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熊坂・専修寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
熊坂・専修寺
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'''専修寺'''(せんじゅじ)は、越前国坂井郡熊坂(福井県あわら市熊坂)にあった[[浄土真宗]]の[[浄土真宗の本山寺院|本山級寺院]]。伊勢[[専修寺]]の後継争いで追放された11世[[真智]]が創建。畠中に移って再建。江戸時代、伊勢専修寺の訴えで廃絶となった。[[西雲寺]]と[[越前・法雲寺|法雲寺]]が後継寺院。跡地には真智の墓所がある。'''熊坂専修寺'''。'''畠中専修寺'''。'''法性寺'''。(参考:同名寺院[[専修寺_(同名)]]) ==歴史== 真智は、[[後柏原天皇]]の皇子(常盤井宮恒直親王の王子とも)とされ、常盤井宮と称していた。招かれて専修寺11世となるが、前代の弟子(実子?)の応真が後継者を主張。越前に多かった古くからの末寺は真智を支持し、伊勢の新しい末寺は応真を支持した。大永2年(1522)、両派は和議を結び、真智は応真の弟子となり、越前に滞在したままとすることになった。当初、真智は坂北郡兵庫の西林坊に滞在したが、朝倉義景の寄進を受け、熊坂専修寺を創建した。専修寺4世専空が熊坂道場を開いた地ともいう。『和漢三才図会』によると、専空から10世真慧の時まで専修寺はこの地にあったという。伊勢専修寺の応真が死去すると、その跡に尭慧が入り、対立が表面化。三河や越前の大寺が熊坂専修寺を支持するが、真智が死去。2代真空もまもなく亡くなると、寺地は伊勢専修寺に返納され、廃絶となった。真能という僧が慶長末年に丹生郡畠中(福井県福井市畠中)に専修寺を復興('''畠中専修寺''')。福井藩が寺領を寄進したが、寛永11年、伊勢専修寺が幕府に訴え、敗訴。末寺は強制的に転派させられた。しかし、畠中専修寺は法性寺と名前を変えて活動。寛文3年、再び伊勢専修寺に訴えられて破却された。残された僧侶・門徒が転派したが[[西雲寺]]や[[越前・法雲寺]]を建てた。 畠中専修寺には実浄坊、法泉坊、海定坊、勧明坊、真行坊の塔頭があった。 ==歴代== *1真智() *2真空() *3真能() *4真教() *5専誉() ==関連寺院== 真智を擁立した有力寺院 *明眼寺:愛知県岡崎市大和町。現在は妙源寺。真宗高田派。 *満性寺:愛知県岡崎市菅生町。真宗高田派。 *専光寺:福井県あわら市角屋。廃絶。新郷専光寺。加賀専光寺やあわら市二面の安養院が後身。 *西光寺:福井市坂井市坂井町兵庫。真宗高田派。現在はあわら市中川。 *勝鬘寺:福井県福井市風尾町。真宗高田派。 *専西寺:福井県大野市。現在は真宗仏光寺派西応寺。 ==参考文献== *『日本仏教基礎講座』 [[category:福井県]]
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