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長谷寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
長谷寺
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'''長谷寺'''(はせでら)は、奈良県桜井市にある、[[長谷観音信仰]]の中心となる[[真言宗]]寺院。日本を代表する[[観音信仰]]の寺院で、[[真言宗豊山派]]総本山。[[西国三十三所観音霊場]]第8番札所で、同霊場の発祥地といえる寺院。大和国式上郡。[[徳道]]が創建。[[定額寺]]。[[長谷寺関連旧跡]]も参照。鎮守は[[瀧蔵神社]]、[[与喜天満神社]]など。(参考 同名寺院[[長谷寺 (同名)]]) ==伽藍と塔頭== *本堂 *開山堂 *御影堂 *大黒堂 *六角堂 *道明墓所 *愛染堂 *藤原定家塚 *隔夜堂 *蔵王堂 *地蔵堂 *本長谷寺 *五重塔 *三重塔 *経蔵 *奥之院 **祖師堂・陀羅尼堂 **専誉墓 **豊臣秀次供養塔 *鎮守 **瀧蔵神社 **三社権現 **与喜天満神社 **素盞雄神社 **白山権現 **三百余社 **三部権現社 **馬頭夫人社 *小池坊:本坊。大講堂がある。 *長谷六院 **歓喜院 **梅心院 **慈眼院 **金蓮院 **月輪院 **清浄院:廃絶。跡地に宗宝蔵(宝物館)がある。 *普門院:不動堂がある。 *本願院:徳道の住坊跡 *能満院 *[[法起院]]:徳道の墓所。 ==組織== ===住職(古代)=== 長谷寺別当 *1道明(生没年不詳):[[川原寺]]住職。 *2[[徳道]](656-?): *3賢〓: *4玄隣: *5行賀(729-803):興福寺別当3世。 *6安凝: *7永実: *8最忠: *9勝伐: *10修円(771-835):興福寺別当4世。室生寺開山。 *11智照: *12真日: *13蓮舟: *14仁〓: *15延爾: *16一和: *17平伝: *18明久: *19貞授: *20実算: *21真命: *22寿勢: *23観照: *24綱理: *25明憲: *26快公: *27真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。 *28明懐(988-1072):興福寺別当26世。 *29頼信(1010-1076):一乗院門跡4世。 *30俊範: *31公範:興福寺別当28世。 *32済尋: *33隣禅(1038-1100):[[興福寺大乗院]]開山。[[大安寺]]別当。興福寺権別当。「隆禅」? *34頼実:大乗院門跡2世。 *35宗覚: *36尋範(1101-1174):大乗院門跡3世。 *37宗覚:再任。 *38定懐: *39玄縁:興福寺別当43世。 *40尋忠: *41信円(1153-1224):大乗院門跡4世。 *42実尊(1180-1236):大乗院門跡5世。 *43円実(1214-1272):大乗院門跡6世。 *44尊信(1226-1283):九条教実の子。興福寺別当。大乗院門跡8世。 *45慈信:大乗院門跡9世。 *46尋覚(1282-1318):大乗院門跡10世。 *47覚尊:大乗院門跡11世? *48慈信:再任。 *49聖信:大乗院門跡12世。 *50覚尊:再任。 *51聖信:再任。 *52覚尊:再任。 *53孝覚(1319-1368):九条房実の子。大乗院門跡13世。薬師寺別当、橘寺別当。興福寺別当。 *54教尊: *55教信: *56孝尋(?-1428):大乗院門跡15世。 *57教円:「孝円」(大乗院門跡17世)か? *58経覚(1395-1473):大乗院門跡18世。 *59尋尊(1430-1508):一条兼良の子。興福寺別当。大乗院門跡20世。薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。 *60政覚:大乗院門跡21世。 *61尋尊:再任 *典拠:『日本仏家人名辞書』。「36代」が続けて二人書かれているが、誤植とみなした。 ===住職(近世以降)=== 能化(のうけ)、化主(けしゅ)と称し、明治以後は真言宗豊山派管長も兼任。 {|class="wikitable" |- !style="width:5%" |歴代 !style="width:10%" |名 !style="width:10%" |生没年 !style="width:10%" |在職年 !style="width:65%" |備考 |- |1 |専誉 |1530-1604 |1584-1604 |豊山派開祖。玄誉の弟子。1584年(天正12年)、能化就任。根来焼討の後、[[和泉国分寺]]に逃れる。1587年(天正15年)豊臣秀長に請われて長谷寺に入る。 |- |2 |性盛 |1537-1609 |1604-1609 |玄誉に師事。根来焼討後、[[因幡堂]]に滞在。[[清閑寺]]、[[上品蓮台寺]]を復興して長谷寺に晋山。 |- |3 |宥義 |1546-1618 | |[[徳川家康]]と懇意だったという。 |- |4 |秀算 |1572-1641 | |専誉の弟子。家康に拝謁。 |- |5 |尊慶 |1582-1654 |1641-1653 | |- |6 |良誉 |1608-1657 |1653-1657 |智積院元寿に学ぶ。[[円福寺]]、[[六波羅蜜寺]]を歴任。 |- |7 |信海 |1613-1678 |1657- |智積院元寿に学ぶ。[[宝生院]]住職を経て晋山。多病のため、[[大和・慈恩寺]]に隠居。 |- |8 |快寿 |1614-1666 |1660-1666 |[[尾張・長久寺]]など歴任して晋山。 |- |9 |頼意 |1613-1675 |1666-1675 | |- |10 |俊盛 |1612-1680 |1675-1680 |[[知足院]]住職から晋山。 |- |11 |亮汰 |1622-1680 |1680-1680 |[[近江・総持寺]]などを歴任。晋山後、まもなく死去。 |- |12 |尊如 |1622-1684 |1681-1684 |知足院住職から晋山。 |- |13 |卓玄 |1632-1704 |1684-1695 |近江総持寺などを歴任して晋山。伝法大会を興す。長谷寺近くの[[興元寺]]に隠退。 |- |14 |英岳 |1639-1712 |1695-? |尾張長久寺、[[江戸・弥勒寺]]を経て晋山。退任して[[護持院]]に入り、[[与喜寺]]に隠居。 |- |15 |亮貞 |1648-1719 |1703-1707 |[[大覚寺宮]]の信任があった。長久寺から晋山。退任して[[護国寺]]住職。[[乙訓寺]]に隠棲。 |- |16 |尊祐 |1645-1717 |1707-1708 |[[下野・宝蓮寺]]、[[大護院]]などを経て晋山。退任して護国寺住職。 |- |17 |隆慶 |1649-1719 |1708-1715 |元は法相宗僧。長久寺、江戸弥勒寺、大護院などを歴任。退任して護国寺住職、護持院住職を務める。 |- |18 |秀慶 |1653-1720 |1716-1720 |近江総持寺、江戸弥勒寺などを経て晋山。 |- |19 |信有 |1662-1723 |1720-1723 |大護院などを経て晋山。 |- |20 |尚彦 |1666-1736 |1724-1730 |護国寺より晋山。与喜寺に隠居。 |- |21 |慧海 |1662-1745 |1730- |[[千葉妙見寺]]、[[根生院]]、護国寺を経て晋山。黒崎に隠居。 |- |22 |恵任 |1665-1742 | |『新義真言宗大観』では伝記欠 |- |23 |圭賢 |1669-1749 | |護国寺より晋山。与喜寺に隠居。 |- |24 |信恕 |1682-1760 |1746-1760 |江戸弥勒寺、護持院などを経て晋山。 |- |25 |性海 |1685-1764 |1760-1764 |[[武蔵・総持寺]]から晋山。 |- |26 |円秀 |1686-1766 |1764-1766 |千葉妙見寺、根生院を経て晋山。 |- |27 |快尊 |1703-1773 |1766-1772 |[[玉蔵院]]、江戸弥勒寺を経て晋山。 |- |28 |有慶 |1709-1775 |1773-1775 |[[近江・北野寺]]、根生院、護持院などを経て晋山。 |- |29 |快運 |?-1787 |1775-1781 |根生院から晋山。諸堂再建。与喜寺に隠居。 |- |30 |虚明 |1709-1788 |1781-1785 |江戸弥勒寺などを経て晋山。黒崎に隠居。 |- |31 |懐玄 |?-1790 |1785-1790 |弥勒寺、護持院を経て晋山。 |- |32 |法住 |1723-1800 |1791-1796? |[[一乗院門跡]]から[[岡寺]]を賜る。ついで[[根来寺]]に入り、復興に尽くした後、長谷寺に晋山。与喜寺に隠居。 |- |33 |儀貞 |1732-1802 |1796-1802 |[[室生寺]]、根生院、護持院を歴任。 |- |34 |元栄 |?-1802 |1802-1802 |近江総持寺、江戸弥勒寺、護持院を歴任。着任前に死去。 |- |35 |暁慧 |1731-1803 |1802-1803 |室生寺、根生院を歴任。 |- |36 |盛尊 |?-1804 |1803-1804 |千葉妙見寺、弥勒寺、護持院を歴任。 |- |37 |高隆 |1737-1808 |1804-1808 |武蔵総持寺、弥勒寺、護持院などを歴任。与喜寺に隠居。 |- |38 |即同 |?-1812 |1808-1811? |弥勒寺などを歴任。 |- |39 |唯阿 |1751-1823 |1812-1818 |根生院から晋山。隠居。 |- |40 |亮恭 |1745-1829 |1819-1825 |弥勒寺から晋山。与喜寺に隠居。 |- |41 |令法 |?-1827 |1826-1827 |岡寺、護持院を歴任。 |- |42 |栄山 |1767-1828 |1827-1828 |[[石手寺]]、根生院を歴任。 |- |43 |実掌 |?-1835 |1828-1835? |近江北野寺から晋山。 |- |44 |栄明 |?-1842 |1834?-? |乙訓寺、弥勒寺を経て晋山。隠居。 |- |45 |鏡真 |?-1848 |1841-1846 |弥勒寺から晋山。与喜寺に隠居。 |- |46 |信慧 |1776-1846 |1846-1846 |根生院、護持院を歴任。着任前に死去。 |- |47 |深賢 |1776-1851 |1846-1851 |根生院から晋山。 |- |48 |永雅 |1779-1856 |1851-1856 |弥勒寺から晋山 |- |49 |通済 |1788-1872 |1856-1858 |根生院、護持院を歴任。与喜寺に隠居。 |- |50 |宥歓 |?-1866 |1862-1866? |弥勒寺、護国寺(日本仏家人名辞書では護持院とする)を経て晋山。 |- |51 |快識 |?-1867 |1866-1867 |武蔵総持寺、根生院を経て晋山。 |- |52 |隆盛 |1801-1872 |1968-1872 |弥勒寺、護持院を経て晋山。教導職大教正。 |- |53 |守野秀善 |1812-1886 |1873-1886 |1879年(明治12年)、真言宗長者。1886年(明治19年)根来寺座主中興1世。 |- |54 |楞厳院秀盛 |1816-1890 |1887-1890 |近江総持寺から晋山。 |- |55 |高志大了 |1834-1898 |1891-1894 |[[新薬師寺]]、石手寺を歴任。少教正となり大教院で宗務を執る。護国寺を経て晋山。1894年(明治27年)、真言宗長者。護国寺に隠退。 |- |56 |上野相憲 |1832-1898 |1894-1898 |[[鶏足寺]]、弥勒寺を歴任。真言宗大会議議長を務める。 |- |57 |慶雲海量 |1833-1900 |1898-1900 |室生寺などを経て晋山。豊山派管長初代。 |- |58 |権田雷斧 |1846-1934 |1901-1904 |一時、[[曹洞宗]]に転籍。豊山大学学長。 |- |59 |平常識 |1833-1905 |1905-1905 |武蔵総持寺を経て晋山。 |- |60 |正城全鏡 |1835-1915 |1905-1911 |三保谷広徳寺住職 |- |61 |高城義海 |1836-1911 |1911-1911 |護国寺を経て晋山。 |- |62 |岩堀智道 |1861- |1911-1915 |弥勒寺から晋山。 |- |63 |早川快亮 |1849-1923 |1916-1921 | |- |64 |広瀬賢信 | |1921-1925 | |- |65 |加藤精神 |1872-1956 |1925- |豊山大、大正大、東洋大の学長を歴任。 |- |66 |小林正盛 |1876-1937 |1930- |[[肥前・誕生院]]を再興。鶏足寺住職 |- |67 |浜野堅海 | | | |- |68 |平岡全教 | | | |- |69 |荒木良仙 |1879-1947 | |室生寺貫首 |- |70 |清水教誉 | | | |- |71 |網代智海 |1891-1969 |1949- |1962年(昭和37年)、[[室生寺]]を豊山派から離脱させ、1964年(昭和39年)、[[真言宗室生寺派]]を創設。 |- |72 |鴇昌清 |1894- | |玄国寺 |- |73 |長岡慶信 |1888-1974 |1965- |童話作家。与楽寺住職。 |- |74 |平林宥高 | | |小岩万福寺 |- |75 |鳥居敬誉 |1898- |1972- |[[真性寺]]住職。宗務総長 |- |76 |川田聖見 | | |[[楽法寺]] |- |77 |築山定誉 | |1980- | |- |78 |小松原賢誉 | | |西福寺 |- |79 |勝又俊教 |1909-1994 | |広徳院 |- |80 |中川祐俊 |?-2005 | |万蔵院 |- |81 |吉田俊誉 | | |密蔵院 |- |82 |浜野堅照 |?-2004 |1996-2000 |武蔵総持寺貫首 |- |83 |川田聖定 |1926- |2000- |楽法寺 |- |84 |鳥居慎誉 | | |真性寺 |- |85 |小野塚幾澄 |1931- |2008-2012 |金乗院 |- |86 |加藤精一 |1936- |2012-2016 |南蔵院 |- |87 |田代弘興 |1939- |2016- |光明院 |} *典拠:伊豆宥法『新義真言宗大観』、平沢照尊『新義真言宗概観』ほか [[category:奈良県]]
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