)、霊雲寺を創建。さらに元禄7年(1694)、関八州真言律の本寺と定められた。元禄10年に結縁灌頂を開き、9万人が集まったという。翌年1月には国家鎮護のために大元帥法を執り行った。 高崎の[[頼政神社]]が一時遷座していたことがある。 明治12年(1879)、内務省の要請を受けた真言宗は高野山大学林学頭で[[勧修寺門跡]]の釈雲照(渡辺雲照)を委員長として各派代表95人を霊雲寺に集め、教学の統一を話し合う大成会議を開催。雲照は戒律復興を掲げた。雲照は明治16年(1883)12月16日、戒律興隆のための結社として十善会を設立し、霊雲寺で大会を開いた。 明治19年(1886)、別格本山となる。関東大震災、東京大空襲で被災。近代には[[高野山]]の末寺となっていたが、昭和22年、[[高野山真言宗]]を離脱して[[真言宗霊雲寺派]]を設立した。 == 伽藍と塔頭 == *本堂:金剛界大日如来と胎蔵界大日如来を祀る。右に不動明王、左に愛染明王があった。昭和51年再建。灌頂堂とも。 *祈祷殿:[[大元帥明王]]。徳川綱吉直筆の画像だった。堂宇と画像共に関東大震災で焼失。大元堂とも。 *開山堂:江戸名所図会にはあるが、今はない。 *鎮守:賀茂・稲荷・八幡を合祀。江戸名所図会にはあるが今はない。 *[[妙極院]]:台東区池之端にある境外塔頭。浄厳の墓がある。 *智厳院 *五大院 *蓮光院 *宝光院 *五智院 *福厳院 == 組織 == ===住職=== *1[[覚彦浄厳]](1639-1702) *2慧光(1666-1734):のち[[東大寺戒壇院]]長老となる。 *3慧曦(1679-1747) *4法明 *5光海 *6極妙 *7霊麟 *8智明 *9円海 *10常照 *11智定 *12義栄 *13日野開塔:出家した河鍋暁斎が師事。 *14智龍 *15光野正行 *16真融 *17法麟 *18宥厳 *19教厳 *20高山自宝 *21大仙 *22鈴木義定 *23浅賀正弘 *24一月正空:[[一月寺]]出身? *25瀬間智川 *26羽生昌彦 *27孝義 (『霊雲叢書解題』、霊雲寺ウェブサイトほか) ==参考文献== *霊雲寺ウェブサイト *真言密教聖典1915 *天明、真言律宗霊雲寺末寺院牒 [[Category:東京都]]
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