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泉涌寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
泉涌寺
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'''泉涌寺'''(せんにゅうじ)は、京都府京都市東山区にある、[[皇室]]ゆかりの[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。皇室菩提寺の代表格で、多くの天皇を葬った[[泉山陵墓地]]がある。起源は諸説あるが、天台僧の[[俊芿]]が中興して以降、天台・密教・律・禅・浄土の道場として栄えた。[[律宗|北京律]]の拠点であり、かつては宋風[[浄土教]]の拠点でもあった。[[東寺]]大勧進も兼ねた。[[舎利信仰]]も盛んだった。現在は[[真言宗泉涌寺派]]の総本山である。[[門跡寺院]]ではないが、近代にはそれに準ずるものとして尼門跡相当である[[御由緒寺院]]とされた。'''御寺'''。月輪山。泉山。 ==組織== ===住職=== 長老 *1[[俊芿]](1166-1227):律宗泉涌寺流の開祖。泉涌寺開山。月輪大師、大興正法国師。 *2心海:俊芿の弟子。 *3定舜(?-1244):俊芿の弟子。[[海龍王寺]]で[[叡尊]]や覚盛らに律を講義する。南都の戒律復興運動に影響を与えると共に、泉涌寺と唐招提寺・西大寺の関係を深くした。(『国史大辞典』) *4月翁智鏡(生没年不詳):俊芿、定舜の弟子。入宋。[[蘭渓道隆]]と親交を結び、来日を勧めた。明観とも。[[泉涌寺来迎院]]に住した。[[浄土教]]に関心を寄せた。[[証空]]と討議したという。 *5思允 *6憲静(?-1295):願行房。[[高野山宝寿院]]や鎌倉[[理智光寺]]、[[大楽寺]]、[[鎌倉・安養院]]を創建。[[相模・大山寺]]を再建。東寺大勧進職となり、[[東寺]]を復興。 *7覚阿 *8智元 *9大燈源智:[[覚園寺]]2世。 *10全信 *11智山 *12思淳 *13玄勇 *14全皎 *15知一 *16曇喜 *17教基 *18仙超 *19全甫 *20拙叟全珍 *21竹巌聖皐(1324−1402):拙叟全珍の弟子。龍華院、雲龍院を開く。 *22信〓 *23宗皇 *24教〓 *25聖券 *26全俊 *27基晏 *28聖瑩 *29虚庵聖序 *30徳海教信 *31全安 *32聖汎 *33良友 *34久翁聖永 *35善瑩 *36祚尚 *37全威 *38聞勝 *39明範 *40聖什 *41聖授 *42一翁信契(生没年不詳) *43聖安 *44信洪 *45松岳舜〓(?-1491):〓は「示帝」 *46〓安 *47性堂教見(1405-1496) *48春嶽全長(?-1491) *49友雲聖憺(?-1497) *50悦岩宣沢(?-1489) *51雄峰聖英(?-1517):自坊は[[繁多寺]]。如導派の僧。 *52仁甫善悌(生没年不詳):如導派の僧。 *53先白善叙(1437-1510):三条西実隆と親交。1年前後の任期が慣例となっていた中、12年にわたり長老を務め、皇室との関係強化と如導派の駆逐に尽力した。(『中世後期泉涌寺の研究』) *54明叟聖鏡(1453-1520):善叙の弟子。 *55明江珠顕:頼忠ともいう。今川義忠の弟。[[遍照光寺]]から晋山。慶寿寺(静岡県島田市)を創建。 *56昭菴恵鑑:遍照光寺から晋山。 *57定覚 *58松峰 *59教因 *60玉宝 *61徳海 *62宣静 *63聖見 *64喜渓長悦(-1548): *65照範 *66英範 *67明甫聖讃(-1552): *68聖厳 *69象耳泉奘(1518-1588):[[唐招提寺]]長老。今川義元の兄。遍照光寺から晋山。(略歴は、[[唐招提寺#組織]]を参照) *70長円 *71長性 *72紹意 *73長海 *74明韶 *75照珍(1555-1628):唐招提寺長老。[[法金剛院]]住職。(略歴は、[[唐招提寺#組織]]を参照) *76玉雅 *77玉秀 *78元昶 *79覚宥 *80正専 *81宣亮 *82照岳 *83照周 *84元統 *85円巌玉周(生没年不詳): 唐招提寺長老。 *86周堅 *87正瑞 *88元允 *89韶興 *90元恭 *91千紅 *92覚明 *93一如 *94照山恵晃(1656-1737):唐招提寺長老。(略歴は、[[唐招提寺#組織]]を参照) *95宗恕祖元 *96稽叔 *97義通 *98恒鑑 *99元珉 *100戒〓 *101心敞 *102高旭 *103大千照洲:唐招提寺長老。玉周に師事。 *104元珍 *105弁什 *106義諦 *107竺盈 *108義林 *109正周 *110高賢 *111義敬 *112本従 *113元祐 *114元一 *115元諦 *116顕粛 *117忍随 *118本随 *119龍照 *120玉豊 *121了諦 *122宜応 *123覚如 *124海充 *125真浄 *126正成 *127周光 *128妙道 *129如実 *130正堅 *131元継 *132思欽 *133実然 *134良応 *135実成 *136存肇 *137妙敬 *138密乗 *139覚順 *140完愚 *141承整 *142義遵 *143佐伯旭雅:のち[[随心院門跡]] *144義潭 *145法遵 *146智等 ==伽藍== 子院に[[雲龍院]]、[[今熊野・観音寺]]、[[泉涌寺悲田院]]、[[戒光寺]]などがある。[[泉山陵墓地]]、[[解脱金剛宝塔]]がある。 <gallery> File:Sennyuji_003.jpg|泉涌寺 門 File:Sennyuji_014.jpg|泉涌寺 門 File:Sennyuji_002.jpg|泉涌寺 仏殿 File:Sennyuji_004.jpg|泉涌寺 舎利殿 File:Sennyuji_009.jpg|泉涌寺 本坊 File:Sennyuji_011.jpg|泉涌寺 本坊 File:Sennyuji_008.jpg|泉涌寺 御座所 File:Sennyuji_010.jpg|泉涌寺 御座所・霊明殿 File:Sennyuji_020.jpg|泉涌寺 霊明殿 File:Sennyuji_021.jpg|泉涌寺 霊明殿 File:Sennyuji_005.jpg|泉涌寺 開山堂 File:Sennyuji_006.jpg|泉涌寺 開山堂 File:Sennyuji_019.jpg|泉涌寺 湧水 File:Sennyuji_001.jpg|泉涌寺 鎮守 File:Sennyuji_012.jpg|泉涌寺 浴室 File:Sennyuji_013.jpg|泉涌寺 楊貴妃観音 File:Sennyuji_007.jpg|泉涌寺 戸田忠至碑 File:Sennyuji_015.jpg|解脱会 解脱金剛宝塔 File:Sennyuji_016.jpg|解脱会 解脱金剛宝塔 File:Sennyuji_017.jpg|解脱会 解脱金剛宝塔 </gallery> ==霊明殿== {|class="wikitable" style="float:right;width:350px;" |+ 泉涌寺霊明殿 尊牌像一覧 !style="width:10%"|歴代 !style="width:40%"|名 !style="width:10%"|歴代 !style="width:40%"|名 |- |038 |天智天皇 |100 |後小松天皇 |- |049 |光仁天皇 |101 |称光天皇 |- |050 |桓武天皇 |102 |後花園天皇 |- |052 |嵯峨天皇 |103 |後土御門天皇▲ |- |053 |淳和天皇 |104 |後柏原天皇▲ |- |055 |文徳天皇 |105 |後奈良天皇▲ |- |056 |清和天皇 |106 |正親町天皇▲ |- |058 |光孝天皇 | |陽光太上天皇● |- |060 |醍醐天皇 |107 |後陽成天皇▲ |- |062 |村上天皇 |108 |後水尾天皇● |- |065 |花山天皇 |109 |明正天皇● |- |072 |白河天皇 |110 |後光明天皇● |- |077 |後白河天皇 |111 |後西天皇● |- |080 |高倉天皇 |112 |霊元天皇● |- |081 |安徳天皇 |113 |東山天皇● |- |082 |後鳥羽天皇* |114 |中御門天皇● |- |083 |土御門天皇 |115 |桜町天皇● |- |086 |後堀河天皇● |116 |桃園天皇● |- |087 |四条天皇*● |117 |後桜町天皇● |- |091 |後宇多天皇 |118 |後桃園天皇● |- |096(南朝01) |後醍醐天皇 |119 |光格天皇● |- |097(南朝02) |後村上天皇 |120 |仁孝天皇● |- |北朝01 |光厳天皇 |121 |孝明天皇● |- |北朝02 |光明天皇 |122 |明治天皇 |- |北朝03 |崇光天皇 |123 |大正天皇 |- |北朝04 |後光厳天皇 |124 |昭和天皇 |- |北朝05 |後円融天皇 | | |- |colspan="4"| *全51位。 *「*」は像。 *「●」は泉山陵墓地に陵墓がある天皇。「▲」は泉山陵墓地に灰塚がある天皇。 *出典:祖風宣揚会 1915年(大正4年)『皇室と真言宗』8頁、泉涌寺ウェブサイト *この他に、皇后親王などの皇族の位牌も祀られている。 |} 霊明殿は、歴代天皇皇族を祀る霊廟である。奉斎されている天皇については右表を参照。 1669年(寛文9年)に伽藍復興に際にも造営されたものと思われる。場所は現在の位置と変わっていない(「泉涌寺新伽藍図」)。明治維新に伴う皇室祭祀の神式化によって廃された、歴代天皇皇族の位牌が[[恭明宮]]を経て、この霊明殿に遷座合祀された。もとは[[御黒戸]]や各寺院に祀られていたものであった。 1882年(明治15年)に焼失したが、1884年(明治17年)、明治天皇によって再建された。 <gallery> File:Sennyuji_020.jpg|泉涌寺 霊明殿 File:Sennyuji_021.jpg|泉涌寺 霊明殿 ファイル:Reimeiden.jpg|後西天皇勅額の筆「靈明」 </gallery> [[category:京都府]]
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