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立政寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
立政寺
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'''立政寺'''(りゅうしょうじ)は、岐阜県岐阜市にある[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[浄土宗西山禅林寺派]]。山号は亀甲山。 ==歴史== 開山の智通(1314-1403)は、[[吾妻・善導寺]]2世円光の弟子で、光居菩薩と呼ばれる。文和2年(1353)、[[伊勢神宮]]参詣に赴く途中の智通がこの地に滞在して領主住民の帰依を得た。翌年、領主が智通に土地などを寄進して寺院を創建。同年、南朝の攻撃を避けて[[美濃・瑞巌寺]]に滞在中の後光厳天皇のところに関白二条良基が智通を招いて天下静謐を祈願させた。この縁で、翌年、'''立政寺'''の名を与えられ、[[勅願寺]]となった。永徳2年(1382)には[[二条家]]の祈願所となった。至徳3年(1386)には代々黄衣着用許可、明徳2年(1391)には代々[[紫衣]]着用許可を得た。のち後土御門天皇からも祈願所とされた。永禄11年(1568)、[[織田信長]]に奉じられた足利義昭が上洛の前に滞在。[[徳川家康]]も関ケ原の戦いに赴く途中に立ち寄ったという。多くの中世文書を所蔵する。光居智通の墓がある。(日本歴史地名大系) [[category:岐阜県]]
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