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大安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大安寺
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'''大安寺'''(だいあんじ)は、奈良県奈良市にある[[真言宗]]寺院。現在の本尊は[[十一面観音]]。古代の代表的な[[官寺]]で七大寺・四大寺の一つ。[[南都仏教]]の代表的寺院の一つ。高野山真言宗。'''大官大寺'''。'''百済大寺'''。'''高市大寺'''。'''南大寺'''とも。[[聖徳太子]]が建てた[[熊凝精舎]]に由来し、[[飛鳥]]などを経て[[平城京]]に移された。この時、唐から帰国した道慈が[[長安]]の[[長安・西明寺|西明寺]]を模して伽藍を建てたともいう。鎮守として[[大安寺八幡宮]]がある。[[大安寺関連旧跡]]も参照。多くの名僧がここで学び、また立ち寄っている。[[勤操]]、[[空海]]、[[行教]]の旧跡。(参考:同名寺院[[大安寺_(同名)]]) == 概要 == == 歴史 == ===古代=== [[聖徳太子]]が創建した[[熊凝精舎]]が起源。639年、[[舒明天皇]]が精舎を百済河畔に移し、百済大寺と呼ばれた。恵妙が寺主となっている。673年、飛鳥に移転し、高市大寺と称す。671年、大官大寺と改称。701年、造大安寺司を設置。716年、左京六条四坊の現在地に移転した。近くには[[佐伯院]]があった。『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳』が編纂される。古代には三論宗や華厳宗の拠点として栄えた。中世以降、伽藍は衰退。 ===中世=== 禅慧が復興。西大寺流真言律宗の寺院となる。 ===近代=== 大正10年(1921)、史跡指定。 ==組織== ===大安寺別当=== *[[空海]] *扶公(966-1035): *隆禅(1038-1100):大乗院門跡の開山。 *聖慶(1153-1175): *成宝(1159-1227):のち東寺長者。 *頼恵(1168-1235): *宗性(1202-1278): *道宝(1214-1281): (大安寺別当次第[http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=29444]) ===長老=== *1禅慧:[[叡尊]]・覚盛らと共に自誓受戒した[[不空院]]円晴の弟子という。 *2玄基:叡尊の弟子。[[住吉大社]]社家の津守家出身。興道房。 ===近現代住職=== *河野清晃(1906-2001):福岡県の医師の家に生まれる。高野山総持院で得度。高野山大学卒。1940年、大安寺貫主に就任し、復興に尽力。また日独親善に努めた。 *河野良文(1951-):福岡県生まれ。高野山大学卒。タイに留学。2002年、大安寺貫主就任。 ==伽藍・子院== *西唐院 [[category:奈良県]]
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