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大町・専修寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大町・専修寺
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'''専修寺'''(せんじゅじ)は、越前国足羽郡大町(福井県福井市)にあった[[浄土真宗]]の[[浄土真宗の本山寺院|本山級寺院]]。[[大町門徒]](三門徒)の発祥地。開山は'''[[如導]]'''。廃絶。現在の[[勝授寺]]が後継寺院とされる。跡地には如導の墓所がある。'''大町専修寺'''。'''大町道場'''。('''車屋道場'''、'''車道場''')。(参考:同名寺院[[専修寺_(同名)]]) ==歴史== [[如導]]が創建。 [[高田門徒]]の[[専修寺]]4世専空が越前国坂井郡熊坂(福井県あわら市)に[[熊坂道場]]を創建。[[如導]]が熊坂道場を大町に移して寺院を創建したとも。 永享7年(1435)、本願寺から破門されたという。 のち本願寺蓮如に帰属。一向一揆に参加して天正3年、鉢伏山に籠り織田信長軍と衝突。賢会の討死で滅亡した。その子が[[勝授寺]]として再建。 ===滅亡後=== 子の唯賢らは越前を脱出。唯賢の実父が住職を務める加賀国石川郡諸江(石川県金沢市諸江)の[[諸江坊]]に避難。のち越前国に帰還し、本願寺顕如に帰依して[[勝授寺]]として再興した。 一方、寺跡には了願という僧が庵を建て、慶安5年(1652)興正寺末となる。正徳3年(1713)正覚寺の寺号を得た。 また承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に如導の墓を建立した。 ==伽藍== ===塔頭=== 一老として瑞応寺があった。 ==歴代== *1[[如導]](1253-1340) *2如浄:如導の次男。兄の良如は浄土宗に帰して[[敦賀・西福寺]]を建てたため、次男が継いだ。 *3良金:如浄の子。専照寺の伝承にいう「了泉」のことで「良金」は「良全」の誤りという(小泉論文)。 *蓮慶:永存の三男。本願寺[[蓮如]]に帰参。 *顕誓:如祐尼(蓮如の妹)の孫。 *興預:顕誓の養子。諸江坊賢了の兄。 *賢会(-1575):最後の住職。初名は唯受。興預の甥。賢了の子。鉢伏山に一向一揆の一員として籠城したが、織田信長軍の攻撃で天正3年8月17日、討死。 (日本歴史地名大系) ==参考文献== *『日本仏教基礎講座』 [[category:福井県]]
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